第79話「選ばなかった未来を越えろ」
都の夜空を覆う巨大な人工災厄が、五つの力が混ざり合った極大の破壊ブレスを放った。
氷、黒炎、怨念、支配の波動、そして獣の咆哮がねじれ合いながら、レオンたちを跡形もなく消し飛ばさんと迫り来る。
だがレオンは一歩も退かず、黒いコートを夜風に翻して腰の剣を抜き放った。
「散開しろ!」
レオンの鋭い号令と同時に、彼が放った神速の一閃がブレスを真っ向から両断する。
斬り裂かれた魔力の余波が市街地の石畳を抉り、大量の破片を夜空へ撒き散らす。
五人の生徒たちと新勇者ユリウスはすでにレオンの指示通りに左右へと散開し、無傷で迎撃の体勢を整えていた。
「グルルルルル……ォォォォォッ!!」
己の攻撃が防がれたことに苛立ったのか、人工災厄が忌まわしい鳴き声を上げる。
そして上空で渦巻く異形の化け物は単なる物理的な破壊ではなく、より悪辣な手段に出た。
化け物を構成している五つの魔力が、それぞれ同じ波長を持つ五人の生徒たちに向けて黒い霧のような触手となって一斉に伸びてきたのだ。
それは肉体を直接傷つける攻撃ではない。
王国の地下で長年抽出され続けた『子供たちの絶望』そのもの。
五人が本来なっていたかもしれない最悪の未来の可能性が、彼らの過去の傷を直接抉り込もうと襲いかかってきたのだ。
ミリア・フロストレインの視界が、不意に真っ白な吹雪に覆われた。
『誰も私に近づかないで。触れれば、凍らせてしまう』
幼い頃、母親の腕を凍らせてしまった日の自分の泣き声が、脳内に直接響き渡る。
『どうせ誰も私を見ない。私は一人ぼっちの化け物だ』
足元から黒い氷が這い上がり、ミリアの心を再び氷の檻に閉じ込めようとする。
だがミリアは、震える両手にグッと力を込めた。
「……もう、怖くありません」
彼女は手袋を外した両手を前に出し、真っ直ぐに吹雪を睨み据えた。
「私の氷は、先生やみんなを閉じ込めるためじゃない。守りたい人たちを守るためにあります!」
ミリアの両手から放たれた純白の冷気が、彼女を蝕もうとしていた黒い氷を粉々に砕き散らす。
彼女の周囲に展開された強固な『氷の城壁』が、人工災厄の放つ冷気を完全に弾き返した。
ガルド・バルガの周囲には、息が詰まるほどの熱気と焦げ臭い匂いが立ち込めていた。
『俺は強いのに、誰も俺を認めねぇ』
『どうせ俺は失敗作だ。なら、全部燃やして俺の強さを分からせてやる!』
周囲のすべてを灰にするまで止まらない、果てのない承認欲求。
黒炎がガルドの腕に絡みつき、彼の理性を焼き尽くそうとする。
だがガルドは、絡みつく黒炎を鬱陶しそうに引き剥がし、ニヤリと不敵に笑った。
「ばぁか。もう、そんなもんで腹を空かせる俺じゃねぇんだよ」
彼の脳裏に浮かぶのは、自分が作った真っ黒な炭の料理を、文句を言いながらも完食してくれたレオンの顔だ。
そして、自分の背中を預けられる頼もしい仲間たちの姿だ。
「俺の炎はもう、誰かをひれ伏させるためのもんじゃねぇ。仲間の前で道を拓くための、最高の炎だ!」
ガルドの右拳から立ち上がった純粋な黒炎が人工災厄の放つ淀んだ炎を力で圧倒し、燃やし尽くした。
ノア・レイスの耳には、無数の死者の怨嗟の声がまとわりついていた。
『寂しい』
『一人にしないで』
『妹を返して。死者を全部繋ぎ止めて、僕だけの永遠の王国を作るんだ』
喪失の悲しみに耐えきれず、死者をこの世に縛り付けようとするどす黒い執着。
地面から無数の腐肉の腕が突き出し、ノアを暗い地下へ引きずり込もうとする。
だがノアは静かに魔導書を開き、青白い魔力を指先に灯した。
「……かわいそうに。君たちは、ずっと王国に縛られて送ってもらえなかったんだね」
ノアの声には恐怖ではなく、深い慈愛が満ちていた。
その時、かつてレオンに言われた言葉がノアの胸の奥で静かに響いた。
「……先生が教えてくれた。死者に人生を返すために、生者の人生を奪うなんて間違ってる。僕はもう、死者を縛らない。生者のために、君たちの未練を解いてあげる」
ノアが放った浄化の光が、足元から絡みついていた死者の腕を優しく解きほぐし、光の粒子に変えて天へと送り返した。
セレス・ヴァーミリオンの周囲の空間が、不気味に歪み視界が血の色に染まる。
『誰も信じるな』
『信じれば裏切られる。傷つきたくなければ、全員を恐怖で支配して駒にするしかない』
