第19話「俺は誰のために燃える」
その夜、ガルドは寮の消灯後、誰にも告げずに部屋を抜け出した。
前日の工作員から指定された場所は、旧校舎の裏手にある結界の綻びを抜けた先だった。
規則を破って学院の敷地外へ出ることへのためらいはあった。
それでも、王都で自分の力が認められるかもしれないという誘惑を、振り切ることができなかった。
夜の闇に包まれた、辺境の森の奥深く。
かつて王国の砦として使われ、今は放棄された石造りの廃墟の中に、強烈な魔力の光と焦げ臭い煙が充満していた。
ガルド・バルガは荒い息を吐きながら、右手に灯した黒炎をゆっくりと下ろした。
彼の目の前には、王都軍が使用する強固な魔法障壁を展開する大型魔導具が置かれていたが、それは今やドロドロに溶け落ち、原型を留めないただの鉄くずと化している。
ここは王都教育局の特務機関が用意した、臨時の試験場だった。
「素晴らしい……!信じられないほどの火力だ!」
「王都の対物結界すら一撃で溶かし去るとは。出力は規格外、いや、過去数十年の記録を見ても類を見ない数値です!」
砦の安全圏に設置された観測陣地から、白衣を着た魔術師たちの歓声が上がった。
彼らは手元の水晶板に浮かぶ数値を食い入るように見つめ、興奮した声で口々にガルドの力を称賛している。
昨日ガルドに接触してきた仕立ての良いコートの男——特務機関の工作員も、満足そうに拍手をしながら歩み寄ってきた。
「見事です、ガルド様。この圧倒的な力さえあれば、あなたは間違いなく王都の英雄になれる。男爵位どころか、いずれは将軍の地位すら夢ではないでしょう」
男の甘い声と、魔術師たちの称賛。
それはガルドが幼い頃から喉から手が出るほど欲しかった『自分を認める言葉』のはずだった。
誰もが自分にひれ伏し、自分を最強だと称える場所。
だがガルドの胸の奥には、奇妙なほど冷たく、ざらついた違和感が広がっていた。
(……なんだ、こいつら)
ガルドは苛立たしげに眉をひそめた。
彼らは確かに自分を褒め称えている。
だが誰もガルドの『顔』を見ていなかった。
観測陣地の魔術師たちは手元の数値だけを見ており、工作員の男もまたガルドの右手から立ち上る黒炎の残滓だけをねっとりとした目で見つめている。
すると、魔術師たちの中から冷静な分析の声が聞こえてきた。
「出力は優秀ですが……魔力の波長を見る限り、極めて暴走傾向が強いですね」
「ええ。怒りや焦燥に連動して無差別に周囲を燃やそうとする。人格制御に難あり、といったところでしょう」
「構わん。この圧倒的な火力が手に入るなら、自我など不要だ。実戦投入の際は強力な精神操作の術式を施すか、魔力拘束具の首輪をつけて兵器として運用すれば問題ない」
その言葉が耳に届いた瞬間、ガルドの背筋に冷たい氷柱を突き立てられたような悪寒が走った。
人格制御に難あり。
自我など不要。
首輪をつけて兵器として運用する。
(こいつら……俺を、何だと思ってやがる)
ガルドの右手で、消えかけていた黒炎が再びチリッと音を立てて燃え上がった。
彼らはガルドを認めたわけではない。
ただ自分たちの思い通りに動く『便利な火口』を見つけて喜んでいるだけなのだ。
父親と同じだ。
バルガ家の人間も、王都の学院の教師たちも、皆ガルドという一人の人間を見てはいなかった。
彼が見せつけた力を恐れるか、利用しようとするか、そのどちらかだったのだ。
「ガルド様?」
工作員の男が、不審そうにガルドの顔を覗き込んだ。
「どうなさいました。さあ、次の測定に移りましょう。このデータが揃えば、すぐにでもあなたを王都へお連れする手筈が……」
「……てめえら、俺にあの氷女と同じ首輪をつける気か?」
ガルドの低く唸るような声に、男は一瞬だけ表情を固めた。
