第2章 第10話 『歪んだ契約』
螺旋階段を上りきると、そこには、また別の、小さな部屋が広がっていた。
円形の広間よりも、ずっと静かな場所だった。
中央に、ぽつんと、光る台座が一つ。
その周りを、幾重にも重なった、五角形の紋様が取り囲んでいる。
「……ここが、契約の間?」
ミオが、辺りを見回しながら尋ねる。
『……うん。』
CUBEの声は、いつもより、少し、硬かった。
……
台座に近づくと、光が、ゆっくりと反応し始めた。
中心に、小さな、透き通った結晶が浮かび上がる。
その結晶の中に、うっすらと、文字のようなものが浮かんでいた。
「……何か、書いてある。」
水晶が、顔を近づける。
『……これが、契約の記録。』
CUBEの光が、文字に重なるように、揺れた。
『……名前の部分が、掠れてる。読み取れない。』
「わざとか?」
アシュが、低い声で言う。
「わざと……?」
「契約の記録が、掠れるなんてこと、普通は起きねぇ。……誰かが、意図的に、痕跡を消そうとしたんだろ。」
その言葉に、場の空気が、少し、張り詰めた。
……
ミオは、結晶に、そっと手を伸ばした。
触れた瞬間、微かな光が、指先から、腕を伝って広がっていく。
「……あ。」
『ミオ……?』
「なんか……見える、気がする。」
ミオの脳裏に、断片的な映像が、流れ込んできた。
――色とりどりの光が、渦を巻くように、夜空に打ち上がる。
――太鼓や笛のような音が、遠くで、絶え間なく鳴り響いている。
――大勢の人影が、仮面をつけたまま、輪になって踊っている。
賑やかで、華やかで――でも。
その笑い声は、どこか、耳障りだった。
楽しそうなのに、誰も、目が笑っていないような。
まるで、笑うことを、義務づけられているような。
輪の中心に、ひときわ大きな、ピエロのような人影が立っていた。
顔は、はっきりと見えない。ただ、その口だけが、不自然なほど大きく、弧を描いていた。
その人影が、両手を広げると――
踊っていた人々の影が、一斉に、糸の切れた人形のように、崩れ落ちた。
「……!」
ミオは、思わず、手を引いた。
「……ミオ!?」
水晶が、慌てて、肩を支える。
「……なんか、見えたのか。」
アシュが、静かに、尋ねた。
「うん……お祭り、みたいな……。」
ミオの声は、震えていた。
「でも……なんか、怖かった。すごく、賑やかなのに……誰も、本当は笑ってない、みたいな。」
そう言った瞬間、自分の言葉に、ミオ自身、ぞっとした。
――あの光景、どこかで、見たことがある気がする。
だが、それが、いつ、どこでだったのか、思い出せなかった。
「……もう一つ、分かったことがある。」
アシュが、台座の縁を、指でなぞりながら言った。
「この契約……完全には、切れてねぇ。だが、真っ当な状態でもねぇ。」
「どういうことだよ。」
水晶が、尋ねる。
「……歪んでる。」
アシュの声が、低くなった。
「本来なら、パートナーが変わるときは、ちゃんと"解消"の手続きを踏む。だが、この契約は……無理やり、引き延ばされてる感じがする。」
『……無理やり?』
CUBEの声が、動揺したように、揺れた。
「誰かが、契約が切れないように、細工してる。……そんな真似ができる奴、そう多くはねぇ。」
……
「……それって、CUBEの前のパートナー本人が、やってるってことか?」
水晶が、腕を組む。
「……あるいは、その周りにいる、誰かかもな。」
アシュの目に、僅かに、険しい色が浮かんだ。
「どっちにしろ……ろくでもねぇ話だ。」
……
『……ボク、ちゃんと、その人を見つけなきゃ。』
CUBEの声には、これまでにない、強い意志が滲んでいた。
『このままだと……ミオも、その人も、ちゃんと救えない。』
