第3章 第13話 『赤い地平線へ』
洞窟を出ると、空気が、これまでとは、少し違って感じられた。
乾いた、ざらついた風。
遠くの空が、うっすらと、赤みを帯びている。
「……あっちが、火神界か。」
水晶が、目を細めながら、呟いた。
「ああ。まだ、随分遠いがな。」
アシュが、短く答える。
……
歩き始めてまだ間もない頃だった。
茂みの奥から、ガサガサと何かが動く音がした。
「……また、敵か?」
水晶が、剣に手をかける。
だが、姿を現したのはこれまで見た灰色の歪みとはまるで違う生き物だった。
小さな猫ほどの大きさのトカゲのような姿。背中に、燃えるような赤いたてがみが、生えている。
「……あれ?」
ミオが、思わず、目を丸くする。
その生き物は、三人を見つけると、ぴょこん、と、飛び跳ねて、こちらに、近づいてきた。
「……敵、じゃねぇみたいだな。」
水晶が、恐る恐る手を差し出すと、その生き物は鼻先をくんくんと近づけてきた。
「……可愛くねぇか、これ。」
「うん! かわいい!」
ミオが目を輝かせてしゃがみこむ。
生き物はミオの手のひらに頭を擦り付けてきた。
その瞬間、手のひらに、ほんのり、温かさが、伝わってくる。
「……あったかい。」
『……その子、火炎龍の子供だと思う。火神界に近づくとよく見かける生き物だよ。』
CUBEが、教えてくれた。
「……名前、ある?」
『分からない。……ミオが、つけてあげたら?』
ミオは、少し考えた。
ミオにとって名前をつけるということは初めてだった。
「ここはやっぱりあれか?ヒ〇カゲとか…」
「そのまま過ぎるだろ」
水晶の提案にアシュがツッコむ。
「……アーロン。」
ミオは少し考えてそう答える。
昔見た恐竜の映画をもとにしていた。
しかし、その名前を口にした瞬間少しだけ胸の奥がちくりとした。それは痛みというより懐かしさに似ていた。
……
その日は、結局アーロンと呼ばれることになったトカゲが、しばらく、三人の後をついてきた。
「……なあ、こいつ連れてくつもりか?」
水晶が、呆れたように、尋ねる。
「だめ……?」
「別に、俺はいいけどよ。」
しばらく歩いた頃だった。
突然、アーロンがびくりと体を震わせた。
毛を逆立て、低く、唸り始める。
「……どうしたの?」
ミオが、覗き込んだ、その瞬間。
「――伏せろ。」
アシュの声が鋭く響いた。
三人は、慌てて近くの岩陰に身を隠す。
しばらくすると、遠く荒野の向こうを、黒ずくめの人影がいくつも横切っていくのが見えた。
規則正しい、機械的な足取り。
その中の一体が、ふと足を止めた。
「……今、気配がしたな。」
抑揚のない声が風に乗って微かに届く。
「……ただの、トカゲでしょう。」
「……そうか。」
その人影は、一瞬こちらの方角をじっと見つめていたが――
やがて、興味を失ったように再び歩き出した。
三人は、息を殺したままその一部始終を見守っていた。
その姿が、完全に見えなくなった。
「……行った、か。」
水晶が詰めていた息を吐き出す。
「……アーロン、教えてくれたの?」
ミオが、腕の中でまだ僅かに震えているアーロンをそっと撫でた。
『……火炎龍は、危険を敏感に察知するんだ。この辺りの生き物にとって調律機関は……天敵、みたいなものだから。』
CUBEが、静かに教えてくれた。
アーロンはただ可愛いだけの生き物ではなかった。
この世界で、確かに命がけで生きているひとつの存在なのだと、ミオは改めて実感した。
……
その日の夕方、アーロンは名残惜しそうに鳴き声を上げると茂みの奥へ帰っていった。
「……行っちゃった。」
ミオが少し寂しそうにその背中を見送った。
「あの辺りが縄張りなんだろうな。
まあ、気にすんな。どっかで会える…。」
水晶が慰めるように頭を軽く撫でた。
……
