第64話「勇者と災厄候補」
辺境学院から馬車を飛ばし、レオンと隔離クラスの生徒たちは、魔獣被害が報告された『ルミナス村』へと到着した。
かつては長閑な農村だったはずのその場所は、見る影もなく荒れ果てていた。
家屋は無惨に破壊され、田畑は踏み荒らされ、逃げ惑う村人たちの悲鳴と怪我人の呻き声が響き渡っている。
森から押し寄せた魔獣ブラッドボアの群れが、村を蹂躙していた。
「ひどい……。村が、めちゃくちゃです」
ミリアが馬車から降りて凄惨な光景に息を呑む。
リュカは鼻を小さく動かし、耳を伏せた。
「血の匂いいっぱい。魔獣の匂いも、いっぱいする」
「王都の連中、よくもこんな分かりやすい舞台を用意してくれたもんだぜ」
ガルドが怒りに顔を歪め、右手に黒炎を灯す。
だが彼らが動こうとしたその時、地響きのような蹄の音と共に王都の紋章を掲げた豪華な馬車と騎士団が村の広場へと乗り込んできた。
先頭を進むのは、純白と黄金のいかにも特注と分かる鎧に身を包んだ新勇者、ユリウス・クラウンだった。
「おお!新勇者様だ!我らを救いに来てくださったのだ!」
絶望の淵にあった村人たちの一部が、ユリウスの姿を見て歓声を上げる。
ユリウスの隣で特務役人が豪奢な馬の上からふんぞり返り、村人たちを見下ろしながら大げさに声を張り上げた。
「恐れることはない、王国の民よ!新たなる光、新勇者ユリウス様が貴様らを脅かす魔獣を今ここですべて討ち滅ぼしてくださる!」
その宣言と共に、ユリウスが馬から降りて前に出た。
彼の表情には、相変わらず作り物のように完璧な笑顔が貼り付いている。
ユリウスは群がってくる何十匹ものブラッドボアを見据え、腰の聖剣を静かに抜き放った。
「王国の光よ。悪を討ち果たし、正しき道を示せ」
ユリウスが剣を振り下ろした瞬間、凄まじい光の奔流が剣先から放たれた。
周囲の空気を焼き焦がす、圧倒的な破壊力の一撃。
光の波は魔獣の群れを次々と飲み込み、悲鳴を上げる間もなく地面へ叩き伏せていく。
「す、すごい……!一瞬で魔獣の群れが……!」
「さすがは新勇者様だ!」
村人たちがその圧倒的な力に感嘆の声を上げる。
だが光が収まった後、広場には魔獣の死骸と共に、無惨に吹き飛ばされた村の家屋と、焼き焦げた田畑の跡だけが残されていた。
ユリウスの攻撃は確かに魔獣を倒したが、それと同時に村の施設や生活の基盤をも容赦なく破壊していたのだ。
しかしユリウスはそんな惨状には一切目を向けず、剣を鞘に収めて完璧な笑顔で村人たちを振り返った。
「安心してください。脅威は排除されました。これが王国の光であり、正義の力です」
彼は台本通りにそう告げると、再び馬に乗り込もうとした。
「ま、待ってください、勇者様!家が……私たちの家が壊れてしまって、これからどうやって生きていけば……!それに怪我人もたくさん出ているんです!」
泣き叫ぶ村人の一人が、ユリウスの馬の前にすがりつく。
だが特務役人がそれを冷酷に蹴り飛ばした。
「無礼な!新勇者様に気安く触れるな!命が助かっただけでも感謝すべきだろうが!事後処理など我々の知ったことか!」
ユリウスは倒れた村人を感情のないガラス玉のような目で見下ろした。
王都の上層部から彼に教え込まれた勇者の役割は『敵を倒すこと』だけだ。
破壊された生活をどうやって立て直すかなど、彼の中に答えは用意されていなかった。
敵がいないのなら、彼の任務は完了なのだ。
「……行こうか」
少し離れた場所からその光景を冷ややかな目で見ていたレオンが、生徒たちに声をかけた。
ガルドがギリッと奥歯を鳴らす。
「あんなのが勇者だぁ?ふざけんな。ただ派手にぶっ壊してるだけじゃねえか。村の連中が泣いてんのに、なんであんな平気な顔してやがるんだ」
「彼には見えていないのですわ。魔獣という『敵』しかね。……さあ、王都の三文芝居が終わったのなら、ここからは私たちの仕事ですわよ」
セレスが扇子を開き、かつてのような冷たい支配者としてではなく、仲間を支えるための頼もしい指揮官として、凛とした声でクラスメイトたちに指示を飛ばした。
「ガルド君、ミリアさん。まずは倒壊しかけている家屋の補強と、瓦礫の撤去を。中に取り残されている人がいるかもしれませんわ。リュカさんはその嗅覚で逃げ遅れた村人を探し出し、安全な広場へ誘導してください。ノア君は……」
「分かってる。怪我人の応急処置と、犠牲になった人たちの弔いだね」
セレスの指示が終わる前に、生徒たちはすでに自分の役割を理解し、一斉に散開していった。
「おい、そこ退いてろ!今この柱をどかすからな!」
ガルドが倒壊した家屋の巨大な梁の下に潜り込み、両手に微弱な黒炎を纏わせて木材を浮かせるようにして軽々と持ち上げた。
かつてはすべてを灰にしていた黒炎の暴君が、今は瓦礫を安全に撤去するための精密な力を、誰かのために振るっている。
「ありがとうございます!ああ、まだ娘が中に……!」
「待っててください、今行きます!……『氷の防壁』!」
