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魔王討伐後に追放された元勇者、辺境教師になったら教え子全員がラスボス候補でした 〜災厄になる前に、まずは給食を食べような〜  作者: 早野 茂
第4章 血塗れ女帝編

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幕間4「女帝候補の敗北宣言」

人を信じることは、負けだと思っていた。


私は幼い頃から、王都でも有数の権勢を誇るヴァーミリオン家で次期当主として厳しく育てられてきた。

炎と謀略が渦巻く貴族社会において、他人の言葉を無防備に鵜呑みにすることは自らを破滅へと導く愚行でしかない。

だからこそ私は常に周囲を観察し、大人たちの隠された思惑を読み取る術を身につけていった。


才覚を示せば示すほど、私を蹴落とそうとする敵は増える。

その息の詰まるような日々の中で、私が唯一心を許していたのが専属メイドのアンナだった。

彼女の淹れる紅茶の香りと優しい微笑みだけが、私にとって安らげる唯一の居場所だったのだ。


だがある日の午後。彼女が私の前に差し出したティーカップの表面が微かに波立ち、その指先が震えているのを私は見逃さなかった。

彼女の視線は不自然に泳ぎ、私と目を合わせようとしない。

紅茶には微量の遅効性の毒が盛られていた。

理由を問いただすとアンナはその場に泣き崩れた。

異母兄の派閥に弟を人質に取られ、私を暗殺するよう脅迫されていたのだと。


当時の私は涙ながらに許しを請う彼女を冷酷に見下ろした。

弟を守るためという彼女の事情は理解できた。

だがそれでも彼女は自分と弟の命を天秤にかけ、私の命を売ることを選んだのだ。

私はアンナの『弱さ』を許さなかった。

彼女の弱さを許せば次に殺されるのは私自身だからだ。

私は感情を殺し、アンナを利用して異母兄の派閥の不正を暴き、彼らを完全に失脚させた。

アンナもまた容赦なく追放された。


その日からだ。

私が他人の善意というものを一切信じなくなったのは。

信頼という感情はあまりにも脆く、不確実で、己を破滅に導く致命的な弱点だ。

だから誰も信じない。

他人の弱点を握り、恐怖と利害だけで縛り付ける。

誰も私を裏切れない完璧な盤面を作り上げる。

それこそが、私が傷つかないための唯一の生存戦略だった。


その生存戦略は実の父親にすら恐れられ、私を王都から辺境学院へと追放する結果を招いた。

だが私は自分のやり方を変えなかった。

この特別隔離教室に集められた問題児たちに対しても、私は同じように振る舞った。


赤い表紙のノートに、彼らの行動パターンと弱点をびっしりと書き込んだ。

ガルド君の肥大した自尊心。

ミリアさんの過剰な罪悪感。

ノア君の死者への執着。

リュカさんの野生の食欲。

彼らの弱点を突けば、いとも容易く彼らを誘導し私の思い通りに操ることができた。

模擬自治会のクラス内選挙でも私はその情報を駆使して完璧な根回しを行い、代表の座を手に入れた。

誰もが私の思惑通りに動き、誰も不満を持たなかった。

これが正しい統治なのだと、私は疑わなかった。


だがレオン先生は、そんな私のやり方を気だるげな目で見透かしていた。


『ずっと盤の外から駒を動かしているつもりなら、いつか必ず足元をすくわれるぞ』

『お前が一番恐れているものを、お前自身が増やしている』


先生のその言葉の意味を、私はすぐに最悪の形で思い知らされることになった。


王都の工作員によって、私の赤いノートが黒板にばらまかれたあの日。

私の完璧な支配は、音を立てて無残に崩れ去った。


『てめえはずっと、俺たちを駒としか見てなかったってわけか!』


ガルド君の怒号が教室を震わせた。ミリアさんは裏切られた悲しみに涙を流し、ノア君は冷え切った目で私を拒絶した。

リュカさんも私から距離を取り、警戒の目を向けた。

