№31. 向かう先は世界樹の森
「メルナ様、起きてください。朝ですよ〜」
「はぁーい」
「はいはい、よく起きられましたね〜」
目を覚ますや否や、テーブルへと連れられて。食事も整髪も……はたまた着替えも、ボクが目を擦っているうちに全ての支度が終わっていた。
「……はっ!? いつの間に!」
「やっとお気づきになられましたか。ほら、お顔を拭きますね。今日は出発の日ですから」
「ぶぇっ……」
ナナも割と強引というか。柔らかい布で顔を拭かれながら、ボクは大人しく座っていた。眠さにウトウトと揺れるものの、こうも徹底的に世話をされてはそんな暇もない。そりゃ、美少女に寝起きから世話されて、なんて……ねぇ。
「本日はアルナリュート殿下も張り切っておられますよ。なんと言ってもエルフの国、世界樹の森ですからね。メルナ様も楽しみでしょう?」
「うん、楽しみ」
「ふふ、それは良かったです」
世界樹の森というと……確か、ここから東の方だったか。そもそもこの世界、もといこの星は、地球とはまるで違うようだ。この星は巨大な木、真樹の根が中心に張っており、大地がその根を覆っているらしい。その木の枝が、いわゆる世界樹、ユグドラシルと呼ばれるものだとか。
「さっ、髪も結べました。行きましょうか!」
「よしっ、ボクも目覚めてきたっ。ほら、行くぞ、ゼル」
「えッ、俺様もか」
「当たり前だろ」
黒い髪はバッチリ、ポニーテールに変わって。動きやすい制服が身を包んでいた。まさに完璧、やる気満々だ。
今回はアルさんにナナ、それからボク。護衛もつけないストロングスタイルではあるものの、女子会だもんな。そりゃあやる気も出るというものさ。この黒猫はノイズか……分からないが。城に放置しておくわけにもいかない。
「おぉ、来たか、メルナ」
「はい、お姉様。遅れてしまい……あれ、馬ですか?」
「そりゃあそうだろう。幸い地続きだ、船に乗ることはない」
参ったなぁ。剣や魔法の訓練はしてきたが、馬に乗る練習はこれっぽっちも……。元は普通の高校生なんだ。どう乗ればいいのか、操り方なんて知らないぞ。
「あぁ、心配するな。お前が馬に乗れないことくらい知ってるさ。ナナ、お前が抱えてやれ」
「はい、そのつもりでございます」
「おわっ」
ひょいと、ボクはナナに抱え上げられ、そのまま馬の上に乗せられる。ナナの前で抱えられながら、肩には小さな黒い塊が乗っかって。ボクの頭の後ろに当たる彼女の身体は柔らかく、まるで絹のクッションのようで……ごほん。
「そういえば、タロンは強かったなぁ。ナナも戦えるの?」
「えぇ。私達は嗜み程度の武術は心得ておりますから。ただ私は本職でもないので、あまり期待はしないでください。タロンさんに至っては、元々冒険者ということもあり、相当な腕前ですが」
「へぇ……道理で」
まぁ、この王家がそもそも魔導師やら騎士やらで戦う一族なんだ。偉い王家のくせに戦う変人なのだから、そこに仕える人間が戦えるのも当たり前か。……騎士団の立つ瀬がねぇじゃねぇかよ。
「強いというと、メルナの腕も上がっているがな。それでもまだ、聖剣の力は十全には引き出せていないのか?」
「聖卿、ですよね。シアが言っていた。確かに強くはなってそうですが、特別変わったようなことは……」
「ふむ。憂う必要はない。努力は必ず実を結ぶ」
「そう言っていただけると心強いです」
聖卿とはなんなのか、どうしたらその境地なのかということは未だに分からない。シアはあんまり語る性格でもなかったし。ただ鍛えれば分かるというのだから、そう難しい話ではないはずだ。到達するのは難しいかもしれないが。
そんなこんなでどれくらいだったか。一週間? いや、もう少しかな。とにかく野営を挟みながら、馬に跨って山や平原を駆け抜けた。ここまで長い旅は初めてだったが、そんなことは正直どうでもよて。ボク達は今、地面から飛び出した大きい……蛸? のような魔物に追われていた。
「ナナっ、飛ばしてっ! ひぃっ、ヤバい! 近づいて来てるって!」
「飛ばしてますが……戦えばいいのでは?」
「戦いたいさ。戦いたいけどね、怖いんだよ! 触手が!」
「うるせェなァ。黙ッてろや」
ゼルのやかましい不服など無視し、ボクはただひたすらに背後から迫り来る触手に神経を尖らせていた。実際、あの大蛸と戦えば負けるようなこともなかろうが、あのウネウネと動き、身体を締め上げそうなものを見ると——
「……トラウマになるのも無理もない、あのときはトレントだったか。相当、酷い目に遭ったからな。ならば私が——」
「あぁっ、やめてください! 行かないで! お姉様が離れたら、ボク……っ!」
「わわっ、メルナ様。乗り上げないでください……っ! 落ち着いて、大丈夫ですから!」
「そ、そうは言っても、このままでは……」
ボクは、それは見窄らしく瞳を濡らしながら、身体を左右に揺らしてしまっていた。まともな理性なんて欠片ほどしか残っていなかったから。恥ずかしさを感じる余裕もない。
「ギャウグァ!」
「おい、小娘。俺様の首輪を緩めさせてもらうぞ」
「はっ、はっ……へ?」
半ば息を詰まらせながら、そんな言葉を聞いた。ゼルだ。ゼルが自分の前脚の爪を首輪に引っ掛けて、それを……。ボクの肩から飛び跳ね、みるみるうちにその姿を四つ腕の巨体に変えた。
「『悪魔の鉄槌!』」
「グプヮッ……!」
一撃だった。右の二本腕に魔力を纏わせ、それをただ力一杯に振り下ろしただけの一撃。それが大蛸の、直径十メートルにも及びそうな頭を直撃し、破裂させた。
「グワッハッハッ! 久方ぶりの暴力、破壊! 最高の気分だなッ! ハッハッ!」
「……ゼルの人型、初めて見ましたが……可愛くないですね。……ほら、メルナ様、もう大丈夫ですよ。ほら、息を。一、二……そう、怖くないですよ」
「うん、大丈夫。ありがとう。もう、大丈夫。……ゼルも、その……ありがと」
「うん? 何か言ッたか?」
ボクの言葉は、後半は風に掻き消されながら。猫の姿になって帰ってきたゼルを抱え上げた。情けない。あんな魔物に、こんな醜態を晒して。怖がることなんてないだろうに……。
「そう気負うな、メルナ。誰しも得手不得手はある。多少の弱点はあった方が可愛いものだ」
「ん。分かりました……」
「よしっ。少し休むか。ほら、向こうに山が見えるだろ? アレが世界樹の森だ」
馬から降ろされ、指された方向に視線を向けた。見えたのは緑色の海のような景色。とても山や森なんて矮小なものには見えなかった。それほどまでに、ボクの目には偉大で尊大に映っていた。
そしてその中央に立つ一本は一層大きく。厳密にはその周りの森もまた真樹の梢らしいが。世界樹と呼ばれる中央に立つ大きな一本は、そこらの山よりもずっと高く、大きなものだった。




