第60話「新勇者、凱旋」
雲一つない青空の下、王都のメインストリートはかつてないほどの熱狂の渦に包まれていた。
空には色鮮やかな紙吹雪が舞い散り、沿道を埋め尽くす群衆からは割れんばかりの歓声と拍手が沸き起こっている。
「おお!我らの新たな光だ!」
「新勇者様!ユリウス様万歳!」
その熱狂の中心をゆっくりと進むのは、純白の毛並みを持つ巨大な白馬に跨った一人の若者だった。
純白と黄金の煌びやかな装飾が施された、いかにも特注と分かる鎧。
太陽の光を弾いて燃えるような金糸の髪。
そして誰もが見惚れるような、彫刻のように整った美しい顔立ち。
彼こそが昨日の大闘技場での大番狂わせの直後に、王国が突如として発表した新たな英雄、ユリウス・クラウンだった。
沿道の群衆は、昨日辺境学院の落ちこぼれたちが王都のエリートを完膚なきまでに叩きのめしたという屈辱的な事実を、すでに頭から消し去ろうとしていた。
「辺境の野蛮人がまぐれ勝ちしたらしいが、我が国には新勇者様がいる!」
「あの眩い光こそ、王国の正統なる力だ!」
民衆は分かりやすい『光』を求める。
王国上層部の狙い通り、新勇者のお披露目は大衆の目を逸らし、王都の威信を回復させるための完璧な偶像として機能していた。
その狂騒から少し離れた路地の入り口で、パレードを冷ややかな目で見つめている一団があった。
明日の帰還を控え、王都の市場へ買い出しに出ていた辺境学院の隔離クラスの面々と、レオン、エリスだ。
「なんだあのピカピカした野郎。作り物みたいに整いすぎてて、見てるだけで虫唾が走るぜ」
ガルド・バルガが両腕を頭の後ろで組み、忌々しげに舌打ちをした。
「……臭い。あいつ、変な匂いがする」
リュカ・ウォルフが鼻を小さく動かし、警戒するように耳を伏せた。
「変な匂い、ですか?」
ミリア・フロストレインが不安げに問うと、リュカは顔をしかめて答えた。
「ん。生きてる匂いがしない。冷たい鉄と、薬の匂い。昨日の闘技場で戦った、あの白い服の奴らと同じ匂い」
「死者でもない。でも、生者の温かさもない。空っぽだ」
ノア・レイスが魔導書を抱えたまま、淡々と事実を述べる。
セレス・ヴァーミリオンは優雅に扇子を開き、赤い瞳でパレードの中心にいるユリウスを冷徹に観察した。
「ええ。タイミングからしても明白ですわ。昨日の私たちの勝利で地に落ちた王都の威信を回復し、民衆の目を逸らすために用意された、都合のいい英雄。それが彼ですわ」
エリス・アークライトはパレードを進むユリウスの姿をじっと見つめ、青ざめた顔で小さく呟いた。
「レオン先生……あの方は、勇者を演じているだけです。あの微笑みにも、手の振り方にも、本当の心が見えません。まるで精巧に作られた人形のようです」
王都の名門で育ち、貴族たちの虚飾を見てきたエリスだからこそ、ユリウスの纏う完璧すぎる空気の異常さに気づいていた。
レオン・グランヴァルトは壁に寄りかかり、気だるげな顔のまま、しかし鋭い戦士の瞳でユリウスを観察していた。
彼の固有能力である『終末視』は、ユリウスの頭上に何の未来称号も映し出していなかった。
だが問題はそこではない。
ユリウスから無意識に漏れ出している魔力の波長だ。
(……あの魔力。昨日の首席チームと同じ、人の手が加えられた歪な気配だ。いや、あれよりもっと深く、もっと巨大な)
レオンは内心で重い息を吐いた。
ただ才能のある若者を鍛えただけでは、決してああはならない。
あの完璧すぎる笑顔の奥に、何か取り返しのつかないものを感じる。
王都の奥で進む計画は、想像以上に危険な領域に踏み込んでいるのかもしれない。
かつて魔王を倒したレオンが、その人工的な歪さに気づかないはずがなかった。
(あれを『勇者』と呼ぶには、何かが決定的に欠けている。親玉の連中は、あれを本気で勇者として担ぎ上げるつもりなのか)
パレードは熱狂的な歓声と共に遠ざかっていく。
ユリウスは一度も振り返ることなく、ただ完璧な笑顔を振りまき続けていた。
