第61話「作られた英雄」
王都から急遽出発し、馬車に揺られること数日。
隔離クラスの五人とレオン、エリスの一行は、ようやく見慣れた辺境学院の古びた校舎へと帰り着いた。
王都の華やかで息の詰まるような空気とは違い、冷たい冬の風が吹き抜けるこの寂れた場所こそが、今の彼らにとって最も落ち着く居場所となっていた。
馬車から降りたガルド・バルガは、背伸びをしながら大きく息を吐き出した。
「はぁーっ!やっぱり王都の空気より、こっちの土埃の方がよっぽどマシだぜ!あんな堅苦しい街、二度と御免だ」
「大賛成ですわ。王都の特権階級の方々の嫌味な視線には、本当に虫酸が走りましたもの」
セレス・ヴァーミリオンが扇子を開いて優雅に同意する。
「お肉も、こっちの方が美味しい。あっちの肉、なんか変なソースの匂いがして嫌だった」
リュカ・ウォルフが鼻を小さく鳴らしながら言うと、ミリア・フロストレインが素手のままリュカの頭をそっと撫でた。
「ふふっ、エリス先生の給食が一番ですね。私も早く、みんなで温かいシチューが食べたいです」
「骨たちも、王都の魔力は窮屈そうだったよ。こっちの古い土の方が、落ち着くみたい」
ノア・レイスが足元の骨の鳥を撫でながら、静かに頷く。
五人の生徒たちは疲労を見せつつも、王都学院との戦いを完全勝利で終えたという確かな自信と誇りをその表情に滲ませていた。
だが彼らが辺境学院のグラウンドで息をつく暇もなく、王都から彼らを追うようにしてやってきた一団が姿を現した。
地響きを立てて辺境学院の崩れかけた正門をくぐってきたのは、王都の紋章がこれでもかと刻まれた数台の豪華な馬車と、白と金の鎧に身を包んだ王都騎士団の精鋭たちだった。
荒れ果てた辺境学院の風景とは、あまりにも不釣り合いな煌びやかな行軍。
先頭の馬車が停まり、中から王国教育局の特務役人がふんぞり返った態度で降りてきた。
「整列しろ、辺境の落ちこぼれ共!王国の新たなる光、新勇者ユリウス・クラウン様のお成りである!」
役人が大げさに叫ぶと、豪奢な馬車の扉が開き、一人の若者がゆっくりとグラウンドに降り立った。
太陽の光を弾く、いかにも特注と分かる鎧。
燃えるような金糸の髪。
誰もが見惚れるほどに整った美しい顔立ち。
大闘技場で王都の威信が地に落ちた直後、民衆の目を逸らすために王国が作り上げた偶像、ユリウス・クラウンだ。
彼は辺境学院のひび割れた結界や、手入れされていない雑草だらけのグラウンドを見ても、顔色一つ変えなかった。
ただ口角を完璧な角度に上げ、作り物のように美しい笑顔を浮かべている。
「皆さん、お初にお目にかかります。王国の勇者、ユリウス・クラウンです。このような辺境の地で学ぶ皆さんに、王国の光を届けるために参りました」
その声はよく通り、抑揚も完璧だった。
だがレオン・グランヴァルトはポケットに両手を突っ込んだまま、気だるげな目でユリウスを見据えていた。
レオンの終末視は、やはりユリウスの頭上に何の未来称号も映し出していなかった。
だが問題は、そこではない。
ユリウスから無意識に漏れ出している魔力の波長は、王都のパレードで感じた時と同じく、人の手が加えられた極めて人工的で歪なものだった。
王都学院で見た首席チームよりもさらに深く、さらに巨大な、何か取り返しのつかない気配。
ただ才能を磨いただけでは、決してこうはならない。
「新勇者様は大変寛大であらせられる!先の交流戦でまぐれ勝ちした程度で調子に乗っているお前たちのような野蛮な連中にも、自ら教えを授けてくださるというのだ!ひれ伏して感謝しろ!」
役人が唾を飛ばしながら喚き散らす。
彼らの目的は明白だった。
新勇者という絶対的な光の存在を隔離クラスにぶつけることで、彼らを再び『劣った問題児』の枠に押し込め、王都の威信を回復させること。
完全な格下扱いの態度に、ガルドが右手に黒炎をチラつかせながら舌打ちをした。
「あぁ?誰が誰に教えを授けるって?ふざけんな、あんな薄っぺらい野郎に教わることなんか何一つねえよ!」
「まあまあガルド君、落ち着きなさいな。あまり吠えると、本当にただの野犬だと思われてしまいますわよ」
セレスが扇子で口元を隠し、冷ややかな視線をユリウスに送る。
「それにしても見事なまでの大根役者ですわね。一挙手一投足が、誰かに用意された台本通りにしか動いていないのが透けて見えますわ」
「……うん。あの人、中身がない。僕が話してきた死者たちの方が、まだ魂の重さがあったよ」
ノアが淡々と事実を指摘する。
リュカは鼻を指でつまみ、あからさまに嫌悪の表情を浮かべていた。
「くさい。王都で嗅いだのと同じ匂い。血の匂いじゃなくて、冷たい鉄と薬の匂い。偽物の匂い」
「なんだか……怖いというより、とても悲しい人に見えます」
ミリアが少しだけ同情するように眉を下げた。
彼女たち五人は自分の弱さと向き合い、心をぶつけ合って絆を育んできたからこそ、ユリウスの纏う『心のない完璧さ』の異常さを正確に見抜いていた。
エリス・アークライトは学院長代理として一歩前へ出た。
