第14話「王都学院からの挑発状」
辺境学院の朝。
特別隔離教室の中は、今日も相変わらずの自由な空気に包まれていた。
窓際の席ではミリアが片方だけ手袋を外し、素手の指先で慎重にノートを押さえながら、真剣な顔で魔法理論の基礎を書き写している。
ノアは机の下で骨の鳥にパン屑を分け与え、セレスは優雅に紅茶の入ったティーカップを傾けていた。
リュカは日向で気持ちよさそうに丸まり、すでに二度寝の態勢に入っている。
そして教室の後方。
赤髪の少年ガルド・バルガは机に両足を乗せながらも、少しだけ眉間に皺を寄せていた。
彼の指先で、黒炎が小さく揺れている。
普段なら机の角を焦がすほど燃え上がる炎が、今日は妙に小さい。
ガルド本人は、そのことに気づいていなかった。
ただ昨日の給食で、自分の出した真っ黒な消し炭を「魔王城の床材」と言いながら平然と完食した担任の顔が、頭から離れなかっただけだ。
『全開で燃やすしか能がないなら、いつか本当に大切なものを焼き尽くしてしまうぞ。次はもう少し火加減を学べ』
(……ふざけんな。俺の黒炎は焼き尽くすための力だ。火加減だのなんだの、ちまちましたことやってられるかよ)
心の中でそう毒づきながらも、父親から教え込まれた「力で全てを灰にする」という暴力的な価値観はほんの少しずつ揺らぎ始めていた。
同じ頃、本校舎にあるエリスの執務室。
レオンは、学院長代理であるエリスの机の上に置かれた一通の封筒を見下ろしていた。
上質な羊皮紙で作られ、金色の封蝋が押されたひときわ豪華な手紙だ。
送り主は王都の名門『王国立第一魔術学院』の生徒会だった。
「王都のエリート坊ちゃんたちから、わざわざ辺境の掃き溜めにファンレターか?」
レオンが気だるげに問うと、エリスは重いため息をつきながら眉間を押さえた。
「ファンレターならどれほど良かったことか。……内容は、完全な侮蔑と挑発です」
エリスは封筒の横にある便箋を指差した。
「先日逃げ帰ったロベルト査察官が、王都で隔離クラスの悪評をあることないこと吹き込んでいるようです。その結果、王都学院の生徒たちが自分たちの優位性を誇示するために、このような無礼な手紙を送ってきました」
レオンは便箋を手に取り、そこに書かれた流麗な文字に目を走らせた。
『辺境の廃校に集められた、哀れな災厄候補の皆様へ。
野蛮な黒炎、気味の悪い死者使い、人間モドキの獣、そして王都を追い出された氷の化け物。
さぞかし見世物小屋として賑わっていることでしょう。
王国の未来を担う我々にとって、あなた方のような底辺の掃き溜めが存在していること自体が不愉快ですが、せいぜいその檻の中で道化としてお過ごしください。
——王国立第一魔術学院・生徒会より』
あまりにも露骨で、底意地の悪い文章だった。
エリスは唇を噛み締め、怒りを滲ませた声で言った。
「王都学院の生徒は、王国の貴族や有力者の子弟ばかりです。彼らにとって、ミリアさんたちは自分たちを引き立てるための『見下すべき敗北者』でしかない。……本当に、腹立たしい限りです」
エリス自身も王都の名門校で学んだ経験があるからこそ、その冷酷な選民意識が痛いほどよくわかっていた。
彼女は言葉を切り、真剣な眼差しでレオンを見上げた。
「レオン先生。この手紙は、ただの嫌がらせで終わらないかもしれません。王都学院との交流戦の話……いつか正式に来るかもしれません」
「交流戦だと?」
「ええ。表向きは教育交流と称して、隔離クラスの生徒たちを公開の場で打ち負かし、完全に彼らの自尊心を砕くための見世物として。……あなたの生徒たちは、いずれ王都の舞台に立たされます。覚悟はおありですか」
