№77. 始まりの記録
「ふぅ……いや、落ち着こう。取り乱しちゃった」
息を整え、再びその小さな日記を拾い上げた。この時代の人間は記録にこだわっているのか。あるいはホルネィ様のコレはこの時代のものではないか。……ボクが拾えるのだから後者だろう。
「……ん? このページだけ重なってるな。開くのか?」
ページを捲りながら、指の止まったそこを開く。ページが重なって——いや、違う紙が挟まれているらしい。それを一回、二回と開いていく。
『ところでコレを読んでる君は何者なのかな? 私は関与してないはずなんだけどなぁ。上手く君に届いてるのを見るに、狭間に置けたみたいだけど、もし失敗してたらと思うと無駄な労力だよね。笑えるわ。それにしても酷い死に方をしてるっぽいけど——』
「長ぇよ!」
無限に溢れ出す文字にまたしても投げ捨ててしまった。ダメだ、本当に良くない。こういうのは大事にしないとだ。……いや、大事にしてほしいんならちゃんと本題から書けって話なんだよ。
「ほれメルナ。こんなんでも神様の言葉じゃぞ、一応」
「……ごめん。ありがとう」
ツクヨミが拾ってきてくれたそれをまた手に取り、ページを広げていく。どこまでも続いていき、紙の端は地面の水溜りにまで達した。そのほとんどは無駄なことばかりを書いている。
「読ませる気があるのか……」
『と、ここまで読んでくれたことには感謝するけど。ほら、後ろを向いてごらん』
「……?」
そこに書かれた文字通り、ボクは後ろを振り返った。それと同時に、また空間が歪む。また違う場面に切り替わるのか、そう身構えた次の瞬間。いたのはまたもメビウスの部屋だった。
《……ねぇ、ロード。その剣、何?》
《分からない。でもホルネィの力で作り出されたものだとすると……少し未来のものだろ。たぶん》
空気が揺らいでいた。熱さと冷たさがせめぎ合う。そうだ、肝心なのはアルスメードだ。なんでこの時代にあるんだ。聖剣が誕生するのはここから五〇〇年は後のこと。
「メルナ、コレではないか?」
「また資料か。推理ゲームでもやってる気分だよ」
ツクヨミが指差した先に進み、文字を読む。『時間に囚われることはない』、と書いてあった。『全ての時間は交差し、あの子はその全てを司る力を持っていた』と。
「……あれ? この紙、さっきまであったか?」
「余が触れられる……ということは見ている世界とは別の、現代に残っている資料のようじゃの」
「待ってくれ、混乱してきた。今はいつだ? 結局、この映像はボクに何を見せようとしている……? そもそも目的なんてあるものなのか?」
コレはホルネィ様が見せているわけじゃない。けれど時間が乱れている。もっとも、ボクらがここに干渉できないということは確かなラインは引かれているはずだ。だからこそ、コレは本当に映像なのか。……ただの歴史にしてはどこかがおかしい。
《悪魔だって言うのなら、オレは悪魔を殺すぞ。全て……全てだ。メビウス、君はどうする?》
《私だって許せないよ! 勝手に外からやってきて、アイツら、なんのつもりなのさ……!》
《ふふ、そうだよな》
魔力がまた、せめぎ合う。感情とリンクしているのか、変わらずの熱と冷気だ。復讐に取り憑かれている、というほどではない。怒りはあるし復讐もする。けれど今の二人は互いの存在が理性を繋ぐ糸になっていそうだ。——と、次の瞬間。整理する間もなく場面が変わった。
《何か……オレ、おかしくないか? もう二〇〇年経った。なんでオレは、こんなに若い?》
《もしかしたら、その剣。……不老、なんじゃ……?》
《不老、だって? ははっ、それは良いな。何でもできるじゃないか。なぁ、メビウス》
《……えぇ、本当に。……あなたは一人でも強いだろうからね》
チラとメビウスに視線を向ける。ここか、やはり。歳を取らなくなったロード、それを見守るしかできないメビウス。すでに彼女は人間で言うところの二〇歳は超えていそうだが、ロードは若い青年、一七かそこらくらいに見える。
「……おかしいな。なんでこんなに若い……?」
「確かにな。余が見たアイツはもっと大人の姿じゃった。余の知るロード・アルスメードではない」
整理したいのに、また場面が変わる。もう一度、メビウスの部屋だ。だがどこか様子がおかしい。血生臭い、そして澱んだ魔力。つまりここがもう一つの転換期か。メビウスの部屋ではあれど、『メビウスの図書館』とはまた別の場所だな。
《ウッ……アゥッ! キャウッ……!》
《ごめんなさい……。でも、私は止まれないの。ごめんなさい……》
そこに囚われていたのは悪魔が数体、そして野生の哺乳類。それぞれが二つに隔離されていた。一方は子を産ませる交配実験、もう一方は因子を埋め込むことで混ぜ合わせる実験。メビウスの研究は人間と悪魔との実験のはずだが……。ふと、その研究資料が目に入った。
『交配は成功率が高い。ほとんどは知性もなく生まれてくるが、因子を注入するやり方の成功率がゼロであることを考慮すると明らかに高いと言えるだろう。天使および人間での実験はできない。本番に向けて、この差と成功例を上げなくてはならない。まず、この二つがもたらす差異について——』
「……なるほど」
悪魔も全て獣型、そして野生の獣。人には試していなかったのか。あくまで自身を不老にするための研究。律儀なのかどうなのか。ただしこの惨状を見るに、かなりの犠牲が出たらしい。
「ほれ、また場面が変わるぞ」
「うん、分かってる」
何度も経験すれば手慣れたものだ。次に映ったのは外—— 真世界だ。真樹の根に包まれた広大な広場、そこに貼り付けにされた一人の女。彼女の足元はまあ広がり、それが次第に上っていく。
《やめろ、やめてくれ! 頼む、メビウスを解放してくれ……!》
《大人しくしろ、ロード! あんな研究をする女を、あんな気味の悪い女を生かせと言うつもりか!?》
《ならば出ていく! オレ達は真世界から! だから頼む、アイツだけは殺さないでくれ……!》
魔障石の槍で組み伏せられ、ただ声を上げている。あまりに無力な光景だった。あのロードが、ただ泣き叫ぶだけ。何が正しく何が間違っているのか。ここが違えば、何かが変わっていたのだろうか。
《メビウス、頼む、逃げてくれ! なぁ、お前なら逃げられるだろう!!》
《ごめんなさい、ロード。私は命を弄びすぎた。……ごめんなさい、私には無理だわ》
《そんなことはない! オレが必要としているんだ! 生きろ、オレのために生きてくれ!》
そう叫ぶ頃には、すでに彼女は燃えていた。しばらく、沈黙が流れる。その後のことは流れるようだった。抵抗すら失ったロードを真樹の牢に放り込み、そして空気が歪む。どれほど先のことかは分からないが、全てを焼き払いながら彼は真世界を出て行った。
「……戻ってきたか?」
「そのようじゃの。ここは現実じゃ」
腰に提げた剣を撫でながら、ふぅと息を吐いた。机に触れると、木の感触が肌を伝う。結局何だったのか。ボクには理解し難いが。
ふと、隅に置かれた一枚の紙に吸い寄せられた。——剣聖メビウス。それはそう記されただけのただの札。誰かの宝物なのか。確かなのはロードの筆跡であることくらいだ。




