第5話 初めての投げ銭と異世界のお金事情
翌朝、俺は見覚えのない通知に首を傾げていた。
『収益受け取りの設定を確認してください』
「……収益?」
魔法陣の負荷を抑えるため、今日も文字情報だけを地球から取得している。昨日の配信の再生回数が増えたことには驚かなくなったが、この通知は想定外だった。
よく読むと、地球の動画サイトで収益化の申請が必要らしい。本人確認や契約、受け取り先の設定も求められる。
「銀行口座なんて、こっちにあるわけないだろ……」
俺が暮らすルミナス王国では、銀貨や金貨が普通に使われている。魔導銀行というものはあるが、地球の金融機関とつながっているはずがない。
財布から銀貨を一枚取り出した。
王国の紋章が刻まれた、ずっしり重い銀貨だ。
これを魔法陣の向こうに押し込めば、地球の口座へ振り込めたりしないだろうか。
「……いや、無理か」
次元情報接続は文字や映像を送るための術式だ。質量のある物体を通す仕組みは組み込まれていない。無理に転送を試せば、通信経路そのものが崩れる可能性がある。
俺は銀貨を机に戻した。
そもそも王国のお金だって、単純ではない。銅貨や銀貨の価値は、地域によって流通量が違う。金貨は価値が大きすぎて、普段の買い物には滅多に使わない。
俺は家計簿を開き、パン一個、紙一束、魔石一個の値段を並べてみた。日用品は比較的安くても、魔法研究に必要な素材は驚くほど高い。希少な魔石など、ちょっとした庶民の月収に相当することもある。
「……改めて見ると、父さんには頭が上がらないな」
前世では自分の小遣いの範囲で機材を買っていた。こちらでは子爵家の予算を使わせてもらっている。成功したからといって、そこを忘れてはいけない。
地球のお金をそのまま金貨へ替えられたら便利だろう。しかし、交換相手がいなければ数字だけの話だ。通信経路を開いたことと、世界をまたぐ商売を成立させることは、まるで別の難しさがある。
「つまり、地球のお金を稼げたとしても、使い道がない」
声に出すと、少し悲しい。
十五年ぶりにネットへ接続できたというのに、ゲームを買うにはまた別の問題があるのだ。
とはいえ、今すぐ収益化する必要はない。まずは規約を読み、地球で受け取り可能な法的な仕組みがあるか確認するべきだろう。
配信の楽しさに浮かれていた俺も、さすがにそこまで無茶はしない。
「……先に、母さんへ相談かな」
そう思った矢先、研究室の扉がノックされた。
「リシア、入ってもいい?」
「どうぞ」
エレノア母さんが、湯気の立つお茶を二つ運んできた。
机の上を見た母さんは、山積みの研究資料と魔石の残骸に目を細める。
「昨日の約束、覚えているわね?」
「……はい」
俺は正座した。
そして、地球という別の世界が存在すること、そこには情報を交換する仕組みがあること、五年かけて接続魔法を作ったことを、できる限り順序立てて話した。
当然、母さんは何度も質問を挟んだ。
「地球側の人は、こちらの場所を特定できるの?」
「今のところ、見える範囲しかわからないと思います」
「情報を送るだけなら安全なの?」
「たぶん……じゃなくて、危険な部分は調査中です」
「その研究を、世界中に見せたの?」
「研究の核心は見せてません!」
母さんは長く息を吐いた。
「リシア。私はあなたの才能を誇らしく思っているわ。でも、秘密を守ることも研究者の仕事よ」
「……はい」
「それから、お金が発生するという話も慎重にね。契約の相手がどんな人なのか、こちらから確かめる手段がまだないのでしょう?」
そこを突かれると返す言葉がない。
俺は稼ぎたいわけではない。単にゲームが買いたいだけだ。だが地球側からすれば、大きな価値のある情報を持つ相手なのかもしれない。
「わかりました。収益化は保留にします」
「ええ。それがいいわ」
