第1話 TS転生したので、異世界から配信してみる
異世界に転生して十五年。
俺は今、人生最大の挑戦をしようとしていた。
「……接続先の座標、固定。魔力供給、安定。情報変換術式……よし、問題なし」
薄暗い研究室に、少女の澄んだ声が響く。
机には山積みの魔導書と羊皮紙。床には何度も書き直した魔法陣が刻まれ、中央では青白い光を放つ三重の魔法陣がゆっくりと回転していた。
「これで駄目だったら、さすがに泣くぞ……」
十歳の頃から五年間。爆発を起こして母さんに叱られたことも、魔力切れで三日間寝込んだこともある。貴重な魔石を使い潰して、父さんを青ざめさせたこともあった。
それでも諦めなかったのは、どうしても取り戻したいものがあったからだ。
「……いくぞ。《次元情報接続――ディメンション・リンク》!」
魔法陣が眩い光を放った。幾重にも重ねた術式が開き、空間そのものが水面のように揺らぐ。魔力が一気に引き抜かれ、膝が震えた。
「くっ……接続座標がぶれる……! 安定しろ……!」
余分な魔力の流出を遮断する。指先で術式の一部を修正した瞬間、魔法陣の中心に半透明の板が現れた。
縦六十センチ、横百センチほどの長方形。その表面に、懐かしい文字が浮かび上がる。
『接続中……』
『通信経路を確立しました』
「…………え?」
画面に検索窓とニュースの見出しが現れた。広告まで表示されている。
俺は震える手で検索窓に触れた。
『北海道 札幌』
表示されたのは、見覚えのある駅と街並みだった。
「……札幌だ」
前世で何度も歩いた道。もう二度と見られないと思っていた故郷。十五年という時間の隔たりが、画面を眺めているだけで胸に迫ってくる。
懐かしい。帰りたい。
いや、今の家族も生活も大好きだ。けれど、地球が俺のいないところで変わり続けていた事実を突きつけられると、少しだけ寂しくなる。
感傷に浸っていたのは、数十秒だった。
「……待て。検索できるなら、動画も見られるんじゃね?」
試しに動画サイトを開く。画面いっぱいに並んだサムネイルを見た瞬間、感情が爆発した。
「うおおおお! インターネットだああああ!」
十五年ぶりのネットだ。ゲーム実況にアニメの話題、料理動画。好きな時間に好きな動画を眺め、気になることを調べられる、あの堕落した文明生活が目の前にある。
俺は動画を再生した。懐かしい日本語が耳に飛び込んでくる。
「……やばい。ちょっと泣きそう」
日本語を話すことならできる。独り言も、研究メモも、ずっと日本語だった。でも、誰かが自然に話している日本語を聞くのは十五年ぶりだ。
画面の端に映った自分の姿を見て、ようやく現在の事情を思い出す。
長い銀髪。紫水晶のような瞳。白い肌。そして、どう見ても女の子にしか見えない顔。
今の俺は、女である。
前世の名は天宮悠真。北海道札幌市で暮らす十八歳の男子高校生だった。ゲームとアニメが好きで、将来はIT関係の仕事に就きたかった。ある日、交通事故で命を落とし、次に目を開けたときには異世界の赤ん坊になっていた。
リシア・アルヴェイン。それが今の俺の名前だ。ルミナス王国の地方貴族、アルヴェイン子爵家の次女。十五年間も女の子として過ごせば、さすがに日常生活には慣れる。
……ただし、姉さんにドレスを着せられ、着せ替え人形扱いされるのだけは納得していない。
「まあ、今はどうでもいいか。重要なのはネットだ」
もう一本動画を見ようとして、ある文字に目が留まった。
『ライブ配信』
「……ん?」
今回の魔法は、次元を越えて情報を送受信する術式だ。今は地球側から受信しているが、理論上はこちらからも送れる。映像記録術式と音声変換術式を組み合わせれば――。
「……異世界から配信できるんじゃないか?」
研究者としての好奇心が湧いてくる。
さっそく記録魔法を接続すると、空中に小さな光球が生まれた。映像と音声を拾う、魔法で作ったカメラだ。半透明の画面には銀髪の少女が映っている。
試しに手を振ると、少女も少し遅れて手を振った。
「おお、成功。……ちょっと遅延するけど」
地球の人間からすれば、異世界の景色は珍しいだろう。それに、うまくいけば日本語で誰かと会話できるかもしれない。
俺は配信設定を操作した。
配信者名は「リシア」。チャンネル名は「リシアの異世界魔法研究室」。
タイトルは『【初配信】異世界から魔法を使って配信してみた』。
「まあ、誰も来ないだろうけど。……えいっ」
『ライブ配信を開始しました』
視聴者数はゼロだった。
「えー、聞こえてますか? こちら異世界のルミナス王国です。初配信なので、適当に魔法でも見せようと思います」
返事はない。勢いで始めたものの、無人の画面に向かって喋るのは案外恥ずかしい。
そのとき、通知音が鳴った。
『視聴者数:1』
「……お?」
『名無し:え、何これ? CG?』
日本語だ。画面の向こうに、本当に誰かがいる。
「こんにちは! 初見さん、いらっしゃい! CGじゃないですよ。本物の魔法です!」
『名無し:はいはいw』
「いや、本当なんですって。じゃあ見せますね」
右手を掲げる。
「《火球》」
拳ほどの火球が手のひらに浮かび、意思に従ってゆっくり回転した。赤い炎を青に変え、細長く伸ばして小鳥の形にする。炎の鳥は研究室を一周し、空気に溶けるように消えた。