だがすぐに薄ら笑いを浮かべて肩をすくめる。
「人聞きの悪いことを。あれは危険な暴走を防ぐための安全装置です。王都の英雄として生きるためには、少々の『調整』は必要なのですよ。あなたが無差別に暴れ回るだけの野蛮な獣のままであれば、王都の民は決してあなたを受け入れない」
男は言葉を重ねる。
「それに隔離クラスなど、王都にとっては既に終わった場所です。あなたが戻ったところで、得るものは何もない。さあ、我々と共に王都へ……」
男が手を差し伸べようとしたその直後だった。
ガルドの全身から、ドゴォォォンッ!!という爆発音と共に、過去最大級の禍々しい黒炎が天を衝くように噴き出した。
熱波が廃砦の石壁を赤熱させ、周囲の空気が一瞬にして燃え上がる。
あまりの熱量に男は悲鳴を上げて顔を覆い、後方へと吹き飛ばされた。
「ひぃっ!?な、何をする気だ!」
「ふざけんじゃねえぞ、王都のクソ野郎共が……!」
ガルドの目は、完全な怒りに支配されていた。
だがそれはただ手当たり次第に暴れ回るだけの、承認に飢えた迷子の怒りではない。
明確に敵を定め、己の意志で燃やし尽くすための暴君の怒りだった。
「俺はてめえらの便利な道具じゃねえ。俺は、黒炎のガルドだ!」
ガルドが右腕を振り抜くと、圧縮された黒炎の塊が試験場の機材とテントへと一直線に放たれた。
高価な観測魔導具が一瞬にして灰と化し、魔術師たちがパニックを起こして逃げ惑う。
「てめえらが俺にくれるモンなんざ、端から何の価値もなかったんだよ!」
俺は認められたかった。
誰よりも強いと証明したかった。
だがそれは、顔の見えない王都の連中や、俺を兵器としてしか見ない大人たちに認められたかったわけじゃない。
『今のお前じゃ、俺の手のひら一つも貫けない』
『火加減を学べ』
不味い真っ黒な炭を、平然と咀嚼して飲み込んでくれた元勇者。
『ガルドくんの炎……向きが分かれば、防げます』
『ガルドくんなら、きっとできます』
俺の炎を恐れながらも、信じて背中を預けてくれた氷の少女。
嫌味を言いながらも毎日給食を共に食べる、あのやかましい隔離クラスの連中。
俺を「ガルド」と呼び、飯を食い、怒り、笑ってくれるあいつらに。
あいつらの中に自分の居場所を作りたかったから、俺は強さを求めていたのだ。
「俺の炎は、てめえらに測られるためにあるんじゃねえ。あいつらの隣で燃えるためにあるんだ!!」
ガルドは炎に包まれ崩壊していく試験場に背を向ける。
その瞬間だった。
遠く離れた辺境学院の方角で、夜空を照らす魔力の閃光が走った。
一拍遅れて、大気を震わせるほどの異常な魔力波が森を駆け抜ける。
木々の向こうには、微かに黒煙が立ち上っていた。
「……っ!?」
ガルドは夜の森を全力で駆け出した。
木々の枝をなぎ倒し、凍てつく冬の風を切り裂きながら、彼はただ一直線に仲間の元へと急いだ。
同じ頃、辺境学院の旧校舎前は地獄のような様相を呈していた。
暗闇の森から無数に湧き出した魔獣の群れが、怒涛の勢いでグラウンドへと押し寄せていたのだ。
王都側はガルドを試験場へ誘い出し、隔離クラスの戦力を一人欠けさせた上で、学院への襲撃を開始していた。
人為的に狂暴化させられた魔獣たちは、痛みや恐怖を忘れ、ただ隔離クラスの生徒たちを食い殺すためだけに牙を剥いている。
「みんな、下がって!」
ミリアが悲鳴のような声を上げ、両手から極限まで魔力を振り絞って巨大な氷壁を展開していた。
ガァァン!ドスゥン!と、魔獣たちが次々と氷の壁に激突する。
だが数が多すぎた。
二十匹、三十匹と群がる魔獣の重みと爪の連撃に、ミリアの張った強固な氷壁にもついに無数の亀裂が走り始めている。
「チッ、数ばかりいっちょ前に揃えやがって!」
