第24章:13号のシンデレラ、夢の島で愛を射抜く
第24章:13号のシンデレラ、夢の島で愛を射抜く
「……13号のスカートが、今の私の『正装』だ」
鏡の中に立つ自分を見て、私は満足げに口角を上げた。
一年前の私が見たら、腰を抜かして驚くかもしれない。あの頃の私は、11号という数字にしがみつき、布地の悲鳴を無視して自分を縛り付けていた。数字こそが女の価値であり、公務員としての規律だと信じ込んでいたのだ。
けれど、今の私は違う。
この13号のタイトスカートは、無理に身体を押し込めるための檻ではない。瀬戸慎治という「筋肉の真理」を解く男と共に歩み、鍛え上げ、育んできた私の肉体を、最も誇らしく、最も機能的に包み込むための戦装束だ。
「……よし。コンディション、最高ね」
私は、手首に巻いたスマートウォッチの心拍数を確認した。
今日は、慎治さんと付き合い始めてからちょうど1年の記念日。
彼から届いたメッセージは、相変わらず簡潔で、けれど彼らしい熱を帯びていた。
『19時。BumBアーチェリー場へ来い。……貸し切りにしてある。君に、見せたいものがある』
普通の恋人なら、銀座のレストランや夜景の見えるバーを指定するだろう。けれど、私の恋人は瀬戸慎治だ。清澄白河の聖域に住み、愛の告白にアミノ酸の重要性を説く男だ。
期待と、わずかな緊張が大臀筋を心地よく引き締める。私は夜の江東区へと走り出した。
*
夜の夢の島公園。
昼間の喧騒が嘘のように静まり返り、春の夜風が潮の香りを運んでくる。
BumBのアーチェリー場は、慎治さんの言葉通り、私一人のためにその門を開けていた。
照明に照らし出された、鮮やかなグリーンの芝生。
その中央。射座に一人、真っ白なウェアを纏って立っているのは、私の愛する「筋肉バカ」だった。
「……遅いぞ、美緒。予定より30秒、心拍トレーニングのペースを上げたな?」
慎治さんは、弓を持ったまま私を振り返った。
逆光に照らされた彼のシルエットは、ギリシャ神話の英雄のように美しく、そして不変の威圧感を放っている。
「……お待たせ、瀬戸さん。記念日にアーチェリー場を貸し切るなんて、貴方の『効率』もいよいよ極まってきたわね」
「フン。思い出の地を物理的に占拠し、外部のノイズを完全に遮断すること。これが愛の独占における最短経路だ」
慎治さんは、手元にある一振りの弓を私に差し出した。
それは、初心者用の貸し出し弓ではない。私の体格、筋力、そしてこの一年の成長に合わせて、彼が密かにオーダーしていたであろう、完璧に調整されたリカーブボウだった。
「……美緒。一年前、君はここで、ホックを犠牲にして俺を支えた。……今日は、その続きだ」
「続き?」
「俺の願いを聞いてほしい。……だが、俺は甘い言葉だけで君を手に入れるつもりはない。……美緒。君が今日、あそこにある10点を射抜いたら、俺の『本気』を受け取ってくれ」
慎治さんが指差したのは、30メートル先の標的。
夜の静寂の中で、その黄色い円は、まるで私たちを試す月のように輝いている。
「……10点を射抜いたら、って。……瀬戸さん、私を誰だと思ってるの?」
私は、不敵に笑って弓を受け取った。
「私は、貴方に地獄のスクワットを叩き込まれ、13号へと進化した女よ。……江東区役所・恋愛成就課、斉藤美緒。……貴方の願い、一射で射止めてやるわ!」
私は、射座に立った。
足を肩幅に開き、大地をしっかりと掴む。
一年前の私なら、11号のスカートが破れるのを恐れて、腰を引いた不安定なスタンスになっていただろう。
けれど今の私は、13号の布地のゆとりを味方に付け、大臀筋をギュッと内側に締め、骨盤を盤石に固定している。
(……吸って、止めて。……背中の筋肉を、左右に広げる)
弓を引き絞る。
肩甲骨が中央に寄り、広背筋が心地よい悲鳴を上げる。
慎治さんが隣で、私の「機能美」をじっと見守っているのが分かる。彼の視線は、もはや査定ではない。一人の「対等な戦士」への、深い敬意だ。
(……今よ!)
