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学園の王子様は放課後、妖魔を斬る――正体不明の仮面の神、その器は同居中の少年でした――  作者: situ725


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第4話 王子様のいる教室

 九条院伊織に続いて教室へ入ると、久世湊へ再び視線が集まった。


 つい先ほど、転校生として紹介される直前に倒れたのだ。注目されるのも無理はない。


「体調はもういいのか?」


 教壇に立つ担任が尋ねる。


「はい。ご迷惑をおかけしました」


「無理はするなよ。気分が悪くなったら、すぐに保健室へ行くように」


「分かりました」


 湊が教壇の横へ立つ。


 黒板には、担任が書いたらしい湊の名前が残されていた。


「それじゃあ、改めて自己紹介を」


「久世湊です。親の仕事の都合で転校してきました。よろしくお願いします」


 短い自己紹介を終えて頭を下げる。


 教室から拍手が起こった。


「久世の席は、窓際の一番後ろだ」


 指定されたのは、伊織の席から斜め後ろに当たる場所だった。


 湊が席へ向かう途中、女子生徒たちの小声が聞こえてくる。


「朝、伊織さんと一緒にいた人だよね」


「親戚だって」


「同じ家で暮らしてるって本当かな」


 聞こえないふりをして椅子へ座る。


 伊織が申し訳なさそうに振り返った。


 湊は気にしていないことを示すため、小さく肩をすくめた。


     ◇


 休み時間になった途端、湊の机は女子生徒たちに囲まれた。


「久世君、伊織さんの親戚なんだよね?」


「どれくらい近い親戚なの?」


「昨日から同じ家に住んでるって本当?」


「九条院さんとは、家系図を見ないとつながりが分からないくらい遠い親戚です。会ったのも昨日が初めてです」


 朝も似たような説明をしたが、その場にいなかった生徒の方が多かったらしい。


「伊織さんって、家ではどんな感じ?」


「どんな感じと言われても……」


「やっぱり家でも格好いいの?」


「朝から完璧だったりする?」


「寝起きは? 寝癖とかつかないの?」


 質問が次々と飛んでくる。


 湊は困りながら、廊下側の席にいる伊織へ目を向けた。


 伊織も別の女子生徒たちに囲まれている。


 困っているはずなのに、表情には出していない。一人ずつの話を聞き、いつも通り穏やかな笑顔で応じていた。


「九条院さんの家での様子を、勝手に話すつもりはありません」


 湊が答えると、女子生徒たちは顔を見合わせた。


「意外と口が堅い」


「昨日会ったばかりなんですけど」


「でも、一緒に住んでるんでしょう?」


「家の事情で預かってもらっているだけです。皆さんが期待しているような話は何もありません」


 はっきり答えると、女子生徒たちはようやく納得したらしい。


 質問の内容が、出身校や好きな教科へ変わっていく。


 その様子を少し離れた場所から見ていた一人の女子生徒が、皆の会話が落ち着くのを待って近づいてきた。


「久世君」


 柔らかな声に呼ばれ、湊は顔を上げた。


 肩を越える栗色のセミロングと、薄い茶色の瞳を持つ小柄な少女だった。派手さはないが、穏やかで近づきやすい雰囲気がある。


「朝比奈小春です。伊織さんの友人です」


「久世湊です。よろしく」


「体調は、もう大丈夫ですか?」


「はい。少し疲れていただけだと思います」


「そうですか。よかった」


 小春は手にしていた数枚のプリントを、湊の机へ置いた。


「朝の連絡事項です。保健室へ行っている間に配られたので」


「ありがとうございます」


「分からないことがあったら、私か伊織さんに聞いてください」


 小春はそれだけ告げると、無理に会話を続けようとはしなかった。


 ほかの女子生徒たちとは違い、伊織との同居についても尋ねてこない。


「朝比奈さんは、九条院さんと長いんですか?」


「同じクラスになったのは今年からです。でも、以前から何度か話したことはあります」


「王子様とその友人、ですか」


「私は、伊織さんを王子様だと思ったことはありません」


 小春が静かに答えた。


「確かに格好よくて、頼りになる人です。でも、普通に疲れますし、無理をすることもありますから」


 湊は、女子生徒たちに囲まれている伊織を見る。


 表情は明るい。


 しかし、時折、負傷した右腕をかばうように左手で荷物を受け取っていた。


「朝比奈さんは、よく見てるんですね」


