第71話「災厄審問会」
辺境学院を出発してから数日後。
レオンたちを乗せた王都騎士団の馬車は、長い道程を経て王都へと到着していた。
王都の地下深くに位置する、王国教育局の特別審問室。
冷たい灰色の石壁に囲まれたすり鉢状の空間は、外の光が一切届かない重苦しい空気に満ちていた。
高い位置に設けられた半円形の傍聴席には王国教育局の重鎮たちや特権貴族たちがズラリと並び、見下すような冷ややかな視線を中央のアリーナへと投げかけている。
その中央に立たされているのは、黒いコートを着たレオン・グランヴァルトと、学院長代理のエリス・アークライト、保健医のメルディア、逃亡者として名を挙げられたユリウス・クラウン、そして辺境学院の特別隔離教室から出頭させられた五人の生徒たちだった。
ユリウスは彼らと共に立ちながら、自分の心の中で渦巻く迷いを持て余していた。
自分がかつて属していた「王国の正義」が、今まさに無実の彼らを理不尽に裁こうとしている。
かつての盲従するだけの人形であった彼なら、何も感じなかっただろう。
だが今の彼にはその理不尽に対する確かな怒りと疑問が芽生えていた。
「これより、辺境学院特別隔離クラスに所属する五名の生徒、ならびにその担任レオン・グランヴァルトに対する『災厄審問会』を開廷する」
高い壇上の中央に座る教育局長が、木槌を鳴らして厳かに宣言した。
彼の傍らには、交流戦で失態を晒したロベルト・グライス査察官が、証人の一人として忌々しげな顔で控えている。
「本審問会の目的は被告人たちが国家の存亡を脅かす『災厄』であるか否かを判定し、適切な処置を下すことにある。まずは、彼らが辺境において引き起こした数々の暴走行為の記録を確認する」
教育局長が手元の分厚い書類をめくり、冷酷な声で読み上げ始めた。
「ミリア・フロストレイン。雪の森において魔力を完全暴走させ、大規模な吹雪で周囲を氷結させた。」
「ガルド・バルガ。度重なる命令違反と、王都特務機関の試験場を黒炎で壊滅させた反逆行為。」
「ノア・レイス。嘆きの古戦場跡において禁忌の死霊術を用い、巨大な竜の骨を呼び覚ました。」
「リュカ・ウォルフ。獣人狩り集団に対し、理性を失った半獣化状態で襲いかかった。」
「そしてセレス・ヴァーミリオン。補給倉庫襲撃事件において、隔離クラス全員の行動記録と一致する犯行計画を作成し、反逆行為を指揮した疑い」
次々と並べ立てられる罪状。
ミリアはかつての孤独な自分を思い出し、震える手袋をぎゅっと握りしめた。
ガルドは苛立たしげに舌打ちをし、ノアは静かに目を伏せた。
リュカは野生の勘で周囲の敵意を嗅ぎ取り、低く唸り声を上げている。
セレスは侮蔑を隠そうともせず、不敵な笑みをその唇に刻みつけた。
それはすべて彼らが王都の工作によって追い詰められ、生きるために必死に足掻いた結果起きた出来事だった。
だが教育局長の口から語られればそれはただの凶悪な反逆者の暴挙としてしか響かない。
「これだけの危険な暴走を繰り返す彼らは、もはや教育の範疇を完全に逸脱している。よって我々教育局は、彼らを国家の脅威たる『災厄の種』と認定し、即刻王都研究塔の地下へ幽閉すべきと判断する」
「お待ちください!」
教育局長の言葉を遮り、エリスが一歩前へ進み出た。
彼女は恐怖で震える足を必死に堪え、凛とした声で壇上の権力者たちを見据えた。
「今の報告には、重大な事実が欠落しています!彼らの魔力暴走はすべて外的要因によって引き起こされたものであり、最終的に彼らは自らの意志で魔力を制御し、誰一人として無関係な人間を傷つけてはいません!」
「ミリアさんは氷で仲間を守り、ガルド君は炎を盾にしました!」
「ノア君は死者の魂を鎮め、リュカさんは殺さずに敵を制圧したのです!」
