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多面世界の迷い子 〜私はCUBEに救われる〜  作者: 今日の朝食
第3章 多面界 火神界編
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第3章 第15話 『火神界の祭り』


 火神族の街の入り口は、人の波だった。


 赤い屋根の建物が坂道に沿って立ち並び、路地のあちこちで太鼓や笛の音が交錯している。

 どの店先も色とりどりの布や提灯で飾られ、人々は浴衣のような軽い装いで笑い声を上げていた。


 「……すごい人だな。」

 水晶が、思わず足を止める。


 「ああ。十年に一度の大祭りらしい。時期が悪かったな。」

 アシュが、周囲を警戒するように目を走らせた。




 ミオは、目を輝かせながら、路地の奥を覗き込んでいた。

 子供の頃、父とヒナと三人で行った夏祭りをふと思い出していた。

 金魚すくいの水の音。

 りんご飴の甘い匂い。

 ヒナが「俺はチョコバナナ派だ!」と言い張っていた、あの夜。

 

 「――おい、ミオ。」

 水晶の声が、遠くでした。

 「ん?」

 振り返ろうとした瞬間、背後から大勢の人々が押し寄せてきた。

 

 祭りの行列だ。

 赤い仮面を被った男たちが、大きな山車を引いている。


 「ちょっと――」

 体が、人混みに押されていく。


 「ミオ!」

 水晶の声が、人々の歓声に掻き消されていった。

 

 ……

 

 人混みが途切れた頃、ミオは知らない路地の角に立っていた。

 周りには、見たこともない顔ばかり。誰も、こちらに気づいていない。


 「……水晶さん? アシュ?」

 小さく呼んでみる。しかし、返事はない。

 腕の中で、CUBEが、微かに光った。


 『……二人の気配、遠くなってる。でも、大丈夫。きっと、すぐ見つかるよ。』

 「うん……。」

 ミオは、小さく頷いた。

 