ミリアが崩れかけた屋根の下に飛び込み、両手から冷気を放って分厚い氷の柱を作り出し、今にも落ちてきそうだった天井を完璧に支え切る。
氷の柱は周囲を凍らせることなく、ただそこにあるべき支柱として機能している。
そして氷の柱の下の空間から、泣きじゃくる小さな少女を優しく抱きかかえて救い出した。
彼女の氷はもう誰も傷つけない。崩れゆく日常を支えるための、最も強固な柱だった。
「お前ら、こっち!こっち安全!」
リュカが村の奥深くから、足の悪い老人や逃げ惑う子供たちを次々と背負い、あるいは手を引いて広場へと誘導してくる。
彼女の鋭い嗅覚と圧倒的な機動力のおかげで、逃げ遅れる者は一人もいなかった。
そして広場の片隅では、ノアが怪我を負った村人たちの前にひざまずき、傷口に青白い魔力を当てていた。
保健医のメルディアから教わった、応急処置を補助する簡易術式だ。
傷を完全に癒すものではないが、出血を抑え、命がこぼれ落ちるまでの時間を稼ぐことはできる。
ノアの隣には小さな骨の鳥が包帯や薬を運び、カタカタと器用に治療を手伝っている。
「ありがとう……ありがとう、坊や。気味が悪いなんて言ってごめんね。本当に助かったよ」
血を流していた老人が、涙ながらにノアの手を握りしめた。
ノアは少しだけ照れくさそうに目を伏せた。
「……気にしないで。それに、あっちで泣いている人たちも、僕が送るから」
ノアの視線の先には、魔獣の襲撃で命を落としてしまった数人の村人の遺体があった。
ノアは治療を終えると静かに彼らの傍らに寄り添い、魔導書を開くことなく祈りを捧げ始めた。
青白い光が村人たちの遺体を優しく包み込み、迷える魂を空へと導いていく。
残された家族たちはその神聖な魂送りの儀式を見て、悲しみの中で深く手を合わせていた。
彼を気味の悪い死霊術師として恐れる者は、この村には一人もいなかった。
王都の特務役人が、その光景を見て顔を真っ赤にして怒鳴り込んできた。
「き、貴様ら!勝手な真似をするな!ここは新勇者様が救った村だぞ!辺境の落ちこぼれ共が恩着せがましく立ち回るんじゃない!」
だがその役人の言葉を遮ったのは、他でもない村人たちだった。
「ふざけるな!勇者様は魔獣を倒してくれたが、私たちの家を壊し、怪我人を見捨てて去ろうとしたじゃないか!」
「そうだ!この子たちは瓦礫の中から娘を助け出し、爺さんの手当てをしてくれた!本当の英雄は、この子たちだ!」
村人たちが口々に隔離クラスの生徒たちを擁護し、役人に詰め寄った。
役人はタジタジとなり、後ずさりをする。
少し離れた場所で遠巻きに見ていたユリウスは、その信じられない光景に目を丸くして立ち尽くしていた。
自分は完璧な魔法で敵を倒した。王国の光としての役割を果たしたはずだ。
それなのになぜ、村人たちは自分を責め、あの辺境の生徒たちに感謝しているのか。
「……非合理的、です。彼らは敵を倒していない。それなのに、なぜ……」
ユリウスの中で、完璧に教え込まれてきたはずの勇者の理屈が、少しずつ噛み合わなくなっていく。
彼の横に、気だるげな足取りでレオンが並んだ。
「お前には分からないだろうな、作られた偶像」
レオンはポケットに手を入れたまま、前で泥だらけになりながら村人たちを助けている生徒たちを誇らしげに見つめていた。
ユリウスがハッとしてレオンを見る。
「元勇者殿……彼らの行動は、無駄ではありませんか?敵がいないのなら、力を使う必要はないはずです」
「敵を倒すだけが力じゃない。お前は『敵を斬る』ことしか教えられていない。だが俺の生徒たちは、誰かを守り、支えるために力を使うことを自分で選んだ」
レオンはユリウスに向き直り、静かに告げた。
「お前は魔獣を倒した。だが、そこにいる人間を救ってはいない」
その言葉が、ユリウスの胸の奥底に鋭く突き刺さった。
ユリウスは自分に向けられる村人たちの冷たい視線と、泥だらけの生徒たちに向けられる温かい感謝の笑顔を交互に見つめた。
自分に欠けているものが何なのか、彼にはまだ明確な言葉にはできない。
だがあの辺境の教室で食べた温かい給食の記憶と同じように、彼の空虚な心に強烈な違和感と、自分でもまだ理解できない感情が渦巻き始めていた。
「私は……何を……」
ユリウスが呟いたその時、村の広場の上空から一羽の不気味な黒い鳥が舞い降りてきた。
王都教育局の緊急通信用の使い魔だった。
鳥は特務役人の肩に止まり、低く冷たい声で何事かを囁く。
彼が手にしていた通信文には王都が用意した次の手の指示が記されていた。
役人の顔には悔しさではなく、底意地の悪い笑みが広がった。
「……なるほど。次はその手でいくのですね」
レオンはその表情を見逃さなかった。
王都は、このまま引き下がる気などない。
だが今この村で、少なくとも一つだけはっきりした。
派手に魔獣を倒すだけの勇者より、泥だらけで人を支える災厄候補たちの方を、村人たちは確かに見ていた。