その夜、野営の準備をしていると水晶が、荷物を広げながら、顔をしかめた。
「……食料、こんだけかよ。」
荷物の中のパンの数は思っていたより随分心許なかった。
「……足りねぇな、これじゃ。」
「俺が行く。」
アシュが、短く言った。
「お前が? ……お前、狩りなんてできんのかよ。」
「狩るくらい、できる。」
アシュはそう言うと、武器を持って茂みの奥へ姿を消した。
……
しばらくして、戻ってきたアシュの手には、小さな野兎が一匹下げられていた。
「……。」
ミオはその姿を見て思わず言葉を失った。
「……どうした。」
「……ううん。」
ミオは、小さく首を振った。
でも、頭の中では色んなことが渦を巻いていた。
あの可愛かったアーロンとこの狩られた野兎。
何が違うのか、うまく言葉にできなかった。
ただ――
自分たちが、生きるということは誰かの命をこうしていただくことなのだと改めて実感した。
「……食わなきゃ、生きていけない。それだけだ。」
アシュが火にかけながらぽつりと言った。
「悪いとは、思わなくていい。……でも、忘れんな。」
ミオは、その言葉を静かに噛み締めた。
……
焼き上がった肉を、三人で、分け合って食べる。
「……美味い。」
水晶が、頬張りながら、目を細める。
ミオも、少し緊張しながら口に運んだ。
温かくてじんわりと体に染み渡る味だった。
「……ありがとう。」
小さくそう呟く。
命をいただくということの重みを噛み締めながら。
……
食事の後、水晶が残ったパンを半分に割ってミオに差し出した。
「ほら。お前の分、少なかっただろ。」
「……いいの?」
「いいから、食え。」
「……ありがとう。」
ミオは素直に受け取ると自然に笑顔がこぼれた。
その様子を、アシュが少し離れた場所から静かに見つめていた。
……
「……なあ、アシュ。」
水晶が焚き火を突きながら尋ねた。
「火神族ってどんな奴らなんだ?」
「……祭りが好きな連中だ。」
「祭り?」
「一年中、何かしらの祭りをやってるって話だ。喧嘩っ早い奴らも多いが……根は悪くねぇ。」
「料理は?」
「……全部、辛い。」
「辛いのか。」
「泣きながら食う奴もいるって聞いたことがある。」
「……ミオ、大丈夫か、それ。」
「……ちょっと、不安。」
三人の間に小さな笑いが起きた。
……
夜が更けて、水晶が、先に、眠りについた頃。
ミオは、焚き火の前で、CUBEを、そっと、抱きしめていた。
「……ねえ、CUBE。」
『うん?』
「わたし、最近……前より、ずっと、笑えるようになった気がする。」
『……そうだね。』
CUBEの光が、優しく、揺れた。
……
少し離れた場所で、アシュが寝ずの番をしながらその様子を見つめていた。
焚き火に照らされたミオの穏やかな横顔。
――こんな顔、するようになったんだな。
アシュは、小さくそう思いながら視線を夜空に移した。
……
翌朝、荒野をさらに進んでいくと。
「……見えてきた。」
アシュの声にミオは顔を上げた。
遠くから、風に乗って太鼓の音が微かに聞こえてくる。
歓声のような賑やかな声も混じっていた。
山の向こう赤い光が地平線を染めていた。
立ち上る赤い煙。
街の中心で巨大な炎が揺らめいている。
その周りを赤い羽の鳥の群れが旋回していた。
夜空に色とりどりの火花が次々と打ち上がる。
「……なんだ、あの街。」
水晶が思わず息を呑んだ。
「……すごい……。」
ミオも、その光景に目を奪われていた。
「祭りって、レベルじゃねぇぞ、あれ。」
「火神界だ。」
アシュが静かに告げた。
三人はしばらく、その光景から目を離せずにいた。
塔までの道のりも火神界までの道のりも長かった。
それでも、この旅は――
思っていたよりも、ずっと色々なものを教えてくれていた。
そして、いよいよ――
その赤く輝く街に足を踏み入れる時が近づいていた。




