№33. ルヴァルク・アランレーム
アルさんの腕からは降り、流れてくるのは花の香りと木の香りばかり。王国の人工物のようなものではなく、全てが自然由来の優しい香りだ。加えて視界も緑か茶色、優しいなんてものじゃない。ただ一つ、鋭いものがあるとすれば——
「視線が痛いな」
「はは、悪いな。物珍しいんだよ、人間は。ほら、この森は案内がないと迷ってしまうからな。君達も気をつけてくれ」
「……そうなのか」
ボク達はトリュネルに案内してもらったから迷わずにやって来れたが。でもこれだけデカい木が目標にあれば迷うこともないと思うけどな。もしかしたら霧が出てきたりもするのか? まぁ別にいっか。
「ただ彼らも悪気があって視線を向けているわけではない。興味だからな、大目に見てくれ」
「いやいや、そんなに気にしてないよ。むしろボク達の方こそ、こんなに街を珍しそうに見ちゃって……」
「ははっ、じゃあお互い様ということで」
変わらずやはり、視線は集まるものの。少しは和やかになった。そんなとき。突然、ボクの視界は真っ暗に染まった。視界だけだ。鼻はちゃんと利くが。
「だーれだっ」
「っ!?」
誰だ? 若い男の声だ。こんなことをしてくるってことは……知り合いだとは思うけど。……ゼルじゃないな。まさかベルアルド殿下が着いてきたか? いやぁ、流石にないか。……あれ、心当たりがないな。もしかしてやべーヤツに絡まれてるのか?
「兄さん、客人を困らせるな。初対面で誰も何も分かるわけがなかろう」
「いやいや、知らぬのか? 人間の初対面はな、こうするのが礼儀なんだよ」
スッと、視界はまた光に包まれ、目の前の姿を捉えた。確かに若い男だった。腰に綺麗な剣を差し、金髪ので耳の長いエルフ。ムカつくほどのイケメンだ。美形も美形、憎めないタイプの。しかしトリュネルが兄と呼ぶということはつまり、彼が——
「その、その礼儀はどこで?」
「いつかアナスタシアが言っていたんだ。『人間は友好的な挨拶を求めるから、最初は目を隠してだーれだ、と言えばいい』ってな」
「……たぶん騙されてますよ」
「なにっ!? くそっ、おかしいと思ったんだ。よりによってアイツが素直に言うもんだから……」
シアと面識がったのか。……いや、聖剣持ちなのだからそりゃあ当然か。しかしシアのことだ。面白半分で揶揄うことも嘘の常識を教えることもあるだろう。……悪い性格だよ、まったく。
「いや、だとしたら無礼を働いたな。失礼、一度謝っておこう。僕がルヴァルクだ。ルヴァルク・アランレーム。……で、君がメルナか。可愛い娘だな。結婚するか?」
「え、嫌です」
残念だったな。ボクは男だからな。どれだけ爽やかイケメンでも靡かないのさ。と、そう半ば冗談に思っていたが。返ってきたのは思いの外軽いものだった。
「ははっ! 振られちまったよ。聞いたか、トリュネル。嫌ですだってよ。はっはっ! はぁ〜、当たり前だな」
「そりゃそうだろ。こんな不気味で不愉快なエルフを誰が引き取るというのか」
酷いな、と高笑いながら、彼はボクらの方に軽い会釈をした。なんか、イメージと違うというか。いや、思えばシアだってオブラートに包んで言えば明るくふわふわした感じだったもんな。この世界の強者はこんなもんなのかもしれない。
「あの、会って早速で悪いんですが、ボクに会いたがった理由ってのを聞いても?」
「あぁ、そうだったな。肝心なことを忘れてたよ。じゃあ……少し、着いておいで」
「……? 分かりました」
そうしてまた枝の大地を歩きながら。緑の染みた看板の店に入った。油や肉の香りはしないが、それでも芳ばしく、質量のある香りがする。ハーブとかかな? 食欲を唆るような香りだ。
「ここの名物はね、川魚のハーブ蒸しだよ。店長、それを五つとキャットフードを頼むよ」
「おい、俺様を猫扱いするんじャねェよ!」
「あれ、猫じゃないの? じゃあ魚を六つでお願い。うん、キャットフードは無しで」
席に座ると、やっと肩が軽くなった。物理的に、だ。ゼルが床に降りたから。その店はさほど広くはなく、客もほとんど見えなかった。ただそれは繁盛してないとか、そんな話ではない。椅子や机、床の模様に至るまで、几帳面に整ってるから。
「ホロトゥアって魚でね、生でも食べられるんだ。けど、ハーブで蒸すと香りも柔らかさも跳ね上がってね」
「……あの、そんな話より、聞かせてもらえませんか?」
「まぁま、いいじゃないの。一応、見合いの体で呼んだんだ。多少の話には付き合ってくれてもいいじゃないか。なに、焦るような話じゃないんだよ」
もうボクのペースに持っていくのは無理そうだな。あまりにマイペース過ぎるよ。ボクもそこそこマイペースだと自負しちゃいるが、こんな自由人を目の当たりにすると負けを認めざるを得ない。……何をくだらないことに負けてんだって思うが。
「ルヴァルク殿の言う通りだ。肩の荷を下ろしてもいいと思うぞ」
「アルナリュート殿下の仰る通りです。久方ぶりのまともなお食事なのですから、楽しみましょうよ」
アルさんとナナはすっかりルヴァルクのペースに呑まれて……。いや、違うぞ。この二人は呑まれたんじゃなく、同調したんだ。……やっぱり強かだな。こんなに爽やかな容姿をしながら。
「……おぉ、美味い!」
「そうかそうか。そうだろう! 僕の気に入りの店だ。そりゃあ美味いだろう」
魚を一口、その声にルヴァルクは楽しそうに笑って見せた。正直、バラムランデの宮廷料理よりもボクの舌には合ってる気がする。塩加減とか香りとか、どことなく地球の味に近いのかな。と、意外にも楽しんでた中で、彼は口を開いた。
「まぁ食べながら聞いてくれ。いや、長い話にはならないが、メルナ。君を呼んだ理由だったな」
「あ、はい。あるんですね、ちゃんと」
「そりゃああるさ。と言っても、実のところ君と会うのを求めたのは僕じゃないんだがね。僕ということにした方がスムーズだからさ」
「……?」
魚を口に放り込み、咀嚼する。僕じゃない、そう言ったのか? 彼ではなく、そして彼の名前を借りれる立場というと……国王、つまりハイエルフだろうか。いや、だとしたらこんな回りくどいことはしないか。まさかシャイなヤツが、なんて話ではなころうが。
「そのお方はこのユグドラシルの頂上に住んでてな。メルナ・アマテラス、その名前を聞いてぜひ会ってみたい、と。見合いなんて質じゃないが、まぁ見合いみたいなもんよな。顔合わせを求めてるんだ」
「世界樹の頂上? それは……国王、とか。……じゃないか」
「もちろん、国王ではない。それとはまた別の存在、竜王様だ」
竜王、その名前だけで空気を焼く錯覚を覚えた。龍じゃない。たぶんだが、悪魔の類じゃないのだろう。それがボクに会いたいと。なんてロマンか、なんて面白いことに巻き込んでくれるのか!
「これを食ったら、会いに行くかい?」
「もちろん、ぜひ行かせてください!」
躊躇う理由も、断る理由もない。てっきりボクは、この国に来てエルフと仲良くなるんだな、としか。聖剣持ちの人と仲良くなるんだな、なんてお花畑しか思ってなかった。それなのに竜なんて。会わないわけがないじゃないか。




