第18章:鎧(11号)を脱ぐ覚悟
第18章:鎧(11号)を脱ぐ覚悟
「……もう、ごまかせないわね」
火曜日の深夜。私は自宅のワンルームマンションで、姿見の前に立ち、無残な姿を晒しているチャコールグレーの布地を見つめていた。
江東区役所の制服。11号のタイトスカート。
それは、四年間の私のプライドそのものだった。「これを履きこなせているうちは、私はまだ『ちゃんとした』公務員であり、凛とした女でいられる」――そんな強迫観念に近い執着が、私をこのパツパツの檻に縛り付けていた。
けれど今、鏡の中のそれは、もはや限界を超えた「悲鳴」の塊だった。
ウエストを留める四本の安全ピン。引っ張られすぎて白く変色した縫い目。
そして、何より慎治さんの熱い思いを受け止め、彼と共にトレーニングを重ね、アーチェリーで背中の筋肉を覚醒させた私の肉体は、この11号という定義には収まりきらないほど、豊かに、たくましく「進化」してしまっていた。
「……これが、鎧を脱ぐってことなのね」
私は、震える指で安全ピンを一本ずつ外した。
カチッ、カチッ、カチッ。
最後の一本を外した瞬間、11号のスカートは自らの重みに耐えかねるように、スルリと床に落ちた。
開放感。
それと同時に、今まで自分を支えてきた「規律」という名の呪縛が、霧散していくような感覚。
私は、クローゼットの奥から大きな紙袋を取り出した。
先日、青山愛に無理やり連れて行かれた、清澄白河のオーダーメイド・ブティック。そこで私は、慎治さんとの「未来」を予感してか、あるいは自分への「ケジメ」としてか、一着の特別な服を仕立てていたのだ。
「……斉藤美緒、新しい私に脱皮するのよ」
私は、その新しい布地に足を通した。
*
「……ちょっと、美緒さん!? その格好……!」
翌朝のRAJの執務室。
出勤した私を見るなり、青山愛が持っていたスムージーを床に落としそうになった。
園田さんは眼鏡をずらし、江頭課長はデスクで書類をめくる手を止めた。
今日の私は、いつもの制服を着ていない。
ストレッチ素材を極限まで高めた、特注の「ネイビーのセットアップ」。
シルエットはあくまで公務員らしく知的。けれど、私の発達した大臀筋を優しく、かつ美しく包み込み、アーチェリーの捻転運動にも耐えられる可動域を確保した、いわば『斉藤美緒専用・決戦礼装』。
サイズ表記はない。あるのは、今の私の肉体に最適化された「適合」という名の真実だけだ。
「……11号のスカートは、昨日、名誉除隊(引退)させました。……課長、今日から私は、数字に囚われない『新しい自分』で、職務を全ういたします」
私は、1ミリの迷いもない声で宣言した。
江頭課長は、しばらく私を無言で見つめていたが、やがてふっと鼻で笑い、ペンを置いた。
「……いいわ。その方が、今の貴方にはお似合いよ。……数字を捨てて、本質を掴んだ顔ね。……さあ、仕事に戻りなさい。次のイベントの準備、まだ山積みなのよ?」
「……はい!」
私は、初めて「布地の悲鳴」を気にせずに、大きく力強い歩幅で自席へ向かった。
鎧を脱いだ私の心は、かつてないほど軽く、そして強固な意志で満たされていた。
*
その日の夜、BumBのアーチェリー場で、慎治さんは一人で射場に立っていた。
私が渡したプロテイン弁当の効果か、彼の広背筋はかつてないほどの輝きを放ち、一本の矢を放つたびに「静寂」という名の衝撃波が周囲を支配している。
「……瀬戸さん」
私が声をかけると、慎治さんはゆっくりと弓を納め、振り返った。
月明かりの下、彼は私の新しい装いを見るなり、その瞳を驚きとともに大きく見開いた。
「…………斉藤さん。君、……その姿は」
「11号の鎧は、捨ててきました。……今の私は、ただの公務員でも、ただの相談員でもありません。……貴方の勝利を、一人の……その、美緒として信じている、ただの女です」
恥ずかしさで顔が熱くなる。
けれど、私は目を逸らさなかった。
慎治さんは、無言で私に近づいた。
一歩、二歩。
私たちの間にあるのは、もう「相談員と顧客」という不自然な距離感ではない。
共通の「鉄」と「弓」と「真心」で結ばれた、魂の至近距離。
「…………素晴らしいな」
慎治さんが、低い声で囁いた。
彼の大きな手が、私の新しいセットアップの肩に触れる。
布地越しに伝わる、彼の指の熱。
「数字という檻を壊し、己の真実を受け入れた君の美しさは……。どんなアーチェリーのゴールドよりも、俺の魂を真っ直ぐに射抜いているぞ」
「……瀬戸さん。週末、絶対に勝ってくださいね。……私の、この新しい覚悟に応えてちょうだい」
「……ああ。約束しよう。……俺の広背筋の全てをかけて、君の真心に応えてみせる」
慎治さんは、私の額にそっと、自分の額を合わせた。
プロテインの匂いと、夜風の匂い。
そして、明日という未来への予感。
私たちは、11号のスカートを脱ぐことで、ようやく本当の「スタートライン」に立ったのだ。
明日、夢の島で放たれる一本の矢。
それは、江東区の空を越え、私たちの新しい人生のど真ん中を貫くことになる。
「……さあ、帰って寝なさい。……成長ホルモンの分泌ゴールデンタイムは、もうすぐだ」
「……最後まで、デリカシーがないわね、貴方は」
私は笑いながら、彼に背を向けた。
歩き出す私の足取りには、もう安全ピンの不安はない。
鎧を脱いだ背中は、どこまでも誇らしく、夜の夢の島にそのシルエットを刻んでいた。