氷壁の外側、最前線ではレオンが黒いコートを血で汚しながら、一人で魔獣の群れを斬り伏せていた。
彼は剣閃を輝かせ、一撃で数匹の魔獣を両断していく。
だが斬っても斬っても森から新たな魔獣が湧き出してくる。
生徒たちを守るために立ち回りを制限されているレオンには、いつものような圧倒的な殲滅力を発揮することができなかった。
「ミリアさん、もう少しだけ堪えてください!ノア君、右翼の防衛を!」
エリスは救急箱を抱え、旧校舎の入り口に生徒たちを下がらせながら叫んだ。
「分かってる。骨の鳥で足を止める」
ノアが小さな骨の鳥たちを操り、魔獣の目元や足元へまとわりつかせて足止めを図る。
セレスは氷壁の内側から冷静に魔獣の動きを分析し、指示を飛ばしていた。
「リュカさん、左翼の三匹が壁の薄い部分を狙っていますわ!迎撃を!」
「任せろ!肉の恨みだ!」
リュカが氷壁の隙間から飛び出し、鋭い爪で魔獣の足元を切り裂いて動きを止める。
隔離クラスの生徒たちは互いの弱点を補い合いながら、必死の連携で死線を凌いでいた。
だが彼らの魔力にも限界がある。
ミリアの額から滝のような汗が流れ落ち、彼女の足元がふらついた。
「ああっ……!」
「ミリア!」
氷壁の中央に決定的な亀裂が入り、ピキキキッと大きな音を立てて壁の一部が崩れかける。
その隙間を縫うようにして、一際巨大な魔獣がミリアを目指して飛びかかってきた。
ミリアは限界に近かった。
だが氷壁はまだ崩していない。
「守る」と決めたからこそ、逃げずに両足でしっかりと踏みとどまっていた。
レオンは魔獣を斬り伏せながら、ガルドが姿を消した森の方角を一瞬だけ見た。
「……どこで何をしていた、ガルド」
その呟きと同時に、魔獣の牙がミリアに届くよりも早く。
「——俺の仲間に触れてんじゃねえぞ、魔獣共がぁっ!!」
夜空を真昼のように明るく照らす、圧倒的な熱と光。
上空から隕石のように飛来した黒炎の火球が、ミリアに迫っていた魔獣の頭上へと正確に叩き込まれた。
ドゴォォォォンッ!!!
凄まじい爆発音が辺境学院を揺るがし、グラウンドの土が円形に吹き飛ぶ。
黒炎はミリアに迫っていた魔獣だけを正確に呑み込み、周囲の氷壁には焦げ跡一つ残さなかった。
さらに爆風が群れを押し返し、わずかな空白を作る。
その中心に、赤い髪を逆立てた少年がドスリと着地した。
「ガルドくん……!」
ミリアが氷壁を維持したまま、信じられないというように彼の名前を呼んだ。
ガルドは振り返ることなく、右手に禍々しい黒炎を立ち上がらせたまま、残る魔獣の群れを鋭く睨みつけた。
彼の背中から吹き上がる黒炎は、ミリアの肌を焦がすことはない。
まだ荒い。完璧な盾には程遠い。
それでも今の炎は、少なくとも彼女を焼かないために、必死に向きが絞られていた。
「遅えぞ、ガルド!」
魔獣を斬り伏せたレオンが、息を整えながら気だるげに笑った。
「遅れて悪かったな!」
ガルドは不敵な笑みを浮かべ、両手に黒炎を圧縮した。
王都の連中が提示した甘い誘惑。
誰もがひれ伏す英雄の座。男爵位。
そんなものはもう、ガルドの心には微塵も響かなかった。
(俺は誰のために燃える?)
その答えは、彼の中でとうに決まっていた。
俺を「失敗作」と呼んだ世界を燃やすためじゃない。
俺の火加減を信じて背中を預けてくれる、この不器用な仲間たちを守るために。
「氷女、まだ立てるか?」
「……はい」
「なら、俺の炎に合わせろ。ここからは、一緒に止めるぞ」
ミリアの瞳に強い光が宿り、ガルドの隣で再び冷気を練り上げる。
ガルドの黒炎が、夜の闇を焼いた。
その炎は、もう誰かに認めさせるための炎ではない。
仲間の隣に並び立ち、共に守るための炎だった。