『名無し:!?』
『名無し:今のどうやった?』
『名無し:編集じゃないの?』
気づけば視聴者数は十七人になっていた。
「ちゃんと魔法なんですけどねぇ……」
『名無し:背景もすごい。スタジオ?』
「普通の研究室ですよ。あ、外も見ます?」
『名無し:見たい!』
窓を開け、撮影用の光球を外へ向ける。
眼下に広がるのは王都セレスティア。白い石造りの建物が並び、馬車が行き交う。遠くには王城と魔法塔がそびえ、青空には飛竜便の小さな影が見えた。
「ここが王都です。今日は天気がいいですね」
『名無し:規模おかしくない?』
『名無し:これ全部セットなの?』
「だから、セットじゃないですって」
笑っていた俺は、遠くの空に大きな影が差すのを見つけた。
「あ、ちょうどいいところに。ドラゴンが飛んでますね」
近づいてきたのは、夜を切り取ったような漆黒の巨体だった。長い尾が雲の下を横切り、翼を広げれば三十メートル近くはあるだろう。
陽光を浴びた鱗が、黒曜石のように鈍く輝く。巨大な翼が風を押しのけ、腹の底まで響くような低い咆哮が王都に届いた。
黒龍は王城の上空を大きく旋回すると、遠い山脈へ向かって飛び去っていった。こちらを襲う素振りはない。
『名無し:!?!?!?』
『名無し:黒いドラゴン!?』
『名無し:今の本物か!?』
『名無し:誰か録画してる!?』
「え、そんなに驚きます?」
もちろん、あんな大型の黒龍が王都の近くまで来るのは珍しい。けれど、この世界では竜そのものが実在する。俺にはその違いが少し伝わりにくかった。
「今のは黒龍ですね。黒い鱗が特徴の竜です。遠くを飛んでいたので、詳しいことまではわかりませんけど」
『名無し:黒龍って名前がもう強そう』
『名無し:怖すぎるだろ!』
「そうだなぁ……黒曜石みたいだったし、勝手に『ノクス』って呼ぼうかな。あ、正式な名前じゃなくて、俺が覚えるための呼び名です」
つい地球の視聴者相手に素の口調が出た。慌てて咳払いする。
「ええと、今の黒龍には近づかない方がいいですね。竜は種類によって習性も違いますし、刺激すると危険なので」
『名無し:比較的普通に説明してるの草』
『名無し:世界観どうなってんだよ!』
俺は首を傾げた。地球の人間にとって魔法もドラゴンも珍しいのだろう。
……いや、珍しいに決まっている。前世にはいなかったのだから。
「今後もいろいろ紹介していきますね」
軽い気持ちでそう言った直後、数字が跳ね上がった。
『視聴者数:1,204』
「……ん?」
『視聴者数:3,871』
「……え?」
『視聴者数:10,382』
「ちょ、ちょっと待って?」
コメントは読むのも難しい速さで流れ続けていた。
『SNSから来た!』
『黒龍ノクスの動画見て飛んできた』
『本物の魔法ってマジ?』
『銀髪の子かわいい』
別の画面を開くと、地球のSNSで関連する言葉が急上昇していた。
『#異世界配信』
『#本物の魔法』
『#黒龍ノクス』
『#銀髪美少女』
「……いや、俺はただネットがしたかっただけなんだけど?」
俺の呟きは、そのあとも増え続ける視聴者に届けられていた。
◇ ◇ ◇
同時刻、日本。
東京都内の研究室で、一人の男性がモニターを凝視していた。
「……ありえない」
物理学研究者、神崎修一。
彼はSNSで見かけた映像をきっかけに、銀髪の少女の配信を開いていた。炎の挙動。周囲の光の変化。王都の建造物が落とす影。そして、漆黒の竜が通り過ぎるときの風の動き。
もちろん映像だけで本物と断定はできない。それでも、疑問は尽きなかった。
「もし、本当に別の世界と通信しているのだとしたら……」
神崎はコメント欄に文字を打ち込む。
『神崎:その魔法について、詳しく説明していただけませんか?』
画面の少女が、ぱっと顔を輝かせた。
「あ、魔法に興味があるんですか? いいですよ! 私、魔法の研究が大好きなんです!」
神崎は息を呑んだ。
もし彼女の話が事実なら、人類の科学史は変わる。だが、今はそれを確かめる方法から考えなければならない。
◇ ◇ ◇
一方、異世界。
「ふふっ。日本語で会話できるって最高だなぁ」
配信を終えた俺は、研究室の椅子にもたれかかった。ネットにつながり、地球の人間と会話もできた。初めての配信としては上出来だろう。
研究に没頭して魔力を使いすぎたせいで頭は少し重い。今日はもう術式を止め、残った魔力と通信の記録をノートに書き留めておくことにした。
「さて、次は何を配信しようかな」
魔法の実験。王都の観光。異世界料理。いずれはダンジョン探索も面白そうだ。
ただし、さっきの黒龍を追いかけるような無茶はしない。ノクスには安全な距離から会えれば十分だ。
「よし。明日も配信するか!」
そう決めた俺は、もう一度地球の画面を開いた。
政府機関や研究者たちが、すでにこの映像の分析を始めていることも知らずに。
そして、遥か天上の神域で、一柱の女神が頭を抱えていることにも気づかないまま。
「……あ、明日はゲーム実況もいいな」
こうして、元男子高校生のTS転生美少女による異世界配信生活が幕を開けた。




