七
しかし違う。
明らかに別物だ。
霞がかるというよりも、煙。
全身が黒煙となり、剣佑に急迫する。
得物の間合いまで詰め寄ったところで、実体を現した。
「なんの!」
カァン! と細い金属音が短く鳴った。
剣佑は咄嗟に凧盾を掲げ、突き出された曲刀の先端を受け止めた。
「はあッ!」
左腕を突き出して切っ先を払うと、長剣で袈裟斬りを見舞って反撃した。
幽騎は軽やかに長剣の太刀筋から逃れ、また黒煙と化して後退する。
湊輔は肩を上下させるほどに息を荒げていた。
体の熱はまだ続いている。
頭がボーっとし出した。
ざわつくような感覚も落ち着かない。
首筋に切っ先を突きつけられているように、激しい動悸がする。
やばい。
立ってるだけでも、かなりきつい。
「大丈夫?」という不安げな声が聞こえた気がした。
「卑怯な手を……!」という荒々しい吠え声が聞こえた気がした。
肩を叩かれ、背中に触れられた気がした。
耳元で「湊輔っ」と呼ばれた気がした。
もう、音という音が、感覚という感覚が、すべて遠い。
「湊輔えッ!」
「え……」
勇ましい声に意識を打たれ、湊輔は下向いていた頭をもたげた。
時が、ひどく緩やかに流れ始めた。
目の前に、滅紫色の甲冑姿が立っている。
いや、ひやりと冷たい左手で、すでに首根っこをつかまれている。
いつの間に?
幽騎が右腕を引き絞り、曲刀をまっすぐ冷酷に煌めかせた。
はたしてどこを狙っているのか。
とはいえ、このまま反りのある刃に貫かれることだけは分かる。
そして、死ぬ――
かと思えば、突如として時の流れが平常に戻った。
首を絞めていた圧力がなくなり、崩れ落ちる体。
湊輔は離れた幽騎をなんとなしに目で追った。
左肩に矢が突き刺さっている。
「有紗、そのまま牽制しろ!」
剣佑が叫びながら走り寄ってくる。
有紗は素早く二の矢をつがえ、幽騎に狙いを定めた。
いや、ダメだって。
湊輔はふとそう思った。
骸骨頭が有紗を見据えた。
瞬時に黒煙と化し、流れるように動き出す。
「や、やめろおおおッ!」
まるで身体の中でなにかが弾け、覚醒したように。
かすれた声で叫び、立ち上がり、月白の剣を振りかぶり、走り出した湊輔。
疾駆する体は、まさに吹き荒ぶような勢い。
有紗の眼前、実体を現した幽騎の背中が、次の息継ぎよりずっと早く目の前に迫ってくる。
そして――
時が、またもひどく緩やかに流れ出した。
もう二、三歩というところで、幽騎が振り返った。
まるでこの状況を見越していたかのように。
「やはり来たか」と言わんばかりに。
翻りざまに突き出された曲刀が、のど元を捉えた。
湊輔の体は勢いの惰性に流され、避けようと意識する間もなく、反りのある刀身を深々と食らった。
視界がまっすぐ前を向いたまま沈み、両ひざに鈍い痛みが走った。
前頭部を押さえつけられ、曲刀が滑らかに引き抜かれていく。
そして体が前に倒れ込む――ところで、時が逆行し始めた。
前頭部をつかまれ、反りのある刃をのど元に突き入れられる。
頭から手が離れると、沈んだ視界が昇り出した。
そして曲刀を吐き出しながら、体は幽騎から離れていく。
するとまた、体は順行して動き出す。
吹き荒ぶというより、素の速さで。
やがて幽騎が突き出した曲刀を弾き、甲冑の胸当に月白の刃を突き込んだ。
左回りに敵を有紗から引き剥がし、前蹴りで押しのけ、得物を引き抜いた。
そこで、視界が真っ白く爆ぜた。
再び駆け出す体。
やがて敵の背中に躍りかかる。
――【打流】
振り返りざまに突き出された曲刀を弾き、
「手ェ出スンジャネエッ!」
すかさず甲冑の胸当に月白の剣を突き込んだ。
背中までも貫いた刀身。
幽騎の体がわずかに跳ねた。
