№29. 光
ヴァルタリオ侯爵との一件があってから数日が経った。あの後の経過は芳しいようで、どこかやりきれないものでもある。
まず一つ。侯爵は爵位を剥奪されると同時に、その身柄は聖議会の保有する大監獄へと送られた。それは国を越えた収容所でありつつ、一切の自由を認めない最恐の監獄だとか。無期懲役か……いや、死罪だろうな。もっとも、あんな男に同情する余地もないが。
そしてもう一つ、実験の被害者達についてだ。まず、今回保護された数はたったの二四だった。彼らは救出時には理性も残っていなかったが、変異が小さかった騎士団および一般市民、合わせて十五名については治療とリハビリの後でまた日常生活に戻れるらしい。
ただ問題は残りの九名、ユルヴァを筆頭に、半悪魔化してしまった者達だ。彼らも時間をかければ理性を取り戻すことは可能らしいが、一度変異してしまっては元には戻せない。しかも肉体と精神の両方に大きな負荷が掛かっているようで、先もあまり長くはないのだとか。
「メルナお嬢様、大変でしたね。そう気を病まないでください。彼らも最期に人間としての尊厳を取り戻せるのなら幸せでしょう」
「……うん、ありがとう、ナナ。仕方ないよね。助けられる命にも限りはあるんだ。悪魔の因子を埋め込まれて、あるいは悪魔の子供として生まされて。……その一部でも助けられるんだから、良いんだよね、これで」
「はい。メルナ様は大変、頑張っておられます」
ベッドの上、黒猫を抱きしめながら、ナナに髪を撫でられていた。苦しいこともやりきれないこともある。でもちゃんと助けられた命があるんだから、ボクは頑張ったんだ。そう言い聞かせるたび、胸が締まって。ゼルシアスを抱く腕に力がこもる。
ちなみになんでこんなにコイツを可愛がっているのか、って話をするなら、理由は簡単だ。猫は可愛いから。もっとも、中身はうるさいからアレだけど。人型にはならないように首輪もつけさせたし、コイツはもう喋るだけの黒猫なんだ。……ナナにした自己紹介は最悪だったな。
『よう、俺様はゼルシアス。偉い悪魔、元魔王だ。好きなのは女と殺戮。よろしく』
最初の挨拶、コイツはそんなことを言ったんだが、今思い返してもアレは本当に最低だった。いつもは強気なナナも、猫が流暢に喋り出すものだから流石にビックリしてたよ。ビックリしすぎて前髪が一センチ伸びたらしい。
「なんだお前。半悪魔の奴らを助けてェのか?」
「……そうだよ。ゼルには分からないでしょ。人間はね、他の人間を助けたいって思うものなんだよ」
「まァ俺様は悪魔だからな。どっちかって言うと生意気な奴らの絶望顔を踏み潰しながら殺したいが」
「残念だったね。契約したからお前には無理だよ」
まったく、こちとら気分が沈んでるっつーのによ。勝手なことを喋ってボクのテンションをまた一段と沈めてくる。コイツは言葉の通りの悪魔だな。先にボクが殺してやろうか。
「しかし、助けてェなら助ければいいじゃねェかよ。俺様がなんとか因子を浮き上がらせて、その間にお前の聖剣でぶッ刺しャあ治せるぞ。変異した身体以外は」
「へぇ。……へ? なんて?」
「だから治してェなら治せばいいッて言ッてんだよ。聖剣を持ッてんだからよォ。お前だッてその方法で自分に入れられた因子を抑え込んだんじャねェのか?」
思えばそうだ。ボクは自分の肩に聖剣を刺すことで悪魔の因子が体内で暴れ回るのを止めた。それができたのは注入された直後だったからで、そして自分の身体だったからだ。でもゼルがいるなら、その染み込んだ悪魔因子を強制的に聖剣に触れさせることも——
「言ッとくが、肉体が戻るわけじャねェぞ。一度変わッたモンは流石に戻せねェ。その負荷を消すだけ、要はその身体を定着させるだけだからな」
「十分だよ、ゼル! ご褒美にお風呂に入れてあげるっ!」
「うおッ、マジか! 前向きに手伝ってやる!」
「お前を洗うのはボクだけだけどな!」
どれだけ良い仕事をしても、流石にアルさんを始め、姫様方や女騎士の面々のお姿を見させるわけにはいかない。こんな変態猫、誰のどこに飛びつくか分かったものではないしな。
「いや、お前だけでも十分よ。顔と身体だけは良いからな」
「よしっ、じゃあナナ、ボク行ってくるね。善は急げだ!」
「わ、私も同行いたします! お嬢様だけでは不安なので」
そのままゼルを抱え、二人と一匹で部屋を飛び出した。駆け抜けるように。光を見つけた物が、それを掴み取ろうとするように。ひたすらに走り、彼らを保護している城内の簡易牢に到着した。
「はぁっ、はぁっ……。あ、アルお姉様!」
「おぉ、どうした。そんな走って、身体は平気か?」
「このくらい、なんてこともありませんよ。それよりですね——」
ユルヴァの様子を見に来ていたアルさんとかち合い、そこでおよその状況を話した。ザックリと、ゼルの手を借りて彼らを助けられるかもしれない、ということ。
「ふむ、なるほど。……ぜひお願いしたい。このまま生を終えるのはあんまりだ。頼む、どうか……!」
「はい、もちろんですよ。ボクに任せてください」
表情を綻ばせながら、鞘に収めたアマテラスを抜き去った。白銀に輝く刃がまさに希望の太陽のようで。それを抵抗されないように、素早く、正確に肩に突き刺した。一人ずつ、因子を焼き払うつもりで。九人とは言っても、痛覚が鈍っているのか。意外にもみんな、大人しく処置をさせてくれた。
「……ふぅ。よしっ。一応、知性や理性を取り戻すまでに何日か時間はかかると思いますので、良かったら変わらずに様子を見てやってください。肉体に変化はないらしく、やっぱり、ショックもあるでしょうから」
「あぁ。……ありがとう、メルナ。ゼルシアスも、感謝する」
「ふふ、たまにはお姉様の役にも立てました。ではボクはこれで。また休ませていただきます」
キンッ、と高い音を響かせながら、剣を鞘に収めた。今度はナナと並びながら、もう一度ボクの部屋に。やっぱり、アルさんにとってユルヴァは放っておけないらしい。そりゃそうか。話からするに特別親しかったり、距離が近かったわけでもなかったらしいが。それでも友。あんな姿になってはな……。
それから部屋に戻って。服を緩めて。部屋着に着替えながら、ゼルをシャワールームに投げ込んだ。シャンプーとタオルを持って、ボクもそこに。……もちろん薄着を着た状態で。
「くそォ、こんなのってねェだろうが……ッ! こちとら女体を楽しみにしてたのによォ……ッ!」
「はぁいはい。お前に女体は十年早ぇよ。美少女に洗ってもらえるだけ感謝しな」
ゴシゴシと、汚れが残らないように毛の深くまでよく洗い。上がってからはナナの膝の上で乾かしてもらっていた。なんだかんだと言っても、満足はしてるじゃないか。
ちなみにと言ってはなんだが、ボクはその後、アルさんに連れ去られて大浴場で全身くまなく洗われてしまった。そこにミリア殿下や女騎士達も途中から来てしまうのだから、そりゃあ久方ぶりの生き地獄だったよ。……大変だった。本当に。




