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魔王討伐後に追放された元勇者、辺境教師になったら教え子全員がラスボス候補でした 〜災厄になる前に、まずは給食を食べような〜  作者: 早野 茂
第3章 屍竜王編

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第29話「魂送りの賢者」

世界を滅ぼすはずだった巨大な屍竜の幻影が空へ還り、竜骨が白い砂となって風に消えた後。

嘆きの古戦場跡には、まだ迷える兵士たちの霊体が多く残されていた。


彼らはもう生者を憎んで狂暴化してはいない。

竜の放つ巨大な怒りの渦から解放され、行くあてを失ったように、ただ青白くゆらゆらと荒野を彷徨っていた。


王都の特務調査隊が完全に沈黙した静寂の中で、ノア・レイスはただ一人、彼らと向き合うために古戦場の中央に立ち続けていた。


「大丈夫だよ。もう、痛みは感じなくて良いから」


ノアが両手を差し出し、優しく語りかける。

彼の指先から放たれる青白い魔力は、死者を縛る鎖ではなく、迷える魂を包み込む鎮魂の光だった。


その光に惹きつけられるように、霊体たちが一人、また一人とノアの元へ集まってくる。


ノアは彼らの姿を特異な視界で真っ直ぐに見つめ、決して目を逸らさなかった。

故郷を思い、声にならない嗚咽を漏らす若き王国兵。

残してきた家族の名を呼び続ける魔王軍の兵士。

陣営も種族も関係なく、ノアは彼ら一人ひとりに静かに問いかけた。


「あなたの名前は?」

「故郷に、誰を残してきたの?」

「もう戦わなくていいんだ。帰ろう」


ノアの言葉に触れた霊体たちは、生前の記憶と自我を少しずつ取り戻していった。

ある者は故郷の母の名を呼び、ある者は残してきた妻子の面影を思い出し、ポロポロと涙を流す。


彼らが心の中に抱え込んでいた未練と痛みが解け、満たされた魂は次々と美しい光の粒子となって、夜明け前の空へと昇っていった。


それは気が遠くなるほどの集中力と魔力を要する、過酷で孤独な作業だった。

しかしノアの顔に疲労の色はあっても、決して諦める様子はなかった。


少し離れた安全圏から、隔離クラスの生徒たちとレオン、そしてエリスとメルディアがその光景を静かに見守っていた。

冷え込む冬の夜風の中、ガルドが指先で小さな黒炎を灯し、集めた枯れ木に火をつけて温かい焚き火を作った。

ミリアはエリスから受け取った温かいお茶の入った水筒を丁寧にコップへ注ぎ、みんなに配って回っている。

セレスは優雅にお茶を受け取り、リュカは焚き火のそばで丸まりながらも、時折ノアの方を気遣うように耳を動かしていた。


「あいつ、あの無数の霊を一人で全部送る気かよ。……馬鹿みたいに頑固だな」


ガルドが焚き火に薪をくべながら、呆れたように、けれどどこか誇らしげに呟く。

ミリアもまた、揺れる炎を見つめながら小さく頷いた。


「ノアくんは、優しいからです。誰よりも死んでしまった人たちの痛みが分かるから……一人も置いていけないんだと思います」


レオンは腕を組み、生徒たちの会話を背中で聞きながら、真っ直ぐにノアの背中を見つめていた。

妹を失い、死の世界にだけ自分の居場所を求めていた少年。

生者を信じることをやめ、自分が寂しくないように死者を縛り付けてきたノアが、今は純粋に死者のために自分の力を使っている。

その背中はもう、過去の喪失に怯えるだけの迷子のものではなかった。


長い時間が過ぎた。

やがて東の空が白み始め、厚い鉛色の雲の隙間から黄金色の朝の光が古戦場跡に差し込んできた。

ノアの前に立っていた最後の霊体が、深く頭を下げて「ありがとう」と微笑み光の粒子となって朝日に溶けていく。