「見ていないと、伊織さんは何も言ってくれませんから」


 小春の視線が、一瞬だけ伊織の右腕へ向けられた。


     ◇


 午前の授業が終わるまでに、湊は伊織が学校でどのような生徒なのかを少しずつ理解した。


 教師から指名されれば、難しい問題にも迷わず答える。


 授業で使う教材が足りなければ、自分のものを後ろの席へ回す。


 女子生徒が落とした筆箱にも、教師が運ぼうとしていた資料にも、誰より早く気づいた。


 どれも大げさな行動ではない。


 自然に周囲を見て、困っている人へ手を差し伸べている。


 王子様と呼ばれるのは、容姿や運動能力だけが理由ではないのだろう。


 昼休みになると、その人気をさらに実感することになった。


「伊織、今日の放課後、バスケ部を手伝ってくれない?」


「九条院先輩、陸上部のリレー選考にも来てもらえませんか?」


「明日の体育館練習、バレー部も人数が足りなくて……」


 複数の運動部員が、弁当を開く前の伊織へ声をかけている。


「今日はバスケ部を三十分だけ手伝って、その後なら陸上部にも――」


「伊織さん」


 小春が伊織の言葉を遮った。


 いつもの柔らかな声だが、少しだけ強い調子だった。


「今日は休んでください」


「でも、人が足りないみたいだから」


「右腕をかばっていますよね」


 伊織の笑顔が、わずかに固まる。


 女子生徒たちの視線が、その右腕へ集まった。


「昨日、少し転んだだけだよ」


「それなら、治るまで休むべきです」


「軽い傷だから、動かしても問題ないよ」


「問題がない人は、朝から一度も右手で荷物を持たないようなことはしません」


 小春の言葉に、伊織は答えられなかった。


 バスケットボール部の女子生徒が、心配そうに眉を下げる。


「ごめん、伊織。怪我してるって知らなくて」


「こちらこそ、ごめん。手伝えると思ったんだけど」


「謝らないでよ。怪我してる人に頼めないって」


「陸上部も、ほかの人を探します」


「バレー部も大丈夫です。無理しないでください」


 女子生徒たちは伊織を責めることなく、心配そうに声をかけてから離れていった。


 伊織は机の上に置いた弁当を見つめ、小さく息を吐く。


「迷惑をかけたな」


「どこがですか」


 小春が伊織の前の席へ座った。


「皆さん、自分たちで何とかすると言っていました」


「最初から断れば、別の人を探す時間があったでしょう」


「伊織さんが断っても、誰も嫌いになったりしません」


「分かっているんだけどね」


 そう答えながらも、伊織の表情は晴れない。


 湊は自分の席から立ち、伊織たちの近くへ移動した。


「九条院さんは、頼まれたことを全部引き受けるつもりなんですか」


「久世君」


「バスケ部の後に陸上部へ行って、明日はバレー部。怪我がなくても無理があるでしょう」


「時間を分ければ、できないことはないよ」


「できるかどうかではなく、やる必要があるかという話です」


 伊織が目を瞬く。


 王子様として慕う女子生徒たちは、伊織が引き受けてくれることを喜ぶ。


 小春は、伊織が疲れていないかを見ている。


 湊には、学校での事情はまだ分からない。


 ただ、家で傷の手当てを受けていた伊織が、無理をしていることだけは分かった。


「全部引き受けて九条院さんが倒れたら、家の人が心配します」


「久世君の言う通りです」


 小春がうなずいた。


「二人で責めなくても」


「責めているのではなく、心配しているんです」


「俺は、美冬さんたちが心配すると思っただけです」


「久世君は素直じゃありませんね」


「朝比奈さんに言われる理由はないと思います」


 小春が口元へ手を添えて笑った。


 伊織も、つられるように小さく笑う。


 多くの女子生徒に向ける整った笑顔ではない。家で見せたものと同じ、肩の力が抜けた表情だった。


「分かった。今日は何も引き受けないよ」


「明日も、腕が治っていなければ休んでください」


「小春は厳しいな」


「伊織さんが自分に甘ければ、私も何も言いません」


 小春は購買で買った紙パックの紅茶を、伊織の机へ置いた。


「それと、先にお弁当を食べてください。昼休みが終わってしまいます」


「ありがとう、小春」


 伊織はようやく弁当箱の蓋を開けた。


 湊は自分の席へ戻りながら、二人の様子を振り返った。


 小春だけは、伊織を王子様ではなく、一人の少女として見ている。


 その言葉の意味が、少し分かった気がした。


     ◇