 前の自分なら、こうなった瞬間に泣いていたかもしれない。

 路地の隅に蹲って、誰かが助けに来るのをただ待っていたかもしれない。


 でも、今は違う。


 「……CUBE。ルール・フォーカスのこと、聞いてみよう。」

 『うん。祭りの本部なら、あの大きな建物じゃないかな。』

 CUBEの光が、路地の先、坂の上にある大きな赤い建物を指すように揺れた。

 ミオは、足を踏み出した。


 ……


 坂道を登りながら、ミオは人々に声をかけてみた。


 「あの……すみません。」

 最初に声をかけたのは、果物の露店を守る老婆だった。


 「祭りの本部って、あの建物ですか?」

 老婆は、ミオの顔をじっと見た。

 黒いロングヘアに、クリーム色のフード。明らかにこの辺りの子供ではない。


 「……外から来たのかい?」

 「はい。」

 「ふうん。」

 老婆は、しばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。


 「あそこが本部さ。……でも、今は誰も入れてくれないよ。大祭りの最中だからね。重要な人しか、入れないんだ。」

 「重要な人……?」

 「族長さまとか、祭りを仕切る長老たちとかさ。」

 老婆は、ミオの隣に腰を下ろすと、小さく切った果物を差し出した。


 「ほら。甘いから、食べな。」

 「……ありがとうございます。」

 ミオは、恐る恐る受け取った。

 一口かじると、確かに、蜂蜜のような甘さが口の中に広がった。


 「あなた、何であんな人を探してるのかい?」

 「えっと……。」

 ミオは、少し迷った。

 でも、隠しても仕方がない。


 「ルール・フォーカスっていう人を、探してて。」

 その名前を口にした瞬間、老婆の表情が、微かに曇った。


 「……あの名前、どこで聞いたの?」

 「友達が……。」

 老婆は、しばらく黙っていた。

 やがて、小さくため息をついた。


 「……あの人は、もういないよ。」

 「いない……?」

 「十年前に、消えたんだ。火神族の英雄だったのに、突然、姿を消してね。……それ以来、誰も、あの人のことを話さないようになったんだよ。」

 ミオは、CUBEをそっと抱きしめた。


 『……十年前。』

 CUBEの声が、小さく震えた。


 『ボクが、封じられたのと、同じ頃……。』

 老婆は、遠くを見つめながら、続けた。


 「あの人がいなくなってから、火神族は少しずつ、変わっていったんだ。祭りは盛大になったけど……誰も、本当に楽しんでない。まるで、楽しむふりをしてるみたいに。」


 ミオは、あの塔で見た映像を思い出した。

 笑っているのに、誰も笑っていない、あの祭りの光景。


 「……どうして、皆さん、話さないんですか?」

 「族長さまが、禁じたからさ。あの人の名前を口にする者は、火神族の敵だ、って。」

 老婆は、そこで、口を噤んだ。


 「……もう、行きな。あんまり、あの名前を口にしない方がいいよ。」

 ミオは、老婆に「ありがとうございました。」とお礼をして立ち去った。


 ………


 一方、人混みの向こう側。

 水晶は、額の汗を拭いながら、周囲を見回していた。


 「……クソ、どこ行ったんだよ。」

 「落ち着け。ガキが一人で動けなくなるほど、弱くはなってない。」

 アシュが、冷静に言う。


 「わかってるよ。……わかってるけどよ。」

 水晶は、歯を食いしばった。

 あの父親の顔が、脳裏をよぎる。

 酒臭い息。

 震える手。

 ――そして、ミオを殴ったあの日の光景。


 「……あの子を、また、見失うわけにはいかねぇ。」

 アシュは、水晶のその表情を、一瞬だけ見つめた。


 「……お前、あの子のこと、本気で心配してるな。」

 「当たり前だろうが。」

 「ふうん。」

 アシュは、何か言いかけたが、その瞬間。

 

 ――カサリ。

 路地の奥から、微かな物音。


 「……誰だ。」

 アシュが、凪刀に手をかけた。


 姿を現したのは、黒ずくめの装束を纏った人影だった。

 顔の下半分を覆う無機質な仮面。胸元の幾何学的な紋章。


 「……調律機関。」

 アシュの声が、低く鋭くなった。

 人影は二人を見つめると、静かに口を開いた。


 「――対象、周辺に確認。核の気配、近傍にあり。」

 「テメェ……。」

 水晶が、剣を抜いた。


 「ミオを、狙ってるのか。」

 「――核は、人の手には余る。回収が、最善の処置。」

 人影の手のひらに、赤黒い光が渦を巻き始める。


 「……アシュ、数は?」

 「……三体。いや、もっといるな。」

 アシュが、周囲の気配を感じ取りながら、短く答えた。


 「ここでやり合うのは、まずい。人混みの中だ。」

 「じゃあ、どうすんだよ。」

 水晶は焦る。

 人ごみのなかで戦いが起これば、町の何人かが死んでしまうかもしれない。

 しかし、アシュが言った。


 「――引きつける。」

 アシュが、凪刀を一閃させた。

 風の刃が、路地の壁を抉り、大きな音を立てた。


 「こっちだ、付いてこい!」

 「――危険な力…。最優先抹消対象として認識する。」

 アシュが、路地の奥へと走り出す。

 黒ずくめの人影たちが、一斉にその後を追った。

 水晶は、最後に、ミオが消えた方角を振り返った。


 「……すまねぇ、ミオ。ちょっと、待っててくれ。」


 ………


 本部の建物に近づいた頃、ミオは気づいた。

 背後に、何者かの気配がある。


 「……キューブ?」

 『……調律機関。三体、後ろにいる。』

 CUBEの声が、緊張に震えていた。

 ミオは、小さく息を呑んだ。


 前の自分なら、震えて動けなくなっていた。

 でも、今は違う。アシュに教わったこと、水晶と共に歩いてきた旅。

 その経験がミオの足を前に動かす。


 「……逃げよう。」

 『うん。坂の上、左の路地。あそこなら、人が少ない。』

 ミオは、足を踏み出した。


 背後から、無機質な声が聞こえた。

 「――対象、発見。回収を開始。」

 ミオは、路地を駆け抜ける。祭りの喧騒が、遠ざかっていく。

 

 「待て。」

 冷たい声。足音が近づいてくる。


 「……っ。」

 路地の先は、行き止まりだった。


 「キューブ......!」

 『……ミオ、信じて。ボクが、守る。』

 CUBEが、強く光り始めた。


 ――その瞬間。


 「――おい、そこのガキ。」

 頭上から、声が降ってきた。

 ミオが、思わず顔を上げると、そこには、赤い髪の青年が、建物の屋根からこちらを見下ろしていた。


 「……あんた、外から来たのか?」

 「え……?」

 「へぇ、調律機関に追われてるなんて、面白い身分してんな。」

 青年は、にやりと笑うと、屋根から軽やかに飛び降りた。

 

 「――ま、いい。俺は暇だし、助けてやるよ。」

 「危険人物を発見。直ちに排除せ――。」

  ――バゴッ!

 そんな鈍い音とともに、調律機関の視界がぶれる――。


 首がもげた。

 血しぶきが舞い、返り血が彼に付着する。

 

