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 しかし違う。

 明らかに別物だ。

 (かすみ)がかるというよりも、煙。

 全身が黒煙となり、剣佑に急迫する。

 得物の間合いまで詰め寄ったところで、実体を現した。


「なんの!」


 カァン! と細い金属音が短く鳴った。

 剣佑は咄嗟に凧盾(ヒーターシールド)を掲げ、突き出された曲刀(サーベル)の先端を受け止めた。

「はあッ!」

 左腕を突き出して切っ先を払うと、長剣(ロングソード)袈裟(けさ)斬りを見舞って反撃した。


 幽騎は軽やかに長剣(ロングソード)の太刀筋から逃れ、また黒煙と化して後退する。


 湊輔は肩を上下させるほどに息を荒げていた。

 体の熱はまだ続いている。

 頭がボーっとし出した。

 ざわつくような感覚も落ち着かない。

 首筋に切っ先を突きつけられているように、激しい動悸がする。

 やばい。

 立ってるだけでも、かなりきつい。


「大丈夫?」という不安げな声が聞こえた気がした。


卑怯(ひきょう)な手を……!」という荒々しい吠え声が聞こえた気がした。


 肩を叩かれ、背中に触れられた気がした。


 耳元で「湊輔っ」と呼ばれた気がした。


 もう、音という音が、感覚という感覚が、すべて遠い。


「湊輔えッ!」


「え……」

 勇ましい声に意識を打たれ、湊輔は下向いていた頭をもたげた。


 時が、ひどく緩やかに流れ始めた。


 目の前に、滅紫色の甲冑姿が立っている。

 いや、ひやりと冷たい左手で、すでに首根っこをつかまれている。

 いつの間に?


 幽騎が右腕を引き絞り、曲刀(サーベル)をまっすぐ冷酷に(きら)めかせた。

 はたしてどこを狙っているのか。

 とはいえ、このまま反りのある刃に貫かれることだけは分かる。

 そして、死ぬ――


 かと思えば、突如として時の流れが平常に戻った。


 首を絞めていた圧力がなくなり、崩れ落ちる体。

 湊輔は離れた幽騎をなんとなしに目で追った。

 左肩に矢が突き刺さっている。


「有紗、そのまま牽制(けんせい)しろ!」

 剣佑が叫びながら走り寄ってくる。


 有紗は素早く二の矢をつがえ、幽騎に狙いを定めた。

 いや、ダメだって。

 湊輔はふとそう思った。


 骸骨頭が有紗を見据えた。

 瞬時に黒煙と化し、流れるように動き出す。


「や、やめろおおおッ!」


 まるで身体の中でなにかが弾け、覚醒したように。

 かすれた声で叫び、立ち上がり、月白の剣を振りかぶり、走り出した湊輔。


 疾駆する体は、まさに吹き荒ぶような勢い。

 有紗の眼前、実体を現した幽騎の背中が、次の息継ぎよりずっと早く目の前に迫ってくる。

 そして――


 時が、またもひどく緩やかに流れ出した。


 もう二、三歩というところで、幽騎が振り返った。

 まるでこの状況を見越していたかのように。

「やはり来たか」と言わんばかりに。


 翻りざまに突き出された曲刀(サーベル)が、のど元を捉えた。

 湊輔の体は勢いの惰性に流され、避けようと意識する間もなく、反りのある刀身を深々と食らった。


 視界がまっすぐ前を向いたまま沈み、両ひざに鈍い痛みが走った。

 前頭部を押さえつけられ、曲刀(サーベル)が滑らかに引き抜かれていく。


 そして体が前に倒れ込む――ところで、時が逆行し始めた。


 前頭部をつかまれ、反りのある刃をのど元に突き入れられる。

 頭から手が離れると、沈んだ視界が昇り出した。

 そして曲刀(サーベル)を吐き出しながら、体は幽騎から離れていく。


 するとまた、体は順行して動き出す。

 吹き荒ぶというより、素の速さで。

 やがて幽騎が突き出した曲刀(サーベル)を弾き、甲冑の胸当に月白の刃を突き込んだ。

 左回りに敵を有紗から引き剥がし、前蹴りで押しのけ、得物を引き抜いた。

 そこで、視界が真っ白く爆ぜた。


 再び駆け出す体。

 やがて敵の背中に躍りかかる。


――【打流(パリイ)