全員が私を軽蔑し、怒り、悲しんでいる。

その事実が、私の胸を鋭利な刃物で何度もえぐり取るように痛めつけた。


エリス先生の『人を駒として扱う者は、最後に必ず自分が一番孤独になります』という忠告が、呪いのように頭の中でリフレインした。


私は震えていた。

裏切られることよりも、彼らから誰からも信じてもらえないことの方が何倍も恐ろしくて苦しかったのだ。

私は一人になった。

誰も信じないと言いながら、私は心の底で彼らと同じ教室にいることに安らぎを感じていたのだ。

アンナを失ってからずっと抱えていた孤独を、彼らの騒がしさが埋めてくれていたことに、失って初めて気がついた。


だがレオン先生は、暗闇に沈みかけていた私に逃げることを許さなかった。


『お前が壊した信頼だ。お前が直せ』


その言葉は厳しい宣告でありながら、同時に私を暗闇から引きずり出すための蜘蛛の糸だった。

私は初めて自分のプライドを捨て、彼らに頭を下げた。

裏切られても仕方がない、見捨てられても当然だと思いながら彼らに協力を求めたのだ。


『今だけは……私を信じられなくても構いません。けれど王都の罠を破るために、皆様の力を貸してください』


私のその泥臭い願いに、彼らは応えてくれた。

ガルド君も、ミリアさんも、ノア君も、リュカさんも。


私が彼らを駒として扱い傷つけたことを、彼らは完全には許していなかったはずだ。

それでも彼らは私の言葉に計算ではない響きを聞き取り、今だけは力を貸そうと決めてくれたのだ。


アンナの弱さを許せず冷酷に切り捨てた私とは違う。

彼らは不器用で傷だらけだが、誰かが間違えた時にそれでも手を差し伸べてくれる本当の強さを持っていた。

だからこそ王都の工作員が私を甘い言葉で懐柔しに来た時、私は一切の迷いなくそれを切り捨てることができた。


『王都の安全な中枢で、確固たる地位と権力をお約束します。あなたはもう、裏切りに怯えなくて済むのですよ』


その提案はかつての私なら間違いなく飛びついていたものだ。

だが私の脳裏に浮かんだのは王都の華やかな生活ではなく、最前線で私に背中を預けてくれたガルド君たちの不器用な顔だった。


もしここで誘いに乗れば、私はアンナよりも酷い裏切り者になる。

あの日のアンナは、弟を人質に取られていた。

私はただ恐怖から逃げたいだけだ。

あの日、私はアンナを許さなかった。

彼女の弱さを切り捨て、二度と振り返らなかった。

だが今なら分かる。

あの震えていた指先には、裏切りの罪悪感だけでなく弟を失う恐怖も宿っていたのだ。

いつか、もう一度アンナと向き合わなければならない。

罰するためではなく、あの日の私が見ようとしなかったものを見るために。

私は誰も信じず人を駒として切り捨てる孤独な女帝には絶対にならないと宣言した。


そしてすべてが終わった後。

私は自分の意志で、拾い集めて仮に綴じ直していた赤いノートの残骸を、ガルド君の黒炎で燃やしてもらった。


ボワッ!という音と共に一瞬にして灰すら残さず消滅した赤いノート。

それは私を過去の恐怖に縛り付けていた呪いの象徴だった。

ガルド君の放つ黒炎の熱さが、私の心の奥底でずっと凍りついていた孤独を完全に溶かしてくれた瞬間だった。


そして今。

放課後の特別隔離教室で、私は真新しい真っ白な表紙のノートを開いている。

夕暮れのオレンジ色の光が、机の上に優しく差し込んでいた。

私はインク壺に羽根ペンを浸し、さらさらと静かな音を立てて文字を書き連ねていく。


『僕は忘れないために書く。君は支配するために書く』


ノア君のあの言葉が、今も胸に残っている。

私は支配するために書く者だった。

誰かを縛り付け、操り、孤独な頂点に立つために。

だが今、私が書こうとしているのは、仲間の長所を繋ぎ合わせ共に支え合うための記録だ。


『ガルド・バルガ:圧倒的な火力と前線の突破力。細かな計算は苦手なため、後方からの情報支援と火加減の注意が必要』

