八
途端に颯希と耀大が怪訝な眼を湊輔に向ける。
「まぁいい」
颯希が鼻を鳴らしてからつぶやいた。
「とりあえず」
一瞬で矢をつがえ、弓弦を引き絞る。
「終いに――」
颯希が言い終える直前、幽騎は曲刀を地面に突き立てた。
途端にそれは至極の山羊の鉈よろしく、柄頭から溶け出して地面に広がっていく。
「逃がすかよ!」
鋭い風切り音が鳴るも、幽騎は咄嗟に身を屈めて躱した。
そのまま、足下から混沌を模した沼に沈み、いなくなった。
「んだよっ……あの馬面といい、今の骸骨頭といい……」
すでに消え去った沼を睨みながら、颯希が唇を尖らせた。
「それに……」
湊輔は視線を感じ、そちらに横顔を向けた。
視界の端に映ったのは、訝しげな表情の颯希。
思わず顔を背けて俯いた。
『ぴーんぽーんぱーんぽーん。えー、魔郷の眷属の……んー? 似紫の刀蠍は撃破で、滅紫の幽騎は撤退? だね? 繰り返しまぁす。魔郷の眷属、似紫の刀蠍の撃破と滅紫の幽騎の撤退を確認しましたぁ。いやぁー、みんなすごいねぇ。すごくがんばったよぉー。えらいえらいッ。お疲れ様ぁ。じゃ、また次回もよろしくねぇ。以上ッ。……ぴーんぽーんぱーんぽーん』
ようやく流れた純情無垢そうな少年声。
やっと終わった、と湊輔は深いため息をつく。
瞬間、視界が揺らぎ、あっという間に日常へと引き戻された。
* * *
まもなく四限目終了のチャイムが鳴った。
ようやく昼休み。
だというのに湊輔はどうしても落ち着けずにいた。
「湊輔、飯だ飯」と雅久が歩み寄ってきたと同時、教室の扉が開かれた。
クラス中の視線を一斉に集めるほど荒々しく。
ただ、湊輔はひとりびくついて俯いた。
「湊輔いるか!」
恫喝のごとき怒声。
振り向かずとも、それが誰のものかすぐに分かった。
「おい湊輔、お呼びだぜ」
雅久のささやと合わさって、すたすた歩み寄ってくる足音が聞こえた。
「よぉ、湊輔」
棘のあるアルトと、肩に置かれた手の感触に、湊輔はおずおずと振り向いた。
「あ、どうも……」
不穏な静寂に包まれる中、颯希は微笑んでいた。
見るからに獰猛な気を醸して。
「今日の放課後、部活終わってからだけどよ、ちょっと面貸してくんねぇか?」
ただならぬ物言いのせいか、教室の空気が一気に凍りついた。
え、なんでですか? と訊こうとして、やめた。
下手な返答をしたらややこしくなりそうに思えて。
「だ、大丈夫、です……」
「よぅし。あとでシバがリレイトすっから、ちゃんと確認しろよ」
颯希は湊輔の頭を乱暴に撫で回し、目つきを凄ませ、注がれている視線を薙ぎ払い、教室から出ていった。
なんだ今の?
