第54話「第三試合、死者の声」
巨大な大闘技場のフィールドが、地響きと共にその姿を変えつつあった。
すり鉢状になった闘技場の中央の床が開き、地下へと続く薄暗い巨大な迷宮の入り口が姿を現したのだ。
観客席の上空には、迷宮内部の様子を映し出す巨大な『水鏡の魔術』がいくつも展開されている。
「だ、第一試合、第二試合と波乱の展開が続いておりますが、気を取り直して第三試合へと移ります!」
実況の教師が、微かに震える声で魔導拡声器に向かって叫んだ。
「第三試合の種目は『古代遺跡探索』!大闘技場地下に広がる修練用迷宮の最深部に置かれた『星の宝玉』を、先に持ち帰った者の勝利となります!王都学院代表、エルリック・ヴァン・オズワルド!」
王都側の陣営から、銀縁の眼鏡をかけた知的な顔立ちの少年が進み出た。
彼の手には、複雑な金属の装飾が施された羅針盤のような最新鋭の魔導具が握られている。
魔導具の扱いに長けた、オズワルド家の期待の俊英だった。
「辺境学院代表、ノア・レイス!前へ!」
その名が呼ばれた瞬間、観客席からはあからさまな嫌悪と恐怖の入り混じったどよめきが起きた。
「おい、あの青白い子供……死霊術師だろう?」
「気味が悪い。王都の誇る大闘技場に、死霊術師が入り込むなんて!」
「王都の土を汚さないでほしいわ」
心ない言葉が飛び交うが、ノアは無表情のまま分厚い魔導書を胸に抱えてアリーナへと歩み出た。
彼の足元には、カタカタと乾いた音を立てて小さな骨の鳥が寄り添うようについてきている。
「ノア、頑張れ!あのメガネ、鼻持ちならない匂いがする!」
「てめえも俺に続いてさっさと勝ってこいよ!」
「気をつけてくださいね、ノアくん」
「迷宮探索は情報の正確性が命ですわ。あなたの得意分野でしょう?」
背後から仲間たちの声援が飛ぶ。
ノアは振り返らずに、小さく頷いた。
レオンは壁に寄りかかったまま、いつもの眠そうな目で彼を見送っている。
「……生者の声も、悪くないな」
ノアはぽつりと呟きながらも、その口元にはほんの微かな笑みが浮かんでいた。
彼が迷宮の入り口に立つと、隣に並んだエルリックが眼鏡を押し上げながら冷笑を浮かべた。
「死者にしがみつくしか能のない君に、この最新の迷宮が攻略できるとは思えないね」
エルリックは手元の探知魔導具を誇らしげに掲げた。
「この魔導具は迷宮内の魔力の濃淡を完璧に感知し、罠の有無と最短ルートを正確に割り出してくれる。君のような気味の悪い骨遊びをしている間に、私が宝玉を手に入れて王都の威信を示させてもらうよ」
「……そう」
ノアはエルリックの挑発に感情を乱すことなく、静かに目を伏せた。
「魔導具は確かに便利かもしれない。でも、この迷宮には君の機械には聞こえない『声』がたくさん残っている。それを無視すれば、痛い目を見るのは君の方だよ」
「負け犬の遠吠えだな。せいぜい迷子にならないことだ」
エルリックが鼻で笑う。
「第三試合、開始!」
審判の声と共に、二人は同時に地下迷宮へと足を踏み入れた。
迷宮内部は薄暗く、苔むした石壁がどこまでも続いている。
二人の進むルートは入り口からすぐに左右に分かれていた。
観客たちは上空の水鏡を通じて、二人の探索の様子を固唾を飲んで見守っていた。
エルリックは手元の魔導具が示す光の矢印に従い、一切の迷いなく右の通路を進んでいく。
「魔力反応ゼロ。この通路に罠はない」
彼は魔法陣が刻まれた石板を軽々と踏み越え、次々と現れる分岐点を最適解で進んでいく。
その洗練された動きに、王都の観客席からは「さすがはオズワルド家の秀才だ」「あの魔導具があれば迷宮など庭を歩くようなものだ」と称賛の声が上がった。
一方のノアは、左の通路をゆっくりとした足取りで歩いていた。
彼は魔導書を開くこともなく、ただ目を閉じて周囲の空気に意識を傾けている。
(……教えて。この先に何がある?)
