第78話「人工災厄、起動」
王都の夜空を、絶望が塗り潰そうとしていた。
王城の大バルコニーで新勇者ユリウスの暴露によって逃げ場を失った王国教育局長が、自暴自棄に起動させた漆黒の魔石。
そこから溢れ出した魔力は尋常なものではなかった。
氷の絶対零度、黒炎の灼熱、死霊の怨念、人を駒として操る支配の呪い、獣の闘争本能。
王国の地下で長年抽出され、圧縮され続けてきた五つの災厄の気配が、ひとつの巨大な闇の繭となって王城の空を覆い尽くしていく。
ドクンッ、ドクンッ!!
まるで世界そのものの心臓が狂ったような、重く禍々しい鼓動が王都全域に響き渡る。
やがて闇の繭に無数の亀裂が入り、そこからおぞましい異形の化け物がゆっくりと姿を現した。
「なんだ、あれは……!」
王城の大バルコニーに立つガルド・バルガが、目を見開いて空を仰いだ。
上空で渦巻く巨大な魔力の塊は、明確な形を取り始めていた。
空間を凍結させるほど巨大で歪な氷の腕。
すべてを焼き尽くす黒炎で形作られた多頭の首。
空を覆い尽くす巨大な骨の翼。
周囲の空間を重く圧し潰す、絶対的な支配のオーラ。
そして月を睨んで吠え猛る血走った獣の双眸。
相反するはずの五つの力が互いを食い破りながらも無理やり繋ぎ合わされた、最悪のキメラ。
それは王国の『破滅誘導理論』が生み出した、悪意と絶望の結晶だった。
「素晴らしい……!これだ、これこそが我々が作り上げた究極の力だ!」
バルコニーに取り残された教育局長は、頭上の化け物を見上げて狂喜の声を上げた。
彼は完全に狂気に呑まれ自分が神にでもなったかのように両手を天へと掲げる。
「さあ、忌まわしい反逆者どもを焼き尽くせ!そして、我々の管理下でこの愚かな世界を粛清し、王国の輝かしい未来を……!」
局長の絶叫は最後まで続くことはなかった。
人工災厄の複数の首の一つが、煩わしい虫でも見るように局長たちを一瞥したのだ。
直後、化け物の口から黒炎と絶対零度の吹雪が混ざり合った次元の違う魔力のブレスが吐き出された。
「ミリア!」
「はいっ!」
レオンの声に反応し、ミリアが仲間たちの前へ分厚い氷壁を展開する。
同時にガルドが黒炎を重ね、襲いかかる熱と冷気の濁流を正面から受け止めた。
だが人工災厄が狙ったのは、レオンたちではなかった。
複数の首の一つが大きく角度を変え、教育局長と彼に追従していた貴族たちだけを射程に捉える。
「え……」
局長が間抜けな声を漏らした瞬間、彼らは一瞬にして氷漬けにされた直後、黒炎に焼かれて灰へと変えられた。
王都の闇を牛耳っていた権力者たちの、あまりにもあっけない最期だった。
人工災厄に王国の支配や命令など一切通用しなかったのだ。
ただ純粋に生ける者すべてを滅ぼすための破壊衝動だけがそこにあった。
最初から誰の支配も受け付けない人工災厄が、完全にたがの外れた破壊衝動のまま、次なる標的を求めて王都の市街地へと視線を向ける。
圧倒的な死の気配が王都全域を包み込んだ。
大バルコニーに立つレオン・グランヴァルトの視界が、かつてないほど激しく、狂ったように赤く明滅した。
彼の『終末視』が、誕生したばかりのその存在の頭上に、究極の未来称号を映し出す。
王都の空を覆い尽くすほど巨大で、血のように赤い文字。
『【未来の世界終焉者】死亡者数:全人類。破滅原因:歪んだ正義の遺産』
レオンはその文字を見て、ギリッと奥歯を噛み締めた。
全人類。
魔王すらも及ばない、純粋な世界の終わり。
そして、その破滅原因。
『歪んだ正義の遺産』。
王国が正義の名を掲げて子供たちを迫害し、実験動物として絶望を与え続けた。
その身勝手な不信と悪意が、この最悪の化け物を生み出したのだ。
「先生……あれは……」
ミリア・フロストレインが、恐怖で膝を震わせながら空を見上げた。
彼女だけではない。
ガルドも、ノア・レイスも、セレス・ヴァーミリオンも、リュカ・ウォルフも、その異形の化け物から発せられる魔力に、本能の奥底から震え上がっていた。
「私たちの力……?」
ミリアの口から、絶望的な呟きが漏れた。
彼女たちには、直感で分かってしまったのだ。
あの化け物を構成している氷、黒炎、死霊、支配、獣性の力。
それは自分たちが本来持っている力と、全く同じ波長なのだと。
もし自分たちが辺境学院に追放されたまま、誰の手も差し伸べられず、ただ絶望と憎しみに呑まれていたら。
孤独に震えるミリアが世界を凍らせ。
