第2章 第6話 『多面界』
フードの人物についていくと、やがて、森が少しずつ開けていった。
木々の切れ間から、遠くの景色が見渡せる、小高い場所に出る。
ミオと水晶は、この世界のファンタジックな風景に驚いた。
雲を超えるほどの巨大な塔が遠くにそびえ立っち、その間には小さな村もあれば、賑わっているだろう大きな街がみえた。
日本では見たことのない場所だ。
芸術作品のような美しささえ感じるその風景はミオの心を揺らした。
「……ここまで来れば、しばらくは平気だろ。」
フードの人物は、そう言うと、近くの岩に、無造作に腰を下ろした。
ミオと水晶も、恐る恐る、その近くに座る。
「…さっきは助かった。改めて礼をさせてくれ。
俺は立川水晶だ。で、こっちが、」
礼を伝えながらミオを指す。
「あ、望月ミオです!さっきはありがとうございました。」
頭を下げて、感謝を伝える。
「……で。」
水晶が、口を開いた。
「あんた、結局何者なんだよ。」
フードの人物は、少しの沈黙のあと、フードを少しだけ上げた。
覗いた顔は、やはり若く、中性的だった。
銀に近い髪が、風もないのに、微かに揺れている。
「……アシュ、って呼べ。」
「アシュ……。」
「それが、名前……なのか?」
「さあな。ここに来たときには、もう、そう呼ばれてた。それだけだ。」
どこか、投げやりな答え方だった。
自分自身のことにすら、あまり興味がないような。
……
「ねぇ。」
ミオが、おずおずと口を開いた。
「この世界のこと、教えて……ください」
アシュは、しばらくミオを見つめたあと、小さくため息をついた。
「……いいだろう。どうせ、暇だ。」
そう言って、地面に、指で図形を描き始めた。
最初に描いたのは、立方体。
「これが、お前の連れてる"CUBE"の本質だ。正六面体。……大地を司る、力の器。」
「大地……?」
「この世界そのものを、繋ぎとめてる力の一つ、って言った方が早いか。」
アシュは、続けて、別の図形を描いていく。
尖った、四つの面を持つ図形。
「正四面体。火を司る器。」
次に、丸みを帯びた、多くの面を持つ図形。
「正二十面体。水を司る器。」
さらに、ダイヤモンドのような形の図形。
「正八面体。風を司る器。」
最後に、複雑に面が組み合わさった、五角形をいくつも持つ図形。
「正十二面体。……これは、まだ、話す段階じゃねぇ。」
アシュは、その最後の図形だけ、指で軽く消してしまった。
「……この五つの"器"が、それぞれの力で、この世界を支えてる。」
「支えてる……って、どういうこと?」
ミオが、首を傾げる。
「そのままの意味だ。」
アシュは、立ち上がり、遠くを指差した。
その先には、地平線の向こうに、赤く揺らめく光が、微かに見えていた。
「あっちは、火の領域。今は、荒れてる。あそこにいるのが、火神族だ。」
視線を、別の方向に移す。
「あっちは、水の領域。水神族の土地だが……最近、様子がおかしい、って噂だ。」
「様子がおかしいって……。」
「器の力が、弱まってきてる、ってことだ。お前の連れてるCUBE――大地の器が、弱ってるのと同じようにな。」
水晶が、眉をひそめた。
「じゃあ、CUBEだけじゃなくて……他の"器"も、ヤバいってことか。」
「そういうことだ。」
アシュは、淡々と答える。
「風の領域には、空神族。土の領域は、お前の連れてるCUBEと同じ、土神族の土地だ。」
「CUBEも……族、なの……?」
「本来はな。まあ、今は一人ぼっちで、お前にくっついてるみたいだが。」
ミオは、腕の中の、光の消えたCUBEを、そっと抱きしめ直した。
「五つの器が、全部揃って、初めてこの世界は保たれる。……その均衡が、今、崩れかけてる。」
アシュは静かにそういった。
「……あんた、なんで、そんなに詳しいんだよ。」
水晶が、疑わしげに尋ねた。
アシュは、一瞬だけ、目を伏せた。
「……昔、少しだけ、関わったことがある。それだけだ。」
それ以上は、何も語ろうとしなかった。
ミオは、ふと、消しかけた最後の図形の跡を見つめた。
「さっきの……五角形がいっぱいの、あれはなんですか?」
アシュの表情が、微かに強張った。
「……あれは、天隣人の器だ。」
「てんりん……じん……?」
「他の四族とは、格が違う。……いや、そもそも、"族"って呼び方すら、あいつらには合わねぇ。」
アシュは、それ以上語ろうとせず、話を切り上げるように立ち上がった。
「今は、それだけ知ってりゃ十分だ。」
……
ミオは、腕の中の、光の消えたCUBEを、そっと見つめた。
「……CUBE、大丈夫かな。」
「……分からない。」
アシュは、意外なほど、正直に答えた。
「だが、このまま何もしなければ、いずれ器は壊れる。壊れれば――」
「壊れれば?」
「この世界ごと、消える。お前らも、な。」
その言葉に、ミオの体が、小さく震えた。
……
「だから。」
アシュは、フードを再び深く被り直した。
「塔に向かうんだろ。だったら、案内してやる。」
気づかれていたようだ。
「……なんで、あんたが手伝ってくれるんだよ。」
水晶が、まだ警戒を解かないまま、問いかける。
アシュは、少し困ったように、肩をすくめた。
「理由なんて、いらねぇだろ。……強いて言うなら。」
視線が、ふと、ミオの腕の中のCUBEに向けられる。
「…そいつに、少し、借りがあるだけだ。」
それだけ言うと、アシュは、また迷いのない足取りで、塔の方角へと歩き出した。
ミオと水晶は、顔を見合わせる。
まだ、何も分からないことばかりだった。
この世界のことも、アシュのことも、CUBEの本当の力のことも。
それでも――
「……行こう、水晶さん。」
ミオは、CUBEを強く抱きしめて、立ち上がった。
水晶も、小さく頷いて、その後に続いた。
多面界と呼ばれる、この不思議な世界の奥へ、三人の足音のない足音が、静かに進んでいった。




