第12話「力を見せれば誰かが見る」
薄暗い屋敷の地下室。
それがガルド・バルガの幼い頃の記憶の大半を占めている。
名門貴族バルガ家の当主と、名もなき愛人の間に生まれた妾腹の子。
それがガルドの出自だった。
正妻やその子供たちにとって、ガルドはただの目障りな汚点に過ぎない。
物心ついた頃から、彼は屋敷の者全員に疎まれ、蔑まれた目を向けられていた。
『汚らわしい血筋』
『バルガ家の恥さらし』
すれ違うたびに浴びせられる棘のある言葉。
食事はいつも冷たく、使用人たちすら彼を避けて通る。
彼にとって「家族」とは名ばかりで、そこにあるのは冷え切った敵意だけだった。
幼いガルドはただ俯き、誰の目にも触れないように息を潜めて生きるしかなかった。
だが彼が五歳になったある日、運命が大きく狂い始めた。
バルガ家は代々、強力な炎の魔法を操ることで名を馳せた武門の家系である。
しかしガルドの内に眠っていたのは、通常の炎を遥かに凌駕する異質な魔力だった。
ある日、些細な苛立ちから彼の魔力が暴走し、裏庭の巨大な岩を禍々しい黒い炎で一瞬にして黒く焼き割ってしまったのだ。
その瞬間、屋敷の者全員が彼を見た。
恐怖と嫌悪の視線だったが、それでも初めて誰も彼を無視しなかった。
力を見せれば、誰かが自分を見る。
幼いガルドは、そう覚えてしまった。
バルガ家当主である父親は、その凄まじい破壊力を見て初めてガルドを「見た」。
息子としてではない。
利用価値のある「兵器」として、だ。
『お前にはこの黒炎という力しかない。せめてバルガ家の暴力として役に立て』
それから、ガルドの地獄が始まった。
毎日毎日、血を吐くほどの過酷な魔力訓練。
少しでも弱音を吐けば、容赦ない鞭の雨が降った。
『泣くな!弱さなど見せるな!』
『お前の価値はその炎だけだ。敵を焼き尽くし、すべてを灰にしろ!』
父親が期待していたのは、ガルドという少年の健やかな成長ではない。
ただの圧倒的な破壊力だ。
ガルドがどれほど必死に訓練に耐え新しい魔法を覚えようとも、誰も彼の頭を撫でて「よくやった」と褒めてくれることはなかった。
彼に向けられるのは、「危険」「粗暴」「化け物」という恐怖と嫌悪の視線だけだ。
『あの子に近づかない方がいいわ。何をされるか分からないもの』
『まるで破壊を楽しむ悪魔だ』
誰も「ガルド」という一人の少年を見てくれない。
見ているのは、恐ろしい黒炎だけだった。
だからガルドは、力で振り向かせるしかなかった。
誰よりも強くなれば、誰も自分を見下さない。
俺が一番強いと証明すれば、誰かが自分を見てくれる。
そう信じるしかなかった。
彼は周囲のすべてを黒炎で焼き尽くす暴君へと変わっていった。
王都の学院でも教師に反抗し、生徒たちを恐怖で支配した。
気に入らない奴がいれば炎で脅し、命令に従わせた。
そうすれば皆が自分を見る。
自分を特別だと認めるからだ。
だがどれだけ暴れてもどれだけ力を誇示しても、返ってくるのは怯えか軽蔑の視線だけだった。
誰も彼の内面を見ようとはしなかった。
結局、彼を真っ直ぐに見てくれる大人は誰一人としていなかったのだ。
そしてついには「手に負えない危険物」として、王都から厄介払いのようにこの辺境の学院へと追放された。
実家の父親からも「好きにしろ。ただしバルガ家の名は二度と名乗るな」と見捨てられて。
(俺は迷子なんかじゃねえ。俺は、誰よりも強いんだ……!)
特別隔離寮のベッドの上で、ガルドはギリッと奥歯を噛み締めた。
昨日のホームルームでの出来事が、頭から離れなかった。
自分が放った黒炎を、あの気だるげな元勇者レオン・グランヴァルトはただの素手で真っ二つに裂いたのだ。
そして、見透かしたような静かな目でこう言った。
『今のお前の炎からは、強くなりたいというより、誰かに見ろと叫んでいるように見える。腹を空かせた迷子みたいにな』
『俺を倒したければ、もう少しマシな炎を出せ。今のお前じゃ、俺の手のひら一つも貫けない』
(ふざけんな。俺の炎が空っぽなもんかよ。俺は……俺は……!)
