第2話 異世界配信、開始十分で大バズり
配信を終えた直後、俺は人生で初めて、数字というものに恐怖を覚えた。
「……十万人?」
空中に浮かぶ半透明の画面には、確かにそう表示されていた。最大同時視聴者数、十万二千四百三十一人。総再生回数はすでにそれを大きく上回っている。
「いや、さすがに表示の不具合だろ」
何しろこの画面は、俺がたった今作ったばかりの魔法で映している。数字の変換に失敗していても何ら不思議はない。
俺は指を滑らせてページを更新した。
数字の桁を確かめるたび、妙に背筋が寒くなった。十五年前の俺は、人気配信者を見て「よくこんなに大勢の前で喋れるな」と感心していた側だった。それが今では画面のこちら側にいる。
しかも顔を隠していない。銀髪も紫色の瞳も、そのまま全世界に流してしまった。前世の俺が今の映像を見たら、間違いなく怪しい合成映像だと疑うだろう。
「……未来の自分って、本当に予想できないな」
『チャンネル登録者数:82,914』
「……増えてる」
もう一度更新する。
『チャンネル登録者数:85,107』
「増えてるぅ……」
椅子からずるずると滑り落ちた。
前世で見ていた人気配信者だって、最初からこんな数字を持っていたわけじゃない。何年も活動して、動画を作って、少しずつファンを増やしたはずだ。
それが俺の場合、たまたま研究室から窓の外を映しただけで、この有様である。
「ドラゴンって、そんなに人気なのか……?」
確かに地球にはいなかったけど。
しかし、人気の理由を考えるより先に、もっと大きな問題があった。
「これ、消費魔力は大丈夫なのか?」
俺は慌てて床の魔法陣を確認した。術式を起動していたのは二十分ほど。映像の双方向転送は、静止した文字データよりもずっと負荷が大きい。放っておけば研究室の魔石を空にしかねない。
接続を一度切断すると、耳鳴りのような感覚がすっと消えた。
「……よし。安全装置は必要だな」
研究ノートを開く。
最初のページには『地球のインターネットに接続する』と大きく書いてあった。十歳だった俺の字は下手くそで、線も妙に力強い。
その下に、今日の日付と成功の文字を書き加えた。
五年前の冬を思い出す。初めて空間属性の本を開いたとき、俺は『遠くへ情報を送る』という基本的な術式さえ理解できなかった。図書館で借りた本に付箋代わりの紙を挟み、夜遅くまで計算を続けた。
最初の試作機が送れたのは、隣室の母さんへ向けた一文字だけだった。しかも文字は上下逆さまになっていた。それでも母さんは「よく頑張ったわね」と笑ってくれた。
あれから少しずつ距離を伸ばし、音を加え、映像を加えた。何度も失敗した。成功した今だからこそ、その一つ一つが無駄ではなかったと思える。
『次元情報接続、成功。映像配信も可能。ただし帯域増加に伴い術者への負荷あり。長時間運用は禁止』
ペンを置いたところで、廊下から足音が聞こえた。
「リシア? さっき大きな声がしたけれど、また実験で何か爆発させたの?」
母さんだ。
「ば、爆発はしてません!」
「『は』という言い方が気になるわね」
扉が開く。
エレノア・アルヴェイン。俺の母親であり、元宮廷魔導士である。
柔らかく微笑んでいるが、研究室の床に刻んだ魔法陣を見た瞬間、目が細くなった。
「……リシア。その術式、空間魔法に見えるのだけれど」
「ええと、ちょっとした通信魔法です」
「ちょっとした通信魔法に、どうして次元座標を固定する項目があるのかしら?」
しまった。母さんを相手にごまかすのは難しい。
「安全確認は?」
「しました。魔石の予備も置いてあります」
「で、成功したの?」
「……しました」
母さんはしばらく俺を見つめ、それから小さく息を吐いた。
「詳しい話は夕食後に聞きましょう。お父様には、私から話しておくわ」
「父さんにはまだ内緒に……」