その笑顔は、不思議なほど何も伝えてこなかった。
「さあ、見世物はお終いだ。路地裏に突っ立ってても腹が減るだけだぞ。宿舎に戻って昼飯にするぞ」
レオンの号令に、生徒たちはパレードから視線を切り、いつもの騒がしい足取りで歩き出した。
彼らにとって、王都の偽物の熱狂など、自分たちの日常の腹ごしらえには敵わないのだ。
宿舎に戻った彼らを待っていたのは、エリスが王都の市場で買い集めた食材で作った素朴な野菜シチューと、少し固めの黒パンだった。
エリスは買い出しを済ませると、そのまま食事の支度まで買って出ていたのだ。
昨夜の高級肉料理店での豪華な食事とは打って変わって、いつもの辺境学院の給食に限りなく近いメニューだ。
広い食堂のテーブルを囲み、隔離クラスの五人はさっそく席についた。
「なんだよ、せっかく王都にいるのに今日は粗食かよ」
文句を言いながらも、ガルドはシチューをスプーンで豪快に口に運ぶ。
その顔には、昨日までの戦闘の疲労を癒すような安堵の色が浮かんでいた。
「予算には限りがあるんです!それに、高級な料理ばかりでは胃が疲れてしまうでしょう?」
エリスがエプロン姿で腰に手を当てて言い返す。
ミリアが黒い手袋を外した素手で器を包み込み、花が咲いたように微笑む。
彼女が触れても、シチューが凍ることはもうない。
「私はこっちの方が好きです。温かくて、安心しますから」
リュカは尻尾をパタパタと振りながら黒パンをシチューに浸し、セレスも毒見を気にせず優雅にスプーンを運んでいる。
「生者の食事だ」
ノアが静かに呟き、足元の骨の鳥にパン屑を分け与えた。
レオンは自分の分のシチューをかき込みながら、生徒たちの賑やかなやり取りを満足げに見つめていた。
彼らは自分たちがどれほど危険な未来を持っていたかを知らない。
そして今王都が作り上げた「新勇者」という存在に、彼らの破滅未来と同じ冷たさが滲んでいることも。
だが少なくとも、目の前で温かい飯を美味そうに食っているこの子供たちが、再び災厄への道を歩むことはない。
レオンにはその確信があった。
(あいつらはもう災厄じゃない。だが王国があの歪な新勇者をこのまま飾り物で終わらせるとは思えねえな)
レオンは空になった器を置き、気だるげに首の後ろを掻いた。
「お前ら、明日は朝イチで辺境に帰るぞ。王都の空気をこれ以上吸ってると、俺まで頭がどうにかなりそうだ」
「大賛成ですわ。王都の空気は淀んでいて肌に悪いですもの」
「へっ!早く帰って、いつものグラウンドで身体を動かしてえぜ。王都のチビ共は手応えがなさすぎたからな」
生徒たちは皆、王都という場所に見切りをつけ、自分たちの居場所である辺境学院へと帰ることを心待ちにしていた。
彼らにとって、王都はもう怯える場所でも憧れる場所でもない。
ただの通り過ぎるべき過去の街になっていたのだ。
しかし、運命は彼らをそう簡単には手放さなかった。
その日の夕刻。
帰り支度を進めていた宿舎の扉が荒々しくノックされ、王都教育局の使いの者が数人の騎士を引き連れて現れたのだ。
「王国教育局より、辺境学院隔離クラスに伝達!新勇者ユリウス・クラウン様が、辺境学院を視察されることが決定した!お前たちは明朝、王都を発ち、学院にて新勇者様をお迎えする準備を整えよ!」
使いの男の高圧的な言葉に、エリスは絶句した。
ガルドが舌打ちをし、リュカが警戒の唸り声を上げる。
王都の上層部は、自分たちの作った偶像を使って、隔離クラスを格下扱いにするための新たなシナリオを仕掛けてきたのだ。
民衆の目を逸らすだけでは飽き足らず、辺境学院の勝利という事実を、新勇者の圧倒的な光で完全に塗り潰そうという魂胆だ。
「……面倒なことになりそうだな」
レオンは黒いコートのポケットに手を突っ込み、小さく息を吐いた。
本物の絆を手に入れた災厄候補たちと、心を持たない作られた新勇者。
彼らの道が交差する時が、すぐそこまで迫っていた。




