第2章 第5話 『灰色の住人』
塔を目指して、二人は歩き続けていた。
どれくらい歩いただろうか。音のない森は、進んでも進んでも、景色があまり変わらないように感じられた。
「……なあ。」
水晶が、ぽつりと呟いた。
「この森、なんか、おかしくねぇか。」
「おかしいって?」
「さっきから、同じような木ばっかりだ。方向、合ってんのか?」
ミオも、薄々感じていた。
遠くに見えているはずの塔が、歩いても歩いても、ほとんど近づいていないように見える。
「……CUBE。」
ミオは、胸に抱いた立方体に、そっと呼びかけた。
だが、返事はない。
冷たいままの表面を、指先でそっと撫でる。
「まだ、眠ってるみたい。」
「……頼りねぇな、肝心なときに。」
水晶が、ため息をついた、そのときだった。
――ガサッ。
茂みが、大きく揺れた。
「……なんだ?」
水晶が、身構える。
茂みの向こうから、ゆっくりと、何かが姿を現した。
それは、獣とも植物ともつかない、奇妙な姿をしていた。
体は、灰色の樹皮のようなもので覆われ、背中からは、枯れ木のような角が何本も生えている。 顔らしき部分には、目のような、赤く光る二つの点があるだけだった。
大きさは、家の壁ほどもある。
水晶とミオは得体のしれないその生物にゾッとした。
「……っ、下がれ、ミオ!」
水晶が、ミオを庇うように前に出た。
その生き物は、地面を揺らしながら、ゆっくりと近づいてくる。
歩みは遅い。だが、纏っている気配は、明らかに敵意のあるものだった。
「くそ、丸腰かよ……!」
水晶は、腰に提げていた警棒を握りしめる。
だが、そんな小さな武器で、あの巨体に太刀打ちできるとは、自分でも思っていなかった。
「ミオ、俺の後ろから離れるな。」
「う、うん……!」
生き物が、咆哮を上げた。
音のしない世界のはずなのに、その咆哮だけは、腹の底に響くように聞こえた。
――突進してくる。
「くっ……!」
水晶が、ミオを抱えて横に飛ぶ。
生き物の腕のようなものが、直前まで二人がいた地面を、大きく抉った。
土煙が舞う。
「マジかよ……こんなんどうしろって……!」
水晶の額に、冷や汗が伝う。
このままでは、まずい。
武器もない。CUBEも眠ったまま。
逃げ場もない、開けた場所。
――そのとき。
ミオの腕の中で、CUBEが、微かに光り始めた。
『……まだ……力、足りないけど……。』
弱々しい声。
だが、確かにCUBEの声だった。
「CUBE……!」
『少しだけ……時間、稼ぐ……。』
光が集まり、ミオの手のひらの上で、小さな刃のような形を作り出した。
だが、それは、剣というより、ペーパーナイフほどの、頼りない大きさだった。
「……こんなんじゃ……!」
水晶が、思わず呟く。
『ごめん……今のボクじゃ……これが、精一杯……。』
CUBEの声は、今にも消えそうだった。
それでも、その小さな光の刃は、確かにミオの手に握られていた。
生き物が、再び咆哮を上げ、突進してくる。
「――もうダメだ、逃げ……!」
水晶が叫んだ、その瞬間。
――風のように、何かが、二人の前に降り立った。
……
「――邪魔だ、消えろ。」
低く、静かな声。
目の前に立っていたのは、灰色のフードを深く被った人物だった。
背丈は、水晶よりも少し低いくらい。だが、纏う気配は、まるで違った。
その手には、細長い、剣とも杖ともつかない武器が握られていた。
一閃。
銀色の光が、走ったかと思うと、次の瞬間、あの巨大な生き物は、真っ二つに裂けて、粒子のように空中へ溶けて消えていった。
静寂が、戻る。
「……え……。」
ミオも水晶も、しばらく、言葉を失っていた。
……
フードの人物は、ゆっくりとこちらを振り返った。
フードの下から覗く顔は、まだ若い。二十歳前後だろうか。
