第53話「第二試合、黒炎の番長」
巨大な円形の大闘技場に、信じられないものを見たというようなざわめきが渦巻いていた。
第一試合の防御魔術競技において、王都学院の誇る洗練された結界魔術が、辺境学院の少女が展開した無骨で実戦的な氷壁の前に完全に敗れ去ったのだ。
観客席にズラリと並んだ王都貴族や教育局の重鎮たちは、傾けていたワイングラスを止めたまま固まっている。
バルコニー席からアリーナを見下ろすロベルト・グライス査察官は、忌々しげに奥歯を噛み締めていた。
彼らが期待していたのは辺境の落ちこぼれたちが怯え、無惨に叩きのめされる姿だ。
それが初戦から完全に裏切られたことで、会場には見世物を楽しむ余裕から一転して得体の知れない者たちを警戒する空気が漂い始めていた。
「……だ、第一試合は辺境学院の勝利!続いて直ちに第二試合、『攻防戦』へと移る!」
沈黙を破り、実況を務める王都の教師が上擦った声で魔導拡声器に向かって叫んだ。
「第二試合の種目は一対一の実戦形式!己の魔術の威力、制圧速度、そしていかに戦闘の主導権を握り相手を無力化できるかを競うものとする!先攻、王都学院代表、ライエル・ヴァン・ソラリウス!」
実況のコールと共に、観客席から割れんばかりの歓声と拍手が沸き起こった。
王都側の陣営から、純白の制服に身を包み、自信に満ち溢れた笑みを浮かべる長身の少年が進み出る。
彼は炎熱魔術において王都随一の名門とされるソラリウス家の嫡男であり、圧倒的な火力で数々の模擬戦を制してきた武闘派のエリートだった。
「後攻、辺境学院代表、ガルド・バルガ!前へ!」
その名前が呼ばれた瞬間、観客席からあからさまな嘲笑と野次が飛んだ。
「バルガ家の恥晒しじゃないか!」
「バルガ家に籍だけは置かれた妾腹の出来損ないが、王都の代表に勝てるわけがないだろう!」
「どうせまた見境なく火を噴き出して、自滅するのがオチだ!」
心ない言葉が、大闘技場に響き渡る。
だが辺境学院の陣営から進み出た赤髪の少年は、そんな野次を気にする素振りすら見せなかった。
ガルドはポケットに両手を突っ込んだまま、首をゴキッと鳴らしてアリーナの中央へと歩いていく。
「ガルドくん、頑張ってください!」
「ガルド、早く勝て。お腹すいた。」
「頭に血を上らせて、また脳から煙を出さないことですわね。火加減にはくれぐれも気をつけることですわ」
「無駄に燃やさないで。後片付けが大変だからね」
背後から仲間たちの声援という名の好き勝手な言葉が飛んでくる。
ガルドは振り返らずに、ニヤリと不敵に笑った。
「うるせえ!てめえら、俺の完璧な戦いぶりを瞬きしないで見てろよ!」
ガルドはライエルの正面に立ち、ポケットから手を出してダラリと下げた。
ライエルはガルドを見下し、冷ややかな嘲笑を浮かべた。
「バルガ家の失敗作と戦うことになるとは、運命とは皮肉なものだな。お前のようなただ手当たり次第に燃やすだけの火力馬鹿が、この由緒ある闘技場に立っていること自体が王都の恥だ」
「……」
「何も言い返せないか?それとも恐怖で声も出ないか。安心しろ、一瞬で黒焦げにしてやる。辺境の掃き溜めに相応しい惨めな姿を、王都の皆様に晒すがいい」
ライエルの挑発に、ガルドは小さく息を吐いた。
かつての彼なら「誰が失敗作だ」と激怒し、我を忘れて黒炎を暴走させていただろう。
誰かに認められたくて、自分が一番強いと証明したくて、ただ力任せに周囲を焼き尽くすことしか知らなかったからだ。
だが今のガルドの心は、炎を上げず、芯に確かな熱を宿した熾火のように静かに燃えていた。
父親に見捨てられ王都の連中から化け物呼ばわりされても、今の彼には帰るべき場所がある。
自分の火加減を信じて背中を預けてくれる仲間たちがいる。
自分が作った真っ黒な消し炭の肉を、文句を言いながらも残さず食べてくれた先生がいるのだ。
だからもう顔の見えない観客やエリート気取りの坊ちゃんに、自分の価値を証明してやる必要など微塵もなかった。
「……で?言いたいことはそれだけかよ」
