第66話「演出された災厄」
ルミナス村の広場に、冬の冷たい風が吹き抜けていた。
魔獣の襲撃から一夜が明け、復旧作業が進む中、王都の紋章を掲げた豪華な馬車が出発の準備を整えていた。
新勇者ユリウス・クラウンとその一行が、王都へ帰還するためだ。
純白と黄金の鎧に身を包んだユリウスは、無表情のまま馬車の前に立っていた。
彼の傍らで、王国教育局の特務役人が懐中時計を見ながら、底意地の悪い笑みを浮かべている。
「……そろそろ、時間ですね」
役人が誰にともなく低く呟いた。
少し離れた広場の端では、辺境学院の隔離クラスの生徒たちが、村人たちの家の修理や炊き出しの後片付けを手伝っていた。
泥だらけになりながらも、彼らの顔には充実した疲労感が浮かんでいる。
レオン・グランヴァルトは気だるげに壁に寄りかかり、その様子を静かに見守っていた。
その時だった。
ドドォォォォンッ!!
村の外れ、森と隣接する一角から、突如として空気を震わせる巨大な爆発音が鳴り響いた。
地面が激しく揺れ、村人たちが悲鳴を上げてしゃがみ込む。
全員の視線が爆発の方向へ向く。
そこから立ち上がっていたのは、目を疑うような異様な魔力の奔流だった。
禍々しい漆黒の炎と絶対零度の白い吹雪が、渦を巻きながら天を衝くように吹き上がっている。
相反するはずの二つの魔力が相殺されることなく、周囲の木々を焼き焦がし、同時に凍らせながら、凄まじい勢いで村へと迫ってきていた。
「な、なんだあれは!?」
「森が……燃えながら凍っているぞ!」
村人たちがパニックに陥り、逃げ惑う。
隔離クラスの生徒たちも、その異様な光景に目を見張った。
「おい、あれ……俺の黒炎と、ミリアの氷に似てねえか?」
ガルド・バルガが信じられないというように呟く。
ミリア・フロストレインも青ざめた顔で頷く。
「はい……でも、私たちの魔力じゃありません。もっと無理やり混ぜ合わせたような、嫌な感じがします……」
「……僕の死霊術に似せた気配も混じっている。でも、本物の魔力じゃない。誰かが外側だけ真似て、無理やり貼り合わせたみたいだ。気持ち悪い」
ノア・レイスが冷え切った目で分析する。
セレス・ヴァーミリオンが扇子を広げ、鋭い視線を特務役人へと向けた。
「魔力波長を真似た魔導具……。私たちが暴走したように見せかけるつもりですのね」
セレスが吐き捨てるように言った。
その推測を否定する者はいなかった。
特務役人の勝ち誇った笑みが、何よりの答えだった。
役人はわざとらしく大声を張り上げた。
「見ろ!やはり辺境学院の隔離クラスの落ちこぼれどもが、本性を現したぞ!自分たちが王都に評価されない腹いせに、魔力を暴走させて村を破壊しようとしているのだ!」
役人の言葉は、あきらかに用意されていた台本だった。
偽装の暴走を新勇者ユリウスが鎮圧し、隔離クラスを危険な反逆者に仕立て上げる。
王都が描いた筋書きは、あまりにも見え透いていた。
「ユリウス様!あの暴走した化け物どもの魔力を、今すぐあなたの聖剣で鎮圧してください!王国の光の力を見せつけるのです!」
役人の命令を受け、ユリウスはいつも通り迷いのない動きで腰の聖剣を抜き放った。
彼の頭の中には『敵を討ち果たせ』という命令だけが叩き込まれている。
あの黒炎と吹雪の渦を、自分の光の魔力で消し飛ばせばいい。
簡単な任務のはずだった。
特務役人が仕掛けた模造魔導具は、王都の技術者たちが隔離クラスの強大な魔力を甘く見て設計したものだった。
ガルドの黒炎とミリアの氷、ノアの死霊術の気配を無理やり混ぜ合わせたその魔導具は、起動した瞬間に制御を失い、役人の想定を遥かに超える大暴走を始めてしまったのだ。
禍々しい魔力の嵐はすでに村の家屋を飲み込み始め、逃げ遅れた村人たちがその熱波と冷気に悲鳴を上げている。
ユリウスが剣を構え、膨大な光の魔力を練り上げようとしたその時。
彼の中に叩き込まれた勇者の理屈が、目の前の状況を処理しきれず軋んだ。
「役人殿。あの魔力の暴走は規模が大きすぎます。今、私の全力の光の魔力を放てば……魔力を相殺する際の余波で、逃げ遅れた村人たちも吹き飛びます」
ユリウスが淡々と事実を告げた。
敵を倒すための魔法は、広範囲に及ぶ破壊をもたらす。
周囲の人間を巻き込まずにあの暴走だけを消し去ることは、彼の『敵を斬る』力では不可能だった。
ユリウスが判断を下せずにいる、その一瞬。
レオンはすでに動いていた。
「ミリア、ガルド、前へ出ろ!セレス、避難経路を確保しろ!リュカは子供と老人を拾え!ノア、瓦礫を止めろ!」
迷っている暇などなかった。
目の前に守るべき人間がいるなら、動く。
それが、レオンが隔離クラスに叩き込んできた答えだった。
「はいっ!」
「オラァッ!」
辺境の生徒たちが、ユリウスの横をすり抜けて最前線へと飛び出した。
「私たちの魔力の偽物なんかに、やられません!」
ミリアが両手を強く地面に突き立てる。
分厚く透明な氷の城壁が凄まじい速度でせり上がり、迫り来る魔導具の黒炎と吹雪を真っ向から受け止めた。
ガァァァンッ!!