母さんは安心したように笑った。
「それと、リシア。研究の成果は、あなたのものよ。でも、その成果が人に影響するなら、話し合う相手を増やしなさい」
「研究院の人たちとか、ですか?」
「そうね。信用できる魔導士、法に詳しい人、そして実際に使う人。みんな見るところが違うでしょう」
俺は少し考えた。術式の正しさなら自分で検証できるかもしれない。けれど契約や政治の問題は、俺の得意分野ではない。
「……わかりました。研究仲間を増やしてみます」
「ふふ。いい返事ね」
母さんは俺の髪を優しく撫でた。
十五歳の身体になってから長いのに、こういう時だけ小さな子どもに戻ったような気分になる。前世では恥ずかしかったはずなのに、不思議と嫌ではなかった。
その笑顔を見ると、何もかも一人で抱え込まなくていいのだと思える。
夕方、俺は次の配信を始めた。
「今日は異世界のお金について紹介します!」
画面の前に銅貨、銀貨、金貨を並べる。
『本物の金貨!?』
『金属の含有率測りたい』
『こっちに送ってくれ』
「送るのは無理です。今の魔法は情報だけなので」
地球の視聴者は残念がったが、次の瞬間には王国の貨幣制度に興味を示し始めた。
『銅貨の大きさは?』
『物価がわかると生活が想像しやすい』
『税金ってどうなってるの?』
「税金の細かい話は、私より父のほうが詳しいですね」
俺は笑いながら、いくつかの硬貨を横に並べた。重さや大きさだけでも、地球の人たちは熱心に観察している。
「この銀貨、昔の王様の肖像が刻まれているんです。今使われているものでも古い型が残っていて、商人さんは摩耗を気にします」
『貨幣の歴史もあるのか』
『博物館で展示してほしい』
普段気にも留めなかった硬貨が、画面の向こうでは貴重な史料のように扱われている。俺はその反応に、少しだけ視野が広がるのを感じた。
たぶん、地球に暮らしている人にとっても、身近な百円玉はこんなふうに見えないはずだ。自分にとって当然のものが、別の誰かには驚きになる。
配信とは、そういう発見の連続なのかもしれない。
俺は貨幣を小袋へ戻し、視聴者へ一つだけお願いした。
「もし地球の貨幣についても面白い話があったら、教えてください。私、昔の硬貨とか好きなんです」
『今度コインの歴史を紹介するよ』
『異世界と地球で貨幣比較したい』
思わぬところから、次の配信企画が決まってしまった。
『物価知りたい』
『パンいくら?』
『屋敷が大きいけどお嬢様なの?』
「物価ですか。パンなら……種類にもよりますけど」
俺は帳簿を引っ張り出し、食料品と日用品の値段を説明した。
そうしているうちに、コメント欄に色の違うメッセージが流れた。
『視聴者:異世界のおやつ代にどうぞ!』
横には、見覚えのある地球の通貨記号。
「……えっ?」
続けて、別の色付きメッセージが流れる。
『研究費に使ってください!』
「ちょ、ちょっと待ってください! まだ受け取れる設定にしてないですよ!」
よく見ると、それらは視聴者が画面に表示した応援メッセージで、金銭の受領が確定したものではなかった。
「び、びっくりした……」
『リシアちゃん真面目』
『先に契約を調べるの偉い』
『金貨より先に規約を読む異世界配信者』
「だって、大事なことじゃないですか!」
俺がそう言うと、コメント欄に笑いが広がった。
研究が面白い。配信が楽しい。けれど、知らない世界とつながる以上、無邪気でいるだけではいけない。
そんな当たり前のことを、俺は十五年目の異世界生活でようやく学び始めていた。
配信終了後、ノートに新しい研究課題を書き込む。
『世界間の取引は、物体転送技術が確立してから考える』
その下に、小さく付け加えた。
『ただし、地球のゲームを買う方法は引き続き検討する』
……それだけは、どうしても諦めきれなかった。