実家で経験した裏切りの記憶が蘇り、疑心暗鬼の呪縛が彼女の心を縛り付けようとする。
だがセレスは凛とした態度を一切崩さず、赤い扇子を優雅に広げた。
「ええ、人は失敗するかもしれませんわ。けれど、だからこそ互いに信じ、任せ、足りないところを補い合うのでしょう」
彼女の赤い瞳が、共に戦う仲間たち、前を走るレオンの背中をしっかりと見据える。
「私はもう、誰も支配する必要なんてありません。信じてもらうためには、まず私が仲間を信じ、それに足る行動を積み重ねればいいのですから!」
セレスが扇子を振り下ろすと同時に、彼女の強靭な意志の力が周囲の空間を縛り付けていた支配の呪いを完全に打ち払った。
リュカ・ウォルフの鼻先には、血と泥の匂いがまとわりついていた。
『獣臭い』
『化け物め、檻に入っていろ』
人間に石を投げられ、迫害され、檻に閉じ込められた恐怖と憎悪。
『やられる前に殺せ。人間を全部食い殺せ』
獣の闘争本能がリュカの理性を飲み込み、彼女をただの破壊兵器に変えようとする。
リュカの喉から低い唸り声が漏れる。
銀色の毛並みが逆立つ。
だが彼女は、必死に頭を振ってその暗い声に抗った。
「違う……リュカ、化け物じゃない。檻に入る獣でもない」
彼女の鼻先に、微かに漂う給食の肉の匂いが蘇る。
そして頭を撫でてくれたレオンの手の温もりが、胸の奥にじんわりと広がった。
「リュカ、一人じゃない!先生がいる!みんながいる!リュカの群れだ!」
リュカが空に向かって高らかに遠吠えを上げると、彼女を包み込もうとしていた憎悪の幻影が銀狼の圧倒的な生命力の前に弾け飛んだ。
五人の生徒たちは人工災厄が放った最悪の精神攻撃を、傷つき、迷い、それでも辺境の教室で学んできた時間によって打ち破ったのだ。
彼らの瞳にもう、過去への恐怖の濁りはない。
王国の押し付けた「災厄になるしかなかった未来」を、彼らは辺境の教室で学んだ確かな絆と成長によって完全に乗り越えたのだ。
「素晴らしい……!君たちの心は、もう闇には屈しないのですね!」
泥だらけの純白の鎧を着たユリウスが、感嘆の声を上げた。
彼の握る聖剣から放たれる清らかな光が五人の周囲の空気を浄化し、人工災厄の放つ淀んだ魔力を中和していく。
ユリウスもまた、作られた偶像としての自分を捨て彼らと共に真実の未来を勝ち取るために戦う決意を固めていた。
「ハッ。当たり前だろ。あんな過去の亡霊なんかに、俺の生徒が負けるわけねぇだろ」
レオンは肩の力を抜いて首の後ろを掻きながら、けれどその瞳にははっきりとした誇らしさを浮かべて、教え子たちを見渡した。
彼が辺境学院に赴任してからの日々。
凍ったスープを食べ、黒焦げの炭を齧り、死者に寄り添う意味を教え、ぎこちない席替えを見守り、一緒に肉を食べた日々。
ただ「普通に」接し続けた時間が、彼らを世界を滅ぼす災厄から自分の足で立ち上がる強い子供たちへと育て上げたのだ。
上空の人工災厄が自らの精神攻撃が一切通じなかったことに苛立ち、五つの首を大きくもたげた。
王都の空を覆うほどの巨大な魔力が再び収束し、今度こそ彼らを物理的に完全に消し去ろうと、極大のエネルギーが圧縮されていく。
「先生!奴の次の攻撃が来ますわ!」
「あんなデカブツの攻撃、まともに受けたら王城ごと吹き飛ぶぜ!」
セレスとガルドが鋭い声で叫ぶ。
レオンは剣を肩に担ぎ、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「なら、撃たれる前にぶっ潰すまでだ。お前ら、準備はいいな?」
レオンの問いかけに、五人の生徒たちと新勇者が同時に力強く頷く。
「道は俺の黒炎で切り拓いてやる!」
「はいっ!私の氷で、みんなへの衝撃を防ぎます!ガルドくんの炎も、私が支えます!」
「奴の力の核は、僕が見つけ出すよ」
「全体の魔力流の統括とタイミングは、私に任せなさい!」
「リュカ、一番に走る。隙を作る!」
五人の声が、迷いなく夜空に響く。
そして、その隣でユリウスも聖剣を握り直した。
「僕の聖剣で、奴の魔力を切り裂きます!」
レオンは満足そうに頷き、剣の切っ先を上空の人工災厄へと真っ直ぐに向けた。
「よし。あの中身の空っぽなデカブツに、俺たちの教室の全力を叩き込んでやるぞ!」
世界を滅ぼすはずだった子供たちが、今、世界を救うための最終決戦へ挑む。
選ばなかった未来の亡霊を越え、彼らの本当の力が一つに重なろうとしていた。




