第17話「黒炎の盾」
辺境学院のグラウンド。
昨日、ミリアの氷壁が砕け散り、ガルドの黒炎が暴走した同じ場所に、彼らは再び立っていた。
冷たい冬の風が吹き抜けているが、グラウンドに満ちている空気は昨日までの殺伐としたものとは違っていた。
「いいか、ガルド。今日からお前の黒炎を『盾』にする訓練を始める」
レオンは黒いコートのポケットに両手を突っ込んだまま、十歩ほど先に立つ赤髪の少年に向かって気だるげに告げた。
少し離れた安全な場所では、ミリア、ノア、セレス、リュカの四人が見学している。
エリスも万が一に備えて救急箱を抱え、グラウンドの端で成り行きを見守っていた。
ガルドは眉間に皺を寄せ、不満げに声を張り上げた。
「はあ!?炎が盾になるわけねえだろ!炎は敵を焼き尽くすもんだ!防ぐ前に燃やしちまえばいいじゃねえか!」
「燃やして終わりだと背後の味方を巻き込むって、昨日嫌というほど学んだばかりだろうが」
レオンの容赦ないツッコミに、ガルドはうっと言葉を詰まらせた。
昨日の出来事はガルドの心に深く刻み込まれている。
力任せに放った黒炎の津波がミリアたちを飲み込みそうになった、あの絶望的な瞬間。
自分の意志で小さな黒炎を灯せるようになったとはいえ、彼の魔力が本質的に『破壊』に向いていることには変わりない。
「いいか。お前の炎は火力が強すぎる。ただ放射するだけだと、周囲の空気ごと巻き込んで山火事になる。だから前へ飛ばすんじゃなく、その場に留めて壁状に展開しろ」
「壁状にって……どうやってやるんだよ!」
「ミリアの氷壁を見ただろ。あんな風に、自分の前に薄く、広く、高密度の魔力を置くんだ」
レオンは足元の石ころを拾い上げ、手の中で軽く弄んだ。
「やってみろ。まずはこの石を、俺に炎を飛ばさずにその場で防いでみせろ」
「……ちっ、やってやるよ!」
ガルドはギリッと奥歯を噛み締め、右手に黒炎を立ち上がらせた。
『守るための使い方を教えてやる』
昨日レオンが差し出してくれた手を思い出し、ガルドは自分の魔力をコントロールしようと試みる。
だが長年『敵を灰にする』ことだけを叩き込まれてきた彼の体は、無意識のうちに攻撃の形を取ろうとしてしまう。
黒炎は彼の手のひらから前へ前へと牙を剥くように伸びていく。
「行くぞ」
レオンが手首のスナップだけで、石を弾丸のような速度で投げつけた。
ガルドは咄嗟に黒炎を壁のように広げようとするが、炎の勢いが強すぎて石に触れる前に前方で爆発してしまった。
ボワァァァンッ!
黒炎が石を空中で完全に灰にし、その余波が熱風となってレオンのコートの裾を揺らす。
防御ではなく、ただの過剰防衛による迎撃だった。
「駄目だ。今のはただの攻撃だ。背後に味方がいれば熱波で火傷するぞ」
レオンは容赦なくダメ出しをした。
「くそっ……!もう一回だ!」
ガルドは苛立ちながら再び黒炎を練る。
レオンはまた石を投げる。
今度はガルドは炎を前に飛ばさないよう、極限まで威力を絞り込んだ。
だが今度は威力を抑えすぎたせいで、炎の密度がスカスカになってしまった。
シュッ!
