第70話「王国からの召喚命令」
辺境学院の旧校舎、特別隔離教室。
ユリウス・クラウンが涙を流しながら温かいシチューを飲み干したその時、外の世界は彼らに息をつく暇すら与えようとはしなかった。
「……僕が王都で告発した直後、教育局長は王都騎士団の精鋭を呼び寄せました。そして僕を拘束し、隔離クラスの皆を『災厄討伐対象』に指定して、討伐部隊を送るよう命じたのです」
空になった器を両手で包み込みながら、ユリウスは静かに、しかし深刻な口調で王都の状況を語った。
ガルド・バルガが腕を組み不敵な笑みを浮かべる。
「へっ、上等だ。討伐部隊だろうがなんだろうが、俺の黒炎で全部返り討ちにしてやるよ」
「ガルドくん、相手は王国の正規軍ですよ。もし私たちが彼らと本格的に戦えば……」
ミリア・フロストレインが不安げに眉をひそめる。
「ええ。防衛の正当性を主張する間もなく、私たちは名実ともに国家への反逆者として国中から追われることになりますわ」
セレス・ヴァーミリオンが扇子で口元を覆い、冷徹に状況を分析した。
ノア・レイスは静かに本を閉じ、リュカ・ウォルフは耳を伏せて「嘘つきの大人、嫌い」と唸り声を上げた。
教卓に寄りかかっていたレオン・グランヴァルトは、いつもの眠そうな目でユリウスを見下ろした。
「討伐部隊の編成には時間がかかるはずだが、お前が先回りしてここに来たってことは連中もすぐそこまで迫っていると考えていいだろうな」
「はい……。おそらく、今日中にはこの学院を包囲するはずです」
ユリウスが俯いたその時だった。
ドドドッという重々しい蹄の音と、ガチャガチャという金属の鎧が擦れる音が旧校舎の外から響いてきた。
窓の外を見ると、辺境学院の正門前に、数十騎の王都騎士団の先遣隊が次々と集結していた。
彼らは門を封鎖するように馬を並べ、逃げ道を塞ぐ形で校庭へと踏み込んでくる。
「……もう来ましたわね。随分と足が速いことで」
セレスが窓から外を見下ろし、冷ややかに呟く。
先遣隊の隊長が馬から降り、旧校舎の入り口で待ち構えていたエリス・アークライトに向かって大げさな羊皮紙の巻物を突きつけた。
エリスは血相を変え、その巻物を受け取ると大急ぎで特別隔離教室へと駆け込んで来た。
「レオン先生!王都からの使者です!これは……」
エリスは息を切らしながら、震える手で巻物を広げた。
「王国教育局からの『召喚命令』です。元勇者レオン・グランヴァルト、隔離クラスの生徒五名、ならびに逃亡したユリウス・クラウンを、ルミナス村における騒乱事件の重要参考人として王都へ出頭せよ、と……」
「出頭だと?討伐部隊じゃなかったのか」
ガルドが怪訝な顔をする。
エリスはギリッと唇を噛み締めた。
「表向きは事情聴取という名目です。ですが実態は拘束と彼らの危険度を再評価するための『再分類』……いえ、実質的な処刑命令に違いありません!使者は『同行を拒めば即座に武力で制圧し、討伐対象とする』と通告してきました」
建前としてはただの呼び出し。
だが王都に足を踏み入れれば、彼らは確実に地下牢へ叩き込まれ、災厄の種として処分される。
王都のやり方は、どこまでも卑劣で周到だった。
エリスは巻物を握りしめ、レオンに向かって必死の形相で訴えかけた。
「レオン先生!逃げてください!」
「エリス先生?」
ミリアが驚いて目を丸くする。
エリスは生徒たちを庇うように、両手を広げた。
「これは罠です!王都に行けば彼らは拘束されてしまいます。レオン先生、生徒たちとユリウス様を連れて、今すぐ裏の森から逃げてください!私が学院長代理の権限で、先遣隊の足止めをして時間を稼ぎます!」
エリスの言葉には自分自身の保身など微塵もなかった。
彼女は王都の命令に背くことになれば、自分のキャリアも立場もすべて失うことを知っている。
それでも目の前の生徒たちを守るためなら、喜んでその身を犠牲にする覚悟を決めていたのだ。
だがレオンはエリスの必死の提案を気だるげな声で一蹴した。
「逃げない」
「先生!どうしてですか!このままでは……」
「ここで逃げれば、生徒たちは一生、王国から『災厄』として、反逆者として追われ続けることになるからだ」
レオンは腰の剣の柄に手を置き、真っ直ぐにエリスを見据えた。
「俺はこいつらに、日陰でコソコソ隠れるような生き方をさせる気はない。飯を食う時くらい、堂々と明るい場所で食わせてやりたいからな」
レオンの言葉に隔離クラスの生徒たちも力強く頷いた。
「当然だぜ!逃げ隠れするなんて、俺の柄じゃねえ!」
