第63話「新勇者の影」
「『王国の新たなる光、新勇者ユリウス・クラウン様が東部街道を襲った魔獣の群れを単騎で討伐!多くの民の命を救う!』……ですって。王都は今、この号外新聞の話題で持ちきりだそうです」
辺境学院の旧校舎、特別隔離教室。
エリス・アークライトがため息をつきながら教卓の上に広げたのは、王都から届いたばかりの真新しい新聞だった。
大きく印刷された見出しが、嫌でも視界に飛び込んでくる。
紙面の半分を占める大きな挿絵には、純白と黄金の、いかにも特注と分かる鎧に身を包んだユリウスが、剣を掲げて魔獣の死骸の山に立つ姿が誇張して描かれている。
その顔には数日前にこの教室で見せたのと同じ、感情の読めない作り物のように完璧な笑顔が貼り付いていた。
「なんだこりゃあ。あんな中身のすっからかんな野郎が、魔獣の群れを一人で全滅させたってのかよ」
ガルド・バルガが机から足を下ろし、忌々しげに新聞を覗き込んで鼻を鳴らした。
「王都の騎士団が後ろで手を引いてたんだろ。どうせ大げさに書かれたホラ話だぜ」
「ですが、記事には被害を受けた馬車の乗客たちの感謝の声も載っていますわよ」
ミリア・フロストレインが手袋を外した素手で記事の端を指差し、少し不思議そうに首を傾げた。
ノア・レイスは無表情のまま魔導書を閉じ、教卓に歩み寄って新聞の文字と挿絵をじっと観察した。
「……おかしいね」
ノアが淡々とした声で呟く。
「これは古い魔導書で読んだ記憶があるけど、ここに書かれている魔獣『ブラッドボア』は、本来深い森の奥にしか生息しないし、冬にこんな大規模な群れを作る習性はないはずだよ。それに発生源の森から街道までのルートが不自然だ。途中の水源を完全に無視して、一直線に人間がいる場所に向かっている。……まるで、誰かに意図的に誘導されているみたいだ」
「誘導?お肉みたいに、匂いで釣られたってこと?」
リュカ・ウォルフが尻尾を揺らしながら尋ねると、ノアは小さく頷いた。
「おそらく特定の魔力を放つ香炉か、特殊な薬でね。自然な魔獣の動きじゃない」
「ノア君の言う通り、不自然な点は他にもありますわ」
セレス・ヴァーミリオンが優雅に扇子を広げ、赤い瞳を鋭く細めた。
「この記事が書かれたタイミングです。事件発生からわずか半日で、これほど詳細な内容と立派な挿絵付きの号外が王都の隅々に配られるなんて、王都の印刷技術をもってしても不可能ですわ。……まるで最初から事件が起こることを知っていて、事前に記事を準備していたかのようですわね」
セレスの冷徹な分析に、エリスがハッとして口元を両手で覆った。
「そ、それでは……王都の教育局は、新勇者様の『実績』を作るために、わざと魔獣を街道へけしかけたというのですか!?もし一歩間違えれば、どれほどの民衆の犠牲が出たか……!」
「自作自演ってやつだな」
壁に寄りかかっていたレオン・グランヴァルトが、気だるげな声で言い放った。
彼は黒いコートのポケットから手を出し、新聞の挿絵を冷ややかな目で見下ろした。
「自分の手で火を放ち、それを自分で消して手柄にする。……王都の親玉どもは、あの作られた偶像を絶対的な『英雄』に仕立て上げるためなら、関係ない人間の命すら平気で演出の道具にするらしいな」
レオンの言葉に、教室の空気が一気に冷え込んだ。
ガルドがギリッと奥歯を噛み締め、右手に小さな黒炎を灯す。
「ふざけんな。民衆の命を天秤にかけてまで、英雄ごっこがしてえのかよ。あんな偽物の勇者が英雄気取りなんて、胸糞悪りぃぜ」
「ええ。彼らにとって新勇者様は、王都の威信を回復し民衆の目を欺くための、都合のいい偶像でしかありませんわ」
セレスが扇子をパチンと閉じる。
ノアは静かに目を伏せ、足元の骨の鳥を撫でた。
「……生者の命を、演出の道具にするなんて。そんなことで死者の声を無理やり増やすような真似は、絶対に許せない」
死霊術師として死者の無念に寄り添うノアにとって、意図的に犠牲者を生み出しかねない王都のやり方は最も許しがたい暴挙だった。
リュカも鼻を小さく動かし、新聞に向かって牙を剥いた。
「この紙、変な匂いする。嘘つきの匂い。王都の奴ら、みんな嫌い」
「とりあえず、怒っていても腹が減るだけだ。エリス先生、今日の飯はなんだ」
レオンがわざと空気を変えるように声をかけると、エリスはハッとして慌てて頷いた。
「あ、はい!すぐに給食の準備をします。今日のメニューは、鶏肉のトマト煮込みとポタージュスープ、それに柔らかい白パンです」
昼休みの鐘が鳴り、いつものように給食のワゴンが教室に運び込まれた。
ミリアが率先して器にトマト煮込みを配り、ガルドがパンの入ったカゴを乱暴に、しかし確実に人数分だけ配っていく。
隔離クラスの五人は自然と机を寄せ合わせ、一つの温かい食卓を作っていた。
「リュカ、今日はちゃんと野菜も食べるんだぞ」
