№07. メルナの死闘
「はぁっ……たく。次から次に」
「ギギャッ!」
狼を退けてから五分も経たず、現れたのは緑色の小さな鬼が数人。……匹? だろうか。たぶん、ゴブリンとかいうヤツだ。ファンタジーの代名詞のような弱い魔物。
「お前は喋れるか? 知能は?」
「ギッギッ……カッ!」
魔物や魔獣の中には言語を持つものもいると聞いたが……コイツには大した知能はないのかな。でも、その醜悪な面からは明確な本能を感じ取れる。ボクを負かして子種を植え付けようと、そういう目。およそ獣のようなものか。人を脅かす害獣。なら……。
「斬るぞ。お前には用がない」
「ギャウ!!」
威勢よく、手に持った小さな棍棒を振りかぶった。小柄な割に鈍重、やはり知能はない。狼よりは武器を使う分、距離があるが……それだけだな。
「……はっ!」
「イギ……ッ!?」
地面を蹴り上げ、宙に跳ね上がる。世界がゆっくり動くようだ。落下しながら剣を抱え込み、円形の軌道に合わせる。そして着地と同時、振り切った刃が頭を飛ばしていた。
「ふぅ……ぺっ! また血が……」
「ギ、ギ……ッ」
口に入った汚れを吐き出し、頬についた血を親指でグイと拭った。そんな様子を見て、ゴブリン達は少しずつ後ずさる。魔物の血は臭いな。……いや、血なんて良い匂いじゃないか。
「ガ……ギィッ!」
「あ! 待っ……。いや、いいか。あんなのに構う必要はない」
逃げ出した相手を追う暇はない。今はこの山を登ることが先決だ。ボクは何も、ゴブリンの駆除を請け負った冒険者じゃない。
「……さぁ、行くか。そろそろ夜になっちまうよ」
剣を収め、また歩き出す。誰も帰ったことがない。そう言われる理由はこの、魔物や魔獣の多さだろうか。ただ……果たしてこれだけで? 確かに死人は出るだろうが、生還するのも難しくないだろう。
「じゃあもっと先、もっと強大な何かがいるのかもな。……引き締めていこうか」
誰も聞いてはいないのに、それなりの声量で独りごつ。一歩、一歩と踏みしめると落ち葉が砕ける音がした。まだまだ道のりは長いが、確かに少しずつ、進んではいる。
しばらく歩いて。一体いくつ、魔物を狩っただろうか。狼、ゴブリン、熊の魔獣に、そして人狼。どれだけ異形と遭遇しようと、恐怖は湧かず、妙に落ち着いていた。
「はぁっ、はぁっ。すっ……」
「ゴバ……ッ!」
最後の一匹を斬り、やっと、頂上が見え始めた。夜は更け、体力もかなり削られたな。ここまで来ると血の汚れさえも気にならず、顔も服も、異臭を放っている。
「はっ、はっ……。どこから湧いてるんだ。……魔女の実験体か何かか?」
チラリと見渡してみても、空気そのものは澱んじゃいない。魔物や魔獣を形成する邪なる魔力、瘴気らしき気配はないのだが……。考えても仕方ないか。そう結論づけ、また歩き出そうとした瞬間。
ズズゥン……ズズゥン……と。まるで地震のような、地割れのような。そんな揺れが山を包んだ。
「あわっ、わ……っ! 何、どこから……!」
森の木を踏み倒し、その気配が近づく。肌が焦げるような強力なエネルギー。これまでのものとは比にならない、圧倒的な武力……!
「グギ! グギギ、ギャ!」
「コノ……娘ガ……?」
「っ……!?」
全長二メートルを超え、三メートルにもなる巨体。電柱のような棍棒を持った緑色の、意思を持った鬼。ゴブリンの上位種、ゴブリン・キングかそれに準ずるような個体だ。ということは、ここには最大規模のゴブリンの巣がある……!