覚悟。
その問いにレオンは手紙をパサリと机に戻し、平然とした声で答えた。
「あいつらを見世物にするつもりはない。だがいつどこに出ても恥ずかしくないように、きっちり教育してやるだけだ。王都の坊ちゃん共がどう思おうと、俺の知ったことじゃない」
レオンは手紙を掴み上げ、背を向けた。
「エリス先生。この手紙、貰っていくぞ」
「えっ?レオン先生、それをどうするおつもりですか?」
「隠したところでどうせいつか耳に入る。なら、先に見せておくのが担任の役目だ」
レオンはそれだけ言い残し、執務室を後にした。
旧校舎の特別隔離教室に戻ったレオンは、教卓に立つなりその手紙を広げた。
「王都の学院から、お前たち宛ての手紙だ」
レオンの言葉に、真っ先に反応したのはセレスだった。
彼女は席を立ち、優雅な足取りで教卓に近づくと、レオンの手から便箋をひったくるようにして目を通した。
「……まあ。相変わらず王都の連中は、脳の代わりに高慢な自尊心だけが詰まっているようですわね」
セレスが冷ややかに鼻で笑う。
「おい、何が書いてあるんだ」
ガルドが机から足を下ろし、顔をしかめて尋ねた。
セレスはふふっと皮肉げに微笑み、その文章をクラス全員に聞こえるように読み上げた。
「『辺境の廃校に集められた、哀れな災厄候補の皆様へ。野蛮な黒炎、気味の悪い死者使い、人間モドキの獣、そして王都を追い出された氷の化け物——』」
そこでセレスは言葉を切り、扇子をパチンと閉じた。
「……あら。続きは読む価値もありませんわね。要点はもう十分伝わったでしょう」
その瞬間、教室の温度が急激に下がった。
ミリアが息を呑んでうつむき、手袋をした両手を強く握りしめる。
ノアは本を閉じて無表情になり、リュカは喉の奥でグルルルと低い威嚇の声を上げた。
だが誰よりも激しい反応を示したのはガルドだった。
「……なんだと?」
ガルドの全身から、先ほどまでのわずかな制御など吹き飛ぶほどの、禍々しい黒炎が爆発的に噴き出した。
熱波が教室を襲い、彼の座っていた椅子が一瞬にして黒焦げになる。
「俺たちが見世物小屋の化け物だぁ……!?ふざけんじゃねえぞ、王都のクソチビ共が!!」
ガルドは怒りで顔を真っ赤に染め、瞳孔を縦に細めて吼えた。
彼はずっと『妾腹の失敗作』として見下され、力を示すことでしか自分の価値を証明できなかった。
だからこそ誰かに見下されること、自分を嘲笑われることに異常なまでの怒りを感じるのだ。
「上等だ!誰が底辺の掃き溜めだって!?今すぐ王都に乗り込んで、あの学校ごと全員灰にしてやる!!」
ガルドは怒りに身を任せ、教室の扉を蹴り飛ばして廊下へと飛び出した。
彼の背中から吹き上がる黒炎が、壁や床を焦がしながら突き進んでいく。
「ガルドくん!」
ミリアが悲鳴のように彼の名前を呼んだが、怒り狂ったガルドの耳には届かない。
レオンはため息をつき、首の後ろを掻いた。
「だから火加減を学べと言ったんだがな……全く、血の気が多すぎる」
旧校舎の出口、荒れ果てた校庭の真ん中で、ガルドの足は止まった。
彼の行く手を塞ぐように、黒いコートを着たレオンが立ち塞がっていたからだ。
レオンはいつの間にか先回りをして、腕を組んでガルドを見据えていた。
「どけ、元勇者!俺は王都に行く!あいつらを全部燃やして、俺の方が強えってことを思い知らせてやるんだよ!」
ガルドは両手に黒炎を圧縮し、殺気立ってレオンを睨みつけた。
