№22. 悪意の山
屋敷の外壁、その門の前。数人の使用人らしき影と、その中に一人、高貴そうな者の姿があった。五〇か六〇の男性、ヴァルタリオ侯爵だ。披露目の儀で顔を合わせた覚えがある。そんな彼らの前で、馬車はピタリと止まり、扉を開くと同時にボク達は降りた。
「王室騎士団長・アルナリュート殿下、並びに国家特異武官・メルナご令嬢。わざわざ御足労いただきありがとうございます。本来であれば私共がご挨拶に赴かなくてはならないのに……」
「顔を上げてくれ、ヴァルタリオ侯爵。私もメルナもそんなことを気にするほど小さくないさ。困った民がいるなら力を貸す。侯爵もそうだろう?」
「ありがたいお言葉です。どうぞこちらに。お話はお聞きになっているでしょうが、改めて私の口からもご説明いたします」
滞りなく、ボクとアルさんは屋敷の中に案内された。噴水の周りが甘い香りの庭園で、そこを蝶々が楽しそうに舞っている。ここだけ切り取ればまさに平和そのものだが、そうでもないんだもんな。
「さぁ、こちらへ。簡単な茶菓子なども用意させますので」
「あぁ、ありがたい」
侯爵は使いの者に指示を出し、そのまま応接室へと足を進めた。その高級そうなソファにボク達は腰を下ろし、向かい合う。背後ではタロンが背筋を伸ばしたが、気にかける状況でもないか。……ご老体は休ませたい気持ちもあるが。
「そういえば、侯爵には息子がいたろう。彼は無事か?」
「ユルヴァですか。……えぇ。アイツは母を失ってからも一生懸命に働いてくれたのですが……。例の騎士同士の殺し合いで参ってしまったようで。申し訳ございません。挨拶くらいはさせたいのですが」
「いや、無理をさせるべきではないさ。気にするな」
話はアルさんに任せながら、ボクは出されたクッキーをパクパクと食べていた。ヴァルタリオ家の息子というと……確か二〇歳かそこらだったか。歳も近いし、アルさんとも旧知の仲だったりするのだろうか。……アルさんはボクの女神様だからな。やらないぞ。
「さて、では本題に入るが……。例の悪魔、北の山の麓にいるという話で確かだな?」
「はい、その通りにございます。しかし……詳しい場所は分からず、もしかしたら少し離れてしまったかもしれませんが……」
「いや、結構。強力な悪魔なら魔力を感知できる。特にメルナは敏感だからな」
敏感というか……度重なる訓練で知覚能力が鍛えられたというべきか。魔力増幅の加護もあり、ボクは魔力量も質も人並みながらそのエネルギーは大きい、という変わった状態にある。それだけに、細かい魔力や薄い魔力をも感知することができたり、できなかったり。だが——
「はい。ボクも頑張りましょう。悪魔の魔力なら痕跡くらいは残ってそうだ」
「ふふ、よし。というわけだ。わざわざ待つ必要もない。今から北の山に向かうぞ。タロン、いいな?」
「ご老体には優しくしてほしいところですが……。姫が望まれるのならば、今すぐにでも馬を出しましょう」
おっと、やっぱり休みたい気持ちはあるのか。まぁ、年不相応にギラついたその瞳を見るに、アルさんの遠慮ない姿を見るのが好きなんだろうが。となればボクも、アルさんの期待に応えなければ。
「侯爵。このクッキー、美味しかったです。ご馳走様です」
「……はは、特異武官様に言われると、うちの使用人も喜びになりますよ。どうか……どうかお願いします」
掠れた声に、切ない声色。下げた頭では確証もないが、涙は枯れてしまったらしい。領主というのも大変だな。そりゃ、民ばかりか、お抱えの騎士もやられては気が滅入るか。
「しばし吉報を待て。私達は悪魔を討ってくる」
「はい……っ、お待ちしております」
部屋を出て、屋敷を出る。侯爵の顔を見ることはなかった。見なくても、ボク達のやるべきことは確かだからだ。彼のために、でもあるが。民が不安にならぬよう、騎士達の無念を晴らすよう。そこにいたのは、そんな志を背負った高潔な騎士団長の姿だった。
「……ユルヴァ、と言いましたか。侯爵の息子とは縁があるんですか?」
「ん? あぁ。身分の差があったからな、さほど親しい仲と言えるほどでもないが……。幼い頃はそれなりに言葉を交わすことがあったんだ。歳が近いのはアイツくらいだったからな」
屋敷を後にし、馬車に乗り込んでそんな話をした。要は幼馴染だとか、昔の友達だとか、そういう相手だってことだ。そんな相手が悪魔のせいで引きこもり気味となれば……思うところもあるか。
「とにかく、悪魔を討つことに変わりない。やることやれば、アイツもまた愉快な仕事人に戻るさ」
「えぇ、そうですね。仇討ち、なんてのは柄じゃありませんが……ボク達もそれが仕事ですから」
それからしばらく、揺られ続け。そろそろ酔い始めたな、というところで馬車が止まった。到着したんだ。……例の悪魔がいるという北の山に。
「お二方、到着いたしました。向かうとしましょう」
「えぇ、ご苦労様。タロンも着いてきなさいね」
「ふふ、労わってほしいものですが」
なんだかんだと言いつつ、タロンも馬を木に繋ぎ、その細い身体を伸ばした。森の匂いは異様だ。確かに、他と変わらず爽やかな、そして軽い空気のようで。その裏では腐ったような悪臭も、悪意の塊のような匂いも、感じずにはいられない。