「なっ……!」
「ホウ、今ノヲ……」
一瞬、世界がひっくり返ったのかと思った。違う。殴り飛ばされたんだ。なんとか反射で刃で受けることができたが、もし直撃していたら……。ボクの頭はなかったろう。
「ぐはっ! はっ、はっ……クソっ!」
「フハハ! 強イナ! 良イ母体ダ。連レ帰ルトシヨウ!」
「下衆が……っ」
木の一本に叩きつけられ、その場に崩れた。頭から血が流れているのか、視界が霞む。が、それを拭う暇もなく、その巨体は馬のような速さで突進してきた。
「くっ、ぐ、ぐ……っ!」
聖剣は折れない。ゆえに盾としても優秀だが、勢いを殺せるわけでもなし。ボクの軽い身体はいとも容易く押し飛ばされ、いくつも木を砕いきつつ。それでも突進は止まない。
「い、い加減に……しやがれっ!」
「ヌッ……!」
受けていた剣を振り下ろし、その勢いで高く跳躍した。加護で筋力も高まっているというのに、生物としての差が大きいのか。力も重さもまるで敵わない。
「仕方ない……。『火炎の剣』……!」
炎属性の魔力を引き出し、それを剣に纏わせた。魔法の造詣はまるでないが、基礎の基礎はすでに学んだ。身をもって、そのエネルギーを……っ!
「はァ……っ!」
「グ、ヌァッ!?」
振り下ろされた巨大棍棒、それを正面から受け止め、押し返した。炎の魔法を纏うこと、それはただ熱を付与するばかりではなく、膨大なエネルギーを付与することでもある。つまり、外付けの腕力のようなもの。
「熱ヅ……! クッ、ガァ!」
「炎なんだ、燃え移るさ」
一太刀、二太刀と交えるたびに、炎は棍棒にも移っていく。緩んだ握力の隙を見つけ、その腕を斬り落とそうとした。……が、知能のある魔物というだけある。防御も回避も、明らかな思考の先に行われている。
「厄介ナ……魔剣士トハ……ッ!」
「厄介なのはお前の方だっ!」
流石の巨体とパワーだ。刃はなかなか深くまで届かず、減速しているうちに逃げられてしまう。確かな傷は負わせても、こうも浅くては意味がない。
ボクは魔法の知識はほとんどない。だからこの魔法剣も長くは持続しない。押している今のうちに……決定打を……っ!
「きゃっ……!?」
「グギッ、グギギ!」
ガクンと右の膝が落ち、姿勢が崩れた。そしてそのほんの一瞬、深く鋭い痛みが脚から伝わる。短い剣が、右のふくらはぎを貫いていた。投擲だ。あのゴブリンが、薄汚れた剣を投げたんだ。
「フハッ! 良クヤッタ!」
「がっ……ぐはっ!」
棍棒による激しい衝撃。気づけば何メートルも飛ばされ、左の腕と腹から鈍痛が走った。砕け、焼けている。燃え移った炎が、余計にダメージを上乗せしていた。
「げほっ……かッ……!」
呼吸が苦しい。浅い、もっと深く……。意識を保とうとすればするほどに、逆の方向に折れ曲がった左腕が、そして肋を砕かれた脇腹が苦しかった。
「ハァ、ハァ……。念ノタメ、右ノ腕モ折ッテオコウ。反抗サレタラ面倒ダ」
ゴブリン・キングの岩のような大きな足が、私の右腕を圧迫し始めた。ミシミシと、枝を折るような音が響く。半ば光を失いながら、けれど次第に瞳が開いた。殴られた衝撃か、あるいはこの窮地のせいか。腹の奥の魔力の塊に、もう一つ、引っ張り出せそうな魔力を見つけた。
「ヨシ、折ルゾ。死ヌナヨ。オ前ハ大事ナ母体ダ」
「げほっ、貴様らには……死んでもらうがな……っ!」
「ナッ……!?」
右腕に一層強い圧を感じるその瞬間。前のように魔力を全解放した。視界を包む白い光。前と一緒だ。……だが、前とは決定的に違う。何が起こるか、ボクが理解していること。そしてまあ一つ、今度は熱ではなく冷気だということ。
「はぁっ、はぁっ……。勝っ、た……」
半径およそ十メートルほどだろうか。その全てが真っ白に染まった。忌々しかったゴブリンも、今ではすっかり芸術的な氷像だ。その氷像も、二秒と経たずに崩れ去る。
「……く、ぐぁっ……!」
ボクの身体も半身ほど氷の膜に覆われているが。それもお構いなしに脚に刺さった短剣を抜いた。肉が斬り裂かれ、身体が分断されるような痛み。だが痛いだけだ。止血をすれば死にもしない。
「ふぅ、ふぅ……。さて……」
ふらつく膝を叩き、身体を立たせる。それに呼応するかのように、氷の世界は崩れ落ちた。白い息が目にかかる。けれど視界は良好だ。月明かりの下、その先には古めかしい小さな小屋が建っていた。




