第20話「黒炎の番長」
「氷女、まだ立てるか?」
「……はい」
「なら、俺の炎に合わせろ。ここからは、一緒に止めるぞ」
ミリアの瞳に強い光が宿り、両手から再び冷気が立ち上った。
大きな亀裂が走った氷壁に、ミリアの冷気が再び注ぎ込まれる。
崩れかけていた壁はみるみる厚みを増し、先ほどよりもさらに分厚く強固な氷壁へと作り直されていった。
だが暗闇の森から湧き出してくる魔獣の群れは、なおも衰えることを知らない。
王都の工作によって人為的に狂暴化させられた彼らは、痛みすら忘れ、ただ獲物を引き裂くために突進してくる。
数十匹のブラッドウルフが、血走った目を輝かせて新たな氷壁へと飛びかかろうとした、その瞬間。
ミリアの前に、黒炎を噴き上げる赤髪の背中が立ち塞がった。
ガルド・バルガだ。
彼は両手に圧縮していた黒炎を、前方に向かって一気に解き放った。
「——俺の後ろにいろ。燃やすのは敵だけだ」
その言葉と共に、ガルドの右手から噴き出した黒炎は、前方に伸びる牙ではなく、左右に大きく広がる巨大な『壁』となった。
ミリアの透明な氷壁のすぐ外側に、渦を巻く漆黒の炎の盾が展開されたのだ。
ドォォォォンッ!!
先頭を走っていた魔獣たちが、ガルドの黒炎の壁に激突する。
通常であれば一瞬で灰になるはずの火力。
だがガルドは、炎の威力をただ焼き尽くすためではなく、『押し留め、呑み込む』ためだけに極限まで制御していた。
激突した魔獣たちは、黒炎の尋常ではない熱波と衝撃の壁に阻まれ、悲鳴を上げて弾き飛ばされた。
「すごい……炎が、壁になってる……!」
ミリアが目を見張る。
通常、極寒の氷と極大の炎が隣接すれば、互いの魔力を打ち消し合い、水蒸気爆発を起こして崩壊する。
だが今、ガルドの黒炎とミリアの氷壁は、奇跡的なまでの調和を保っていた。
ガルドが炎の熱を一切背後へ逃がさないよう、自分の意志で完璧にコントロールしているからだ。
彼が王都の試験場で求められていたのは、ただ無差別に破壊を撒き散らす兵器としての力だった。
だが今、彼が振るう力は違う。
自分の背後にある、不器用な仲間たちの命を絶対に守り抜くという、明確な責任と誇りに満ちた強さだ。
エリスは救急箱を抱えたまま、目の前で起きている信じられない光景に言葉を失っていた。
王都では『野蛮な化け物』と蔑まれ、隔離された二人の子供。
その二人が今、互いの弱点を補い合い、背中を預け合いながら、絶対に破られない鉄壁の防御陣を作り上げているのだ。
「セレス、リュカ、ノア!こいつらを通すな!」
ガルドが炎の壁を維持しながら、背後のクラスメイトたちに吼えた。
「言われるまでもありませんわ。左翼に三匹、回り込もうとしています。ノア君、足止めを」
「分かってる。死者の手、展開」
ノアが古書を開くと、地面から無数の白い骨の手が突き出し、回り込もうとした魔獣の足を絡め取った。
「肉の恨み、忘れない!」
リュカが素早い動きで氷壁の隙間から飛び出し、足を取られた魔獣の側面に強烈な体当たりを叩き込んで吹き飛ばす。
五人の問題児たちが、まるで一つの生き物のように完璧な連携を見せていた。
彼らの間には、もう恐怖も不信もない。
共に過ごした時間と、レオンの不器用な教えによって培われた、確かな信頼関係があった。
「……上出来だ」
前線で魔獣の群れを斬り伏せていたレオンが、その光景を振り返って口元に笑みを浮かべた。
生徒たちが自分たちだけで完璧な防衛陣を構築したことで、レオンはもう背後を気にする必要がなくなった。
「……助かった。これで、前だけ見て戦える」
レオンが小さく笑い、剣を構え直した。
生徒たちが背後を守っている。
ならば教師である自分は、前にいる敵だけを片づければいい。
「よく見ておけ。お前たちが作った時間で、俺が終わらせる」
レオンの姿がブレた。
次の瞬間、月明かりの下で幾筋もの銀閃が森の暗闇を切り裂いた。
斬撃の音すら遅れて聞こえてくるほどの神速の剣技。
明らかに人為的な狂暴化を施されていた魔獣たちも、桁違いの圧倒的な暴力の前には無力だった。
悲鳴を上げる間もなく、一匹、また一匹と両断され、地面に崩れ落ちていく。
気づけば、グラウンドを埋め尽くしていた魔獣の群れは完全に沈黙していた。
後に残ったのは、レオンが剣の血糊を振って払う微かな音だけだった。
「終わったぞ」
レオンが剣を鞘に収め、気だるげな足取りで生徒たちの元へ戻ってきた。
その言葉を聞いて、ガルドは大きく息を吐き出し、両手から展開していた黒炎の壁をスッと消し去った。
ミリアもまた張り詰めていた緊張を解き、氷壁を霧散させる。
「はぁっ……はぁっ……」
