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機能美から始まる江東区政ラブ・マッチング ~私を『女神』と呼ぶ最強エリートは、重度の筋肉フェチでした~  作者: あおきつばさ


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第12章:残像の女神

第12章:残像の女神

清澄白河のおしゃれなカフェ、『レッドボトル』の店内。

コンクリート打ちっぱなしの壁と、高い天井に響くコーヒー豆を挽く音。

本来なら、休日の午後をゆったりと過ごすための最高の空間のはずだ。

けれど、今の私にとっては、360度全方位を鋭い刃物で囲まれているような、絶体絶命の包囲網の中にいる気分だった。


「……瀬戸様。清澄白河のこの静かな雰囲気、私はとても気に入っておりますの。港区の喧騒とは違う、知的な静寂がありますわね」


香坂麗奈が、陶器のように白い手でカップを口に運ぶ。

その仕草一つとっても、育ちの良さと計算し尽くされた美しさが溢れ出ている。

対面に座る瀬戸慎治は、コーヒーには目もくれず、じっと麗奈の言葉を……いや、彼女の「個体」としてのスペックを査定するように見つめていた。


私は二人の横、少し離れた補助席に、文字通り「おまけ」のように座っていた。

正確に言えば、座っているというよりは、11号スカートが弾け飛ばないように中腰に近い姿勢で「浮いている」状態だ。

このカフェの椅子は、私の発達した大臀筋に対してあまりにも無慈悲だった。


「……なるほど。港区の喧騒を避けての、清澄白河か。合理的だな」


慎治がようやく口を開いた。相変わらずの低音ボイス。


「……だが香坂さん。君の言う『知的な静寂』とは、具体的に何を指しているんだ? この街の歴史的背景か? それとも、サードウェーブコーヒーが生み出す経済的波及効果のことか?」


「えっ……?」


麗奈が、一瞬だけ完璧な微笑を凍らせた。

無理もない。お見合いの席で、いきなり経済的波及効果を問われる女性がこの世に何人いるだろうか。

私は、プロの相談員として助け舟を出すべく、喉を整えた。


「……瀬戸様。香坂様は、この街の穏やかな空気感が、瀬戸様のストイックな生き様に調和すると仰りたいのですわ。……ね、香坂様?」


「ええ、そうですの! 斉藤様、助かるわ。……瀬戸様、私、貴方のアーチェリーのお話をもっと伺いたいと思っていましたの。精神を統一し、一点を射抜く。……なんて高潔で、効率的なスポーツなのでしょう」


麗奈は、キラキラとした瞳で慎治を見つめる。

けれど、慎治の瞳は冷ややかだった。


「……効率的、か。いや、アーチェリーは極めて非効率なスポーツだ。一本の矢を放つために、何千回、何万回と同じ動作を繰り返し、己の肉体のわずかなブレと戦う。……香坂さん。君は、自分の指先が数ミリ震える恐怖に、耐えられるか?」


「え……それは、私、秘書としてストレス管理は徹底しておりますので……」


「……そうか。だが、俺が求めているのは管理されたストレスではない。……一矢必中、やり直しがきかない本番の連続の恐怖に耐えられる強固な意志だ」


慎治は、ふいにつまらなそうに視線を外した。

そして、あろうことか、横で必死に「椅子との死闘」を繰り広げている私の方を、じっと見つめてきたのだ。


「……斉藤相談員。君はどう思う? この『効率』と『静寂』の会話に、何か欠けているとは思わないか?」


「……っ!? わ、私に振らないでください!」


私は慌てて姿勢を正した。


ギチッ……。

不穏な音が店内に響き、私は背筋に冷や汗をかいた。


 麗奈の視線が、私の腰回りに突き刺さる。その瞳には、はっきりと「この無粋な公務員め」という軽蔑の色が浮かんでいた。


「……瀬戸様。斉藤様はお仕事でお疲れなのですわ。……それより、今度のご会食はどちらへ? 私の知っている西麻布のリストランテは、完全予約制で……」


「……食事か。俺の摂取カロリーとPFCバランスを乱さない店なら、どこでもいい。……だが香坂さん。君は、鶏胸肉を『60℃で2時間』加熱することの意味を理解しているか?」


「……え、ええ……。ヘルシーな調理法ですわね?」


「……ふん。上辺だけだな」


慎治は、椅子に深く背中を預けた。

その瞬間。彼の視線が、私の足元――レギンスを履いていない、ストッキング越しの私の「ふくらはぎ」に止まった。


私は、昨夜のナイトランとジムでの追い込みで、ふくらはぎの筋肉がパンパンに張っていた。


慎治の瞳に、今まで見たことのないような鋭い光が宿った。


「…………斉藤さん」


「……は、はい」


「……君は、荒川を走る時。……時速、何キロで走っている?」


「…………え?」


カフェの中が、一瞬にして静寂に包まれた。

麗奈は、何を言われたのか分からないという顔で固まり、私は、心臓が口から飛び出しそうになるのを感じた。


「……な、何を仰っているんですか、瀬戸様。お見合いの席で、なんの唐突な……」


「答えろ。……君は、平日の夜。……荒川の河川敷を、走っているな?」


慎治は、ゆっくりと立ち上がった。

その威圧感に、私は気圧される。

彼は、私の隣まで歩いてくると、私のポニーテールと、そして鍛え抜かれた下半身のラインを、食い入るように見つめた。


「……あの、無駄のないピッチ。……着地の瞬間の、大臀筋の完璧な収縮。……そして、暗闇を切り裂くような、あの孤高のフォーム」


慎治の瞳が、熱を帯びて潤んでいる。

それは、ハイスペックなエリートの目ではなく、ただ一人の「救われた男」の目だった。


「……一年前。俺は、仕事でボロボロになって、この江東区の空の下で、何を標的にすればいいか分からなくなっていた。……その時だ。荒川のほとりで一心不乱に走る一人の女性を見かけたのは」


