№78. 雨の中で
「剣聖……メビウス・アマテラス」
偶然と言い捨てるにはあまりに合致してはいないだろうか。『剣聖の聖剣』アマテラスと。だが、アマテラスはボクに与えられた聖剣だ。メビウスは何千年も昔の人物。
「だとしたら、いや……あり得るのか? まさか……」
「答えが出る話でもないのう。まぁしかし、ひとまずは良いではないか。スサノオの件が先決じゃ」
「あ、うん。でも対処法なんて書いてないよ、特に。一通り見たけどさ、今の映像だって何なのか……」
結局のところ、断片的な情報を得たに過ぎない。……一つ、分かったこともあるか。ロードの目的、世界の崩壊。安直だが、そうとしか考えられない。アイツがしたいのは復讐だ。
「悪魔か、天使か、全てか。今のを見た後じゃ、心当たりがありすぎる。一旦アルさんのところに戻ろうか。ボク一人じゃまとめられないや」
「そうじゃな、そうしよう。頭を休めようではないか」
フワリと浮くと、彼女はボクの首に座って尻尾を巻きつけた。ボクは賢くないからな。頭の切れる人達に頼らないと、一人じゃ何もできない。しかし何から話したものか。ボク自身、まだ先の現象を理解していないんだ。
「アレはメビウスの力じゃったのかな? 余の直感はそうじゃないと言っておるが……」
「その判断は難しいな。果たして彼女にそんな力があったのか」
時空を司るのはホルネィ様の力のはず。もし過去を見せるとしたらそれはホルネィ様の力と見るのが普通だろう。だがそうではないらしいし。ボクらの頭では難しいことばかりだ。
地面を叩く音を響かせながら、階段を一つずつ上っていく。いつしか木の匂いは遠ざかり、薄い光が差し込んできた。あまりに長かった、そう感じる。何年も何百年も閉じ込められてた気分だ。実際にはほんの一刻にも満たなかったろうが。
「ふぁ〜。ただいま、お姉様、ナナ。色々ありましたよ、何から話すかな……」
頭を傾げながら息をいっぱいに吸った。魔力に満ちた空気、部屋のものよりずっと清々しい。真世界は地下に位置するものの、まるで山の上にでもいる気分だ。
「新発見の事実って言うんですかね。メビウスもそうですが、ロードとかホルネィ様とか。ところどころ違和感はありましたが、スサノオについてはよく分からず——」
「……?」
視線を向けると、二人は困ったように見合わせ、そして首を傾けた。誰もいないはずの背後を振り向いたかと思えば、また向き直る。おかしい。何か、何かがまだおかしい。
「あぁ、すまない。えーっと……」
「しっかりしてくださいよ。お姉様、ナナ。ボクだってボクなりに色々と考えて——」
「あの、どちら様……でございましょうか」
「——え?」
ナナの言葉に、音が消えた。『どちら様』、ボクに言ったのか? いや、そんなわけがない。だって目の前にはボクしかいないのだし、そんなことを聞くはずがない。
「悪い冗談はよしてよ、らしくない。お姉様からも何か言ってくださいよ」
「……誰か、人違いではないか? すまないが私達は君のことを知らない。それにしてもなぜ、下から?」
瞳の揺れ、呼吸の数。冗談を言っている雰囲気ではない。何だ、ボクがおかしいのか? ボクがどこか……いや、何もしてないはずだ。
「おい、酷いではないか、そなたら。なぜメルナに意地悪をする?」
「わっ、なんか出てきた!」
「そうか、君はメルナというのか。その剣は聖剣か? 新しい聖剣でも誕生していたのか」
ツクヨミのことも知らない。メルナという名前すら知らない。これは何だ……? 夢か? あぁ、きっとそうだ、悪い夢。ちゃんと思い出してもらわないと。
「アルお姉様、メルナです! ボクはメルナ・アマテラス。あなたの——っ!」
次の瞬間、短い刃が喉元を捉えていた。ナナが、ボクに刃を向けている。警告だと言わんばかりの寸止め。もう少し近づいていたら、ボクの方が反射で斬っていたかもしれない。
「ちょっ……ナナ?」
「どなたかは存じ上げませんが、殿下には近寄らないでください。あと一歩踏み込んだら、私があなたの首を斬ります」
「っ……なんで、なんの冗談だよ……」
ボクがおかしいのか。ボクがおかしかったのか。この空間で、ズレているのはボクだけだ。ボクが何か、悪いことでもしたのか? 嫌われるようなことでもしたのか……?
「まぁまぁ、落ち着け、ナナ。この子も混乱しているようだ。メルナと言ったか、私はアルナリュート・バラムランデ。少し話を——」
「いりませんっ!」
「あっ、おい!」
制止を振り払い、ただ逃げ出した。認めたくない。認められるわけがない。何でだ、何があった。酷く恐ろしい。恐ろしさのあまり、心臓の速さが乱れ始めていた。
「ヨミちゃん……ボクは、ボクだよね……?」
「あぁ。顔も声も、全てそなたのままじゃ」
息を整えないまま駆け上がり、振り返ることなく外に出た。薄暗い空、激しい雨が降り注ぐ。雨が頬を伝い、顎へ、そして落ちる。ものの数秒で髪が濡れ、服は重くなった。
「一体……何が……っ」
膝をつき、声を漏らす。ガタガタと震えるのは寒さのせいか、あるいは別か。わけが分からない。何も分からない。何が起こっているのか、あるいは起こっていたのか。ボクの今までは何だったんだ。
「アルさんも……ナナも……。ぅっ……げほっ、げほっ」
「メルナよ、まずは落ち着け」
ツクヨミの熱だけが頬に触れる。瞳が熱い。絞られるようだ。嗚咽が胃の底から迫り上がり、酸が水溜まりに溶けた。気持ちが悪い。最悪の気分だ。
「……っ、まさか、主が……!」
「なんで、お前が、ここに……っ!?」
息も途切れ途切れに、呟くような声に顔を上げた。ロード・アルスメード。さっきまで見ていた者ではなく、現代のロードだ。知っているヤツより若い気もするが、そんなことはどうでもよく。ボクはひどく汚れた顔のまま、剣も抜けずに弱々しく睨みつけていた。