「む……肉、食べる。でも野菜も少しだけなら食べる」
リュカが渋々スープの野菜を口に運ぶと、ミリアが嬉しそうに微笑んだ。
少し前なら絶対に野菜に見向きもしなかった彼女の小さな成長だ。
ガルドは白パンをトマト煮込みのソースにたっぷりと浸し、豪快に口に運んでいる。
セレスは「もう少しお上品に食べられませんの」と小言を言いながらも、自分のスープを一口飲んで満足そうに息を吐いた。辺境学院の質素な給食だが、みんなで囲む食卓の味は格別だった。
「それにしても」
ノアがスープの器を両手で包み込みながら、静かに口を開いた。
「あの新勇者の人は、自分が王都の演出の道具として使われていることに、気づいていないのかな」
「さあな。あいつ自身がこの茶番に気づいているかは分からない。ただ教え込まれた教義に従って、命令されるままに剣を振っているだけかもしれないからな」
レオンは自分の分のパンをかじりながら、数日前にこの教室で給食を食べたユリウスの顔を思い浮かべていた。
『これは……素朴で、温かいですね』
あの時、ユリウスが見せた微かな感情の揺らぎ。
あれが演技でないのなら、彼の中にはまだ何かが残っているのかもしれない。
だが、もし自分が行っている討伐が仕組まれた偽物だと知れば、その何かはどう動くのか。
「……腹立たしい野郎だが、少しだけ哀れだな。自分の意志もねえまま、ただ見世物にされてるなんてよ」
ガルドが珍しく、敵であるはずのユリウスに対して同情にも似た言葉をこぼした。
彼もまたかつては自分の意志を無視され、バルガ家の『兵器』として扱われていたからこそ、作られた偶像の痛みが少しだけ理解できたのだ。
食事を終え、エリスが空になったトレイを片付けながら、重々しい口調で切り出した。
「実は……王国教育局から、隔離クラス宛てにもう一つ、新たな通達が届いています」
「新たな通達?」
レオンが眉をひそめると、エリスはエプロンのポケットから一通の封書を取り出した。
「はい。学院から東へ離れた辺境の『ルミナス村』周辺で、近年稀に見る規模の魔獣被害が報告されています。その討伐任務に……隔離クラスの生徒たちを向かわせよとの命令です」
「なんだ、俺たちに魔獣退治をやれってか?上等じゃねえか」
ガルドが右の拳を鳴らして笑うが、エリスの顔は青ざめたままだった。
「問題は、それだけではありません。この討伐任務には……新勇者ユリウス様が『視察と指導』を兼ねて同行されると書かれています」
その言葉に、教室の空気が再びピタリと止まった。
「合同任務、ですの?」
セレスが目を丸くし、すぐに冷ややかな笑みを浮かべた。
「見え透いた手ですわね。魔獣を討伐する新勇者の輝かしい姿を私たちに見せつけ、隔離クラスをただの『無能な引き立て役』にしようという魂胆ですわ。私たちが手間取っているところを彼が一人で片付ければ、王都のプロパガンダとしては完璧な絵図が完成しますもの」
「へっ、俺たちを引き立て役にして、王都の連中はまた英雄ごっこの絵を描くつもりかよ。ふざけやがって!」
ガルドが椅子から立ち上がり、怒りを露わにした。
「もしその魔獣被害すら、王都の連中が仕組んだ自作自演だとしたら……村の人たちが危ないです」
ミリアが不安げに胸元で両手を握りしめた。
王都の都合で人為的に魔獣が誘導されているのなら、ルミナス村の民衆はただの舞台装置として犠牲になる可能性がある。
ノアが静かに立ち上がった。
「誰かの命を演出に使うなんて……絶対に許せない。僕たちで、止めよう」
「ん。リュカ、群れを守る。嘘つきの勇者には負けない」
リュカも低い姿勢を取り、銀色の尻尾を揺らした。
五人の生徒たちの瞳には、王都の陰謀に対する明確な怒りと、無実の人々を守るという確固たる意志が宿っていた。
かつては他者に無関心だった彼らが、今は自らの意志で誰かのために戦おうとしている。
レオンは気だるげな表情を消し去り、満足げに生徒たちを見渡した。
「そういうことだ。王都の安い演出の引き立て役になる義理はねえが、魔獣に襲われる村を放っておく気もねえ。それに、あの『作られた英雄』にもう一度会って確かめる必要がある」
レオンの脳裏に、感情のないガラス玉のようなユリウスの瞳がよぎる。
王都が用意した筋書きの中で踊らされるつもりはない。
だが筋書きの裏で本当に傷つく人間がいるのなら、放っておく理由もなかった。
「明日の朝イチで、ルミナス村へ向かう。王都の演出か、本物の被害か——自分たちの目で確かめるぞ。準備しておけ」
「「「はいっ!」」」
生徒たちの力強い返事が教室に響き渡った。
作られた偽物の英雄と、本物の絆を手に入れた災厄候補たち。
彼らの道が再び交差する舞台が、静かに幕を開けようとしていた。
冬の冷たい風が窓ガラスを揺らす中、教室には彼らの確かな決意の熱だけが満ちていた。