中性的な顔立ちで、男か女かも、すぐには判別がつかなかった。
瞳の色は、この世界の空と同じ、薄い水色をしていた。
「……お前ら、なんでこんな所にいる。」
声は、ぶっきらぼうで、感情が読み取りにくかった。
「ここはお前らのような弱者が通れる場所じゃないぞ。」
ミオと水晶の装備を観察しながらそう伝える。弱者ってひどいな。
「あ、いや、その……助かった、みたいな……。」
水晶が、警戒しながらも、頭を下げる。
その人物は、水晶とミオを、値踏みするように、じっと見つめていた。
敵意があるのか、ないのか、まるで読めない目だった。
「……お前ら、"外側"の人間か。」
「外側……?」
「この世界の、外。現実、って言った方が分かりやすいか。」
ミオと水晶は、顔を見合わせた。
「……あんた、何者だよ。」
水晶が、慎重に尋ねる。
フードの人物は、少しの沈黙のあと、ぽつりと答えた。
「……名前は、ある。だが、教える義理はねぇ。」
「おい……。」
「ただ。」
その人物は、粒子となって消えていった生き物がいた場所を、じっと見つめた。
「この世界には、"歪み"に呑まれた奴らが、どんどん増えてる。お前らも、うかうかしてると、ああなるぞ。」
「歪み……?」
ミオが、思わず問い返す。
「あのCUBEとやらが、力を失いかけてるからだ。この世界を保ってるのは、あいつの力だからな。」
水晶が、目を見開いた。
「……お前、CUBEのこと知ってんのか。」
フードの人物は、答えなかった。
ただ、静かにミオの腕の中の、光の消えかけたCUBEを見つめていた。
その目に浮かんでいたのは――
敵意でも、興味でもない。
どこか、懐かしむような色だった。
「……あの。」
ミオが、遠くに見える、あの光る塔を指差した。
「あれ、何……? さっきから、ずっと見えてる。」
アシュは、一瞬、塔の方角に目をやった。
「……"塔"だ。この世界の、どこからでも見える。」
「あそこに、何があるの?」
「……さあな。」
その答え方は、他の質問への態度とは、少し違う響きを持っていた。
知らない、というより、あえて、はぐらかしているような。
「行けば、何か分かるのか?」
水晶が、重ねて尋ねる。
「……行きたきゃ、勝手に行け。止めやしねぇ。」
アシュは、それだけ言うと、話を切り上げるように、視線を逸らした。
ミオは、その横顔を、少しの間、見つめていた。
――この人も、あの塔に、何か思うところがあるのかもしれない。
そんな、漠然とした予感が、胸の奥に、小さく残った。
「……ついてこい。」
「え?」
「立ち話してる余裕は、ねぇんだよ。この辺りは、もうすぐまた"歪み"が湧く。」
そう言って、フードの人物は、迷いのない足取りで、森の奥へと歩き出した。
ミオと水晶は、顔を見合わせる。
敵か、味方か。
まだ、分からない。
だが、他に、頼れるものは何もなかった。
二人は、小さく頷き合うと、その後ろ姿を追って、歩き出した。
「……今の、何だったんだよ。」
水晶が、警戒を解かないまま尋ねた。
この人は初めて見た生物について詳しそうだ。
「"歪み"だ。」
アシュは、短く答えた。
「この世界を支えてる力が、弱ると、その綻びから生まれる。土地も、生き物も、力を失いすぎると、ああやって、歪みに呑まれる。」
「……戻んねぇのか、それ。」
「呑まれきる前なら、まだ間に合う。だが、完全に歪みきったら、二度と戻らねぇ。」
よくわからない説明をされた。
ミオは小学生だけど、バカじゃない。
この世界は、ミオ達が住んでいる世界と違う部分があまりにも多すぎる。
この人もそうだ。
この灰色のフードをかぶった人は武器をもち、見たことない速さであれを倒した。
その瞬間、ミオは謎の多いこの人物を警戒した。
…でも、今は頼るしかない。
まずはこの森を抜けよう。
ミオはそう考えた。




