第75話「氷壁、黒炎、魂送り」
王都の市街地は、王国上層部が仕掛けた魔導具の制御不能な大暴走により、かつてない危機に瀕していた。
相反する属性の魔力が無秩序に渦巻き、美しい石畳の通りは炎と冷気の嵐に包まれている。
だがその絶望のどん底に、黒いコートの教師に率いられた五人の子供たちが飛び込んだ。
「まずは目の前の人間を一人でも多く助けるぞ!暴走の核はその先で叩く!」
レオン・グランヴァルトの号令に呼応し、隔離クラスの生徒たちはそれぞれの役割を胸に、炎上する市街地の奥深くへと駆け出していった。
王都の東区画。
巨大な時計塔が魔力の直撃を受けて崩落し、メインストリートを完全に塞いでいた。
瓦礫の山の向こう側には数十人の逃げ遅れた民衆が取り残されており、彼らの背後からは暴走した炎の壁がじりじりと迫ってきている。
救助にあたっていた王都騎士団の魔術師たちが必死に魔法を放つが、巨大な石材と鉄骨が絡み合った瓦礫の山はビクともしない。
「くそっ、どかない!このままでは彼らが炎に呑まれるぞ!」
「誰か、もっと強力な破壊魔法を撃てる者はいないのか!」
騎士たちが焦燥に駆られて叫んだその時。
「どいてろ、王都のヘタレ共!俺が開けてやる!」
赤髪の少年、ガルド・バルガが瓦礫の山の前に躍り出た。
彼は両手に禍々しい黒炎を立ち上がらせ、不敵な笑みを浮かべている。
騎士たちはその姿を見て、大闘技場で王都のエリートを圧倒した「黒炎の暴君」だと気づき、顔を青ざめさせた。
「や、やめろ!そんな黒炎を放てば、瓦礫の向こう側にいる民衆まで丸焦げになってしまうぞ!」
「はんっ。いつまで俺を、ただ燃やすしか能がない馬鹿だと思ってやがる」
ガルドは鼻で笑うと、黒炎を極限まで圧縮し、右拳に纏わせた。
かつてのガルドなら、承認欲求のままに巨大な炎を放ち、周囲の空気ごと焼き尽くしていただろう。
だが今の彼は、力で他者を屈服させる必要などない。
彼は自分の強さを知っている。
そして、火加減の使い方も。
「燃やすのは、邪魔な障害物だけだ!」
ガルドは黒炎の拳を、瓦礫の山の中央へと力強く叩き込んだ。
ドゴォォォンッ!という轟音と共に、黒炎が瓦礫の内部へと突き進む。
だが炎は外側へ広がることはなく石材と鉄骨の結合部分だけを正確に、そして超高温で一瞬にして分離させていった。
熱波は完全に制御され、周囲の騎士たちにも向こう側の民衆にも一切の熱は届かない。
ガラガラと音を立てて瓦礫が崩れ落ち、見事に大人数人が通れるだけの避難路が穿たれた。
「道が開いたぜ!落ち着いてこっちへ逃げな!慌てるんじゃねぇぜ」
ガルドが叫ぶと、炎に追いつめられていた民衆が涙を流しながら次々と避難路を駆け抜けてきた。
彼らは黒炎を操るガルドを恐れるどころか、「ありがとう、助かった!」と口々に感謝の言葉を投げかける。
「へっ、当たり前だろ。俺の炎は最強の盾であり、道を切り拓くための炎だからな!」
ガルドは誇らしげに鼻を擦り、さらなる救助のため次の区画へと走り出した。
彼の背中に、暴君の面影はない。
頼れる前衛の番長としての姿だけがあった。
時を同じくして、王都の中央神殿。
頑丈な石造りの神殿には、多くの怪我人や逃げ惑う民衆が避難してきていた。
だが暴走の核から放たれた極大の火球が弧を描き、神殿の屋根へと真っ直ぐに降り注ごうとしていた。
防護結界はすでに破られ、迎撃する手段はない。
誰もが絶望し、頭を抱えて悲鳴を上げた。
「『氷の城壁』!!」
凛とした少女の声が神殿の前に響き渡った。
ミリア・フロストレインだ。
彼女は黒い手袋をはめた両手を天へと突き出し、極寒の冷気を放った。
瞬く間に分厚く透明な氷のドームが神殿全体をすっぽりと覆い尽くす。
直後、極大の火球が氷壁に激突した。
凄まじい衝撃と水蒸気が発生するが、ミリアの氷壁はビクともしない。
それどころか氷壁の内側にいる民衆は、外で荒れ狂う炎の熱も、氷の冷たさも一切感じていなかった。
ミリアが冷気を外側だけに向けるよう、黒い手袋の制御能力を活用して緻密にコントロールしているからだ。
「だ、大丈夫か……?」
「あの氷が、私たちを守ってくれたのか!」
神殿の中の民衆が恐る恐る顔を上げ、美しい氷壁を見上げる。
ミリアは振り返り、不安に怯える人々に花が咲いたような笑顔を向けた。
「安心してください。私の氷は、絶対に破られません。皆様を傷つけるものは、私がすべて防ぎます!」
かつて母親の腕を凍らせてしまった恐怖から、誰にも近づかないよう自分を氷の檻に閉じ込めていた少女。
王都の人間から『氷の化け物』と迫害され、孤独に震えていた彼女が、今や誰よりも優しく強固な盾となって、自分を迫害した王都の民を守り抜いているのだ。
民衆はその小さくも頼もしい背中を見て、彼女が恐ろしい魔女ではなく気高い守護者であると直感していた。