石は弱々しい黒炎をやすやすと貫通し、ガルドの額にコツンと当たって地面に落ちた。
「いってえ!」
「極端すぎる。今のは火力を絞っただけで、中身が空っぽだ。圧縮して留めろと言ってるんだ」
レオンの気だるげな指導に、ガルドは頭を抱えた。
大きく燃やせば攻撃になる。
小さく絞れば貫通される。
『盾』という概念が、ガルドの体に全く馴染まないのだ。
見学しているクラスメイトたちから、容赦ない野次が飛んでくる。
「まあ、不器用ですこと。自分の力をコントロールすることもできないなんて、やはり脳まで筋肉と煤でできているのかしら」
セレスが扇子で口元を隠しながら、冷ややかに微笑む。
「ガルドの炎……揺れてる。迷ってる。死者の魂より落ち着きがない」
ノアが骨の鳥の頭を撫でながら、真顔で分析する。
「ガルド、下手。あれじゃお肉丸焦げ」
リュカが大きなあくびをしながら、尻尾をパタパタと揺らす。
「て、てめえら!外野はすっこんでろ!こっちは真面目にやってんだよ!」
ガルドは顔を真っ赤にして怒鳴り返すが、一番腹立たしいのは彼自身だった。
誰よりも強くなりたい。
誰よりも強いと証明したい。
だが自分の力が、こんなにも不器用で扱いづらいものだったとは思いもしなかったのだ。
昨日の黒炎は、まだ少し怖い。
それでも、今のガルドが本気で変わろうとしていることは、ミリアにも分かった。
「ガ、ガルドくん……頑張って……」
不意に、小さな声が聞こえた。
ミリアだった。
彼女は両手を胸の前でギュッと握り締め、心配そうにガルドを見つめていた。
彼女の手には、レオンから渡された黒い魔獣革の手袋が嵌められている。
ガルドはその姿を見て、ハッとした。
あの襲撃の日の記憶が蘇る。
ロベルト査察官が連れてきた王都の騎士たちを前にして、ミリアが展開したあの分厚く美しい氷の防壁。
彼女は自分の暴走する力を抑え込み、恐怖に打ち勝ってクラス全員を守り抜いた。
誰よりも怯えていた、あの臆病な氷女ができたのだ。
(あいつにできて、俺にできないはずがねえ……!)
ガルドはギリッと奥歯を噛み締め、両頬をパァンと両手で叩いて気合を入れた。
「おい元勇者。石ころなんかじゃ感覚が掴めねえ。魔法で来い」
「ほう。火傷しても知らないぞ」
「誰に言ってんだ。俺は黒炎のガルドだぞ」
ガルドの目から、先ほどまでの迷いや苛立ちが消えていた。
ただ純粋に、新しい強さを手に入れるための戦士の顔つきだった。
剣では鋭すぎる。素手では訓練にならない。
ガルドに防がせるなら、見える形の魔力弾がちょうどよかった。
レオンは少しだけ口元を緩めると、腰を落とし、右手に魔力を集中させた。
眩いほどの青白い光の弾丸が、レオンの手のひらに形成される。
殺傷力はないが、まともに食らえば数メートルは吹き飛ばされるほどの重い魔力弾だ。
「行くぞ」
レオンの言葉と同時に、青白い魔力弾が一直線にガルドへと放たれた。
空気を切り裂くような鋭い音がグラウンドに響く。
ガルドは前に出た。
黒炎を放つのではない。
さっきの失敗が、頭の中で何度もよぎる。
強く燃やせば、炎は前へ暴れて攻撃になる。
弱く絞れば、密度が足りずに簡単に貫かれる。
なら、弱めるんじゃない。
前へ飛ばすんでもない。
火力はそのまま、行き場だけをなくす。
牙のように伸ばすのではなく、渦のようにその場で巡らせる。
ミリアの氷壁が、冷気を一枚の壁に押し固めていたように。
俺の黒炎も、前へ散らさず、ここに押し留めればいい。
父親から教え込まれた『敵を灰にする』という呪いを捨て去り、レオンから教わった『誰かの前に立って守る』という新しい力をイメージする。
(燃やすんじゃない。飛ばすんでもない。ここで、止めるんだ。俺の炎で、全部呑み込んでやる!)
ガルドは両手を前に突き出し、黒炎を一気に噴出させた。
だがそれは前方に伸びる牙ではなく、ガルドの目の前で横に大きく広がり、渦を巻くようにして一つの厚い『面』を形成した。
それはまさに、黒い炎でできた壁だった。
ドォォォォンッ!!