『ミリア・フロストレイン:強固な防衛力と仲間を守る意志。彼女が前線に立てば、誰一人として置き去りにされない。背後の安全を任せられる、最も信頼できる盾』

『ノア・レイス:冷静な分析力と遊撃。周囲に無関心になりがちなので、定期的に会話に巻き込むこと』

『リュカ・ウォルフ:獣人特有の機動力と、誰よりも鋭い直感。彼女が「変な匂い」を察知した時は、必ず耳を傾けること。空腹時に備え、軽食も用意しておくこと』


彼らはそれぞれに短所がある。

だがその短所を別の誰かの長所で繋ぎ合わせれば、どんな王都のエリート部隊にも負けない強固な陣形となる。

それは恐怖や利害で縛り付けられた脆い支配ではなく、互いを信じ、背中を預け合うことで生まれる本物の絆だ。


人間の心という『信頼』。

私がこれまで計算不可能な不確定要素として盤面から排除してきたその変数を、私は私の新しい盤面の中心に据えることにしたのだ。


これは誰も信じないと誓い、孤独な頂点を目指していたかつての私に対する、完全なる敗北宣言である。

私は負けたのだ。

不器用なクラスメイトたちの優しさに。

そして何より、あの気だるげな元勇者の教師に。


だが不思議と、悔しさは微塵もなかった。

むしろ肩の重い荷が下りて、どこまでも清々しい気分ですらあった。

私はノートの最後のページに、私自身の名前を書いた。


『セレス・ヴァーミリオン:全体の指揮と情報共有の統括。そして、仲間たちの弱さを繋ぎ合わせ、盤面を崩さないよう支え続けること』


私が担うべき役割は、孤高の女帝として君臨することではない。

皆を支え、共に未来を切り開く参謀役なのだ。


ふふっ、と自然と笑みがこぼれた。

私はペンを置き、新しく出来上がった盤面の記録を満足げに見つめた。


ガラガラッと音がして、教室の扉が開いた。

気だるげな足取りで入ってきたのは、黒いコートを着たレオン先生だった。

彼は教卓に日誌を放り投げ、首の後ろを掻きながら私の方を見た。


「まだ残っていたのか、セレス。新しいノートの書き心地はどうだ」

「ええ、最高ですわ。先生のおかげで、ようやく私の完璧な盤面が完成いたしました」


私は先生の顔を見て、昼間に伝えた「見捨てないでくださって、ありがとうございました」という言葉が、まだ胸の奥に温かく残っているのを感じた。

だが同じことを何度も素直に口にするのは、ヴァーミリオン家の娘の沽券に関わるというものだ。

私は席を立ち、扇子を広げて優雅に微笑んだ。

そしてレオン先生に向かって、これ以上ないほど自信に満ちた声で宣言した。


「レオン先生。この新しい盤面において、あなたを我が陣営の最重要人物に任命いたしますわ」


私の言葉に、レオン先生は一瞬だけ目を丸くした。

そして深い溜息をつき、心底面倒くさそうな顔をした。


「……それは、教師として喜んでいいのか?」

「もちろんですわ。私たちがピンチに陥った時、いつでも盾になってくださる最強の駒……いえ、頼れる大人として、大いに期待しておりますわよ」


自分の口から滑り出た言葉に、私は思わず扇子で口元を隠した。

駒、という言葉は、もう私の新しいノートには似合わない。


「結局、俺も盤面の一部かよ。お前のその高飛車な態度は、ノートが白くなっても変わらないらしいな」


レオン先生が呆れたように言いながらも、その口元には確かな笑みが浮かんでいた。

私も扇子で顔を隠しながら、ふふっと声を上げて笑った。


「ええ。私は誇り高きヴァーミリオン家の娘ですから。これくらい強欲でなければ、皆を支える参謀役など務まりませんのよ」


窓の外では、冬の冷たい風が吹いている。

だがこの教室の中には、私がずっと求めていた本物の温かさと絶対に崩れない確かな信頼があった。

女帝候補としての私は、ここで負けた。

だがそれでよかったのだと、今は心から思う。



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