髪赤かったよな。
やべえ人来たな。
と、ざわつき始めた教室の中。
「なあ、今のってまさか」
雅久が湊輔に顔を近づけてささやいた。
湊輔は乱れた髪を直しながら頷き、
「今日一緒に戦った三年の先輩。長岡颯希さんっていう、弓使う人」
と小声で答えた。
「へぇー……うっし、屋上行くぞ」
雅久が肩を叩いて言ってきた。
不思議そうに話しかけてきたクラスメイトをどうにかあしらって教室から出ると、雅久は階段とは逆側、一年A組の教室に向かった。
まさか、と湊輔は戸惑いつつ、胸を躍らせる。
雅久が教室に頭だけ突っ込み、一息ほど置いて引き抜いた。
少しして、弁当箱を入れたポーチを持って出てきた有紗。
顔を合わせるや、湊輔はどぎまぎした。
それから三人で屋上に行き、この前のように長ベンチを向かい合わせに並べた。
フェンス側に雅久と湊輔、反対側に有紗が座る。
「で、なにあったんだよ?」
雅久が切り出した。
「えっと……色々」
「だからその色々を教えろよっ」
雅久に叩かれ、湊輔は顔をしかめた。
色々ありすぎて、なにから話せばいいか分からないんだって。
「先にわたしからいいかしら?」
「ん? ああ、いいぜ」
有紗は一度目を伏せてから、湊輔に向いて艶やかな唇を開いた。
「今日は、ありがとう。助けてくれて……」
「え……」
湊輔は呆気に取られた。
「助けた……?」
消え入りそうな声でつぶやくと、また雅久に叩かれた。
「おいおい湊輔……さすがにそりゃねえぞ。二度目だぜ?」
雅久は明らかに怒っている。
有紗も不審げな――いや、どこか心配そうな面持ちをしている。
いや、助けに行こうとしたのは、なんとなく憶えてるけど……。
「そう、憶えて、いないのね……」
有紗は肩を落として俯いた。
それを見た雅久が、ほらあ、と口だけ動かしてまた叩いてきた。
「ご、ごめん……」
湊輔も俯き、絞り出したような声で謝った。
「てか、泉さんも一緒だったのかよ。じゃあ悪いけど、なにあったか代わりに教えてくんねえか?」
有紗は顔を上げると、今日の戦いについて話し始めた。
鳥人型と翼人型と戦っている最中に至極の山羊が現れたこと。
至極の山羊がいなくなったあと、二体の敵が現れたこと。
剣佑が骸骨頭の騎士に斬られ、自分が狙われた瞬間、湊輔が助けてくれたこと。
「また出てきたのかよ、アイツ……」
雅久は口の中のものを飲み込んでからつぶやいた。
あの異様さを思い出してか、声音は重々しい。
「にしてもやべえな。そのアエローってヤツの頭握り潰すとか。一撃かよ」
「えぇ。それに……他にもまだ仲間がいる可能性だってあるわ」
「だよなー。てことは俺たちの戦う相手って――」
「あの灰色の敵と、至極の山羊とその仲間、ってところかしら」
「かぁーッ! ややこしいっつーか、めんどくせー……って湊輔、お前もなんか言えよ」
「え、ああ、ごめん……」
湊輔は二人の話を聞いている最中、ずっと眉根を寄せていた。
弁当の品がまずい、というわけではない。
これからの戦いを無事に生き延びて戻ってこられるのかと、不安に思って。
二度あることは三度あるって言うし、三度目の正直って言葉もあるし。
もしいつか、アイツがまた出てきたら、そのときこそ――
「そーいやさっきの……長岡先輩っつってたよな? リレイトするって言ってたけどよ、なんか来たか?」
雅久の言葉で思い出し、湊輔はポケットからスマートフォンを取り出した。
リレイトの通知を見て開くと、確かに泰樹からメッセージが届いていた。
「うん、来てる。『喫茶イチゴ』って店の場所と集合時間」
「先輩に呼ばれたの?」
「うん。……たぶん、今日のことだと思う」
というより、それ以外考えられない。
「お? もしかして泉さん興味ある的な?」
「えぇ、少しだけ」
雅久がおどけるように尋ねると、有紗は控えめな声で淡々と返した。
「うっし、湊輔、俺たちも行っていいか先輩に訊いてみろよっ」
「いや、けど……」
湊輔は雅久から視線をそらして有紗に横目を向けた。
「い、泉さん、部活終わったあとだから遅くなるよ……?」
有紗はポケットからスマートフォンを取り出すと、画面の上で指を躍らせた。
「大丈夫、遅くなるって連絡したから」
雅久がパンッと左手に右の拳を打ちつけた。
「うっし、決まりだな。ほら、早く連絡しろよ」
湊輔は渋々、二人も一緒に行っていいか泰樹にリレイトを送ってみた。
すると一分も経たないうちに返信が来た。
『構わねえ』