レオンの魔力弾が、ガルドの展開した黒炎の壁に激突した。
凄まじい衝撃が走り、グラウンドの土が円形に吹き飛ぶ。
だが爆発は起きなかった。
ガルドの黒炎の壁は、激突してきた青白い魔力弾をパクリと『呑み込んだ』のだ。
「おおぉぉぉっ!!」
ガルドが叫びながら両手に限界まで魔力を注ぎ込む。
黒炎の渦が魔力弾のエネルギーを内側に閉じ込め、その熱と衝撃を背後に一切逃がすことなく、その場で見事に相殺してみせた。
ジュゥゥゥ……ッ。
鈍い音とともに、魔力弾の光が完全に消滅する。
ガルドの目の前には、一瞬だけ完璧な形を保った黒炎の盾がそびえ立っていた。
敵の攻撃を焼き尽くすのではなく、ただ純粋に威力を呑み込み、味方を守るための炎。
「……できた」
ガルドがそう呟いた直後、彼の魔力コントロールが限界を迎え、黒炎の盾はボッと黒い火の粉を散らして霧散した。
ガルドは膝から崩れ落ち、両手を地面についてゼエゼエと激しい息を吐いた。
全身の魔力を絞り出した疲労感で、指先まで痺れている。
グラウンドは静まり返っていた。
見学していた生徒たちも、目を見開いて言葉を失っている。
「……やりましたわね。あれほどの魔力弾を、衝撃すら逃がさずに相殺するなんて」
セレスが扇子を下ろし、素直な感嘆の声を漏らした。
「ガルドの炎……静かだった。壁みたいだった」
ノアが感心したように呟く。
「これなら、お肉も焦げない。すごい」
リュカも尻尾を揺らしながら感心している。
そしてミリアは、自分のことのように嬉しそうにパァッと顔を輝かせていた。
「ガルドくん、すごいです!あんなふうに炎が壁になるなんて……!」
その歓声を聞きながら、ガルドは荒い息を吐きつつも、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
自分が一番強いと誇示するために暴れていた時には、決して向けられることのなかった純粋な驚きと賞賛の視線。
それは彼がずっと欲しかった、自分という存在を真っ直ぐに認めてもらえる感覚だった。
ザクッ、と足音が近づいてくる。
レオンがガルドの前に立ち、気だるげに見下ろしていた。
「今のが、お前の『黒炎の盾』だ」
レオンの言葉は短かったが、そこには確かな戦士への評価が含まれていた。
ガルドは顔を上げ、汗にまみれた顔で笑い返した。
「へっ……見たかよ、元勇者。俺にできねえことなんか、何一つねえんだよ」
「口の減らない奴だ。一瞬しか保たなかったな。それに……」
レオンは視線を下に向けた。
「背後への熱波は防げたが、足元のコントロールが甘い。お前の後ろにいた奴の靴は、真っ黒に焦げてるぞ」
ガルドがハッとして自分の足元を振り返ると、彼が膝をついている周囲の雑草が、黒炎の余波で丸く黒焦げになっていた。
もし本当に背後に誰かがいれば、足元に軽い火傷を負わせていたかもしれない。
「なっ……!うるせえ!最初はこんなもんだろ!次は完璧に防いでやるよ!」
図星を突かれたガルドは顔を真っ赤にして立ち上がり、レオンに食ってかかった。
照れ隠しのように、彼の前髪からシュゥゥゥッと黒い煙が漏れ出す。
そのコミカルな光景に、ミリアたちが思わずくすくすと笑い声を上げた。
「笑うな!てめえら、今に見てろよ!俺の黒炎が一番強くて、一番頼りになる盾だってことを、嫌ってほど思い知らせてやるからな!」
ガルドは顔を真っ赤にして怒鳴り散らしたが、その声には以前のような周囲を拒絶する暴力的な響きは微塵もなかった。
『【未来の黒炎暴君】滅亡国家、七つ。破滅原因:承認飢餓』
レオンの視界の端で明滅していた赤い文字は、昨日よりもさらにその色を薄くしていた。
力で他者を屈服させることしか知らなかった暴君は、今、自らの力を誰かを守るための強さへと変えようとしている。
「いいだろう。その減らず口がどこまで続くか、みっちり付き合ってやる」
レオンは満足そうに口元を緩め、再び右手に青白い魔力弾を形成した。
「さあ、立てガルド。昼飯の時間まで、倒れるまで受け続けろ」
「た、倒れるまで!?ふざけんな!俺の魔力がカラになっちまうだろ!」
「安心しろ。お前の魔力が尽きても、俺の魔力弾は止まらないからな。気合で防げ」
「鬼かてめえはああぁぁっ!!」
冬の冷たい風が吹き抜ける辺境学院のグラウンドに、焦げ臭い煙と、ガルドの威勢の良い叫び声が何度も響き渡る。
その黒炎は、もうただ周囲を焼き尽くすだけの炎ではなかった。
黒炎の問題児は、自分の力で誰かを守るという新しい力の使い方を学び始めていた。