ガルドが退屈そうに小指で耳をほじりながら言うと、ライエルの額に青筋が浮かんだ。
「貴様……エリートたる私を愚弄するか!その余裕、すぐに絶望に変えてやる!」
「第二試合、開始!」
審判の開始の合図と共に、ライエルが素早く杖を構え、流麗な詠唱を放った。
「灰燼に帰せ!『極大火炎』!」
ライエルの杖の先から、アリーナの空気を焼き焦がすほどの凄まじい熱量を持った紅蓮の炎が渦を巻き、巨大な火球となってガルドへと殺到した。
それは第一試合で審判団が放った競技用の魔法とは比べ物にならない、容赦ない敵意と破壊力を込めた高位魔術だった。
観客席から「やりすぎだ!」「死んでしまうぞ!」と悲鳴に似た声が上がる。
炎の直撃コースに立つガルドは、しかし一歩も動こうとしなかった。
(ただ手当たり次第に燃やすだけの山火事……俺も昔はそうだったな)
ガルドは迫り来る紅蓮の炎を見据えながら、右手に黒い魔力を集中させた。
レオンから課された、魔力弾を限界まで受け続けるという地獄のような千本ノックの特訓。
そこで学んだのは、炎を前に飛ばすのではなく、その場に留めて圧縮する技術だった。
「俺の炎はもう、空っぽじゃねえんだよ」
ガルドが右手を前に突き出した瞬間、彼の手のひらに漆黒の炎が凝縮された。
そしてそれは前方に伸びる牙ではなく、ガルドの目の前で横に大きく広がり、渦を巻くようにして一つの分厚い壁を形成した。
それは敵の攻撃をただ焼き尽くすのではなく、威力を呑み込み、背後の味方を守るための『黒炎の盾』だった。
ドガァンッ!!
ライエルの放った紅蓮の極大火炎が、ガルドの黒炎の盾に正面から激突した。
凄まじい爆発音が会場を揺るがし、目眩ましのような閃光が走る。
誰もが、辺境の赤髪の少年が炭と化して吹き飛ばされたと思った。
だが爆炎と黒煙が晴れたアリーナの中央で、ガルドは無傷のまま、少し退屈そうに首を鳴らしていた。
彼が展開した黒炎の盾は、ライエルの高位魔術を完全に呑み込み、その衝撃と熱波を背後に一切逃がすことなく相殺してのけたのだ。
「ば、馬鹿な……!私の極大火炎が、炎の壁に呑み込まれただと!?炎で炎を防ぐなど、そんな魔力制御が可能なはずがない!」
ライエルが目を見開き、信じられないというように叫んだ。
王都の常識では、炎は攻撃のための魔術であり、防御に転用するなど正気の沙汰ではない。
だがガルドは、その非常識を完璧な火加減と緻密な魔力制御によって実現してみせたのだ。
会場が水を打ったように静まり返り、観客たちは目の前で起きた現象を理解できずに息を呑んだ。
「てめえの炎は、ただ熱いだけで中身がスカスカなんだよ」
ガルドが不敵に笑い、展開していた黒炎の盾をスッと消し去った。
「火加減を知らねえのは、てめえの方だぜ。お坊ちゃん」
その言葉と同時に、ガルドの足元で黒炎が小さく爆発した。
ドンッ!という鈍い音と共に、ガルドの身体が弾丸のような速度で前方に撃ち出される。
レオンがかつて評価した『一瞬で間合いを詰める瞬発力』。
ガルドは黒炎の爆発的な推進力を足元に集中させ、瞬きする間にライエルの数十メートルあった距離をゼロにした。
「なっ……速い!」
ライエルが慌てて後退りしながら、迎撃のための風刃の魔術を無数に放つ。
だがガルドはそのすべてを最小限の動きで躱し、あるいは手に纏った黒炎で正確に弾き飛ばしていく。
かつてのガルドなら、大技を撃ち合って力押しでねじ伏せようとしていただろう。
だが今の彼は違う。
無駄な魔力を消費せず、相手の魔法を掻いくぐり、最も確実に相手を仕留めるための冷徹な戦士の立ち回りを身につけていた。
「くそっ、来るな!『多重障壁』!」
懐に飛び込まれたライエルが、悲鳴のような声を上げながら何重もの強固な光の防壁を目の前に展開した。
それを見たガルドは、右手の拳に禍々しい黒炎を極限まで圧縮して握り込んだ。
守るための盾から、道を塞ぐ敵だけを焼き貫く突破の牙へ。
ガルドは踏み込んだ勢いのまま、黒炎を纏った右の拳をライエルの防壁へと全力で叩き込んだ。
ガァンッ!!!