承認に飢えたガルドがすべてを焼き尽くし。
死者に執着したノアが屍竜を呼び覚まし。
裏切りを恐れたセレスが血塗られた支配を行い。
人間を憎んだリュカが獣神として暴れ回る。
あの空に浮かぶ異形は、五人が本来なっていたかもしれない最悪の未来の姿。
彼らが選ばなかった破滅の可能性を、王国が無理やり繋ぎ合わせて具現化させた『自分たち自身の成れの果て』だったのだ。
「俺たちが、あんな化け物になるはずだったってのかよ……!」
ガルドが黒炎を宿す右手を握りしめ、ガタガタと震え出した。
ノアは魔導書を落としそうになり、セレスは扇子を握る手の血の気を失い、リュカは耳を伏せて本能的な恐怖に後ずさった。
過去の自分たちのトラウマと、化け物と呼ばれた恐怖が、彼らの心を再び暗闇へ引きずり込もうとしていた。
「怯えるな!」
その絶望の淵に、雷鳴のような鋭い一喝が響き渡った。
レオンだ。
彼は屋根の上から市街地へ飛び降り、震える生徒たちの前へ進み出た。
黒いコートを夜風に翻し、腰の剣を抜き放ち、真っ直ぐに上空の人工災厄を睨み据える。
「あれはお前たちじゃない!」
レオンの力強い声が生徒たちの鼓膜を打ち、凍りつきそうになっていた心に熱を吹き込んだ。
「あれはお前たちが選ばなかった未来だ!」
その言葉に、五人の生徒たちはハッとして顔を上げた。
レオンは振り返らずに、彼らへ語りかける。
「お前たちは自分で自分の弱さと向き合い、別の未来を選び取っただろうが。ミリアは氷を盾に変え、ガルドは炎で道を開き、ノアは死者を送り、セレスは仲間を信じ、リュカは群れを守ることを知った」
レオンの言葉が、彼らがこれまで辺境の教室で乗り越えてきた確かな時間を呼び起こす。
凍ったスープを一緒に食べた日。
模擬戦で背中を預け合った日。
王都のエリートを前に、一歩も引かずに証明してみせた絆。
「あの化け物は、お前たちが乗り越えた過去の亡霊に過ぎない。お前たちが本物の絆で結ばれているなら、あんな中身の空っぽな偽物に負けるわけがないだろう」
レオンの真っ直ぐな信頼の言葉に、生徒たちの瞳に、消えかけていた光が戻った。
恐怖が消えたわけではない。
それでも、彼らはもう、恐怖だけに膝を折る子供ではなかった。
「……先生の言う通りですわ。あんな醜い繋ぎ合わせの化け物と私たちを一緒にされるなんて、ヴァーミリオン家の名折れですわね」
セレスが扇子を拾い上げ、力強くパチンと開いた。
「へっ、違いねえ。あんな不細工な黒炎、俺の完璧な火加減と一緒にすんじゃねえよ!」
ガルドが拳を鳴らし、右手に純粋な黒炎を灯す。
「はいっ!私たちの本当の力は、あんな破壊のためのものじゃありません!」
ミリアが黒い手袋を外し、両手に冷気を纏わせる。
「死者を愚弄する偽物なんて、僕が土に還す」
ノアが魔導書を拾い上げ、強い眼差しで空を睨む。
「リュカ、群れを守る。あんな偽物、怖くない!」
リュカが牙を剥き、銀色の尻尾をピンと立てた。
五人の生徒たちは、もう過去の自分に怯える災厄候補ではなかった。
彼らは自分たちが選んだ未来を証明するために、自らの意志で立ち上がったのだ。
その時、大バルコニーでの告発を終えたばかりの、泥だらけの純白の鎧を着た若者が、彼らの横に歩み出た。
新勇者ユリウス・クラウン。
彼もまた、王国の呪縛から解き放たれ、自分の意志で聖剣を握りしめていた。
「僕も戦います」
ユリウスは空の人工災厄を見上げ、決意の声を上げた。
「あれは、王国の歪んだ正義が生み出した負の遺産です。作られた英雄だった僕が、あの作られた災厄をここで終わらせる。王国の罪は、僕の代で断ち切ります!」
ユリウスの聖剣が、眩い光を放つ。
命令で振るう剣ではない。自分の足で立ち、自分の意志で誰かを守るための、本物の勇者の光だった。
上空の人工災厄が、地上で抗う彼らの存在に気づき、五つの力が混ざり合った極大の破壊のブレスを放とうと息を吸い込んだ。
空気が悲鳴を上げ、王都の街並みがその威圧だけで軋む。
「行くぞ、お前ら!」
レオンが剣を上段に構え、普段の飄々とした空気を消し去り、戦士としての本気の笑みを浮かべた。
「あのデカブツに、俺たちの教室で学んだことを叩き込んでやる!」
「「「「「はいっ!!」」」」」
元勇者、新勇者、そして未来を変えた五人の生徒たち。
世界を滅ぼす最悪の負の遺産に立ち向かう、最終決戦の火蓋が、今、切られようとしていた