無数の亡霊で埋め尽くされていた古戦場跡から、すべての気配が消え去った。

残されたのは、ただの静かな冬の荒野だけだった。


「……終わった」


ノアは呟き、限界を迎えていた足から力が抜けてその場にへたり込んだ。

荒い息を吐きながら、彼は昇っていく光の余韻を眩しそうに見上げた。

ザクッ、と足音がして、レオンがノアの隣に歩み寄ってきた。

彼は手にしたコップをノアに差し出す。


「温かいお茶だ。よくやったな、ノア」


ノアは震える両手でコップを受け取り、ゆっくりと口に運んだ。

じんわりとした熱が冷え切っていた内臓を温め、生きているという確かな実感を体に巡らせていく。

ノアの足元には、彼が王都の古書店で見つけ、これまでずっと肌身離さず持ち歩いていた『死霊術』の分厚い魔導書が転がっていた。

死者を現世に無理やり繋ぎ止め、操るための禁忌の術が記された本。

ノアはコップを片手に持ちながら、もう片方の手でその魔導書の表紙をそっと撫で、最初のページを開いた。


「……ごめんね。君を、僕の寂しさを埋めるための道具にするところだった」


ノアの胸の中にある、最愛の妹を失った喪失感が完全に消え去ったわけではない。

これからもふとした瞬間に、悲しみが波のように押し寄せる日は必ず来るだろう。

だがそれでも、自分の寂しさを理由にして死者の魂を道具のように扱うことは、もう絶対にしないと誓ったのだ。


ノアは魔導書をパタンと閉じた。

彼はもう二度と、死者を縛るためにこの本を開くことはないだろう。

ノアはゆっくりと立ち上がり、レオンを真っ直ぐに見上げた。


「先生。僕の授業、終わりました」

「ああ。満点だ」


レオンはノアの青白い頭に大きな手を乗せ、無造作に撫でた。

ノアは少しだけ照れくさそうに笑い、そして焚き火の周りで待っていてくれたクラスメイトたちの方へと歩き出した。

冷たい風の吹く古戦場に、生者たちの温かい話し声が響き始めた。


数日後。

辺境学院の旧校舎にある特別隔離教室には、いつものように穏やかな朝の光が差し込んでいた。

ガルドは机の上で魔法陣の計算に悪戦苦闘し、ミリアがそれを横から控えめに教えている。

セレスは優雅に紅茶を傾け、リュカは日向で気持ちよさそうに丸まっていた。

そして教室の隅の席。

ノアは自分の机の上で、あの分厚い魔導書ではなく真新しい革張りのノートを開いていた。

彼はインク壺にペンを浸し、さらさらと静かな音を立てて文字を書き連ねている。

机の下には相変わらず小さな骨の鳥がいるが、それはノアの心を埋めるための依存対象ではなく、ただの使い魔としての役割に落ち着いていた。


「ノア、何書いてるの?お肉の絵?」


リュカがふらりと近づいてきて、ノートを覗き込んだ。

その声に反応して、ガルドも椅子をガタッと鳴らして振り返る。


「おい、ずいぶんと細かい字じゃねえか。なんだこれ、名前の羅列か?」

「うん。僕が送った人たちの記録だよ」


ノアはペンを止め、ノートのページを優しく撫でた。

そこには、あの古戦場で言葉を聞き取ることができた霊たちの名前や、彼らが帰りたかった場所、残してきた家族のことが、一つひとつ丁寧に記されていた。


「人は死んでしまったら、いつか誰からも忘れられてしまう。だから僕は……忘れないために、書くんだ」

「記憶の墓標というわけですわね。あなたらしい、静かで優しい弔いですわ」


セレスが扇子を口元に当て、目を細めて微笑んだ。

ミリアも「素敵なノートですね、ノアくん」と心から感心したように言う。

ノアはクラスメイトたちの言葉に、少しだけ頬を染めて「ありがとう」と返した。


教卓で日誌を開いていたレオンは、そのやり取りを静かに見守っていた。