ガルドが右手に黒炎を灯して笑う。
「私も、逃げません。もう自分から隠れるようなことはしません」
ミリアが黒い手袋を外し、素手をぎゅっと握りしめる。
「死者のように土の下で隠れ住むのはごめんだ」
ノアが静かに魔導書を胸に抱く。
「逃げるなど、ヴァーミリオン家の誇りが許しませんわ。王都の連中の盤面など、私がすべてひっくり返して差し上げますのよ」
セレスが優雅に扇子を開き不敵に微笑む。
「リュカ、嘘つきから逃げない。群れのみんなと一緒に、堂々と歩く」
リュカが尻尾をピンと立て力強く宣言する。
そして泥だらけの鎧を着たユリウスもまた、真っ直ぐな瞳で前を向いた。
「僕も、もう逃げません。自分が信じた『守るべきもの』のために、王都の闇と戦います」
彼らの目には恐怖も絶望も微塵もなかった。
未来を変えた子供たちは自分たちの足で真っ直ぐに立ち、理不尽な運命に立ち向かおうとしていた。
その眩しいほどの強さを目の当たりにして、エリスはハッと息を呑んだ。
彼女はこれまで王都の顔色を窺いながら、どうにか波風を立てずに学院を運営しようと綱渡りのような調整を続けてきた。
しかし生徒たちはもう大人の庇護の下で怯えるだけの弱い存在ではないのだ。
ならば教育者である自分が彼らよりも先に逃げ腰になってどうするのか。
エリスは深く息を吸い込み、そしてこれまでにないほど力強い声で宣言した。
「……分かりました。ならば私も、王都に行きます」
「エリス先生?」
レオンが少しだけ目を丸くする。
「私も学院長代理として、正式に異議を申し立てます!彼らが決して危険な災厄などではないこと、そして王都の不正を、教育局のトップに直接突きつけてみせます!」
「おいおい、本気か。王都の連中を完全に敵に回せば、あんたの華々しいキャリアもこれで終わりだぞ」
レオンが意地悪く問うと、エリスはふふっと笑って見せた。
「構いませんわ。可愛い生徒たちを見捨てるくらいなら、王都のキャリアなど喜んで捨ててみせます。それに……この騒がしい辺境での生活も、案外悪くないと思い始めていましたから」
これまで王都と学院の橋渡し役だった彼女が、完全に学院側に、生徒たちの側に立つと決断した最終的な瞬間だった。
「言ってくれますね、エリス先生」
教室の扉の方から静かな声が響いた。
救急箱を抱えた保健医のメルディアが、いつもの白衣姿でゆっくりと歩み入ってきた。
先ほどユリウスの傷の応急処置を済ませ、先遣隊の到着を察知して駆けつけたらしかった。
「私も同行しますよ。王都の連中がどんな無茶をしてきても、私が全員の命を繋ぎ止めてみせます。それに……私にとっても、王都には少しばかり因縁がありますからね」
メルディアの言葉の奥に隠された深い意味を、レオンだけは微かに感じ取っていた。
だが今はそれを追及する時ではない。
「よし、全員覚悟は決まったな」
レオンは教卓の前に立ち、気だるげな表情を消した。
そこにいたのは、かつて魔王を討った勇者ではなく生徒を守ると決めた一人の教師だった。
「王都の連中が呼んでるんだ。堂々と正面から乗り込んで、上の連中に直談判してやる」
……それに、とレオンは胸の奥で静かに続けた。
俺自身、あの連中とは三年前からいつかつけなきゃならない決着があったからな。
生徒たちの顔に不敵な笑みが浮かぶ。
作られた災厄の汚名を雪ぎ、自分たちの未来を勝ち取るための最後の戦い。
辺境学院の特別隔離教室は、今や最強の仲間たちが集う強固な要塞となっていた。
「だがその前に……」
レオンは空になったシチューの鍋を一瞥し、ニヤリと笑った。
「戦の前には、しっかり英気を養っておく必要がある。出発まで半刻待たせろ。生徒に飯も持たせず王都まで連れていくほど俺は非常識な教師じゃない」
レオンが窓の外の先遣隊に聞こえるように言うと、エリスは一瞬呆れ、それから小さく笑った。
「もう、こんな時までご飯のことですか!……分かりました、急いでサンドイッチを用意します!」
エリスが呆れながらも足早に厨房へと向かっていく。
ガルドが「肉を多めにな!」と叫んで厨房へ向かい、リュカが鼻をくんくんさせて「肉、リュカも手伝う!」と後を追う。
王国の巨大な闇が迫る中、辺境学院の教室にはいつもと変わらない温かな日常の空気が流れていた。
腹を満たし、仲間を信じ、堂々と歩く。
それが彼らの戦い方だ。
魔王討伐から三年。
元勇者レオン・グランヴァルトと、かつて災厄候補と呼ばれた教え子たちの王国上層部との全面対決が、今ここから静かに幕を開けようとしていた。




