第11話 奪われた声
鍵は、新しかった。
白い扉の彫刻は古い。王族の部屋らしく、花と鐘をかたどった細工が湿気を吸って鈍く光っている。だが、外側に掛けられた鉄の鍵だけが場違いに黒く、何度も開け閉めされた傷を残していた。
「療養部屋に、外鍵は要らない」
俺がそう言うと、リーシャの肩が小さく震えた。
ノエルは薬箱の留め具へ指をかけたまま、扉の隙間から漏れる甘い匂いを確かめている。目より先に、鼻と指で中を読んでいる顔だった。
ガドが声を潜める。
「ノエル先生。王女様を運ぶなら、俺がやるぞ」
「まだ決めません。先に状態を見ます」
「はい」
返事だけは早い。大盾の大男が、王族の扉の前で妙に小さく見えた。怖がっているのではない。運ぶ命の重さを、ちゃんとわかっている顔だった。
マルグリットは外鍵を見て、片目を細めた。
「王族の部屋に外から鍵をかけるか。昔なら、鍵をかけた奴の首が飛んだよ」
声は低い。怒鳴ってはいない。だが、古い騎士がまだ王国を完全には見捨てていないことだけはわかった。
セリアが廊下の奥を見たまま、短く言う。
「開けるぞ。レオ、音は大丈夫か?」
「奥の巡回が遠いな。今だ」
片頬が鍵穴へ細い鉄片を差し込む。かちり、と小さな音がした瞬間、ミラが廊下の角へ視線を走らせる。誰も来ない。セリアが扉を押し、俺たちは息を殺して中へ入った。
部屋の中は白かった。
白い壁。白い寝台。白い薄布。王族の静養室として整えられている。けれど、窓は内側から板で塞がれ、光はほとんど入らない。水差しは寝台から遠く、呼び紐は壁から外されていた。枕元には香炉が置かれ、甘い匂いが底に沈むように溜まっている。
寝台の上に、少女がいた。
エリスティア・ベルガリオン王女。
淡い金の髪は枕に散り、白い頬は血の気を失っている。整った顔立ちは眠っているようにも見えるが、薄布を掴む指先だけが微かに震えていた。
リーシャが一歩踏み出した。
「殿下……」
声が崩れかける。ノエルがすぐに腕で止めた。突き放すのではない。倒れそうな身体を支える止め方だった。
「近くへ行くなら、ゆっくりですよ」
リーシャは唇を噛み、頷いた。
ガドが彼女の横へ入り、足元を支える。リーシャは寝台のそばまで来ると、震える手で王女の指に触れた。
「届きました。殿下、黒羊傭兵団を……連れてきました」
王女の瞼が動いた。
ゆっくりと、目が開く。
青い瞳だった。薬に沈められた濁りはある。それでもリーシャを見た瞬間、そこに確かな光が戻った。
王女の指が、リーシャの手を握り返す。
たったそれだけで、リーシャの顔が歪んだ。泣く寸前の顔だった。けれど、泣かなかった。泣けば、王女の方が心配する。そうわかっている人間の顔だったからだ。
ノエルが寝台の脇へ膝をつく。
王女の手首に指を添え、瞼を見て、香炉へ視線を移す。枕元に置かれた薬瓶を一本持ち上げた時、眼鏡の奥の目が冷えた。
「これは療養ではありません」
短い言葉だった。静かな言葉に怒りを感じる。
だが、その一言で十分だった。
俺は部屋を見る。窓の板。外された呼び紐。寝台から離された水差し。薄布の裂け目。香炉の位置。王女が自分で起き上がれないよう、声を出せないよう、助けを呼べないように整えられた部屋だ。
王族の部屋ではない。綺麗に飾られた檻だ。
セリアは扉のそばに立ち、剣を抜かないまま廊下を見ている。ミラは窓の板の隙間を覗き、外の兵の位置を拾っていた。マルグリットは黙って香炉を見ている。片目だけの老騎士の顔から、笑みは消えていた。
「ノエル先生」
ガドが小声で聞く。
「王女様、動かせるのか?」
「動かします。ここに置いたままにはできません」
ノエルは王女から目を離さずに答えた。声は静かだったが、迷いはない。
「ただ、乱暴には運べません。ガドさん、担架を。足元を上げすぎないでください。片頬さんは布を。ミラさん、窓の外を警戒してください」
「はい、ノエル先生」
ガドはすぐに動き、ミラは無言で窓の外へ移動した。大きな手で折り畳み担架を広げる動きは、戦場で盾を構える時より丁寧だった。
王女の指が、俺の袖を掴んだ。
弱い力だ。だが、意思はあった。
「何かあるのか?」
王女は声を出さない。出せない。けれど、目だけで寝台の下を示した。
リーシャがすぐに屈もうとして、足がもつれる。ガドが支え、ノエルが一瞬だけ睨む。リーシャは「すみません」と言いかけて、口を閉じた。返事も体力を使う、と覚えたらしい。
俺は寝台の下へ手を入れた。
指先に、薄い木箱が触れる。引き出すと、王家の紋章が刻まれた小箱だった。鍵はない。代わりに、裏へ王女の髪紐が結ばれている。
「開けるぞ」
王女が小さく瞬きをした。
中には、紙片が数枚入っていた。薬務記録の写し、白鐘離宮への納品控え、宰相府の管理印。そして、眠り草の量が日ごとに増えている記録。
サイラスが見たら、嫌な顔で喜びそうな証拠だ。
ミラが窓から離れかけて、ふと衝立の方へ目を向けた。
「おかしい……布の下、濡れてる」
雨ではない。誰かが濡れた靴で立っていた跡だ。
俺が視線を動かした瞬間、衝立の陰で布が揺れた。
薬務係の服を着た男が飛び出す。細い刃物を持っている。狙いは王女ではない。俺の手元の小箱だ。
薬務係が伸ばした手を見て、王女の指が動いた。
力はない。届くはずもない。それでも彼女は、証拠を自分の胸元へ引き寄せようとしていた。
声を奪われても、意思までは奪われていない。
「っ――!」
男の喉から、声になりきらない息が漏れる。
ノエルは王女の脈から指を離さない。反応しなかったのではない。離せなかったのだ。
俺は男の腕を弾き、口を塞いで壁へ叩きつけた。刃物が床に落ち、乾いた音を立てる。男の目が見開かれた。肘を入れると、喉の奥でひゅ、と息が潰れる。
セリアがすぐに刃物を足で押さえた。
「証拠狙いか。これほどわかりやすいものは無いな」
ノエルは振り返らなかった。
「今は患者が優先です」
声は揺れていない。けれど、王女の手首を押さえる指が、ほんの少しだけ震えていた。
俺は薬務係の腕を床へ押さえつけたまま、短く返す。
「そっちは見なくていい。こっちは俺が持つ」
ノエルの息が、ほんのわずかに整った。
「……お願いします」
それだけだった。
廊下の向こうで、低い鐘が一つ鳴った。
警鐘ほど大きくはない。だが、離宮の中にいる者へ異常を知らせるには十分な音だった。
ミラが窓から離れる。
「外の兵、動いた。こっちに来る」
セリアが剣の柄に指を置いた。
ガドは担架の横で膝をつき、王女を運ぶ準備を終えている。リーシャは王女の手を握ったまま、涙を飲み込むように顔を上げた。
王女はまだ声を出せない。それでも、握った手に力を込めた。
逃げる。そう言っているのだと、俺にはわかった。
俺は小箱を懐にしまい、扉の外の足音を聞いた。
王女を見つけ、証拠も見つけた。
問題は、ここから生きて持ち出せるかだ。
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