「そしてセレスさんはその能力を仲間のために使いました。彼らは完全に魔力をコントロールできる立派な生徒です!」
「戯言だ。一度でも暴走の危険性を示した時点で、彼らは排除対象なのだ」
教育局長はエリスの必死の抗議を鼻で笑って切り捨てた。
「あの落ちこぼれ共が誰を守ったなど、些末な問題だ。我が王国に必要なのは、完璧に管理され、命令にのみ従う力だけだ。あのような不安定な爆弾を野放しにするわけにはいかない」
「落ちこぼれだの爆弾だの、ずいぶんな言い種だな」
レオンが気だるげに首の後ろを掻きながら、エリスの前に出た。
彼の視線は壇上の教育局長を真っ直ぐに射抜いている。
「ミリアは氷で誰かを遠ざけるんじゃなく、仲間を守る壁を作った。」
「ガルドは焼き尽くす炎を、誰かの前に立つための炎に変えた。」
「ノアは死者を縛るんじゃなく、眠れない魂を送った。」
「リュカは牙で噛み殺すんじゃなく、群れを守るために走った」
「セレスは人を駒にするのをやめ、仲間の役割を見た。」
レオンは壇上を睨み据えた。
「それでも災厄だと言うなら、お前らの目は節穴だ」
レオンの容赦ない言葉と五人の変化の証言に、傍聴席の貴族たちがざわめく。
だが教育局長は全く動じずただ冷酷な笑みを浮かべた。
「元勇者殿。あなたが彼らを庇うのも無理はない。だがこの審問会はすでに結論が出ているのだよ。彼らの危険性は、我々のデータが完全に証明しているのだからな」
「……データ、ですか?」
その言葉に、セレスが扇子を広げて優雅に歩み出た。
彼女の赤い瞳が、壇上の教育局長を鋭く見据える。
「教育局長閣下。一つ、お尋ねしてもよろしいかしら」
「何だ、ヴァーミリオン家の娘よ」
「先ほどから気になっていたのですが……あなたが読み上げた私たちの暴走記録。それはあまりにも『詳細すぎ』ますわ」
セレスは冷徹な分析を始めた。
「ミリアさんが雪の森で暴走した時、なぜロベルト査察官は即座に討伐部隊を要請できたのでしょう?」
教育局長の眉が、ほんのわずかに動いた。
セレスはそれを見逃さず、扇子をパチンと閉じる。
「ガルド君が試験場で暴れた時、なぜあのような大規模な観測陣地がすでに用意されていたのでしょう?」
「ノア君が古戦場へ向かった時、なぜ王都の特務部隊が先回りして浄化魔法の準備をしていたのでしょう?」
「そしてリュカさんの時も……まるで私たちがその状況で暴走することを、最初から知っていたかのような手回しの良さですわ」
セレスの言葉に、ガルドやミリアたちもハッとして顔を上げた。
確かに、彼らが追い詰められる場面には、常に王都の人間が都合よく待ち構えていたのだ。
「最初は、私たちの行動を常に監視していたのだと思っていました。ですがこの短期間で、これほど都合よく私たちの弱点を突くような事件が連続して起こるのは不自然です。……まるで、私たちを意図的にその環境へ追い込み、暴走するように『誘導』していたかのようですわね」
「……」
「あなた方の手元にあるその分厚いデータ。それは私たちの危険性を証明する記録ではなく、私たちを『どうすれば災厄にできるか』を検証した実験データではありませんの?」
セレスの鋭い追及に、審問室は水を打ったように静まり返った。
エリスは信じられないというように目を見開き、ユリウスもまた固唾を飲んで局長の反応を待った。
レオンは静かに目を細めた。
教育局長はしばらく沈黙していたが、やがて低い笑い声を漏らした。
「クックック……。さすがはヴァーミリオンの血を引く娘だ。極めて優秀な頭脳だ。……そこまで気づくとはな。だが勘違いするなヴァーミリオンの娘よ。我々は未来を予知していたわけではない。過去の研究に基づき、危険因子がどのような条件で暴走するかを把握していただけだ」
「研究……ですって?」
