第6話 王都を散歩するだけで同接が十万人を超えた
「今日は研究室から出ます!」
そう宣言した瞬間、コメント欄に歓声が上がった。
『待ってました!』
『王都観光だ!』
『魔法使いの街ってどんな感じ?』
俺は外套のフードを被り、腰の小袋に予備の魔石を入れた。映像を送る光球は、外から目立たないよう半透明にしている。
目立つのは困る。何しろ俺はアルヴェイン子爵家の娘なのだ。屋敷を出るたびに護衛をつけられるほどではないが、勝手に危険な場所へ行けば父さんに叱られる。
今日は母さんに許可を取り、昼間の大通りだけを歩く約束になっていた。
「それじゃ、出発です」
王都セレスティアの石畳を踏む。
出発前に母さんから「知らない人に屋敷の場所を教えないこと」「貴族の家の内部を映さないこと」「危ないと思ったら必ず戻ること」と、三回も念を押された。
俺だってそこまで無計画ではない。映像の端に位置情報のようなものが映らないよう、光球の視野を狭めている。異世界側の文字は翻訳できるが、正確な地図まで表示する機能はまだない。
門を出ると、朝の風が頬を撫でた。研究室に籠もってばかりいたので、こんなに気持ちいい天気だとは知らなかった。
「……研究室の外も、案外悪くないな」
『引きこもり発言』
『散歩は健康にいいぞ』
コメントに早速突っ込まれた。俺は咳払いして歩き始める。
朝の市場は活気に満ちていた。
焼きたてのパンの香り。果物を売る商人の威勢のいい声。馬車の車輪が石畳を叩く音。
地球の視聴者には、どれも映画の世界に見えるらしい。
市場の中央では、二人の商人が値引き交渉をしていた。片方は大量の赤い果実を抱え、もう片方は籠いっぱいの香草を持っている。言葉は強いが、二人とも楽しそうだった。
「この時間は荷物の入れ替えが多いんです。午後になると、もっと観光客向けの店が増えますよ」
『市場って朝が早いんだな』
『果物の名前知りたい』
俺は赤い果実の名前を説明した。皮は少し硬く、中には甘酸っぱい果汁が詰まっている。前世で食べたザクロに少し似ているが、粒の形が違う。
地球の視聴者は食べ物の名前をメモし、似た果実がないか議論し始めた。
少し離れた店では、子どもたちが木でできた小さな玩具を眺めている。魔力を通すと羽が回る簡単な仕組みだ。
「あれ、私も小さい頃に遊びました」
『異世界のおもちゃ!』
『懐かしい感じする』
魔法があっても、子どもが楽しむものは案外似ているらしい。
通りの角には、修理屋もあった。壊れた魔石ランプや古い魔導具を直す小さな店だ。店先には分解された金属板が並び、職人が細い工具で部品を削っている。
「こっちは壊れたら買い換えるより、直して使うことが多いんです。魔導具は安くないので」
『修理文化いいな』
『職人さんの手つきすごい』
俺は店の主人に撮影の許可を取り、遠くから作業の様子を映した。職人は最初こそ不審そうにしていたが、魔導具の仕組みに興味を持つ人がいると聞くと嬉しそうに説明してくれた。
「この溝が魔力の通り道でね。傷がつくと熱が逃げなくなるんだ」
地球のコメント欄には、電気回路に似ているという意見が流れた。
魔法と科学はまったく違うものだと思っていたが、道具を安全に動かすための工夫には共通点があるのかもしれない。
「……後で詳しく聞いてみたいな」
そう呟くと、店の主人が「いつでも来な」と笑った。
『雰囲気すげえ』
『路地まで作り込まれてる』
『あの街灯は何で光るの?』
「あれは魔石ランプですね。夕方になると周囲が暗くなったのを検知して点灯するんです」
『自動点灯!?』
『思ったより文明が進んでる』
「魔法関係は便利ですよ。逆に、地球の工場みたいな大量生産はあまり得意じゃないですけど」
説明していると、焼き菓子の店が目に入った。
「あ、これ美味しいんですよ」
銅貨を渡して、蜂蜜を使った小さな焼き菓子を一つ買う。
