第20話 後始末
大広間から第一王子と宰相が連れ出されても、王宮は静かにはならなかった。
記録官は王宮騎士に囲まれて記録庫へ向かい、薬務長は保護という名の監視を受け、侍従たちは命令書を抱えて廊下を行き来している。諸侯代理たちは互いの顔色をうかがいながら、さっきまで誰の側に立つつもりだったのかを隠そうとしていた。
黒羊は、王女のそばから離れない。
ガドは肩に血を滲ませたまま盾を下ろさず、ミラは弓を緩めても廊下の曲がり角から目を離さない。ノエルは王女の呼吸を見ながら、国王の咳にも耳を向けている。勝ったはずなのに、誰も勝った顔をしていなかった。
そういうものだ。
戦場でも王宮でも、本当に面倒なのは敵が倒れた後に始まる。
「黒羊傭兵団長セリア・ヴァンレット。そして副団長レオ・グレイン」
国王アルベルトの声が、大広間の奥から届いた。弱い声だったが、さっきまでの迷いはない。呼ばれた瞬間、俺の背中は勝手に伸びかける。傭兵になってから捨てたつもりの癖が、王宮の床で戻ってきた。
セリアは片膝をつかない。王の前でも、黒羊の団長として立ったままだ。隣に並ぶ俺だけが、少し遅れて頭を下げた。
「余の娘を、王の前まで戻してくれた。礼を言う」
エリスティアも父王の横で、リーシャの支えを受けながら深く頭を下げた。
「私からも、感謝いたします。黒羊傭兵団がいなければ、私はここにいませんでした」
王女の言葉に、若い団員が息を飲んだ。片頬の男も、担架の端を握ったまま目を伏せる。普段なら茶化す連中が、こういう時だけ妙に真面目になるから始末が悪い。
その空気を、セリアがあっさり斬った。
「礼は受け取る。で、報酬の話をしようか、陛下」
控えの間に近い大広間の一角が、妙に静かになった。リーシャが目を丸くし、アリシアは額に手を当てる。サイラスだけが商人らしく、小さく頷いた。
「おい今それを言うか。いい空気が台無しだ」
俺が低く言うと、セリアは涼しい顔で肩をすくめる。
「今だから言うんだ、レオ。契約を曖昧にすると、あとで面倒になる」
その一言で、笑いかけていた団員たちの顔つきが変わった。
セリアは金に汚い話をしているのではない。黒羊を、王国の美談に混ぜられないようにしている。王女を助けた忠臣ではなく、契約を果たした傭兵団。その線を最初に引くのは、団長の仕事だった。
国王はしばらくセリアを見ていたが、やがてかすかに笑った。
「王宮の者より、よほど筋が通っている」
「商売相手が王でも盗賊でも、揉める時は揉めるからな」
「団長!」
リーシャが思わず声を上げたが、エリスティアが小さく笑った。喉に負担をかけないよう、本当にわずかな笑みだった。
「黒羊傭兵団への報酬は、忠誠への褒美ではなく、依頼を果たした者への対価として正式に支払います。王国は、あなた方を勝手に配下とは呼びません」
セリアはそこで初めて、少しだけ満足そうに目を細めた。
「なら受け取る。書面でな」
「もちろんです」
王女の返事に、サイラスがすかさず一歩出る。
「ついでに、サイラス商会への保護命令も一筆いただけますか。口約束は、帳簿に載せにくいもので」
「おまえも今それ言うのか」
俺が呟くと、サイラスはすました顔で帳簿を抱え直した。
「今だから言うのです。王宮の混乱が落ち着いてからでは、私の倉庫が先に燃えます」
国王は侍従長へ視線を向けた。侍従長が即座に頷き、書記を呼ぶ。サイラスはようやく肩の力を抜いたが、帳簿から手は離さない。あれはもう、商人の盾みたいなものなのだろう。
「レオ・グレイン」
今度は国王が、俺だけを見た。
喉の奥が、少しだけ固くなる。
「そなたの名は、王国を去ってからも覚えておる」
忘れられていた方が楽だった。そう思った自分に、少しだけ嫌気が差す。
「今は、黒羊傭兵団の副団長です」
俺が答えると、セリアが一歩だけ前に出た。ほんの一歩だ。けれど、その位置は俺と王宮の間に線を引いていた。
「うちの副団長だ。今はな」
「今は、をつけるな」
「先のことはわからんだろう」
「勝手に売るなよ」
ミラが廊下側から、眠そうに口を挟む。
「売ったら、買い戻しに行く」
「俺は荷物じゃない」
「副団長、だいたい荷物より面倒」