「ようこそ、辺境学院へ。遠路はるばるご苦労様でした。ですが視察というお話は伺っておりますが、私たちの生徒が教えを乞うという話は聞いておりません」
エリスは毅然とした態度で役人に告げた。
王都のパレードでユリウスを見た時、エリスは彼が勇者を演じているだけの人形だと感じた。
そして今、至近距離で彼と対面し、その直感は完全な確信へと変わっていた。
彼の瞳には、人間らしい感情の揺らぎが一切ないのだ。
怒っているわけでも、見下しているわけでもない。
ただ本当に、心というものが存在していないような虚無のガラス玉だった。
「なんだと!?辺境の小役人が、新勇者様の御心を無駄にする気か!」
役人が顔を真っ赤にして怒鳴ろうとしたが、それをユリウスが静かに手で制した。
その動きすらも、機械のように正確で無駄がなかった。
「おやめなさい。彼らも迷っているだけなのです。王国の光が届きにくいこの辺境で、正しき道を見失っている哀れな子羊たち。私が勇者として、彼らを正しき道へ導きましょう」
ユリウスは全く悪びれることなく、心からそう信じているという口調で言った。
嫌味で言っているのではない。
彼は本当に自分が王国の光であり、隔離クラスの生徒たちを哀れな迷子だと思い込まされているのだ。
「……随分と立派な御託だな、新勇者様」
レオンが気だるげな足取りで前に出た。
黒いコートを翻し、元勇者と新勇者が辺境の荒れたグラウンドで対峙する。
ユリウスはレオンを見ると、完璧な笑顔のまま恭しく一礼をした。
「あなたが、かつて魔王を討伐された元勇者レオン・グランヴァルト殿ですね。お噂は聞いております。過去の遺物となった方が、このような辺境で細々と問題児の相手をしておられるとは。王国のために尽くされたあなたの余生としては、少し寂しい気もしますが」
過去の遺物。
明確な侮辱の言葉だったが、ユリウスの声音にはやはり悪意がなかった。
誰かに教え込まれた事実を、ただ読み上げているだけ。
「字を教えたり事務仕事をするのは苦手だがな。だが俺は今の自分の仕事に十分満足している」
レオンは首の後ろを掻きながら、全く動じずに返した。
「で、お前はこんな辺境の掃き溜めに何をしに来た。王都で馬に乗って、民衆相手にパレードでもしていれば満足だろうに」
「王国の光を届けるためです。すべての民を正しく導き、王国の平和を体現すること。それこそが勇者の務めですから」
ユリウスは胸に手を当てて、澱みなく答えた。
レオンは冷たい目でユリウスを見据え、一歩距離を詰めた。
「そうか。お前の言葉は随分と立派だな」
レオンの低い声が、冬の風に混じって響く。
「だが、それは誰の言葉だ?」
「……?」
ユリウスが初めて、僅かに首を傾げた。
「すべての民を導く。王国の光になる。どれもこれも、王都の上の連中が書いた綺麗な台本だ。俺が聞いてるのは、そういう上っ面の建前じゃない」
レオンの眼光が鋭さを増し、圧倒的な戦士の威圧感がユリウスを包み込んだ。
護衛の騎士たちが色めき立つが、レオンは彼らを完全に無視してユリウスだけを見つめた。
「お前自身は、どうしたいんだ?お前は誰を守りたくて、何のためにその剣を振るう?」
その問いに、ユリウスの完璧な笑顔がほんの一瞬だけ、まるで機械がエラーを起こしたかのように硬直した。
彼の瞳の奥で何かが焦点を結びかけたが、すぐにぼやけて消えた。
誰を守りたいか。
何のために戦うか。
そんなことは、彼を造り上げた王国教育局の連中からは一度も教えられていなかった。
彼はただ『勇者であれ』という言葉だけを、心の奥に深く刻み込まれてきた存在だったからだ。
数秒の奇妙な沈黙の後。
ユリウスは再び、先ほどと寸分違わぬ完璧な笑顔を顔に張り付けた。
「私は王国の勇者です。王国の意志こそが私の意志。すべての民を等しく導くことこそが、私の願いです」
答えになっていない定型文の繰り返し。
レオンは短く息を吐き、呆れたように肩をすくめた。
「……なるほどな。話は分かった。要するに、中身はすっからかんってことだ」
「なっ……!き、貴様!新勇者様に向かってなんという暴言を!」
役人が悲鳴のような声を上げるが、レオンはすでにユリウスから興味を失ったように背を向けていた。
「視察でも交流でも好きにすればいい。だが俺の生徒の教育に口出しは無用だ。エリス先生、あとの接待は任せた。俺たちは教室で、明日の授業の準備があるんでな」
「あ、はい!承知いたしました。……ユリウス様、視察団の皆様、こちらへどうぞ」
エリスが慌てて案内を引き受け、役人たちが文句を言いながらもそれに続く。
ユリウスは去りゆくレオンの背中と、彼を取り囲むようにして歩く隔離クラスの生徒たちを、感情のないガラス玉のような目で見つめていた。
「中身がない……」
ユリウスは、レオンが残した言葉をただ機械的に反復した。
その響きが何を意味するのか、彼自身にはまだ分からなかった。
作られた英雄と、本物の絆を手に入れた災厄候補たち。
相反する二つの存在の奇妙な邂逅が、辺境の学び舎で静かに幕を開けようとしていた。




