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魔王討伐後に追放された元勇者、辺境教師になったら教え子全員がラスボス候補でした 〜災厄になる前に、まずは給食を食べような〜  作者: 早野 茂
第1章 氷獄魔女編

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幕間1「氷の少女は、初めて寒くなかった」

物心ついた時から、ミリア・フロストレインの世界はずっと凍てついていた。

少しでも心が揺れ動けば、彼女の意思とは無関係に足元から冷気が広がり、触れるものすべてを白く凍らせてしまう。

大好きな母親に褒められ、嬉しくてその胸に飛び込んだあの日。

ミリアの感情が高ぶったことで放たれた極寒の魔力は、母親の美しい両腕を無惨な氷漬けにしてしまった。

母親の悲痛な悲鳴。

父親の激しい怒声。

使用人たちの恐怖に引きつった顔。


『なんてことだ!この子は化け物だ!』

『近づくな!凍らされるぞ!』


その日から、ミリアの世界には誰もいなくなった。

日の光すら差し込まない、暗く冷たい石造りの地下室への幽閉。

分厚い鉄扉の向こうからは、自分を忌み嫌い、恐れる声だけがかすかに聞こえてきた。

一日一回、扉の下の隙間から差し入れられるのは、完全に冷え切ったスープと、石のように硬いパンだけだった。


自分がどれだけ泣き叫んでも、誰も扉を開けてはくれなかった。

誰の声も聞こえず、誰の温もりにも触れられない孤独な時間。

自分が人を傷つけた罰なのだと、幼いミリアは泣きながらそれを受け入れるしかなかった。


やがて王都の立派な学院へ入学させられてからも、そしてこの辺境の学院へ追放されてからも、状況は何も変わらなかった。

同級生たちはミリアの姿を見るだけで怯え、遠巻きにヒソヒソと囁き合った。

自分が誰かに近づけば、必ず誰かを傷つけてしまう。

だから誰とも関わってはいけない。

誰も傷つけないために、完全に孤立することを選んだ。

それが、ミリアが自らを閉じ込めた『氷の檻』だった。


だがその分厚い氷の壁は、黒いコートを着た一人の型破りな大人の手によって、いとも容易くぶち壊されることになる。

元勇者、レオン・グランヴァルト。

彼はミリアが怯えて作り出した極寒の吹雪の中を、まるで春のそよ風でも受けるかのように平然と歩き、彼女が凍らせてしまったスープの器を素手で持ち上げた。

そして氷に突き刺さったスプーンを引き抜くと、凍ったスープを削り取って口に運び、ガリガリと音を立てて噛み砕いたのだ。


『なるほど。冷製スープだな』


味は悪くないと笑うその顔には、ミリアを化け物として恐れる色など微塵もなかった。

今まで彼女が凍らせたものに触れようとする人間はいなかったのに。

皆、恐れて捨ててきたのに。

この不器用な教師は、凍ったスープを食べてくれた。

そしてミリアがどれだけ拒絶しても、決して彼女を見捨てようとはしなかった。


夜の雪の森で、ミリアが恐怖のあまり魔力を暴走させてしまった時もそうだ。

猛吹雪の中で、レオンは一歩も引かずにミリアに近づいてきた。

飢えた夜行性の魔獣ブラッドウルフの群れが襲いかかってきた時、彼はミリアを自分の背中で庇い、力強く叫んだのだ。


『人を遠ざける氷じゃない!誰かを守る氷に変えろ!俺を守れ、ミリア!』


その言葉が、ミリアの運命を変えた。

自分が作り出した透明な氷の壁が、魔獣の突進を見事に防ぎきったあの瞬間。

自分の力が誰かを傷つけるための呪いではなく、大切な人を守るための盾になるのだと知った。


『お前は化け物なんかじゃない。ただの優しすぎる、俺の生徒だ』


その一言で、ミリアの心にずっと降り積もっていた絶望の雪が、音を立てて溶けていった。

レオンから渡された黒い魔獣革の手袋。

それは魔力を抑え込むための冷たい枷ではなく、誰かの手を取るための、そして誰かと繋がるための温かい贈り物だった。

王都の大人たちに追い詰められたあの日、クラスメイトを守り抜いた時、誰もミリアを恐れなかった。

ガルドは「やるじゃねえか」と不敵に笑い、セレスは防衛力として実力を認め、ノアやリュカも当たり前のようにミリアを受け入れてくれた。

彼女はもう、孤独な化け物ではなかったのだ。


辺境学院の特別隔離教室。

昼休みの鐘が鳴り、エリスが手配した給食のワゴンが運び込まれてきた。

今日のメニューは、大きく切られた野菜と肉がたっぷり入った温かいシチューと、焼きたての柔らかいパンだった。

教室中に食欲をそそる良い匂いが漂っている。

ミリアは自分の席に座り、両手にはめた黒い手袋をじっと見つめた。

手袋をしたまま食べれば、絶対に安全だ。

万が一感情が揺れても、冷気が漏れ出すことはない。

誰にも迷惑をかけないで済む。

だがミリアは小さく息を吸い込むと、震える手でその黒い手袋をそっと外した。

そして、素手の指先で、自分の机に配られたシチューの器に触れた。


ピキッ、という音はしなかった。

器の表面から白い霜が這い上がってくることもない。

指先から伝わってきたのは、陶器のザラりとした感触と、中に入れられたシチューの確かな熱だった。

じんわりとした熱が、指先から手のひらへ、そして体中へと広がっていく。

シチューは凍ることなく、美味しそうな温かい湯気を立てている。


(温かい……)