「だめよ」
即答だった。
研究費を申請する時よりも厳しい声だったので、俺は素直に頷いた。
母さんが去ったあと、俺は机に突っ伏した。
「終わった……」
いや、何が終わったのか自分でもわからない。研究は成功したのだ。むしろ始まったばかりである。
そこで、ふと地球側の反応が気になった。
「……五分だけ、確認するか」
安全装置に魔力上限を設け、情報量の少ない文字通信だけを再開する。
ニュースサイトには、早くも俺の配信の話題が載っていた。
『謎の銀髪少女が「異世界」から生中継? ドラゴン映像が話題に』
『加工映像か、前代未聞の現象か。専門家も注目』
「うわあ……」
記事には研究室の窓から見た王都の画像まで掲載されている。配信の画面を撮影したものらしい。
そこに映る俺は、なんとも間抜けな顔でドラゴンを指さしていた。
「せめて、もう少しかわいいところを切り抜いてくれ……」
いや、違う。そこじゃない。
自分が何者なのか、どこに住んでいるのか。ネットで顔を晒せば、当然そんなことを調べようとする人間が現れる。
異世界に住んでいるから安全、とは限らない。地球側の知識がこちらへ流れるなら、その逆もあり得るのだから。
「……配信ルールを決めよう」
俺は新しいページを開いた。
こうした決まりを作るのは、正直あまり得意ではない。前世では配信を受け取る側だったから、配信者が裏でどれだけのことを考えているか知らなかった。
けれど、母さんの言葉を思い返す。知らない世界につながったということは、知らない相手にも届くということだ。俺が気をつけるだけでなく、画面に映る人たちの気持ちも守らなければならない。
一、家族の許可なく屋敷の内部を見せない。
二、危険な魔法の作り方は詳しく公開しない。
三、地球の人間から頼まれても、むやみに異世界の人に接触しない。
四、配信中は安全装置を必ず起動する。
そこまで書いて、俺は手を止めた。
「……俺、なんだか立派な配信者みたいだな」
少しだけ頬が緩んだ。
もちろん、明日からも配信は続けたい。地球の人と話せるのは純粋に楽しいし、向こうの世界がどう変わったのか知りたい。
そのためには、まずこの術式をもっと安全にしなければ。
俺がそう考えていると、通信画面の端に一件のメッセージが表示された。
『神崎修一:初めまして。私は日本で物理学を研究しています。あなたの示した現象について、検証可能な方法でお話を伺えませんか』
「……おお?」
研究者。
しかも、地球の。
これはつまり、俺がずっと欲しかった相手かもしれない。
俺は返信欄に指を置いた。
『リシア:ぜひ! でも今日は魔力の使いすぎなので、明日の配信でお願いします!』
送信した瞬間、またメッセージが届いた。
『神崎修一:ありがとうございます。まず、安全を最優先にしてください』
「……地球の研究者って優しいんだな」
俺は笑った。
それでも返信を送ってから、しばらく画面を閉じられなかった。研究について話せる人がいる。それも、十五年間会えなかった地球の人間だ。前世で当たり前だったことが、今は奇跡のように感じられる。
窓の外に目を向けると、王都の明かりが一つ、また一つと灯り始めていた。こちらにはこちらの暮らしがある。地球の懐かしさに引かれながらも、この景色を失いたいとは思わない。
「……両方、大事にできるといいな」
小さく呟き、俺は安全装置の術式をもう一度確かめた。明日の配信は、今日よりも少し慎重に。それでも、きっと今日よりも楽しくなる。
明日は魔法の仕組みを少しだけ説明してみよう。もちろん、危険な部分は伏せながら。
その頃、地球のSNSでは『明日の研究配信』という言葉が新たな話題になり始めていた。
だが俺はまだ知らない。
たった一件の返信が、地球中の研究機関を巻き込む大きな騒動の引き金になることを。