ノアは自らの青白い魔力を微かに放ち、迷宮に染み付いた残留思念と静かに共鳴した。
かつてこの迷宮の修練で命を落とした者や、傷ついた者たちの記憶の断片。
王都の魔術師たちには気味の悪い冷気にしか感じられないそれが、ノアにははっきりとした『声』として聞こえていた。
『そっちに行くな……右の壁に毒矢の罠がある……』
『床の石の色が違う場所は、落とし穴だ……俺はそれで足を折った……』
『宝玉への道は、魔力が一番薄い左の回廊だ……』
ノアの耳に、無数の後悔と親切な忠告の声が届く。
ノアは目を開け、声の主たちに向けて心の中で静かに語りかけた。
(ありがとう。君たちの痛みは、無駄にしないよ)
ノアは毒矢の罠を正確に避け、落とし穴の石を避けて悠々と進んでいく。
王都の観客たちは、魔導具も使わずにすべての罠を予知したかのように回避していくノアの姿に、気味の悪さと驚愕を隠せなかった。
彼は死者を操って罠を解除させているのではない。
ただ死者の声に耳を傾け、先人たちの失敗と記憶を尊重して歩いているだけなのだ。
「……あり得ない。なぜあんな死霊術師が、私の魔導具と同じ速度で進んでいるんだ!」
水鏡でノアの進捗を確認したエルリックは、焦りの色を浮かべた。
彼の魔導具は確かに優秀だが、それはあくまで『魔力』を感知するものに過ぎない。
迷宮の最深部に近づくにつれ、罠の魔力偽装は高度になり、魔導具の針は次第に反応を示さなくなっていった。
本来なら、それは罠が存在しないことを意味するはずだった。
だが、それこそが罠だった。
反応がないのではない。
罠が、魔導具に感知されないよう巧妙に隠されているのだ。
その頃、ノアはすでに迷宮最深部と思われる大扉の前へ辿り着いていた。
左右に分かれていた二本の探索路は、この最終区画の前で再び一つに合流している。
重厚な石造りの扉には、目立った魔術紋も封印術式も刻まれていなかった。
ノアは扉の前に立ったまま、誰もいない空間に耳を傾けるように何度か頷いた。
「ふむふむ。そうか。いつもは停止状態だったみたいだけど、今日は扉を開けると……」
ノアの傍らには、輪郭の薄い探索者の霊が立っていた。
かつてこの迷宮に挑み、その罠によって命を落とした者だった。
「教えてくれてありがとう。じゃあ、どうやって向こうへ通ろうか……」
ノアは大扉と、その周囲の壁や天井を見比べながら考え込んだ。
罠の存在は分かった。
だが安全に扉の先へ進む方法までは、死者にも分からないようだった。
その時、背後から慌ただしい足音が近づいてきた。
「そこをどけ!」
別の探索路から姿を現したエルリックが、息を切らしながら大扉へ駆け寄ってきた。
扉の前にノアが先着しているのを見ると、エルリックは一瞬驚いたものの、閉ざされたままの扉を見て勝ち誇ったように笑った。
「何だ。先に辿り着いておきながら、扉を開けることもできないのか」
「待って。そこは開けちゃ駄目だよ」
ノアは静かに制止した。
「扉を開けると物理的な罠が起動するって、ここで亡くなった人が教えてくれた」
エルリックは手元の魔導具へ視線を落とした。
そこに表示されている判定は『安全』だった。
第一試合、第二試合と連敗している王都学院にとって、これ以上の敗北は許されない。
ノアに先を越されていた焦りも、彼の冷静な判断を奪っていた。
「負け惜しみは見苦しいぞ。私の魔導具は、何の危険も感知していない」
「だから、魔力で動く罠じゃないんだ。嘘じゃないよ。教えてもらったんだ」
「死者の声などというオカルトで、私を足止めできると思うな!」
エルリックはノアの横を強引にすり抜け、大扉の取っ手へ手を掛けた。
「開けちゃ駄目だ!」
ノアが叫んだ時には、もう遅かった。
エルリックは重い扉を力任せに押し開けた。
その直後。
ギギギッ……!