「そうだ。魔王軍から押収した禁忌の資料。その一部に、特定の魔力反応と精神傾向を持つ者が破滅へ至る条件が記されていた。我々はそれに従い、危険を未然に管理してきただけだ」
レオンの眉が、ほんの微かに動いた。
(魔王軍の資料か。……三年前、俺が王都へ持ち帰った記録のうち、上層部が妙に急いで回収したものがあったな)
その中身が何だったのか。
今、ようやく嫌な形で輪郭を持ち始めていた。
セレスの目が細くなる。
「管理、ですか。ずいぶん便利な言葉ですわね。私には、誘導に聞こえますけれど」
「言葉遊びをしている暇はない。事実として、君たちはその条件に合致する『災厄の種』となり得る素質を持っていた。だからこそ監視し、管理下へ置く必要があったのだ。そのために使用した知識が『破滅誘導理論』だ」
その言葉が出た瞬間、レオンの背後に立っていたメルディアの肩がビクリと跳ねた。
彼女の表情からいつもの穏やかな微笑みが消え、戦場を知る者の冷たい表情が浮かぶ。
「破滅誘導理論……」
メルディアが、かすかに息を呑んだ。
彼女の言葉には、過去の凄惨な戦場での記憶が込められているようだった。
「その名を、王国の教育局が口にするとは思いませんでした」
「知っているのか、メルディア」
レオンが低く問う。
メルディアは一瞬だけ沈黙し、静かに首を振った。
「……詳しい話は、ここを出てからにしましょう。ただ一つ言えるのは、あれは子供に使ってよい知識ではありません」
メルディアの張り詰めた声に、隔離クラスの生徒たちも息を呑んだ。
自分たちが苦しみ、悩み、絶望してきたこれまでの人生の背後に、王都の大人たちの冷酷なデータと実験の影があったという事実が重くのしかかる。
「だが君たちの時間も今日で終わりだ」
教育局長が冷酷に言い放つ。
「元勇者レオンの介入により、君たちは理論の想定を外れ、無駄な自我を持ち始めてしまった。そして新勇者ユリウスまでもが、君たちの影響で精神に揺らぎを見せている。これ以上の不確定要素は、王国の管理には不要だ。君たちはこのまま王都研究塔の地下深くに幽閉し、永遠に管理させていただこう」
「ふざけるな!!」
ガルドが激怒し、両手に黒炎を立ち上がらせた。
リュカも牙を剥き、ノアも魔導書を開く。
だが審問室の周囲から完全武装の王都騎士団が数十人も雪崩れ込んできた。
彼らの手には対魔法用の魔導盾と、魔力を封じる特殊な鎖が握られている。
王都騎士団の精鋭たちは統制の取れた足取りで距離を詰めてくる。
その冷酷な目には彼らを人間として扱う気など微塵もないことが明らかだった。
四方を完全に包囲され逃げ場はない。
「抵抗すれば、その場で斬り捨てる。やれ!」
局長の無慈悲な命令が下され、騎士たちが一斉に生徒たちとユリウスへと襲いかかろうとした。
「——俺の生徒を実験動物扱いしたこと、王都中の前で後悔させてやる」
その瞬間、地を這うような低い声が審問室を震わせた。
レオン・グランヴァルトだ。
彼はいつもの気だるげな表情を完全に消し去り、本物の怒りの気配を纏って腰の剣を抜き放っていた。
かつて魔王を討ち果たした英雄の一切の手加減のない純粋な怒気。
レオンの黒いコートが風もないのに翻り、静かな空間に凄まじいプレッシャーが満ちる。
それはただの元勇者の力ではない。
生徒たちを理不尽な悪意から守り抜くという、一人の教師としての確固たる覚悟だった。
その圧倒的な威圧感の前に、突進しようとしていた騎士たちの足が恐怖で完全に縫い留められた。
「ここを出るぞ、お前ら。こんな茶番の審問室で、お前たちの未来を終わらせるわけにはいかないからな」
レオンは剣を構えたまま、背後の生徒たちとユリウスに向かって静かに告げた。
王国の深い闇と元勇者たちの全面対決が、今まさにこの審問室で火蓋を切ろうとしていた。