轟音が大闘技場に響き渡る。
ライエルが展開した何重もの光の防壁は、ガルドの黒炎の拳の前にまるで薄い紙のように一瞬で焼き破られ、ガラスのように粉々に砕け散った。
そのままガルドの拳がライエルの顔面へと迫る。
まともに食らえば首が消し飛び、炭と化す凶悪な一撃。
ライエルは身が竦み、恐怖に顔を引きつらせて目をきつく閉じた。
だがその拳は、ライエルの鼻先わずか数ミリのところでピタリと止まっていた。
(殺すつもりはねえよ、馬鹿)
黒炎の熱波は完全に制御され、ライエルの顔には火傷一つ負わせていない。
ただ防壁だけを正確に焼き貫き、圧倒的な暴力の差を突きつけるための、完璧な寸止めだった。
「ひっ……あ、ああ……っ」
ライエルは腰から砕け落ちるようにアリーナの床にへたり込み、ガタガタと全身を震わせた。
ガルドは振り抜いた拳をゆっくりと下ろし、見下ろすようにして冷たく言い放った。
「火力しかないのは、そっちだろ」
圧倒的な実力差を見せつける、暴君の如き宣告。
ライエルは完全に戦意を喪失し、言葉を発することすらできなくなっていた。
審判を務める王都の教師もあまりの出来事に呆然と立ち尽くしていたが、やがてハッとして震える声で叫んだ。
「こ、後攻、辺境学院代表、ガルド・バルガの完全制圧!勝者、辺境学院!」
審判の宣言が響き渡ると、会場は再び深い沈黙に包まれた。
だが数秒後、誰からともなくパラパラと拍手が起こり、それが波紋のように広がり、やがて地鳴りのような大歓声へと変わった。
バルコニー席のロベルトは、第一試合に続く敗北を前に握り締めた報告書をぐしゃりと潰した。
「二戦連続で……辺境の問題児どもが……っ」
第一試合のミリアに続き、第二試合のガルドもまた、王都のエリートを真っ向から圧倒してみせたのだ。
王都の観客たちは、自分たちが嘲笑っていた辺境の生徒たちが、王都の常識を超える実力者であるという事実にようやく気づき始めていた。
ガルドは歓声を背に受けながら、ポケットに両手を突っ込んで面倒くさそうに踵を返した。
辺境学院の陣営に戻ると、仲間たちが満面の笑みで迎えてくれた。
「ガルドくん、すごいです!あんな風に炎を操れるなんて!」
「へっ、当たり前だろ。俺の火加減を舐めんなよ」
「ガルド、勝った。これで早くご飯食べれる」
「お前は飯のことしか頭にねえのかよ!」
「まあ、少しは知性が感じられる立ち回りでしたわね。防壁を破るタイミングは完璧でしたわ」
「無駄に燃やさなかったから、掃除の手間が省けた。えらい」
「てめえら……いちいちムカつく褒め方しやがって!」
ガルドは顔を赤くして悪態をつきながらも、その口元は嬉しそうに緩んでいた。
彼の前髪からは、照れ隠しのようにシュゥゥゥッと黒い煙が漏れ出している。
レオンが壁に寄りかかったまま、いつもの眠そうな目で笑ってガルドの頭を無造作に撫でた。
「少しはマシになったな、黒炎の番長」
「……うるせえ。これくらい当然だろ」
ガルドはレオンの手を鬱陶しそうに払いながらも、誇らしげに胸を張った。
王都の嘲笑と偏見に満ちた公開処刑の場。
かつて承認に飢え、周囲を焼き尽くすことしか知らなかった少年は今、自分の意志で力を制御し、仲間たちの前でその圧倒的な強さを証明してみせたのだ。
「さて、次は僕だね」
仲間たちの笑い声の横で、ノア・レイスが静かに分厚い魔導書を閉じた。
彼の瞳には、これから耳を澄ませるべき遺跡の声へ向けた、静かな集中が宿っていた。
第三試合。
種目は古代遺跡探索。
次なる辺境の問題児が、王都の常識を静かに覆そうとしていた。