 放課後、湊は担任から渡された転入関係の書類を確認していた。


 教室には、部活動へ向かう生徒の姿がまだ残っている。


 伊織は別の教師に呼ばれ、先に教室を出ていた。小春も図書委員の仕事があるらしい。


 やがて、教室に残っていた生徒たちも一人ずつ帰っていく。


 すべての書類を鞄へ入れた頃には、湊一人になっていた。


 窓から差し込む夕日が、机と椅子の長い影を床へ伸ばしている。


 湊は席を立ち、窓の外を見た。


 運動場では、部活動の生徒たちが練習を始めている。掛け声と笛の音が、閉じた窓越しに聞こえてきた。


 窓ガラスには、教室に立つ湊の姿が薄く映っている。


 その背後を、黒い何かが横切った。


 湊は振り返った。


 誰もいない。


 机と椅子が並んでいるだけだ。


「また見間違いか……」


 もう一度、窓ガラスへ目を向ける。


 今度は何も映っていなかった。


 九条院家の廊下で見た黒い犬のような影。


 先ほど窓に映った、人の形にも見える黒い影。


 どちらも一瞬で消えている。


 環境が変わったことによる疲労。


 転校初日の緊張。


 朝に起きた頭痛。


 原因になりそうなものはいくらでもあった。


 湊は深く考えず、鞄を肩へ掛けた。


 教室を出る直前、どこからか小さな声が聞こえた気がした。


 言葉の内容までは分からない。


 振り返っても、夕日に染まった教室には誰もいなかった。


     ◇


 湊が教室を出てから、しばらく後。


 伊織は忘れていた教科書を取りに戻ってきた。


 廊下には誰もいない。


 教室の扉へ手をかけようとしたところで、足元の影が小さく揺れた。


『待て』


 クロの低い声に、伊織の手が止まる。


「どうしたの?」


『何かいる』


 伊織は周囲を見回した。


 人の姿はなく、妖魔の気配もほとんど感じられない。


「教室の中?」


『少し前まではな』


 伊織が扉を開ける。


 夕日に染まった教室は静まり返っていた。


 机の間を進み、窓際に立つ。


 クロが伊織の影から顔だけを出した。金色の瞳が、窓ガラスと床を順番に見つめる。


『弱い妖気が残っている』


「四等妖魔?」


『そこまで形を持っていない。生まれかけか、気配を隠しているかのどちらかだ』


「どこへ行ったか分かる?」


『人間の匂いが多すぎる。ここでは追えん』


 伊織は護符を一枚取り出し、窓ガラスへ近づけた。


 白い紙の端が、わずかに黒く変色する。


 何らかの妖魔が、ここにいた。


 しかし、窓にも床にも核へつながる痕跡はない。


「学校の中で妖魔が生まれたのかな」


『珍しいことではない』


 クロが冷たく答える。


『妬み、焦り、孤独、不満。大勢の人間が長時間集まる場所には、餌がいくらでもある』


 窓の外では、生徒たちが部活動に励んでいた。


 笑い声と掛け声が聞こえてくる。


 その日常のすぐそばに、普通の人間には見えない何かが潜んでいる。


「調べる必要があるね」


『陰陽寮へ報告するか』


「報告はするよ。ただ、この程度の痕跡だけでは、大がかりな調査はできないと思う」


『なら、どうする』


「学校にいる間、私とクロで探る。はっきりした異常を見つけたら、すぐ葛城さんへ連絡するよ」


『一人で抱え込むなと言われたばかりではなかったか』


「報告したうえで調べるなら、抱え込んでないでしょう」


『都合のいい解釈だ』


「学校の中なら、私が一番動きやすいよ。それに、一般の陰陽師を大勢入れたら、生徒たちに気づかれるかもしれない」


『無茶をしないという約束は』


「できる範囲で調べるだけ。戦うと決まったわけじゃないよ」


 クロは納得していないのか、低く鼻を鳴らした。


 伊織は黒く変色した護符をしまい、机の上に置いていた教科書を鞄へ入れた。


「帰ろう。家に着いたら報告書を送る」


『あの小僧にも気をつけろ』


「久世君は関係ないでしょう」


『この教室に残った妖気の近くに、あの小僧の匂いがある』


「同じ教室にいるんだから、当たり前だよ」


『そうであればいいがな』


 伊織は教室を見回した。


 妖魔の姿はない。


 微かな妖気も、すでに薄れ始めている。


 これ以上ここにいても手がかりは得られないと判断し、教室を出た。


 扉が閉まり、伊織の足音が遠ざかっていく。


 誰もいなくなった教室で、窓ガラスを細長い影が音もなく横切った。


 その影を見た者は、誰もいなかった。


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