ノエルが王女の脈を取りながら、淡々と続けた。
「そこは同意します」
「医者まで敵に回ったか」
王女がそれを見て、ほんの少しだけ目を細めた。
「昔も、そうでした」
俺は顔を上げる。
エリスティアはリーシャに支えられながら、俺を見ていた。白鐘離宮で助けた王女の目ではない。もっと前から、こちらを知っている者の目だった。
「助けた相手の顔より先に、出口を見ていました。誰を抱えるかではなく、どこへ逃がすかを先に決める方でしたね」
覚えていない。
けれど、言われたことに覚えがないわけでもない。昔の俺なら、たぶんそうした。そう思った瞬間、セリアの視線が横から刺さった。剣を抜く時より静かな目だったので、かえって逃げ場がない。
「昔?相変わらず過去の出来事が多いな」
「俺が聞きたい」
「ずいぶん都合よく忘れるんだな」
「本当に身に覚えがないんだが」
ミラが小さく頷く。
「副団長、無自覚で増やす」
「何をだ」
「面倒」
「お前らな……勘弁してくれ……」
ノエルは王女の手首から指を離さず、きっぱり告げた。
「続きは後です。殿下の体調が心配です。レオさんの言い訳は、たぶん後でも悪化しません」
「俺の言い訳を病状扱いするな」
「慢性です」
ガドが笑いかけて、肩の傷に響いたらしく顔を歪めた。ノエルは王女から離れずに、その顔だけでガドを黙らせる。ガドは盾を持ったまま背筋を伸ばした。さすがに学習している。
エリスティアはそこでリーシャの手を取った。
「リーシャ・エルネスト」
名を呼ばれたリーシャは、反射で姿勢を正す。疲労で足が揺れたが、倒れなかった。王宮連絡係として立とうとしているのが、見ていてわかる。
「あなたが届けてくれたから、私はここにいます。怖かったでしょう。それでも、来てくれました」
リーシャの唇が震える。泣きそうになるのを堪え、彼女は深く頭を下げた。
「殿下の言葉を届けるのが、私の役目です」
「これからも、私のそばにいてくれますか」
リーシャは一度だけ黒羊の方を見た。自由で、騒がしくて、王宮とはまるで違う連中。その視線の後で、彼女は王女へ向き直る。
「はい。ですが、黒羊の方々にも、これから何度もご迷惑をおかけすると思います」
「そこは否定しないんですね」
若い団員が小声で言い、片頬の男が肘で黙らせた。セリアは聞こえていたらしく、あとで覚えておけ、という目だけを投げる。言葉にしない分、余計に怖い。
その間に、ノエルがようやくガドの肩へ回った。包帯を剥がす手つきは丁寧だが、甘くはない。傷口を確認した瞬間、ガドの膝がわずかに沈む。
「……ノエル先生、今のはかなり効いたぜ」
「効かせました。ここで甘く巻けば、帰り道で盾役を一人失います」
「帰り道も盾役確定かよ」
「当然です」
「はい」
ガドは即答した。王宮騎士が何人か目を丸くする。大男が軍医の一言で黙る光景は、王宮では珍しいのかもしれない。
一方で、アリシアは命令控えを畳んだまま、ずっと俺を見ていた。嫌な予感がした。王宮の後始末が俺だけを避けて通るほど、世の中は親切ではない。
「レオ」
その声色は、昔の同僚のものだった。
「国境谷の記録も、もう一度洗う」
控えの間の音が、少し遠くなった。
「今回と同じ手が使われていたなら、あなたが背負わされたものは変わる」
「今さら変わったところで、死んだ奴は戻らない」
自分で思ったより、声が低かった。
アリシアは目を逸らさない。エリスティアも、国王も、セリアも黙っている。黒羊の軽口さえ、その一言の前では挟まらなかった。
「それでも、歪められたままにはしない」
アリシアの指が、命令控えを強く握る。王宮の紙は薄い。だが、人一人の人生を潰すには十分な厚さを持つ。
王女の依頼は終わった。
黒羊は報酬を受け取り、サイラスは商会を守る書面を得て、リーシャは王女のそばへ戻る。勝った後の面倒ごとは、ひとつずつ形になっていく。
だが、アリシアの手にある命令控えだけは、まだ俺を離してくれなかった。
白鐘離宮の記録が歪められていたなら。
国境谷の記録も、同じように歪められていたのかもしれない。
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