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学園の王子様は放課後、妖魔を斬る――正体不明の仮面の神、その器は同居中の少年でした――  作者: situ725


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第3話 トンネルの中の声

 教室の扉が開き、中にいた生徒たちの視線が一斉に久世湊へ向けられた。


「席に着け。今日は転校生を紹介する」


 担任の言葉で、教室内のざわめきが少しだけ大きくなる。


 湊は短く息を吸い、教室へ足を踏み入れようとした。


 その瞬間、額の奥に鋭い痛みが走った。


「っ……!」


 視界が大きく揺れる。


 湊はとっさに扉の縁へ手をついた。


「久世?」


 担任が振り返る。


 返事をしようとしたが、声が出なかった。


 周囲の話し声が遠ざかり、代わりに車輪が線路を走る音が聞こえてくる。


 鉄の匂い。


 規則的な振動。


 窓の外を流れていく、夕暮れの町並み。


 痛みの奥から、失われていた記憶が浮かび上がった。


     ◇


 九条院家へ向かう電車の中で、湊は窓際の席に座っていた。


 足元には大きなキャリーケースが置かれている。


 車内に乗客は多くなかった。向かいの席ではスーツ姿の男性が目を閉じ、その隣では制服姿の女子生徒がスマートフォンを操作している。


 湊の手にも、母から届いたメッセージが表示されていた。


《九条院さんに迷惑をかけないようにね》


《着いたら連絡する》


《困ったことがあれば、すぐに相談するのよ》


《分かってる》


 短い返信を送ると、湊はスマートフォンをポケットへ入れた。


 両親と離れて暮らすことに、不安がないわけではない。


 それでも海外へついていくより、日本に残る方がいいと決めたのは自分だ。


 九条院家がどのような家なのかは、ほとんど知らない。


 遠い親戚。


 古くから続く家系。


 昔は陰陽師をしていたという、信じ難い話。


 今の時代に妖怪や陰陽師などいるはずがない。湊にとっては、親戚の間で受け継がれている昔話の一つにすぎなかった。


 電車が速度を落とさないまま、長いトンネルへ入った。


 窓の外が暗くなる。


 その直後、車内の照明がすべて消えた。


「停電か?」


 湊が顔を上げる。


 非常灯すら点灯していない。


 窓の外だけでなく、車内まで完全な闇に包まれていた。


 電車が走る音も消えている。


 揺れも、車輪の音も、乗客の話し声もない。


 耳が痛くなるほどの静寂だった。


「すみません」


 湊は向かい側へ呼びかけた。


 返事はない。


 スマートフォンを取り出そうとしたが、腕が動かなかった。


 指先だけではない。


 肩も、脚も、首も動かせない。


 身体が座席へ縫い止められたようだった。


 目だけを動かして周囲を見る。


 向かいに座っていた男性も、女子生徒も、暗闇の中で動きを止めていた。


 眠っているのではない。


 呼吸さえしていないように見える。


「何だよ、これ……」


 自分の声だけが、暗い車内に響いた。


 そのとき、窓の外に二つの光が浮かんだ。


 青白い目。


 人間よりも高い位置から、湊を見下ろしている。


 電車はトンネルの中を走っているはずなのに、それは窓のすぐ外に立っていた。


「誰だ」


 青白い目が、ゆっくりと近づく。


 窓ガラスも車体の壁も関係なく、黒い何かが車内へ入り込んできた。


 人の形に似ている。


 けれど、輪郭は闇に溶け、顔も身体も見えない。


 ただ二つの目だけが、湊を捉えている。


『見つけた』


 男とも女とも分からない声だった。


 耳からではなく、頭の内側へ直接響いてくる。


「何を……」


『境界を渡るための器』


 黒い影が、湊の前で止まる。


『しばらく借りる』


「器って何だ。ふざけるな」


 湊は身体を動かそうとした。


 しかし、指一本動かせない。


 青白い目が、何の感情も見せずに湊を見つめる。


「断る。俺の身体だ」


『同意は求めていない』


 影が右手のようなものを伸ばした。


 冷たい感触が湊の胸へ触れる。


 氷を押し込まれたような冷気が、胸から全身へ広がった。


「やめ――」


 拒絶の言葉を最後まで口にする前に、湊の意識は闇へ沈んだ。


     ◇


「久世君!」


 誰かに名前を呼ばれた。


 湊の意識が、教室前の廊下へ引き戻される。


 身体が傾いていた。


 床へ倒れる直前、誰かの腕が湊の身体を支えた。


 灰色を帯びた濃い青の瞳が、すぐ近くにある。


「九条院……さん?」


「聞こえる?」


 教室から駆けつけた伊織が、湊の片腕を自分の肩へ回していた。


 細身の身体からは想像できないほど、しっかりと湊を支えている。


「大丈夫です。少し、頭が痛くなっただけで」


「それを大丈夫とは言わないよ」


 担任も心配そうに湊の顔を覗き込む。


「顔色が悪いな。九条院、悪いが保健室まで連れていってくれるか」


「分かりました」


「一人で歩けます」


「また倒れたら危ないでしょう」


 伊織は湊の返事を待たず、その身体を支えたまま歩き出した。


 教室にいた女子生徒たちが、心配そうに二人を見送っている。


「転校初日から、すみません」


「謝ることじゃないよ」


「九条院さんまで教室を抜けることになりました」


「久世君が倒れたのに、そのまま授業を始める方が難しいでしょう」


 伊織の声は穏やかだったが、湊を支える手に迷いはない。


 歩いている間にも頭痛は少しずつ治まり、保健室へ到着する頃には一人で立てるほどになっていた。


     ◇


「熱はないわね」