不気味な軋み音が頭上から響き、巨大な石造りの天井が崩れ始めた。
「なっ……!?」
エルリックは顔を引きつらせ、回避しようとしたが間に合わない。
何トンもの重さを持つ瓦礫の雨が、彼の頭上に容赦なく降り注ぐ。
観客席から悲鳴が上がり、王都の教師たちも青ざめて立ち上がった。
エルリックは恐怖に体を硬直させ、目をきつく閉じた。
だが、彼を押し潰すはずの激痛はいつまで経っても訪れなかった。
代わりに聞こえてきたのは、ガキィッ、ガキッという骨の軋む音と、何かが重い岩を支える鈍い音だった。
「……え?」
エルリックが恐る恐る目を開けると、彼の頭上では壁や床から突き出した無数の白い骨の手が複雑に絡み合い、まるで巨大な骨の腕のようになって、崩落してくる岩の塊を必死に受け止めていた。
「死者の手、最大展開……っ!」
通路の奥で、ノアが両手を前に突き出し、顔に汗をにじませながら魔力を限界まで振り絞っていた。
青白い魔力が彼の指先から放たれ、迷宮の壁や床に眠っていた無数の探索者の骨を呼び覚ましていく。
かつては自分の寂しさを埋めるためだけに死者を縛り付けていた力が、今は生者の命を救うための絶対的な盾として機能している。
「な、なぜ……君が、私を……」
エルリックは腰から砕け落ち、信じられないというようにノアを見た。
自分を気味の悪い死霊術師だと嘲笑し、敵対している王都の生徒を、なぜ命懸けで助けるのか。
ノアは瓦礫を支えたまま、冷や汗を拭って静かに言い放った。
「生者の言葉がいつも正しいとは限らない。道具の反応も、すべてを教えてくれるわけじゃないみたいだね」
ノアの瞳には、かつて人間を憎んでいた頃の暗い虚無はもうない。
そこにあるのは、死者への敬意と、生者を見捨てないという静かな決意だった。
「でも、死者は嘘をつかない。君が馬鹿にしていた彼らの声が、君の命を救ったんだ」
ノアはそう言うと骨の腕に魔力を込めて瓦礫を安全な方向へと投げ飛ばし、通路の安全を確保した。
轟音と共に砕けた石片と白い粉塵が舞うが、エルリックにはかすり傷一つついていない。
エルリックは何かを言いかけて口を開いたが、結局言葉にならず、ただ呆然とノアの背中を見送ることしかできなかった。
「さて、宝玉は僕がもらうよ」
ノアは呆然と座り込むエルリックを一瞥することもなく、扉の奥の安全な台座に置かれていた『星の宝玉』を静かに手に取った。
上空の水鏡がその一部始終を映し出し、大闘技場は水を打ったように静まり返っていた。
『悪魔の業』と蔑んでいた死霊術が、自校のエリート生徒の命を救い、そして最新の魔導具を完全に凌駕して迷宮を制覇したのだ。
王都の貴族や教育局の重鎮たちは、自分たちの常識が音を立てて崩れ去っていくのをただ黙って見つめることしかできなかった。
「だ、第三試合、勝者……辺境学院、ノア・レイス!」
審判の震える声が響き渡ると遅れてパラパラと拍手が起こり、やがてそれは割れんばかりの歓声へと変わっていった。
バルコニー席では、ロベルト・グライス査察官が顔を蒼白にしていた。
「死霊術で人を救うなど……あの忌まわしき技が、王都の生徒の命を救っただと……っ」
王都が長年『悪魔の業』と糾弾してきた死霊術が、自校の秀才を救う形で名誉を回復してしまった。
それは彼の信念そのものを揺るがす光景だった。
ノアは歓声を背に受けながら、気負うこともなく淡々と仲間たちの元へと戻ってきた。
辺境学院の陣営に戻ると、仲間たちが彼を温かく迎えた。
「へっ、まあまあだな。俺の黒炎の方が派手だったけどな」
「ノア、速かった。匂い、全然迷ってなかった。えらい」
「ノアくん、怪我はありませんか?あの岩を支えた時、すごくかっこよかったです」
「まあ、敵である生者を見捨てないなんて、随分と甘くなりましたわね。ですが、王都の鼻を明かすには最高の演出でしたわ」
ガルドが腕を組み、リュカが尻尾を振り、ミリアが微笑み、セレスが扇子で口元を隠して笑う。
ノアは仲間たちの言葉に、少しだけ照れくさそうに目を伏せた。
「……ありがとう。でも、僕一人の力じゃない。あの迷宮に眠る先輩たちが、道を教えてくれただけだよ」
ノアはそう言って、足元でカタカタと鳴る骨の鳥の頭を優しく撫でた。
レオンが壁から背中を離し、いつもの眠そうな目でノアを見下ろす。
「よくやった、ノア。死者の声を、ちゃんと生者の命に繋いだな」
「はい。先生のおかげです」
ノアが真っ直ぐにレオンを見て頷いた時、闘技場の熱気は最高潮に達していた。
防衛、攻防、そして探索。
辺境学院の隔離クラスは、王都の常識と偏見を次々と覆し、圧倒的な実力を見せつけている。
「さて、次は私の番ですわね」
セレスが優雅に扇子を閉じ、赤い瞳を鋭く輝かせた。
「彼らが単なる個人の武力ではなく、互いの役割を信じ合える仲間であることを、私の采配で証明して差し上げますわ」
第四試合、集団戦。
紅蓮の宰相が、ついにその采配を振るう時が来ていた。