彼の視界の端で、ノアの頭上に浮かんでいた禍々しい赤い文字が、大きく揺らいでいた。


『【未来の屍竜王】人類生存率、三パーセント。破滅原因:死者への執着』


人類を絶滅寸前まで追い込む、死者への執着が生み出す最悪の災厄。

だがその赤い文字は、音を立ててひび割れ、ついにパリンッという甲高い音と共に完全に砕け散った。

光の粒子となって消え去る破滅の未来。

そして代わりに、温かな琥珀色の光を放つ新しい文字が、ノアの頭上に静かに浮かび上がった。


『【魂送りの賢者】』


レオンは満足そうに口元を緩め、小さく息を吐き出した。

ミリア、ガルドに続いて、ノアの未来も書き換わった。

世界を滅ぼすはずだった少年は、死者を縛る王ではなく、死者を導き記憶を紡ぐ賢者としての道を確かに歩み始めたのだ。

その姿は、もう屍竜の影など微塵もない、ただ一人の優しい少年だった。


ガラガラッと音を立てて教室の扉が開き、エリスが給食のワゴンを押して入ってきた。

昼休みの鐘が鳴り響く。


「皆さん、お待ちかねの給食の時間ですよ。今日のメニューは、野菜たっぷりのポタージュと、白身魚のソテーです」

「魚!魚!」


リュカが歓声を上げて飛び跳ねる。

ガルドは「なんだよ、また肉じゃねえのかよ」と文句を言いながらも、自分の机を乱暴に引きずって移動させ始めた。

彼が椅子を置いたのは、ノアの机の真ん前だった。


「おいノア、そこ空けろ」

「あ……うん」


ガルドが座るのを合図にするように、ミリアが素手で器用に配膳を手伝いながら隣の席に座り、セレスも「もう少し静かに食事の準備ができないのかしら」と嘆息しつつ、ノアの向かい側に席を取った。

気がつけば、ノアの机を中心にして隔離クラスの全員が集まり、一つの賑やかな食卓が出来上がっていた。

かつてのノアは骨の鳥や骸骨と一緒に、生者から離れて一人きりで冷たい食事をとるのが当たり前だった。

だが今は、温かい体温を持ったクラスメイトたちが、文句を言い合いながらも当然のように彼の周りにいる。


「ノア、魚の皮食わないなら、リュカが食べる!」

「食べるよ。生きていくためには、ちゃんと栄養が必要だからね」


ノアが真顔で魚のソテーを死守すると、リュカが「くー」と残念そうな声を漏らした。

レオンは自分の分のポタージュを口に運びながら、楽しそうに笑う。


「そうだ、残さず食え。生きてる間の飯は美味いからな」


ノアは頷き、温かいポタージュをスプーンですくって口に運んだ。

じんわりとした温もりが、体中に広がっていく。


生者はいつか死ぬ。

嘘をつくかもしれないし、いつかはいなくなるかもしれない。

その恐怖が完全に消えたわけではない。


それでも今こうして共に温かいご飯を食べ、笑い合う時間は、絶対に嘘ではないとノアには分かっていた。


ノアの心はもう、冷たい死の世界に縛られてはいなかった。

彼は穏やかに微笑み、生者の世界の温かい食事を、確かな繋がりとして飲み込んだ。



第3章「屍竜王編」はここで一区切りです。

ノアが死者ではなく、生きている仲間たちの方へ少し歩き出す回でした。

ここまで読んで「続きも追いたい」と思っていただけましたら、ブックマーク・評価で応援していただけると嬉しいです。

次章は、セレスの物語です。


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― 新着の感想 ―
ノア君、お疲れ様 最後の1人を送った後、ぶっ倒れないかと心配したよ そして『死霊術』の分厚い魔導書にも謝ってるのは、本当に真面目だし、今後への決意が見て取れる そして、送った人達の記録をするとは、【魂…
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