表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒羊傭兵団の副団長 〜王女を救えと言われたが、女団長と元同僚が俺を逃がしてくれない〜  作者: Pengin_X
第一章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/21

第18話 国王の沈黙

広間の奥の扉が開いた。


重い木扉の向こうは、玉座の間ではない。王族の私室に近い控えの間だった。厚い幕が窓を塞ぎ、燭台には火が入っている。雨の匂いはそこで途切れ、乾いた薬湯と古い紙の匂いだけが残っていた。


アリシアが扉の前で足を止める。


「第二騎士団団長として、この場の安全確認を預かります。エリスティア殿下の身に危険が及ぶ可能性がある以上、護衛の同席は必要です」


王宮衛兵の一人が口を開きかけたが、マルグリットの杖が床を叩く音で黙った。老騎士たちは扉の左右に散り、黒羊は王女の担架を中心に狭くまとまる。押し入ったわけではない。王女を守るための陣形として、そこに立った。


ルシオンは先に入った。


さっきまで妹を案じる兄の顔をしていた男が、部屋へ足を踏み入れた途端、王位継承者の顔になる。背筋が伸び、声の高さが少し落ちた。


「父上。エリスティアが戻りました」


部屋の奥で、肘掛け椅子に座っていた老人が顔を上げた。


国王アルベルト・ベルガリオン。


肖像画で見た姿より、ずっと小さく見えた。痩せた頬、乾いた唇、節の浮いた手。だが、指輪だけはまだ王のものだった。王印の入った重い指輪が、細くなった指に少し余っている。


エリスティアの足が止まる。


リーシャがすぐに支えた。ただ、父を見る目だけが、白鐘離宮でも王宮の廊下でも見せなかったものに変わっていた。


「……父上」


その一言で、アルベルトの手が肘掛けから滑りかけた。


老いた王は立とうとした。だが膝がついてこない。侍従が慌てて近づき、ルシオンが半歩前へ出る。それより早く、エリスティアがリーシャの支えを受けて前へ進んだ。


ノエルは王女の背に手を添える。何も言わない。止めるのではなく、崩れた時に支える距離だけを守っていた。


「エリスティア……どうした、その姿で」


王の声は細い。けれど、そこにあったのは混濁ではなく、遅れて届いた痛みだった。


ルシオンが答えようとした。


「父上、まずは彼女を休ませ――」


「お前は黙っとれ!私は娘に聞いている!」


短い一言で、部屋の空気が変わった。


ルシオンの口が閉じる。だが、閉じるまでに一拍遅れた。白い手袋の指が、強く握られている。


俺は、その手よりも周りを見た。


侍従は王の返事を待っていない。官吏は王ではなく宰相を見る。薬杯を持つ侍女は、王が咳をする前から杯を近づけようとしている。


この部屋では、王が黙る前提で人が動いている。


それが一番気味悪かった。


アルディスが静かに目を伏せる。目立つ動きではない。だが、その視線を受けた官吏が、机の上の紙束へ手を伸ばしかけた。


サイラスが咳払いをする。


「その紙、今は触らない方がよろしいかと」


官吏の手が止まった。


サイラスの顔色は悪い。だが、帳簿を抱える指だけは離れない。商人が王の私室で宰相府の官吏を止める。普通なら首が飛んでもおかしくない場面だ。


ルシオンの声が少しだけ硬くなる。


「父上。王女は疲弊しています。今この場で多くを聞けば、お身体にも心にも障る」


それはエリスティアのための言葉に聞こえた。


だが、ルシオンは王女ではなく、父を見ている。娘を休ませたいのではない。父に聞かせたくないのだ。


アルベルトの目が揺れた。


「……休ませた方が、よいのか」


その瞬間、ルシオンの表情に安堵がよぎった。


早すぎる。


勝ったと思うには、早すぎる顔だった。


エリスティアは何も言わなかった。ただ、父の前へもう一歩進もうとして、足がわずかに沈む。リーシャが肩を入れ、ノエルが背を支えた。王女は強がらない。支えられたまま、父のそばへ行こうとした。