俺が一番強い。俺の黒炎さえあれば、誰も俺を無視できない。
そう信じて生きてきたガルドにとって、レオンの言葉は自分という存在そのものを根底から否定するものだった。
ガルドの右手から、無意識のうちに黒炎が漏れ出す。
その熱でシーツがチリチリと焦げた。
ガルドは荒々しく立ち上がると、黒い炎を握り潰すように拳を固め部屋を飛び出した。
翌日の放課後。
辺境学院の荒れたグラウンドでは、冬の冷たい風が吹き抜けていた。
レオンは一人、錆びついた魔獣除けの結界の杭を打ち直す作業を黙々としていた。
カンッ、カンッという金属音が寒空に響く。
その少し離れた場所では、ミリアがレオンに言われた通り、グラウンドの隅に生えた薬草の仕分けを手伝っている。
「先生、これは傷薬になる草ですよね?」
「ああ、そうだ。根っこは苦いがよく効く。エリス先生が保健室の備品が足りないとぼやいていたからな」
レオンとミリアの間には、以前のような極寒の距離感はない。
彼女の両手には、レオンから渡された黒い魔獣革の手袋がはめられていた。
「おい、元勇者」
ドスドスと乱暴な足音を立てて、ガルドがグラウンドに現れた。
彼の顔は怒りと苛立ちで険しく歪み、右手からはすでに黒い魔力の揺らぎが立ち上っている。
レオンはハンマーを振り下ろす手を止め、振り返った。
「なんだガルド。手伝ってくれるのか?」
「ふざけんな!誰がてめえの手伝いなんかするかよ!」
ガルドはレオンを指差し、吠えるように叫んだ。
「俺と勝負しろ、レオン・グランヴァルト!俺の黒炎が空っぽの子供騙しじゃねえってことを、その体に叩き込んでやる!」
明確な決闘の申し込みだった。
グラウンドの端で薬草を仕分けていたミリアが、驚いて顔を上げる。
ガルドの全身からは、昨日以上の凄まじい熱波と殺気が放たれていた。
純粋な破壊の力。
近づく枯れ草がチリチリと自然発火し、冬の空気が陽炎のように揺らめく。
だがレオンの視界に映る『【未来の黒炎暴君】滅亡国家、七つ。破滅原因:承認飢餓』という文字は、昨日と同じように赤く明滅している。
レオンはハンマーを地面に置き、ゆっくりと立ち上がった。
「いいだろう。マシな炎を出せると言うなら、相手になってやろう」
「へっ……逃げねえのは褒めてやるよ。だが後悔しても遅えからな!てめえのその余裕ごと、灰にしてやる!」
ガルドが好戦的な笑みを浮かべ、両手に黒炎を圧縮し始めた。
凄まじい魔力が渦を巻き、周囲の空気が焦げ臭い匂いに包まれる。
しかしレオンは腰の剣を抜かず、代わりにミリアの方を振り返った。
「ミリア。こっちに来い」
「え……?わ、私ですか?」
突然名前を呼ばれ、ミリアはおどおどしながら立ち上がった。
レオンが手招きするため、彼女は小走りで駆け寄ってくる。
レオンはミリアの前に一歩出ると、彼女を自分の真後ろに隠すように立った。
「先生……?あの、ガルドくんの炎が……」
「ミリア、怖ければ下がっていい。だができるなら俺の背中にいてくれ」
「……はい。先生の後ろなら、絶対に大丈夫です」
ミリアは小さく頷き、レオンの大きな背中に隠れるように身を寄せた。
レオンの予想外の行動に、ガルドは眉をひそめた。
「おい、何のつもりだ?その氷女を盾にでもする気か?言っておくが、あいつの氷壁ごとてめえを丸焦げに……」
「違う。盾にするんじゃない」
レオンは気だるげな表情を消し、元勇者としての鋭い眼差しでガルドを見据えた。
「お前は俺と戦う。ただし、条件がある」
「なんだよ、ハンデでも欲しいってのか?」
「逆だ。お前は俺を倒すんじゃない。俺の背後にいるミリアを巻き込まずに、俺と戦え。それができなければ、お前の炎は仲間を守れない」
静かな声が、グラウンドに響き渡った。
ガルドは一瞬、レオンが何を言っているのか理解できず、ぽかんと口を開けた。
ミリアも驚いてレオンの背中を見上げる。
「……はあ!?なんで俺が、この氷女に気を遣いながらてめえと戦わなきゃならねえんだ!」
「お前の炎が、誰にも負けない最強の『力』だというなら、それくらいできるだろう」
レオンはミリアを庇うように立ち塞がったまま、ガルドを挑発するように顎でしゃくった。
「ただ手当たり次第に周囲を燃やすだけなら、それは知性のない山火事と同じだ。俺に勝つどころか、俺の背後にいる仲間一人すら守れないようなら、お前の負けだ」
「仲間だぁ!?ふざけんな、俺は誰とも群れる気はねえ!」
「なら帰れ。仲間も守れないような山火事の相手をするほど、俺は暇じゃない」
レオンの容赦ない言葉に、ガルドの額に青筋が浮かんだ。
父親に『兵器』として育てられたガルドにとって、力とは敵を焼き尽くし破壊するためのものだ。
誰かを背負い、誰かを守りながら戦うなどという発想は、彼の人生に一度も存在しなかった。
彼の黒炎は範囲攻撃に特化しており、下手に放てば味方ごと焼き尽くしてしまう。
それをレオンは見抜いた上で、あえてこの過酷な条件を突きつけたのだ。
ここで背を向ければ、ガルドはレオンの言葉通り『仲間も守れない子供の火遊び』だと認めることになる。
「……上等だ!やってやるよ!」
ガルドは怒りのままに吼え、両手の黒炎を極限まで高めた。
「てめえがどんな理屈を並べようが、俺の炎が一番強えってことを証明してやる!氷女!絶対にそこから動くんじゃねえぞ!」
ミリアは怯えながらも、レオンの背中を両手でぎゅっと掴んでコクコクと何度も頷いた。
「行くぞ、元勇者ぁぁっ!!」
ガルドが地面を蹴った。
黒炎が、獣の牙のように燃え上がる。
凄まじい熱波がグラウンドを覆い、破壊の炎が一直線に放たれようとする。
その軌道の先に、レオンの背中と、震えるミリアがいた。
ガルドは初めて、自分の炎が向かう先を意識した。