だがレオンは腰の剣を抜かず、一歩も退かずに静かに言った。
「行かせるわけがないだろう。今のお前が王都に行けば、ただの暴走した化け物として討伐されて終わりだ。手紙に書かれた通りの『野蛮な黒炎』を証明しに行くつもりか」
「うるせえ!俺は誰よりも強い!力を見せつければ、誰も俺を馬鹿にできなくなる!俺を認めるしかなくなるんだよ!」
ガルドの叫びは、承認に飢えた迷子の子供の痛切な悲鳴だった。
自分を否定する世界に対して、力で屈服させることでしか自分の居場所を作れない。
だから馬鹿にされれば、燃やすしかないのだ。
「どけって言ってんだろ!どかねえなら、あんたごと灰にしてやる!」
ガルドが渾身の黒炎を放とうとした瞬間、レオンはスッと距離を詰め、ガルドの胸ぐらを掴んで強引に引き寄せた。
黒炎の熱がレオンのコートを焦がすが、彼は全く意に介さず、ガルドの瞳を真正面から睨みつけた。
「怒るなとは言ってない」
低く、鋼のように重い声だった。
ガルドはハッとして動きを止めた。
「馬鹿にされて怒るのは当然だ。お前は俺の生徒だ。俺だって、お前らがコケにされて気分がいいわけがない」
レオンの瞳の奥には、確かな怒りの炎が灯っていた。
教師として、自分の教え子を侮辱されたことに対する、静かで深い怒り。
ガルドは目を丸くした。
今まで、誰もガルドの代わりに怒ってくれた大人などいなかったからだ。
「だがな、ガルド。お前一人で燃え尽きるなと言ってるんだ」
レオンはガルドの胸ぐらから手を離し、その肩を強く叩いた。
「ただ感情のままに暴れて周囲を燃やすだけなら、それはただの災害だ。奴らの言う通りの見世物で終わる。見返したいなら、強さを証明したいなら、ただ燃やす以外の力の使い方を覚えろ」
「燃やす以外に……どうしろってんだよ!」
ガルドは唇を噛み締め、黒炎を収めきれずに叫んだ。
「俺にはこれしかねえんだ!この炎以外に、俺の価値なんてどこにも……!」
「なら、明日の模擬戦で俺に少しでもかすらせてみろ」
レオンの挑発的な言葉に、ガルドは息を呑んだ。
「本気で俺を倒すつもりでこい。お前の怒りを、ただの八つ当たりじゃない、本物の『戦い』の炎に変えてみせろ。それができたら、王都の連中を見返す方法を俺が教えてやる」
王都の連中を見返す方法。
その言葉は、ガルドの心に深く突き刺さった。
ただ破壊するのではなく、明確に相手に勝つための力。
ガルドの全身から噴き出していた黒炎が、次第にチロチロと小さな火へと収束していく。
「……後悔すんなよ、元勇者」
ガルドは拳を強く握り締め、睨みつけるように言った。
「明日の模擬戦、絶対に俺の炎でてめえを焼き尽くしてやるからな」
「楽しみにしている。それと、今日は食堂の片付けを手伝え。暴れて腹が減っただろう」
レオンは気だるげに笑い、ガルドに背を向けた。
『【未来の黒炎暴君】滅亡国家、七つ。破滅原因:承認飢餓』
レオンの視界の端で明滅する赤い文字は、まだ消えてはいない。
しかしガルドはただの破壊衝動に身を任せることをやめ、初めて自らの意志で怒りを抑え込んだのだ。
それは孤高の暴君が、ただの力任せの暴力から、目的を持った強さへと歩みを進めた瞬間だった。
ガルドは小さくなった黒炎を握りしめた。
その炎はまだ荒く、危うく、今にも周囲を焼き尽くしそうだった。
けれど少なくとも、今この瞬間だけは怒りに任せて燃え広がることをやめていた。
それはガルドが初めて自分で選んだ火加減だった。
辺境学院の空には、冷たい風に流されるように焦げ臭い煙がゆっくりと消えていった。