ミリアは息を呑み、泣きそうになるのを必死に堪えた。

今まで、自分が触れるものはすべて凍り付いていた。

熱を奪うことしかできなかった。

けれど今、自分は温かいものに触れている。

それを壊さずに、そのまま受け取ることができている。

ミリアはスプーンを手に取り、ゆっくりとシチューをすくって口に運んだ。

野菜と肉の甘みが、冷え切っていた心を内側から解きほぐしていく。


「おい氷女」


不意に乱暴な声がして足音が近づいてきた。

ミリアが顔を上げると、赤髪のガルドが真っ直ぐに彼女の席へと歩いてくるところだった。

ザッ、ザッという足音が響く。

以前のミリアであれば、他人が自分のパーソナルスペースに入ってくるだけで極度の恐怖を感じ、無意識に足元から冷気を放っていただろう。

近づかないで、私に触れないでと、心の底で叫んでいたはずだ。

だが今のミリアは、ガルドが近づいてきても身を強張らせることはなかった。

ただ少し目を丸くして、彼が何を言うのかを待った。


「午後の魔法陣の課題、俺のノートが焦げて読めねえ。お前の見せろ」

「あ……はい。私のノートでよかったら、どうぞ、ガルドくん」

「サンキュ。後で返す」


ガルドは悪びれる様子もなくぶっきらぼうにノートを受け取ると、再び踵を返して自分の席でガリガリとペンを走らせ始めた。

ミリアはそのガルドの背中を見つめながら、静かな喜びを噛み締めていた。

自分の席に誰かが近づいてきて、普通に話しかけられ、そして普通に去っていく。

王都の学院では決してあり得なかった、当たり前すぎる日常のやり取り。

自分のテリトリーに他人が入ってくることが、こんなにも嬉しいことだなんて思いもしなかった。

セレスがガルドを横目で見ながら、優雅に紅茶を傾けた。


「力任せに魔法を放つことしか脳がないから、基礎の計算でつまずくのですわ。ミリアさんの精密な魔力制御を少しは見習ってはいかがかしら」

「うるせえ!俺は今から完璧に計算してやるんだよ!」

「……ガルドの頭から、煙が出ています。骨も少し熱がっています」

「焦げ臭い。シチューの匂い、消える」


ノアとリュカが真顔で突っ込みを入れ、教室に賑やかな笑い声が響く。

ミリアはその光景を見つめながら、シチューの温かさをじっと噛み締めていた。

嬉しい。

ここにいてもいいのだと許されたことが。

化け物としてではなく、一人のクラスメイトとして扱われていることが。

誰かと一緒に、温かいご飯を温かいまま食べられることが。

嬉しくて、胸の奥がきゅっと締め付けられるように熱くなる。


その強すぎる幸福感に呼応するように、ミリアの魔力がふわりと教室内に漏れ出した。

だがそれはかつてのような全てを凍りつかせる破壊の吹雪でも、窓ガラスを覆う分厚い霜でもなかった。

天井付近の空気がきらきらと輝き、やがて小さな光の粒となってゆっくりと舞い降りてきた。

雪だ。

とても細かく、美しく結晶化した雪が、特別隔離教室の中にだけ静かに降ってきたのだ。