 「うるさいぞ。黙ってろ」

 口に指を当てて、調律機関を黙らせる…。


 ………



 水晶とアシュが、路地を駆け抜けて辿り着いたのは、小さな広場だった。

 そこで、ミオが、見知らぬ赤い髪の青年と共に立っていた。


 「ミオ!」

 「水晶さん!」

 ミオが、駆け寄ってくる。


 「……お前、無事だったのか。」

 「うん。この人が、助けてくれたの。」

 水晶は、赤い髪の青年を、警戒するように見つめた。


 「……お前、誰だ。」

 「俺? ただの冒険者さ。」

 青年は、肩をすくめた。


 「名前は、レオン。火神界で生まれた、どこにでもいる傭兵ってところかな。」

 「……傭兵が、なんで調律機関と敵対する。」

 アシュが、凪刀に手をかけたまま、低く尋ねる。

 レオンは、にやりと笑った。


 「敵対? いやいや、ただ、あいつらのやり方、気に食わねぇだけさ。……それに。」

 レオンの目が、ミオの腕の中のCUBEに、一瞬止まった。


 「この光、懐かしいな。――十年前、見たことあるような…。」

 ミオは、CUBEをそっと抱きしめた。


 「……十年前?」

 「ああ。子供の頃、あの光に、助けられたことがあるんだ。」

 レオンは、遠くを見つめながら、小さく笑った。


 「……ま、詳しい話は、また今度。とりあえず、ここは危ねぇ。あいつら、すぐに増援を呼んでくるからよ。」

 「……どこに行くんだ。」

 「俺の隠れ家さ。そこなら、しばらく安全だ。」

 レオンは、そう言うと、祭りの喧騒の奥へと歩き出した。

 ミオは、水晶とアシュと顔を見合わせた。


 「……行こう。」

 「ああ。」

 「……仕方ないな。」

 三人は、レオンの後を追った。


 ………


 レオンの隠れ家は、街の外れにある、古い倉庫だった。

 中は、意外と整頓されていて、壁には地図や武器が吊るされていた。


 「……へぇ、結構、本格的じゃねぇか。」

 水晶が、周囲を見回しながら言う。

 

 「生業だからな。」

 レオンが、笑いながら、テーブルに水の入ったコップを並べた。


 「さっき、あんたが探してた名前……ルール・フォーカス、だっけ。」

 ミオは、思わず身を乗り出した。

 

 「知ってるんですか!?」

 「まあな。……火神族の、かつての英雄さ。十年前に、突然、姿を消した。」

 レオンは、コップを手に取りながら、続けた。


 「あの人がいなくなってから、火神族は変わった。族長が、あの人の名前を禁じて、祭りを盛大にするようになって。……まるで、何かを隠してるみたいに。」

 ミオは、路地で会った老婆の言葉と重ね合わせた。


 「……どうして、消えたんですか?」

 「さあな。誰も知らない。……ただ、一つだけ、噂がある。」

 レオンは、声を落とした。


 「あの人が、最後に現れたのは、『塔』の近くだ、って。」

 『……塔。』

 CUBEの声が、小さく震えた。


 「あと、もう一つ。」

 レオンは、ミオの目をまっすぐ見た。


 「あんたの持ってる、その光。……十年前、あの人も、同じような光を、持ってた。」

 ミオは、CUBEを、ぎゅっと抱きしめた。


 「……CUBE。ルール・フォーカスは、あなたの……。」

 『……分からない。でも、十年前。ボクが封じられたのと、同じ頃。同じ場所。……それだけは、確か。』

 CUBEの声には、初めてのような、確かな迷いがあった。

 レオンは、立ち上がると、窓の外を見た。


 「……ま、今夜はここで休みな。明日、情報収集に行くなら、朝がいい。大祭りの最終日だ。

 「……なんで、そこまで教えてくれるんですか。」

 ミオが、小さく尋ねた。

 レオンは、振り返ると、にやりと笑った。


 「さっきも言っただろ。十年前、あの光に助けられた。……借り、返してるだけさ。」


 ………


 夜更け、隠れ家の屋根裏で、ミオはCUBEを抱きしめたまま、窓の外を見ていた。

 祭りの灯りが、遠くで揺れている。

 太鼓の音は、もう聞こえない。

 ただ、風に乗って、時折、歓声が微かに届くだけだった。


 「……CUBE。」

 『うん?』

 「ルール・フォーカスが、CUBEの前のパートナーだったら......どうする?」

 CUBEの光が、一瞬、揺れた。


 『……分からない。でも、ボクは、ミオの味方だよ。それだけは、変わらない。』

 「うん。」

 ミオは、小さく頷いた。

 階下から、水晶とアシュの声が聞こえてきた。


 「……おい、本当にあいつ、信じていいのか?」

 「今のところ、害はない。」

 「そりゃあそうだが……。」

 「お前が、疑り深いだけだ。」

 「しょうがねぇだろ。――仕事上ちょっとな…。」

 

 ミオは、くすっと笑った。

 ――二人とも、いつもの調子。

 それだけで、こんなにも安心できるなんて。

 

 『ミオ。』

 CUBEの声が、静かに響いた。


 『情報収集の時、もしかしたら……ボクの記憶の一部が、戻るかもしれない。でも、それが、怖いことだったら……。』

 「大丈夫。」

 ミオは、CUBEをそっと撫でた。

 

 「一緒に、覚えよう。怖いことも、嬉しいことも、全部。」

 CUBEの光が、優しく、瞬いた。

 

 『……うん。』

 階下では、レオンが一人、地図を広げていた。


 ――十年前の記憶。

 あの光に助けられた、あの日。


 ――もしかして、あのガキが、あの光を持ってるってことは……。

 レオンは、小さく笑った。


 「……面白い。十年越しの、再会か。」

 窓の外では、この日最後の花火が、静かに昇っていた。



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