「有紗カラ、離レロ……!」
そのまま左に引きずるように動かし、
「ウラアッ!」
前蹴りを打ち込んで刀身を引き抜いた。
幽騎はよろめいて数歩後ずさり、瞬く間に黒煙と化して大きく後退した。
視界がふと、有紗を映した。
切れ長の目を呆然と見開き、唇を薄く開いている。
「フッ……」と小さく笑ったあと、体は幽騎を追いかけ始めた。
吹き荒ぶような勢いで、敵との距離をあっという間に詰めていく。
「チッ……」
「へ……?」
中ほどを過ぎたところで、悔しげで忌まわしそうな声と、腑抜けた声が重なった。
「え……? えッ!?」
湊輔は勢いづいている体に急制動をかけた。
目に飛び込んできたのは、左肩に矢が突き刺さった甲冑姿だけ。
剣佑と有紗の姿が見えず、戸惑う。
二人を探そうとするも、そんな暇はないと直感が警鐘を鳴らした。
胸元に細い穴の開いた幽騎が、黒煙と化して迫ってきた。
同時、視界に浮かび上がる赤い光跡。
それが左上からまっすぐ伸びてくる。
「――ッ」
湊輔は思わず後ずさり、しかし足をもつれさせて背中から倒れてしまった。
起き上がらないと、と焦る。
そのまま無理やり足を振り上げ、ぎこちなく後転につなげた。
半瞬後、湊輔が元いた場所を幽騎の曲刀が斜めに斬り裂いた。
いまだに全身は熱い。
ただ、それよりも今起こったことのほうがやけに気になる。
湊輔はすっくと立ち上がり、しかしどうしたらいいか分からないまま構える。
頭蓋骨の二つのくぼみがこちらを向いた途端、また視界に赤い光跡が走った。
今度は右から左にまっすぐ。
――【流転避】
躱さないと、と湊輔が思うのと同時。
こうだ、と閃いたように体が自然と動いた。
赤い光跡から遠ざかるように後転する。
またも、幽騎の右薙ぎが半瞬前の湊輔を斬り払った。
これ、まさか……と疑念を抱くと同時、視界の中心から赤い円が広がった。
すかさず左に転がると、半瞬前の湊輔が曲刀に貫かれた。
「未来、予測……」
湊輔が消え入りそうな声でつぶやくと同時、敵が素早く一歩引いた。
やや遅れて、その手前をなにかが通り抜ける。
あまりに速く、細い陰影、としか言いようがない。
直後地面で弾ける炸裂音。
さらにそれが立て続き、幽騎は黒煙と化しながら遠ざかっていった。
「だらしねぇなーっ、剣佑ぇッ!」
声がしたほうを見れば、颯希がA棟校舎前の道路で、悠然と弓を構えている。
その隣には耀大が。
「すみません……油断、しました……」
苦しげな声が聞こえて、湊輔はそちらを見た。
剣佑が右足を引きずっている。
制服のスラックス、左の太ももあたりに入った長い切れ目。
全身の熱でボーっとしていた間に斬られたらしい。
それよりアイツは……! と湊輔が振り向くと、幽騎も颯希同様、悠然と佇んでこちらに視線を向けている。
曲刀の切っ先を下げ、襲いかかってくる気配がない。
「颯希さん、あのサソリは……?」
剣佑が、耀大と一緒に歩み寄ってきた颯希に尋ねた。
颯希は犬歯を剥き、「はっ」と声高に短く笑った。
「あんなんあたしの敵じゃねぇよ。秒殺だ、秒殺」
「はっはっはっ、秒殺は盛りすぎじゃないですかのぅ、颯希さん?」
耀大がおどけるように突っ込むと、颯希はその腹を軽く小突いた。
「うっせぇっ、あたしが秒殺っつったら秒殺なんだよっ」
助かった、と思いつつ、湊輔は敵を視界に捉えながら四人と合流した。
「お? ヤロウ、穴開いてんじゃねぇか?」
颯希が目を細めながら感嘆の声をこぼした。
それから剣佑に横目を向ける。
「あれだろ? 刺し違えてでもってやつだろ? それから湊輔がどうにか頑張ってた、みてぇな?」
剣佑は悔しげに苦笑いした。
「いや……アイツの胸を刺したのは、湊輔ですよ」




