第13話「守りながら戦うという屈辱」
冬の冷たい風が吹き抜ける辺境学院のグラウンド。
凄まじい熱波と魔力の渦の中心で、ガルド・バルガは息を荒げていた。
彼の両腕には禍々しい黒炎が纏われ、いつでも放てるよう限界まで圧縮されている。
しかしその一撃はいつまで経ってもレオンに向けて放たれることはなかった。
「どうしたガルド。俺を灰にするんじゃなかったのか」
レオンは腰の剣すら抜かず、気だるげな声でガルドを挑発する。
そしてレオンの実力ならいつでもガルドをねじ伏せられるにもかかわらず、あえて一歩も動こうとしなかった。
なぜならレオンの真後ろには、ミリアが両手で彼のコートをぎゅっと掴み、怯えながらもじっと耐えているからだ。
「うるせえ!てめえがそこに突っ立ってたら……!」
ガルドはギリッと奥歯を噛み締めた。
彼の黒炎は純粋な破壊の力であり、その真骨頂は広範囲を焼き尽くす圧倒的な火力にある。
だが今、本気でそれを放てば、レオンを飲み込む前に背後にいるミリアまで炭化させてしまう。
(くそっ……!なんで俺が、この氷女の心配なんか!)
孤高の暴君として生きてきたガルドにとって、味方を背負うという状況は生まれて初めての経験だった。
父親には『敵を焼き尽くし、すべてを灰にしろ』としか教えられてこなかった。
だから彼は炎の威力を絞る方法も、射線を細く制御する方法も知らない。
大きく燃やせばミリアに当たる。
小さく絞ればレオンに通じない。
ガルドは生まれて初めて、自分の絶対的な力であるはずの炎が『使い道のない邪魔なもの』のように感じられていた。
「てめえ、わざと俺が撃てないのを分かってて……!」
「当たり前だ。俺はお前に条件を出したはずだぞ。ただ手当たり次第に燃やすだけなら、それは知性のない山火事と同じだ」
レオンの言葉が、ガルドのプライドを容赦なく抉る。
「仲間を守ることもできない力に、最強を名乗る資格はない」
「ふざけんな!俺は誰とも群れねえ!俺の炎は無敵なんだよ!」
ガルドは苛立ち任せに黒炎を放った。
ミリアに当たらないよう無理やり軌道を大きく逸らしたその炎は、レオンの横を通り抜けてグラウンドの端の枯れ草を焦がしただけだった。
レオンはため息をつき、無造作に歩み寄るとガルドの額を軽く小突いた。
「っ……!」
「二回死んだな。味方を巻き込まないように火力を逸らせば、そこに決定的な隙ができる。それがお前の炎の弱点だ」
反論しようにも、ガルドはすでに魔力と体力を著しく消耗していた。
全力を出せないストレスと、精密な魔力制御という慣れない作業が彼の精神を削り取っていたのだ。
ガルドは膝に手をつき、ポタポタと冷や汗をグラウンドに落とした。
誰も俺を見てくれない。
誰にも俺の力は届かない。
過去のトラウマが蘇り、ガルドの目から怒りのような、悲しみのような感情が滲み出そうになった時だった。
「……ガルドくんの炎、怖いです」
レオンの背後から、小さな声が響いた。ミリアだ。
ガルドは顔を上げ、氷女を鋭く睨みつけた。
「あぁ!?俺の炎が怖いのは当たり前だろ!だからなんだってんだ!」
「怖いけど……でも……」
ミリアはおずおずと、震える指で空を指差した。
「向きが、分かれば……たぶん、防げます。私の氷で」
ガルドはぽかんと口を開け、ミリアを見つめた。
自分の凶悪な黒炎を、防げるという発想。
化け物として恐れて逃げ回るのではなく、共に戦う前提で語る言葉。
それは、ガルドが生まれて初めて聞く類の言葉だった。
「ふ、ふざけんな!誰がてめえの氷なんか頼りにするかよ!俺の炎は俺一人で……!」
「強がりはそこまでにしろ。お前はもう限界だ」
レオンの静かな声が、ガルドの怒鳴り声を遮った。
実際、ガルドの右手から立ち上っていた黒炎は、すでに弱々しい煙へと変わっていた。
「今日の特別授業はここまでだ。お前の黒炎は確かに凄い。だがただの暴力じゃ世界は救えないし、誰も振り向かない。それを少しは学べ」
レオンは腕を下ろし、グラウンドの出口へと向かって歩き出した。
「おい、待て!俺はまだ負けてねえ!俺の炎は……!」
「負けてないなら、さっさと厨房に向かえ。今日はガルド、お前が給食の料理当番だ」
「……はあ!?」
突然の指名に、ガルドは間の抜けた声を上げた。
決闘の緊迫感など微塵も残っていない、あまりにも日常的な命令だった。
数十分後。
辺境学院の古い厨房には、焦げ臭い煙が充満していた。
「おいガルド。火を通せとは言ったが、焦がすなとも言ったはずだぞ」
レオンが換気用の窓を開けながら、呆れたように呟く。
「うるせえ!俺は料理なんかしたことねえんだよ!こんなもん、一瞬で焼いてやる!」
ガルドは不貞腐れながら、手元の鉄板に乗せられた肉の塊に向かって、右手の指先から黒炎を放った。
ボワッ!という音と共に、肉は一瞬にして炎に包まれる。