「大丈夫。」
ミオは、CUBEを、そっと抱きしめた。
「一緒に、探そう。」
……
水晶は、その様子を眺めながら、ふと、アシュの横顔に目を留めた。
……なんとなく、思う。
この塔に着いてから、アシュの口数が、いつもより、少ない気がする。
「……おい、アシュ。」
「あ?」
「お前、さっきから、随分、静かじゃねぇか。」
「……別に、普通だろ。」
アシュは、そっけなく答えたが、その声は、心なしか、いつもより、少し高く聞こえた。
「……あ? お前、今、なんか、声――」
「ッ!うるさい、 気のせいだ!」
珍しく、慌てたように、声を荒げるアシュ。
水晶は、一瞬、きょとんとしたあと、何かを誤魔化すように、頭を掻いた。
「……いや、悪い。空耳だったわ。」
それ以上、深くは追及しなかったが――
どこか、頭の片隅に、小さな違和感が、引っかかったまま残っていた。
……
ミオは、その二人のやり取りを、少し離れた場所から、微笑ましく眺めていた。
「アシュって、たまに、可愛いところあるよね。」
「あ? 可愛くねぇよ。」
「うん、うん。」
適当に相槌を打つミオに、アシュは、少し、拗ねたように、顔を背けた。
……
台座の光が、静かに、収まっていく。
「……とりあえず、これで、分かったことは、二つ。」
アシュが、指を折りながら、まとめる。
「一つは、契約相手が、どこかで、派手な……賑やかな暮らしをしてるらしいってこと。もう一つは、その契約自体、何者かの手で、歪められてるってこと。」
「手がかり、少なすぎねぇか。」
水晶が、頭を掻く。
「文句言うな。ないよりマシだ。」
ミオは、腕の中のCUBEを、そっと見つめた。
「……大丈夫。少しずつでも、進んでる。」
『……うん。』
CUBEの光が、静かに、頷くように、瞬いた。
塔を出ると、外の空は、来たときよりも、少しだけ、色を変えているように見えた。
……
その、静けさを破るように。
――カラン。
乾いた音が、塔の入り口の石畳に、響いた。
振り返ると、そこに、一人の人影が立っていた。
黒ずくめの、統一された装束。
顔の下半分を覆う、無機質な仮面。
胸元には、小さな、幾何学的な紋章が縫い付けられている。
五つの図形が、円を描くように並んだ、見覚えのない意匠だった。
「……誰だ、お前。」
水晶が、即座に、剣の柄に手をかけた。
人影は、答えなかった。
ただ、ゆっくりと、こちらに向けて、手のひらを掲げる。
その手のひらの上に、赤黒い光が、渦を巻くように、集まり始めた。
「……アシュ、あれは。」
ミオが、思わず、声を震わせる。
「……"調律機関"だ。」
アシュの声が、これまでにないほど、低く、鋭くなっていた。
「五つの核を、管理してる連中。長い間、行方の分からなかったCUBEを、ようやく見つけた……ってとこだろうな。」
『……ボクを……。』
CUBEの光が、怯えるように、小さく震えた。
……
「面倒だな、こういうのは。」
人影の背後、さらに複数の気配が、じわじわと、こちらを取り囲むように広がっていく。
「――囲まれてる。」
水晶が、舌打ちする。
「アシュ、数は?」
「……五、いや、もっといるな。」
アシュが、得物を構えながら、静かに、告げた。
「悪いが、今のうちの戦力で、まともにやり合うのは、分が悪い。」
「じゃあ、どうすんだよ!」
黒ずくめの人影が、掲げた手のひらから、赤黒い光の塊を、静かに、放とうとしていた。
その切っ先が、まっすぐ、ミオへと向けられている。
「――!!」
ミオは、思わず、CUBEを強く抱きしめた。
塔の麓に、緊迫した静寂が、張り詰めていく。
三人は、それぞれの得物を構えたまま、動けずにいた。
組織は、ついに、その手を、伸ばし始めていた。