 振り返りざまに突き出された曲刀(サーベル)を弾き、

「手ェ出スンジャネエッ!」

 すかさず甲冑の胸当に月白の剣を突き込んだ。

 背中までも貫いた刀身。

 幽騎の体がわずかに跳ねた。


「有紗カラ、離レロ……!」

 そのまま左に引きずるように動かし、

「ウラアッ!」

 前蹴りを打ち込んで刀身を引き抜いた。


 幽騎はよろめいて数歩後ずさり、瞬く間に黒煙と化して大きく後退した。


 視界がふと、有紗を映した。

 切れ長の目を呆然と見開き、唇を薄く開いている。


「フッ……」と小さく笑ったあと、体は幽騎を追いかけ始めた。

 吹き荒ぶような勢いで、敵との距離をあっという間に詰めていく。


「チッ……」


「へ……?」


 中ほどを過ぎたところで、悔しげで忌まわしそうな声と、腑抜(ふぬ)けた声が重なった。


「え……? えッ!?」

 湊輔は勢いづいている体に急制動をかけた。

 目に飛び込んできたのは、左肩に矢が突き刺さった甲冑姿だけ。

 剣佑と有紗の姿が見えず、戸惑う。

 二人を探そうとするも、そんな暇はないと直感が警鐘を鳴らした。


 胸元に細い穴の開いた幽騎が、黒煙と化して迫ってきた。

 同時、視界に浮かび上がる赤い光跡。

 それが左上からまっすぐ伸びてくる。


「――ッ」

 湊輔は思わず後ずさり、しかし足をもつれさせて背中から倒れてしまった。

 起き上がらないと、と焦る。

 そのまま無理やり足を振り上げ、ぎこちなく後転につなげた。


 半瞬後、湊輔が元いた場所を幽騎の曲刀(サーベル)が斜めに斬り裂いた。


 いまだに全身は熱い。

 ただ、それよりも今起こったことのほうがやけに気になる。

 湊輔はすっくと立ち上がり、しかしどうしたらいいか分からないまま構える。


 頭蓋骨の二つのくぼみがこちらを向いた途端、また視界に赤い光跡が走った。

 今度は右から左にまっすぐ。


――【流転避(ロールシフト)


 躱さないと、と湊輔が思うのと同時。

 こうだ、と閃いたように体が自然と動いた。

 赤い光跡から遠ざかるように後転する。

 またも、幽騎の右薙ぎが半瞬前の湊輔を斬り払った。


 これ、まさか……と疑念を抱くと同時、視界の中心から赤い円が広がった。

 すかさず左に転がると、半瞬前の湊輔が曲刀(サーベル)に貫かれた。


「未来、予測……」


 湊輔が消え入りそうな声でつぶやくと同時、敵が素早く一歩引いた。

 やや遅れて、その手前をなにかが通り抜ける。

 あまりに速く、細い陰影、としか言いようがない。

 直後地面で弾ける炸裂音。

 さらにそれが立て続き、幽騎は黒煙と化しながら遠ざかっていった。


「だらしねぇなーっ、剣佑ぇッ!」


 声がしたほうを見れば、颯希がA棟校舎前の道路で、悠然と弓を構えている。

 その隣には耀大が。


「すみません……油断、しました……」


 苦しげな声が聞こえて、湊輔はそちらを見た。

 剣佑が右足を引きずっている。

 制服のスラックス、左の太ももあたりに入った長い切れ目。

 全身の熱でボーっとしていた間に斬られたらしい。


 それよりアイツは……! と湊輔が振り向くと、幽騎も颯希同様、悠然と佇んでこちらに視線を向けている。

 曲刀(サーベル)の切っ先を下げ、襲いかかってくる気配がない。


「颯希さん、あのサソリは……?」

 剣佑が、耀大と一緒に歩み寄ってきた颯希に尋ねた。


 颯希は犬歯を()き、「はっ」と声高に短く笑った。

「あんなんあたしの敵じゃねぇよ。秒殺だ、秒殺」


「はっはっはっ、秒殺は盛りすぎじゃないですかのぅ、颯希さん?」


 耀大がおどけるように突っ込むと、颯希はその腹を軽く小突いた。

「うっせぇっ、あたしが秒殺っつったら秒殺なんだよっ」


 助かった、と思いつつ、湊輔は敵を視界に捉えながら四人と合流した。


「お? ヤロウ、穴開いてんじゃねぇか?」

 颯希が目を細めながら感嘆の声をこぼした。

 それから剣佑に横目を向ける。

「あれだろ? 刺し違えてでもってやつだろ? それから湊輔がどうにか頑張ってた、みてぇな?」


 剣佑は悔しげに苦笑いした。

「いや……アイツの胸を刺したのは、湊輔ですよ」

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