辺境学院の給食は、エリスが手配した限られた食材で賄われている。
今日のメインディッシュは、分厚く切られた豚肉の香草焼きになるはずだった。
しかし、ガルドの純粋な破壊の力である黒炎が料理などという繊細な作業に向いているはずがなかった。
「あ……」
炎が収まった後、鉄板の上に残っていたのは、完全に炭化して真っ黒になった肉の塊だった。
香草の香りなどとうに飛び去り、ただの消し炭と化している。
ガルドは舌打ちをした。
失敗だ。
父親なら間違いなく怒鳴り散らし、鞭を振り下ろしているだろう。
使用人たちなら「やはり化け物には無理なのだ」と嘲笑しているはずだ。
ガルドは唇を噛み締め、真っ黒になった肉をゴミ箱に捨てようとした。
「待て。食材は無駄にしない主義だ。そのまま食堂に運べ」
「はあ!?こんな炭、食えるわけねえだろ!」
「お前が焼いたんだ。お前が責任を持って出せ」
レオンに命じられ、ガルドは渋々真っ黒な炭の皿を乗せたワゴンを食堂へと押していった。
食堂として使われている広い空き部屋には、すでに他の四人が席についていた。
ガルドが乱暴に皿を置いていくと、その惨状を見たクラスメイトたちの反応は冷ややかだった。
「これは何の冗談かしら。暗殺を企てているのなら、もう少し見栄えを良くしていただきたいものですわ」
セレスが扇子で鼻を覆いながら、真っ黒な炭を冷ややかに見下ろす。
「……焦げてる。苦い匂い。これ、肉じゃない」
リュカは鼻をひくひくさせて、明らかに不満そうな顔でそっぽを向いた。
「肉の繊維まで完全に炭になっている……これでは死者の声も聞こえない。ただ埋葬するしかないな」
ノアが真面目な顔で手を合わせる。
ミリアはおろおろとしながら、ガルドと炭の皿を交互に見つめていた。
「てめえら……!文句があるなら食うな!全部捨ててやる!」
孤立し完全に馬鹿にされたと感じたガルドは顔を真っ赤にして叫び、ワゴンごとひっくり返そうとした。
俺は化け物だ。
力を見せつけることしかできない。
料理一つまともに作れない。
やっぱり俺は、誰にも認められないんだ。
ガルドの目から、屈辱の涙が零れそうになった時だった。
ガリッ、ボリッ。
静まり返った食堂に、硬いものを噛み砕く異様な音が響き渡った。
全員の視線が一斉に音の方向へ向く。
レオンだった。
彼は自分の皿に乗せられた真っ黒な肉の炭をフォークで突き刺し、そのまま躊躇うことなく口に運び、真顔で咀嚼していたのだ。
「お、おい……あんた、何してんだ……」
ガルドは目を見開き、信じられないものを見るようにレオンを凝視した。
レオンは硬い炭を飲み込み、少しだけ眉をひそめてから、ほうと息を吐いた。
「……これは、魔王城の床材に似ているな。かなり歯ごたえがある」
「はあ!?床材ってなんだよ!ていうか、なんで食ってんだよ!そんな黒焦げのゴミ!」
ガルドの叫びに、レオンはフォークを置いて平然と答えた。
「ゴミじゃない。お前が作った飯だ。それに、俺は腹が減ってるんでな」
そう言うと、レオンは再び炭と化した肉を口に運び、ガリガリと音を立てて完食してしまった。
水で無理やり飲み込むような素振りもない。
ただの食事として、ガルドの失敗作を完全に受け止めてみせたのだ。
「……っ」
ガルドの胸の奥で、ドクンと大きく心臓が跳ねた。
今まで誰も、自分の失敗を許してくれなかった。
失敗すれば罰が与えられ、見捨てられるだけだった。
それなのに、この気だるげな元勇者は、不味いと文句を言いながらも、自分が作った黒焦げの肉を残さずに食べてくれたのだ。
褒められたわけではない。
だが自分の存在を初めて真っ直ぐに受け入れられたような、言葉にならない感情がガルドの心に込み上げてきた。
「ガルド。お前の炎は火力が強すぎる」
レオンは空になった皿を押しやり、ガルドを真っ直ぐに見据えて言った。
「戦闘でも料理でも同じだ。全開で燃やすしか能がないなら、いつか本当に大切なものを焼き尽くしてしまうぞ。次はもう少し火加減を学べ。そうすれば、もっと上手く焼けるはずだ」
火加減を学べ。
それは料理へのアドバイスであると同時に、ガルドの魔法の使い方、生き方そのものに対するレオンの導きだった。
お前はもっとうまくできる。
その言葉にガルドはギリッと唇を噛み締め、顔を背けた。
彼の前髪から、照れ隠しのようにシュゥゥゥッと黒い煙が漏れ出す。
「う、うるせえ!俺に指図すんじゃねえ!次は……次は、もっとマシに焼いてやるよ!」
怒鳴るような声だったが、そこには以前のような周囲を拒絶する暴力的な響きはなかった。
黒炎の暴君は、初めて己の力を抑え、コントロールする必要性を知った。
力で屈服させるのではなく、誰かのために火加減を調整するという、彼にとって全く新しい世界への第一歩。
焦げ臭い食堂の中で、レオンは満足そうに口元を緩めたのだった。