アルベルトは、その姿を見た。


報告書ではない。王宮の言葉でもない。自分の娘が、誰かに支えられなければ歩けない姿だ。


「療養と聞いていた」


王の視線が、ルシオンへ向く。


ルシオンはすぐに微笑を戻した。だが、さっきより薄い。


「白鐘離宮での処置に不備があったのでしょう。ですが、責任追及は後にして――」


「不備で、娘は父に会えなくなるのか」


老人の声は弱い。弱いのに、部屋の奥まで届いた。


アルディスが前へ出る。


「陛下。殿下のお身体に障ります。この場はまず、薬を――」


そう言いながら、彼の指が薬杯へ向いた。


ノエルの眼鏡の奥が、冷たく光る。ミラも壁際で、幕の奥に隠された鈴紐と薬杯を交互に見ていた。弓は低いままだが、彼女の視線が俺へ一瞬だけ流れる。


鈴紐が隠されている。


俺は頷き返し、机の横へ目を移した。王の呼び鈴を、誰かが幕の裏へ押し込んでいる。鳴らされたくないものを隠すやり方だ。


アルベルトは薬杯を見た。いつもの癖なのだろう。手が少し動く。


だが、エリスティアが父の指に触れた。


王の手が止まる。


「父上」


長くは言わない。


それで十分だった。


アルベルトは薬杯から目を離し、娘の手を見た。痩せた王の指と、震える王女の指。その間で、リーシャの手が支えている。


「余の机に届いた報告では、エリスティアは穏やかに療養していた」


アルディスが答える。


「その通りにございます」


「では、余の目の前にいるこの状況は何だ」


セリアが横で、声にしない笑みをこぼした。斬るより先に、王が刺したからだ。


ルシオンが踏み出す。


「父上、それは――今ではありません」


声が強かった。


強すぎた。


自分でも気づいたのだろう。ルシオンは一度息を整え、慌てて優しい形へ戻す。


「……お身体に障ります。大広間を動かすほどの話ではない」


マルグリットが杖に体重を預けたまま、低く笑った。


「大広間を動かしたくない話、ってことだね」


ルシオンの目が、ほんの一瞬だけ冷える。


アルベルトはそれを見た。


見てしまった。


王の沈黙が長くなる。誰も動かない。いや、動けない。王が黙る時間を、今度は誰も代わりに埋められなかった。


やがて、アルベルトは指輪に触れた。


「侍従長おるか」


部屋の隅で、年老いた男が顔を上げる。


「王の鈴を鳴らせ。大広間に、王宮騎士団長、薬務長、記録官を呼べ。諸侯の代理もだ」


ルシオンの顔から、温度が消えた。


「父上!」


今度は取り繕えなかった。


その一声に、アリシアが扉側へ立つ。セリアの視線がルシオンの足を止め、ガドの盾が担架の横で少しだけ角度を変えた。負傷した肩に赤が滲む。ノエルは気づいているが、今は言わない。


「それは王宮を二つに割ります!」


ルシオンは低く言った。


アルベルトは咳き込んだ。苦しそうだった。ノエルが動きかけるが、王は片手で制する。医者を拒んだのではない。まだ命令を終えていない手だった。


「すでに割れている」


王は言った。


「割った者を、明るい場所へ出すだけだ」


侍従長が壁際へ向かう。だが、鈴紐は幕の裏に隠されている。ミラが顎で示し、レオが視線で追うより早く、マルグリットが杖の先で幕を払った。


「ほら、鳴らしな。王が呼んでる」


侍従長が鈴紐を引いた。


高い音が、王宮の奥へ走る。


その瞬間、アルディスの目が初めて細くなった。ルシオンは父を見る。エリスティアは王の手を離さない。リーシャはその横で、王女の体を支えていた。


俺は、ようやく理解した。


王宮の嘘は、紙でできていた。


だが、紙を燃やすには、王の火がいる。


鈴の音が二度目を鳴らした時、扉の外で人が走り出す音がした。


王宮が、目を覚まし始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