ミリアは両手にさらに魔力を込め、次々と降り注ぐ魔力の余波を完璧に弾き返し続けた。
一方、崩壊が激しい南区画では、ノア・レイスが瓦礫の山を駆け回っていた。
エリスとメルディアが立ち上げた救護拠点には、次々と重傷者が運び込まれているが、人手が圧倒的に足りない。
ノアは青白い魔力を指先に灯し、瓦礫の下敷きになっている人々の元へ向かった。
「……死者の手、展開」
ノアが静かに命じると地面から無数の白い骨の手が突き出し、重い瓦礫を慎重に持ち上げた。
瓦礫の周囲には助けを求める生者の声だけでなく、すでに息絶えた者たちの未練も渦巻いていた。
『熱い』
『痛い』
『家族を置いていけない』
その声は怨念となり、暴走した魔力に絡みついて、瓦礫をさらに不安定にしている。
ノアは小さく息を吐き、魔導書を開いた。
「大丈夫。残された人たちは、僕が助ける。だから、あなたたちはもう苦しまなくていい」
青白い光が広がり、死者たちの声が少しずつ静まっていく。
その下には、瓦礫に潰され、意識を失いかけている老人がいた。
呼吸は浅く、今にも魂が肉体を離れようとしている。
生と死の境界が視えるノアには、老人の魂が肉体からふわりと浮き上がりかけているのがはっきりと見えた。
ノアは老人の冷たくなりかけた手を握りしめ、青白い魔力でその魂の輪郭をそっと包み込んだ。
治すことはできない。
だが魂の形を知り尽くした彼だからこそ、生と死の境界に揺れる魂をほんの少しだけ現世に留めることができる。
死者を送る術が、まだ死んでいない者を引き留める術にもなる。
それを彼は、エリスやメルディアと共に救護にあたる中で自分の手で見つけ出していた。
かつてノアは病で死んだ妹を取り戻したいという絶望から、死者を無理やりこの世に縛り付ける禁忌に手を染めようとした。
寂しさを埋めるために死者を操っていた少年はレオンの導きにより死者の未練を鎮め、空へ送る『魂送りの賢者』となったのだ。
「まだ行かないで。あなたを待っている人がいるよ」
浮き上がりかけていた魂が、肉体の奥へとゆっくり戻っていく。
老人の呼吸がかすかに、しかし確かに繋がった。
老人が微かに目を開け、ノアの顔を見る。
「ああ……天使様が、お迎えに来てくださったのか……」
「違うよ。僕はただの生徒だ。あなたはまだ、生者の世界で生きるんだ」
ノアは無表情のままだったが、その声には確かな優しさが滲んでいた。
彼は骨の手を使って老人を担ぎ上げ、エリスたちのいる救護拠点へと運んでいく。
拠点では助けられた人々がノアの周りに集まり、涙を流して感謝の言葉を口にしていた。
気味の悪い死霊術師と石を投げられていた彼は今、生と死の境界に立ち、人々の命を繋ぎ止める賢者として尊ばれていた。
ガルドが道を開き、ミリアが守り、ノアが命を繋ぐ。
王都の至る所で、彼らの活躍が人々の絶望を希望へと変えていた。
彼らがかつて『災厄候補』と呼ばれていたことを、民衆はまだ完全に忘れたわけではない。
それでも目の前で命を救われた人々の視線には、恐怖だけではない別の感情が混ざり始めていた。
戸惑い。
驚き。
そして、かすかな感謝。
王都の民衆の中で、彼らを見る目が少しずつ変わり始めていた。
レオンは市街地を見下ろす屋根の上に立ち、気だるげに首の後ろを掻きながらその光景を眺めていた。
かつてあの子たちの頭上に浮かんでいた災厄の称号は、もうずっと前に消えている。
だがそれは辺境の教室で見届けたものとは違う形で、王都の真ん中でもう一度証明されようとしていた。
「お前らの力は、もう誰かを悲しませるためのもんじゃないな」
レオンは満足そうに口元を緩めた。
かつて災厄になるはずだった力が、人々を守る力として王都に奇跡を起こしている。
だが感傷に浸っている暇はない。
王都の奥では、いまだ暴走魔導具が禍々しい魔力を吐き出し続けている。
避難誘導はミリアたちが支えている。
負傷者の救護も、ノアとメルディアが回している。
混乱する群衆の整理も、ガルドの威圧とミリアの氷壁があればしばらく持つ。
ならば次に必要なのは、暴走の核を見つけ出すことだ。
「……そろそろ、セレスが何か掴んでいる頃だな」
あの紅蓮の宰相が、ただ王都の混乱を眺めているはずがない。
人の流れ、魔力の偏り、騎士団の配置、そして避難民の動き。
そのすべてを盤面として見れば、暴走の中心に近い場所は必ず浮かび上がる。
そして、その隣にはリュカがいる。
人間の目では拾えない匂いと気配を、銀狼の守護獣なら必ず嗅ぎ分ける。
「さて、教師も合流するとするか」
レオンは漆黒のコートを風に翻し、屋根を蹴った。
王都救援戦は、次の局面へ移ろうとしていた。
紅蓮の宰相と銀狼の守護獣が暴走の核へ至る道筋を見つけ出す、その瞬間へ向けて。