「うおっ、なんだこれ。雪が降ってんぞ?」

「まあ……とても綺麗な結晶ですわね」


ガルドが目を丸くして宙を舞う雪を見上げ、セレスが扇子を置いて手を差し伸べる。

リュカは少し警戒するように鼻をひくつかせてから、空から降ってくる雪の結晶をぱくりと口で受け止めた。


「あ、冷たい。でも、痛くない」


それが分かると、リュカはもう一つ、また一つと、落ちてくる雪を口で追いかけ始めた。

ノアも静かに、机の下の骨の鳥と一緒に降ってくる雪を眺めている。

ミリアはその光景を、信じられないものを見るような目で見つめていた。


誰も、自分の魔法を怖がっていない。

誰も逃げ出さないし、石を投げてこない。


かつては王都の生徒たちを震え上がらせ、「近づくな」と叫ばれた忌まわしい魔力。

それが今、この辺境の教室では、ただの『綺麗な雪』として受け入れられている。

それどころか、リュカのように遊び道具にして笑顔を見せてくれているのだ。

自分の力が、誰かをこんな風に笑顔にできるなんて、思いもしなかった。


「ミリア。お前の魔力か?」


教卓でパンをかじっていたレオンが、気だるげに歩み寄ってきた。

ミリアはハッとして、慌てて両手で口を覆った。


「ご、ごめんなさい!私、また無意識に魔力を……!」


迷惑をかけてしまったと肩をすくめるミリアの頭に、レオンの大きな手がぽんと乗せられた。


「謝るな。別に寒くはない。それに、綺麗な雪だ」


レオンが柔らかく微笑む。

ミリアは目を瞬かせ、そっと自分の手のひらを上に向けた。

ひらひらと舞い落ちてきた雪の結晶が、彼女の素手のひらにふわりと乗る。

冷たくて、痛くて、誰もが逃げ出していく呪いの氷。

だが手のひらに乗ったその雪は、彼女の体温で静かに溶け、ただの澄んだ水滴へと変わっていった。


ミリアは溶けた水滴をじっと見つめた。

自分の体温が、氷を溶かした。

自分は周囲を凍らせるだけの化け物ではなく、確かな温もりを持った人間なのだと、その水滴が教えてくれているようだった。


ミリアは窓の外の冬空を見上げた。

ずっとずっと、世界は冷たいものだと思っていた。

けれど今は違う。

その日、教室に降った雪は、少しだけ暖かかった。


幕間までお読みいただきありがとうございます。

ミリア視点の小さな後日談でした。

少しでも「よかった」と思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。

明日からはガルド編に入ります。


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― 新着の感想 ―
ミリアが、黒手袋を外すという行動をしたのは、感慨深い 本当に、心から、自分の魔法について受け入れることができたんだなぁと感じた 今まで痛かった氷の痛みがなくなり、しかも、きれいな雪になったのだから、こ…
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