 慎治は、麗奈の存在を完全に忘れ、私だけを見つめて語り続ける。


「彼女は、誰を見るでもなく、ただ自分の限界と戦っていた。……その走る姿に、俺は救われたんだ。……『自分を律することをやめるな』と、彼女の背中が語っていた。……俺がRAJに申し込んだのは、あの女神のような、芯のある人に出会いたかったからだ」


「…………」


「……今日、君のそのふくらはぎのラインを見て、確信した。……斉藤相談員。……いや。……君だったんだな。俺がずっと探していた、荒川の女神は」


「……ちょっと、瀬戸様!? 何を仰っているの!?」


麗奈が、ついに立ち上がって叫んだ。

「女神? そんな、汗臭い走り方をしている、ただのボンレスハム公務員が!? 冗談はやめてください、瀬戸様! 私を見て! 私のこの……!」


「……香坂さん。君は美しいが、……俺の魂を射抜くことはできない」


 慎治は冷たく言い放つと、私の手首をガシッと掴んだ。


「……行くぞ、斉藤美緒。……君には、聞かなければならないことが山ほどある」


「え、ええっ!? 待ってください、まだ業務時間内……ああっ、香坂様! 失礼いたします、ああっ!」


私は慎治に引きずられるようにして、カフェを飛び出した。

清澄白河の街を、スーツの男と制服の女が駆け抜ける。

通り過ぎる人々が驚いた顔で私たちを見る。


「……瀬戸さん! 離してください! 11号のスカートが、もう限界なんですってば!」


「……気にするな! 俺が……俺のこのジャケットで、いざという時は隠してやる!」


「そういう問題じゃないわよ!」


私たちは、そのまま都心へと向かう通りへと走り出していた。



夕暮れの、隅田川カワテラス。

オレンジ色の太陽が、川面をキラキラと照らしている。


慎治は、ようやく私の手を放した。

二人は、あの夜、私たちがすれ違ったまさにその場所で、向かい合って立っていた。


「……はぁ、はぁ、はぁっ……。……貴方、本当に……最低の顧客だわ」


私は、膝をついて呼吸を整えた。

スカートのホックは、今や安全ピン一本だけで、奇跡的なバランスで繋がっている。


「……すまない。だが、抑えられなかったんだ。……俺が憧れていた『女神』が、毎日窓口で俺に小言を言っている、あの斉藤さんだったなんて」


慎治は、少しだけ照れくさそうに、けれど真っ直ぐな目で私を見た。


「……スペック、スペックって、あんなに偉そうに言っていたくせに。……結局、貴方が求めていたのは、データに載らない『走り』だったのね」


「……ああ。……俺は、君のスペックに惚れたんじゃない。……君の、そのひたむきな魂に惚れたんだ」


慎治が、一歩、私に近づく。

夕日に照らされた彼の横顔は、アーチェリーでゴールドを射抜いた時よりも、ずっと優しかった。


「……斉藤美緒さん。……俺の横を、これからも走ってくれないか。……もちろん、時速12キロの、あのペースでな」


「…………」


私の目から、不意に涙がこぼれ落ちた。


陸上部の挫折。

誰にも認められないまま、一人で走り続けてきた夜。

パツパツの11号スカートを穿いて、公務員として心を殺して働いてきた毎日。


そのすべてが、この「筋肉バカ」の男の一言で、報われたような気がした。


「……バカね。……時速12キロなんて、キロ5分? 今の私には……ちょっと、遅すぎるわよ」


私は、涙を拭って笑った。


顔が近づく。

慎治の熱い息遣いが、鼻先をかすめる。

いよいよ、物語のホックが外れようとした、その時。


ギチッ……ピシッ!


私のウエストから、決定的な、破滅の音が響いた。


(……ア、アカン! 今抱きしめられたら、ホックどころか、安全ピンが飛んで行く……!)


「……待って! 瀬戸さん、ステイ! ステイです!」


私は全力で慎治の胸を押し返した。

「私、まだ11号の女なんです! 13号に買い換えて、心身ともに余裕ができるまで……お預けです!」


慎治は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、固まった。

「……え? 11号? ……あ、ああ。……指輪の話か? 気が早いな」


「違うわよ、スカートのサイズの話よ! この筋肉バカ!」


江東区、隅田川の夕暮れ。

感動の告白は、11号スカートの物理的限界によって、無残にも(?)中断された。

けれど、私たちの心の「的」は、今、かつてないほど鮮明に重なり合っていた。


「……いいだろう。……君が13号になるまで、俺は何度でも、君の背中を追いかける」


「……ふん。追いつけるもんなら、やってみなさいよ!」


二人の笑い声が、オレンジ色の河川敷に響き渡る。

最悪の出会いから始まった、筋肉と理屈のラブストーリー。

本当の「マッチング」は、ここから加速していくのだ。


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