 養護教諭が体温計を確認する。


 血圧にも異常はなく、頭を打った形跡もない。


「環境が変わったばかりだから、疲れが出たのかもしれないわ。少し横になっていきなさい」


「もう大丈夫です」


「大丈夫かどうかを決めるのは先生です」


 昨日の美冬と似たことを言われ、湊は反論を諦めた。


 保健室の寝台へ横になり、白いカーテンが閉じられる。


 養護教諭は職員室へ連絡するため、一度保健室を出ていった。


「九条院さんも、教室に戻っていいですよ」


 湊がカーテンの向こうへ声をかける。


「先生が戻ってくるまではいるよ」


「本当に、もう痛くないです」


「さっきもそう言って倒れたでしょう」


 カーテンが少しだけ開き、伊織が顔を覗かせた。


 涼しげな目元に、心配の色が浮かんでいる。


「少し確認してもいい?」


「何をですか」


「目を見るだけ」


 伊織は寝台の横へ来ると、湊の瞼へ指先を近づけた。


 灰色を帯びた濃い青の瞳に、淡い光が宿る。


 伊織は短時間だけ霊視を使い、湊の身体を調べた。


 妖魔に取り憑かれた人間には、身体の内側や周囲に妖気が残る。先ほどの頭痛が妖魔によるものであれば、何らかの痕跡が見えるはずだった。


 しかし、湊の身体に妖気はない。


 戦闘に使えるほどの霊力も感じられなかった。


 見えるのは、ごく普通の人間が持つ弱い生命の光だけだ。


「九条院さん?」


 湊の声で、伊織は霊視を解いた。


 目の奥に、針で刺されたような小さな痛みが残る。


「充血はしていないね」


「それを確認してたんですか?」


「念のために」


 伊織は何事もなかったように答えた。


 寝台の下で、彼女の影がわずかに揺れる。


『何か見えたか』


 影の中に潜んでいるクロの声だった。


 その声は伊織にしか聞こえない。


 伊織は答えず、ごく小さく首を横へ振った。


 妖気も、異常な霊力もない。


 それなら、クロが感じた人間ではない匂いは何なのか。


 廊下から、養護教諭の戻ってくる足音が聞こえた。


 伊織が保健室の扉へ顔を向ける。それに合わせ、足元の影に潜むクロの意識も扉の外へ向いた。


 その瞬間、湊の閉じた瞼の奥を、青白い光がかすかに横切った。


 光は伊織が振り返るより早く消え、誰にも気づかれることはなかった。


 保健室の扉が開き、養護教諭が戻ってくる。


「担任の先生には連絡しておいたわ。落ち着くまで、もう少し休みなさい」


「分かりました」


 湊は目を開け、何事もなかったように答えた。


     ◇


「さっき、何か思い出した気がします」


 しばらく休んだ後、湊が口を開いた。


 頭痛は完全に消えている。


「思い出した?」


「ここへ来る途中、電車で見た夢です」


「昨日話していた夢?」


「たぶん」


 湊は天井を見つめた。


 暗い車内。


 動かない乗客。


 青白い二つの目。


 確かに何かを言われた。


 けれど、言葉の内容を思い出そうとすると、記憶が指の間からこぼれるように消えていく。


「トンネルに入った後、電車の照明が消えた気がします。誰かに話しかけられて……その先は、よく覚えてません」


「停電があったの?」


「分かりません。目を開けたときには、普通に電車が走っていましたから」


「ほかの乗客は?」


「何事もなかったみたいでした」


「それなら、本当に夢だった可能性もあるね」


「俺もそう思います。昨日は朝から移動して、疲れていたので」


 口ではそう言いながらも、湊の胸には冷たい感触が残っていた。


 ただの夢にしては、生々しすぎる。


 それでも妖怪や陰陽師より、疲労による夢だと考える方が現実的だった。


「九条院さんは、夢占いとか信じますか」


「どうして私に聞くの?」


「九条院家には、そういう昔話が残ってると聞いたので」


「昔話は昔話だよ」


 伊織は穏やかに答える。


 陰陽師として妖魔を討っている本人が言っているのだから、湊にとっては随分と奇妙な返事だった。


「そうですよね」


「ただ、同じ夢を何度も見るようなら教えて。頭痛も続くようなら、病院で調べてもらおう」


「分かりました」


 養護教諭から、もう少し休んでからなら教室へ戻ってよいと許可が出た。


 伊織も先に戻ろうとしたが、湊が起き上がるまで保健室に残った。


「過保護ですね」


「預かった人を放っておけないだけだよ」


「俺と同い年でしょう」


「そうだけど、昨日来たばかりだから」


 湊は制服の上着を整え、寝台から立ち上がった。


「本当に平気?」


「九条院さんは、自分が怪我をしても隠すのに、人のことは心配するんですね」


 伊織の視線が、自分の右腕へ向く。


 制服の袖の下には、縋り手に負わされた傷がある。


「私のは、動けないほどの怪我じゃないから」


「俺の頭痛も、もう動けないほどじゃありません」


「久世君、意外と言うね」


「言うべきことは言う性格なので」


 伊織は少し驚いた後、小さく笑った。


 学校で女子生徒たちへ向けていた完璧な笑顔とは違う。


 どこか力の抜けた、普通の少女らしい笑い方だった。


「分かった。でも、また痛くなったらすぐに言って」


「九条院さんも、腕が痛くなったら言ってください」


「それは誰に?」


「少なくとも、家の人には」


「善処します」


「それ、言わない人の返事ですよね」


 二人は保健室を出て、並んで教室へ向かった。


 教室の前に着いても、湊の頭に痛みはなかった。


 伊織が扉を開ける。


 中から、再び大勢の視線が向けられた。


「入れる?」


「大丈夫です」


 今度こそ、湊は教室へ足を踏み入れた。


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