№25. 忌々しき過去の研究
「げほっ、げほっ……。ふふ、昔の話ですよ。遥か昔の……記録しかない時代の」
「……元気なヤツだな。何の話だ」
思いっきり殴ったんだが……思いの外、軽かったのだろうか。よろよろとはしつつも、そのまま上体を起こしてこちらを見据えてきた。しかしその口から出た言葉が気になる。
「……メビウスという女がいたらしい。魔法学者ですよ。現代には語り継がれてませんが」
「それがなんだ。謝罪でもする気か?」
「まさか。私はそれに誇りさえ抱いていますから。……さて、話を戻すが。彼女が研究していたのは悪魔と人間の融合についてでした。まず一つ、悪魔と人間を交配させ、子供を作る。そしてもう一つ、人間に悪魔の因子を埋め込む。……いずれの方法も成功率は高くありませんでしたがね」
なんとなく、見えてきた。つまりここの死体は失敗した人達だ。そして悪魔も、恐らくどこかに捕まえているはず。しかし……交配させる理由が分からない。人間の言うことを聞く戦力が欲しい、とかか?
「ふふ……何を考えているのやら。理由、ですか? 単純に、興味ですよ。人の先には、悪魔の先には何があるのか」
「悪趣味だな。アンタは生かしてちゃいけねぇな」
これ以上聞く必要はない。そう判断し、アマテラスを鞘から抜いた。話し合いでどうこうなる相手じゃない。命を弄ぶようなヤツだ。加減する必要はない。
「趣味に良し悪しをつけるものではありませんよ。さぁ、私の最高傑作をお見せしましょう」
「ギ……アァ……」
「……っ、お前は、まさか……っ!?」
「……?」
ガチャリ、と扉が開かれ、現れたのは小型の鬼だった。およその体長はボク達人間とさほど変わらない、二メートルにも満たない大きさ。姿は誘惑鬼と大して変わらないが……その禍々しさは何か。……アルさんの動揺は一体……。
「おい、目を覚ませ! ユルヴァ!」
「なっ、ユルヴァ……!?」
ユルヴァ・ヴァルタリオ、のことだよな? 侯爵の息子の……それがコイツなのか? いやいや、息子だぞ。自分の息子を……そんな、そんなことがあり得るのか?
「我が子ユルヴァはね、胎児の頃から悪魔の因子を仕込んでいたんですよ。そこに先日、さらに注入したことで覚醒しまして。もっとも、それが失敗しないように何人かには実験体になってもらったのですが。ちなみにその内の一つが誘惑鬼です」
「グガッ!!」
「くっ……!」
「返事をしろ! ユルヴァ!」
アルさんの声かけも届いてはいない。言語能力がないんだ。だが知能はある。明確にボク達を敵と見做し、確かな殺意を抱いて……。パワーも規格外だ。ほんの一振りが鉄を砕くほどの。それをアルさんは剣一本でいなして見せた。
「メルナ、コイツは私が相手をする。侯爵を捕えろ。生死は問わん」
「っ、いいのですか? 彼は友人なのでは……」
「だからこそだ。私が無力化する」
「……分かりました!」
強いな、アルさんは。ならばボクが気にすることもない。ユルヴァとアルさんの戦闘をよそに、改めて聖剣を構え直す。ボクが斬るべきはヤツだ。一歩、強い踏み込みを……。
「何っ……!?」
その瞬間、ボクの足が床に沈んだ。いや、それだけじゃない。何かに固定され、腕にも縄が……硬い縄が巻き付いて動かせない。何だ? ヴァルタリオのヤツは一歩も動いてはいないのに——
「遥か西の国にはね、シノビと呼ばれる隠密に長けた傭兵がいるんですよ。一般には知られちゃいませんがね。聖剣持ちのあなたも、王室騎士団長のアルナリュート殿下も気づけませんでしたか」
「忍び……だと……っ?」
確かに、その鋼鉄の縄の先、いくつかの人影がボクの四肢を拘束していた。魔力感知は常に発動しているわけじゃない。それでもこの距離で感知できないとは……。怒りも焦りも愉しみながら、彼が一歩、一歩と近づいてくる。マズい、この状況じゃボクは身動きが……っ。
「メルナ! くぅっ……!」
「ユルヴァ、彼女の足止めに徹しなさい。……ふふ、助太刀は期待しないことです。……あの老執事も、今頃は上で解体されていることでしょう」
「くっ……クソっ! 離しやがれ……っ!」
忍びの腕力はなんらかの術で底上げされているのか、筋力増強の加護があってもビクともしない。アルさんもユルヴァとの戦闘で、こちらに近寄る余裕はない。マズい、何をされるかは知らないが……マジにマズい……!
「騎士団が悪魔と戦って死んだ。なぜそんな嘘を言ってまであなた方を誘き寄せたのか、お分かりですか?」
「っ、なんのことだ……」
カツ、カツと。床を叩きながら近づく。懐から取り出したのは紫色の薬液が入った注射器。……逃げなきゃ、逃げ出さなきゃいけないのに。忍びの手がまるで緩まない。魔力を解放するか? いや、それじゃあアルさんにまで危険が及ぶ。
「聖剣持ちに興味があったんですよ。聖と魔、それらを掛け合わせたらどうなるのか。……打ち消し合い滅びるのか、はたまた別の境地に至るのか。……ふふ、楽しみですね」
「おいっ、メルナに近寄るんじゃ……このッ!」
「くっ、ぁ……やめ……っ!」
ピタリと、冷たい感触が首筋に伝った。そこから鋭い痛みが走り、皮膚の内側……いや、肉の内側まで侵入する。恐怖と拒絶、鼓動が止まない。
「ぐ……くぁっ、熱っ……!」
熱が全身に渡る。ドクン、ドクンと。鼓動が速く、そして激しく変わる。異物が血液に溶け込み、内側から焼くような……。新しい力を引き出すように、あるいは閉じ込められていた力を引き出すように。肉体が軋み、焼けていく。
手を打たなければ、内臓が溶けるだろう。ただどうしろと……いや、ダメ元だ。アルさんには届かないように、前方のみに意識を……。炎はダメだ。氷の全てを……!
「ッ……!? 何かと思えば……ッ!」
「はぁ、はぁ……ぐぅっ!」
痛みは引かない。むしろ魔力が吐き出されたことで抵抗なく、悪魔の因子がボクの身体を巡る。ボクの周囲は凍てつき、地下室全体がボロボロになったが、なんとかアルさんには届かなかった。ヴァルタリオの下半身も氷像に代わり……そしてそれに合わせるように、いつの間にか忍びは全て斬り殺されていた。
「はっ、く……あぁっ!」
「お見事でした、メルナお嬢様。申し訳ございませぬ。屋敷の使用人は皆、脅迫されていたようで、眠っていただくのに手こずってしまいました」
氷に変わったヴァルタリオの下半身は砕け、身動きは取れずにいる。反してボクの半分ほど凍てついた身体が、柔らかい温かさに包まれた。タロンが上着を貸してくれたようだ。が、それに感謝を伝える暇もなく——
「げほっ、はっ……グ、ァ……っ」
「メルナ……っ!?」
「姫様、あなたはそちらに集中してください!! 意識をしっかりするのです、お嬢様。呼吸を、そうです。一、二……繰り返しなさい」
「けほっ、はぁっ……くっ、うぅ……!」
痛みか……いや、そんな単純なものでもない気がする。タロンの萎れた腕に包まれながら、その熱を受け取るように、そして命と意識を繋ぐように呼吸を繰り返す。彼の優しく、落ち着いた声に従うように。ボクは冷たい空気を吸い、吐き続けた。