かじると、表面はさくっとしていて、中はしっとりしている。
「んー! おいしい!」
『食レポきた』
『俺も食べたい』
『異世界飯テロやめて』
「食べ物を送れる魔法ができたらいいんですけどね。今のところ映像と音しか送れません」
それを聞いた視聴者が、次々と料理配信を希望し始める。
確かに面白そうだ。今度母さんに厨房を借りられないか聞いてみよう。
大通りの先には、魔法学院へ続く橋が見えた。
白い石造りの橋の両脇には魔力で動く噴水があり、澄んだ水が幾何学模様を描きながら舞い上がっている。
「あそこが私の通っている学院です。今日は授業がないので、外からだけ」
『学生なの!?』
『何歳?』
「十五歳ですよ」
『若っ!』
『天才少女だった』
あまり大騒ぎされると恥ずかしい。
俺は少し足を速めた。
すると、向こうから荷馬車が一台、ゆっくりとやって来た。
荷台には木箱が積まれ、御者台の老人が眠そうに手綱を握っている。
その時、車輪が石畳の溝に引っかかった。
「うわっ!」
木箱が一つ、荷台から滑り落ちる。
歩道には小さな子どもがいた。
考えるより先に、俺の手が動いた。
「《風縛》!」
落下する木箱の周りに風が巻きつき、空中で速度を落とす。
俺は箱をゆっくり地面へ降ろした。
子どもはきょとんとしている。御者の老人は慌てて頭を下げた。
「お嬢さん、助かったよ!」
「いえ、怪我がなくてよかったです」
事故はそれで終わった。
この世界では、魔法を使える人間が困っている誰かを助けるのは珍しいことではない。
ところがコメント欄は、先ほどのドラゴン映像に負けないほど盛り上がっていた。
『今の無詠唱じゃなかった?』
『人助けのために魔法使うの好き』
『落下速度が変わったぞ』
『演出じゃないならすごい』
「えっ、普通の中級補助魔法ですよ?」
『その普通が普通じゃない』
「……この会話、昨日もした気がします」
俺は苦笑する。
ふと、足元の石畳に目をやった。何百年も人や馬車が通った道だ。石の端は丸く削れ、ところどころ補修の跡が残っている。
地球では歴史ある町並みを旅行番組で見るだけだった。今はその風景の中で暮らしている。見慣れてしまったものにも、ちゃんと歴史が積み重なっているのだ。
「……皆さんが驚いてくれると、私もこの街をもう一度好きになれます」
そう口にすると、画面に小さなハートの絵文字が流れた。
通りの端へ寄ると、エリナに似た冒険者たちが大きな掲示板の前に集まっていた。討伐依頼や護衛依頼が貼り出されている場所だ。俺は危険な依頼内容を映さないようにして、仕組みだけを説明する。
「冒険者ギルドは、仕事を紹介したり依頼の仲介をしたりします。もちろん、誰でもすぐ危険な仕事を受けられるわけじゃないですよ」
『ゲームのクエストみたい!』
『受付嬢いる?』
「いますけど、今日は受付の方を映す許可を取ってないので」
コメント欄に『ちゃんとしてる』という文字が流れた。少し前なら勢いで撮影してしまったかもしれない。俺も成長したのだ。
歩きながら画面を確かめると、同時視聴者数は十二万人を超えていた。
ちょっと散歩してお菓子を食べただけで、この数字。
「皆さん、観光がそんなに好きなんですね」
『お前の世界が好きなんだよ』
一つのコメントが目に留まった。
俺は思わず足を止める。
この世界に生まれて十五年。前世の地球が恋しくて、今までずっと帰る方法ばかり考えていた。
でも、誰かにとっては、今の俺の世界こそが憧れの場所なのだ。
「……ありがとうございます」
小さく呟くと、風が銀髪を揺らした。
その頃、魔法学院の橋の上では、一人の少女がこちらを見つめていた。
金色の髪、青い瞳。そして、誰が見ても上質だとわかる制服。
「……リシア?」
ルミナス王国第三王女、セレスティア。
彼女は、友人が誰もいない空間に向かって話しかけていることを不思議に思い、静かに後を追い始めた。