指先から、弦を放す(リリース)。
パァン!!
静寂を切り裂く、乾いた音。
放たれた矢は、夜風の抵抗すら計算し尽くしたかのような、真っ直ぐな軌道を描き――。
ドスッ!
1秒後。
30メートル先の標的、そのど真ん中で、矢が誇らしげに震えていた。
完璧な、ゴールド。
「…………やった」
私は弓を下げ、大きく息を吐いた。
ホックは、1ミリも動いていない。私の肉体は、完全にこの「負荷」を支配していた。
「……素晴らしい。……完璧な、大臀筋の収縮だったぞ、美緒」
慎治さんの手が、私の肩を抱き寄せた。
そして私たちは、どちらからともなく歩き出した。
向かう先は、この江東区で最も空が広い場所。BumBの出口すぐの場所だ。
そこは一年前、私たちが「優勝者」とそれを導いた「女神」として魂を通わせた、夢の島公園アーチェリー場だ。
*
あの時は、この緑地の幅いっぱいに的が並び、射手の後ろには大勢のギャラリーで賑わっていたが、今は何もない、一面の緑地。仄かに潮の香りがする。
慎治さんは、展望台の柵に手を置き、遠くを見つめていた。
「……美緒。……俺は、ずっと探していたんだ。……自分の人生という名の矢を、どこに向けて放てばいいのかを」
「……瀬戸さん」
「……スペック、年収、地位。そんなものは、矢を飛ばすための『道具』に過ぎない。……だが、標的がない人生は、ただの空虚な弾道だ。……一年前、君に出会ったあの日。……泥臭く走り、パツパツの制服で戦う君の姿を見た瞬間、俺の標的は固定された」
慎治さんは、ゆっくりと私の方を向き、その場に片膝をついた。
夜の展望台で、エリート商社マンが膝をつく。
その姿は、どんな映画のワンシーンよりもドラマチックで、そして……相変わらず「筋肉のライン」が完璧だった。
「……斉藤美緒。……俺の人生という標的は、君という名のゴールドから、もう一生逸れることはない。……俺の妻として、一生隣を走ってくれないか。……君のバルクアップも、君のホックの爆散も、すべて俺が、この一生をかけて守り抜く」
彼は、小さな箱を取り出し、開いた。
そこには、ダイヤモンドのリングが。
けれど、その台座のデザインは、どこかアーチェリーの「リム」を彷彿とさせる、強靭で美しい曲線を描いていた。
「…………っ、瀬戸さん……」
涙が、視界を滲ませる。
11号という小さな檻の中でもがいていた私。
誰にも見られない場所で、一人で汗を流していた私。
そんな私を、彼は見つけ出し、肯定し、愛してくれた。
「……はい! ……喜んで! ……私、貴方の人生の的を、一生外しませんわ!」
私は、彼の胸に飛び込んだ。
慎治さんの大きな腕が、私を力強く、折れそうなほど抱きしめる。
江東区の夜風が、二人の熱を優しく包み込む。
アーチェリー場での誓い。
展望台でのプロポーズ。
私たちの愛は、今、最高の一射となって、未来という名のゴールドへ向かって放たれた。
「……美緒」
慎治さんが、抱きしめたまま私の背中に手を回し、感心したような声を漏らした。
「……今の抱擁で確信した。……君、この一ヶ月でさらに背筋(広背筋)が育ったな。……肩甲骨の可動域が、ドレスの採寸に影響するレベルだ。……早めにオートクチュールの店を予約しなければ」
「…………っ! もう、台無しよ、この筋肉バカ!」
私は泣き笑いしながら、彼の胸をドンと叩いた。
けれど、その感触すら愛おしい。
13号のシンデレラ。
ガラスの靴の代わりに、強靭な大臀筋を手に入れた私の物語は。
江東区中が祝福する、最高にハッピーでマッスルな「大団円」へと向かって、フルスロットルで走り出した。
「……瀬戸さん。……結婚式の披露宴、プロテインバーは一本までにしなさいよ?」
「……フン。善処しよう。……だが、ウェディングケーキの代わりの『巨大ささみタワー』だけは譲れんぞ」
「……もう、勝手にして!」
夜の木場公園に、二人の笑い声がいつまでも響いていた。