極限の集中を強いられていたガルドは、膝に手をついて肩で息をしていた。
だがその顔には、心地よい疲労感と、やり遂げたという確かな充実感が浮かんでいた。
「ガルドくん、ありがとう……」
ミリアが駆け寄り、心配そうにガルドの顔を覗き込んだ。
「ガルドが戻ってこなかったら、危なかった。助かった」
リュカが尻尾を振りながら近づく。
「炎の制御、見事でしたわ。王都の連中がこの盾を見たら、さぞかし悔しがったでしょうに」
セレスが扇子で口元を隠しつつ、素直な賞賛の言葉を送る。
「ガルドの炎……もう空っぽじゃない。すごく熱くて、重かった」
ノアもまた、真顔で骨の鳥を撫でながら頷いた。
クラスメイトたちから次々と向けられる、純粋な感謝と賞賛の言葉。
それはガルドが幼い頃からずっと喉から手が出るほど欲しかった『承認』そのものだった。
だが不思議と、今の彼には「どうだ、俺はすごいだろう」と威張る気にはなれなかった。
ただ、自分が彼らの役に立てたこと、彼らを守り抜けたことが、たまらなく嬉しかったのだ。
「う、うるせえな!俺が一番強いんだから、てめえらを守るのくらい当たり前だろうが!」
ガルドは顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
彼の前髪から、シュゥゥゥッと照れ隠しのような黒い煙が勢いよく漏れ出している。
そのコミカルな反応に、ミリアたちが思わずくすくすと笑い声を上げた。
凄惨な魔獣の襲撃を受けた直後だというのに、グラウンドには温かく平和な空気が流れていた。
「さて、と」
レオンが歩み寄り、ガルドの赤い頭に無造作に大きな手を乗せた。
ガルドはビクッと肩を震わせたが、振り払おうとはしなかった。
「よく戻ってきたな、ガルド。お前のおかげで助かった」
レオンの真っ直ぐな言葉に、ガルドはギリッと唇を噛み締め、目を伏せた。
「……王都の連中は、誰も俺の顔なんか見てなかった。あいつらは、ただ俺の火力が欲しかっただけだ」
ポツリと、ガルドが本音をこぼす。
「俺は……あの暗くて冷たい試験場よりも、てめえと食う質素な給食の方が、よっぽど性に合ってるみたいだ」
それはガルドなりの、この隔離クラスを自分の居場所として認めたという最大のデレだった。
「質素ではあるが、不味くはない。だが腹が減っては戦えないからな」
レオンはガルドの頭から手を離し、エリスを振り返った。
「エリス先生。怪我人がいなくて何よりだが、戦ってすっかり腹が減った。厨房に何か夜食になるものは残ってないか?」
エリスは呆れたように溜息をついたが、その顔には柔らかな笑みが浮かんでいた。
「まったく……レオン先生の食欲には呆れます。ですが厨房の鍋に夕食のスープが残っているはずです。温め直しましょう」
「やった!スープ!肉入ってる!」
リュカが両手を挙げて歓喜する。
「私も手伝いますわ。ノア君、ガルド君も来なさい」
セレスが扇子を閉じ、当然のように指示を飛ばした。
「なんで俺まで……」
文句を言いながらも、ガルドは満更でもない様子で旧校舎へと歩き出した。
レオンは一人グラウンドに残り、生徒たちの賑やかな背中を見送った。
そして、ガルドの頭上に視線を向ける。
そこには、これまで激しく明滅していた禍々しい赤い文字が浮かんでいた。
『【未来の黒炎暴君】滅亡国家、七つ。破滅原因:承認飢餓』
その文字が、パリンッと甲高い音を立てて砕け散り、光の粒子となって冬の夜空へと溶けていく。
代わりに、深く力強い赤銅色の文字が、静かに浮かび上がった。
『【黒炎の番長】』
死者数も、滅亡国家も、そこにはもう何も書かれていない。
未来が変わったのだ。
王都を焼き尽くし、世界を灰にするはずだった暴君は、今、仲間を守るために自らの炎を盾とする道を選んだ。
誰かに認められるためじゃない。
自分が認めた大切な場所を守るために。
レオンは満足そうに目を細め、静かに息を吐いた。
氷壁の守護者に続き、二人目の未来が変わった。
だがレオンにとって、それはまだ始まりに過ぎない。
「さて、俺もスープを食いに行くか。あいつらに全部食われる前にな」
レオンはコートの裾を翻し、温かな灯りが漏れる旧校舎へと歩き出した。
冷たい冬の風が吹き抜ける辺境の夜。
だが隔離クラスの教室には、決して消えることのない、強くて優しい黒炎が確かに灯っていた。
第2章「黒炎暴君編」はここで一区切りです。
ガルドが誰のために燃えるのか、見届けてくださりありがとうございました。
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次章は、ノアの物語になります。