激しい衝突音が響き、ミリアの氷壁に亀裂が走る。
制御を失った出力は、単なる偽物とは思えないほど荒れ狂っていた。
「ぐっ……!押し込まれます……!」
「だったら、俺の炎を使え!」
ガルドがミリアの氷壁の前に飛び出し、両手を広げて巨大な黒炎の壁を展開した。
普通なら、氷と炎は互いを食い合う。
だが今の二人は違った。
ミリアはガルドの黒炎の熱を感じ取り、その熱を拒絶するのではなく、氷壁の表面へと受け流した。
透明な氷が一瞬で磨き上げられた鏡のように輝き、黒炎の熱を前方へと跳ね返す。
「俺が燃やす!お前が返せ!」
「はいっ!黒炎の熱を、前へ!」
ガルドの黒炎が氷壁の表面を走り、鏡面化した氷がその熱を暴走する魔導具の嵐へと叩きつけた。
偽物の黒炎と吹雪が、二人の連携に押し返されていく。
「偽物の炎が、俺たちの連携に勝てるわけねえだろ!」
ガルドが吠え、ミリアが一歩も退かずに魔力を注ぎ込む。
それは王都学院戦で掴んだ、氷と炎の本物の連携だった。
誰かを焼き尽くすためでも、凍らせるためでもない。
背後にいる村人たちを守るための、炎と氷の盾だった。
「ん。リュカ、運ぶ!」
セレスの的確な避難指示のもと、リュカが銀色の残像となって転んだ子供を抱え上げ、瓦礫が落ちる寸前で安全な場所へ飛び退いた。さらに逃げ遅れた村人たちを次々と安全な場所へ運び出し、ノアが無数の骨の手を呼び出して崩れ落ちる家屋を支える。
彼らは誰の命も犠牲にしない。
ただ目の前にいる人間を守るためだけに、自分たちの強大な力を使っていた。
ユリウスは、その光景を呆然と見つめていた。
彼らが戦っているのは、王国が彼らに被せようとした『災厄』の濡れ衣だ。
自分たちを陥れようとした大人たちの策略の中で、彼らは命懸けで無関係な村人を守っている。
自分の利益のためでも、王国の命令のためでもない。
ただ、そこに守るべき命があるから。
「……これが、自分で選んだ力……」
ユリウスの口から、無意識のうちに言葉が漏れた。
彼は剣を握る手に力を込めた。
彼の中で、今まで空っぽだった胸の奥の巨大な穴に、熱を持った何かが流れ込み始めていた。
「チッ、あの落ちこぼれ共め!余計な真似を!」
特務役人が舌打ちをした。
「こうなれば仕方ありません。ユリウス様、その剣を振るうのです!村ごと吹き飛ばせば、災厄候補どもの暴走で村が滅んだという結末で発表できます!新勇者様が間に合わなかった悲劇として処理すれば、王都は責任を逃れられる!」
役人の非道な命令に、村人たちが絶望の声を上げた。
自分たちを救ってくれるはずの勇者が、自分たちごと村を吹き飛ばそうとしている。
ユリウスの剣の切っ先が、ピタリと止まった。
命令は絶対だ。
王国の意志に従い、脅威を排除する。それが勇者の存在意義だ。
犠牲が出るのは仕方のないことだ。
そう教え込まれてきたはずだった。
だが彼の脳裏に、数十分前にこの村の広場で見た光景がまざまざと蘇った。
泥だらけになりながら瓦礫を片付け、村人たちと一緒に温かいスープを飲み、笑い合っていた隔離クラスの生徒たち。
そして、彼自身が味わった、あの素朴で温かい食事の記憶。
『お前は誰を守りたくて、何のためにその剣を振るう?』
レオンの低い声が、ユリウスの胸の奥底で何度も響く。
この剣を振り下ろせば、あの温かい輪を作っていた村人たちはすべて死ぬ。
それは『王国の平和』と呼べるものなのか。
自分は一体、何を斬ろうとしているのか。
「——待ってください」
静かだが、これまでとは違う硬さを持った声が響いた。
役人がハッとして顔を上げると、ユリウスが剣の切っ先を完全に下げていた。
「今、私が剣を振るえば、村人が巻き込まれます」
「だから何だと言うのです!災厄候補どもの暴走に巻き込まれた犠牲者として発表すればよい!」
「……それは、本当に王国の正義なのですか」
ユリウスの声は震えていた。
だがその問いは、彼が初めて王都の命令に対して自分の内側から発したものだった。
役人が驚愕に目を見開く。
レオンは少し離れた場所で腰の剣に手を添えたまま、その光景を静かに見つめ、わずかに口角を上げた。
作られた偽物の英雄が、初めて自分の意志で問いを投げかけた瞬間だった。
空虚だった勇者の器の底で、何かが微かに息づき始めていた。




