「幼少期のレティシアが初めて“レオ”っぽく外でふるまって、双子が青ざめる話」
レティシアの“へんそうごっこ”は、その日で終わらなかった。
終わるどころか、そのあと何回もつづいた。
帽子をかぶる。
髪をまとめる。
大きめの上着を着る。
鏡の前で歩いてみる。
声を低くしてみる。
失敗する。
笑われる。
ふくれる。
またやる。
それを、双子はなぜか毎回つき合わされていた。
オスカーはだいたい最初から楽しそうだった。
エルマーはだいたい最初から止めたそうだった。
でも、結局ふたりとも最後までいる。
そういうのが、もう当たり前みたいになっていた。
そしてある日。
レティシアは、鏡の前で帽子をなおしながら言った。
「そとでやる」
「は?」
エルマーが言った。
「えっ」
オスカーが言った。
レティシアはまっすぐうなずく。
「そとでやるの」
「なにを」
「へんそう」
「いや、なんで」
「だって、へやのなかだけじゃ、わかんないでしょ」
「なにが」
「ちゃんと、おとこのこにみえるかどうか」
エルマーはすぐに首を振った。
「だめ」
「まだ、なにもいってない」
「いうまえに、だめ」
「なんでよ」
「そとだから」
「それ、りゆうになってない」
「なってる」
「なってない」
「なってるって」
オスカーはレティシアの帽子を見て、それから顔を見た。
「でも、ちょっとみてみたい」
「おまえはほんとに……!」
レティシアがすかさずオスカーのほうを向く。
「でしょ?」
「うん」
「うんじゃない」
レティシアは、ふんす、と胸を張った。
「だいじょうぶよ。ちょっとだけだもの」
「その“ちょっとだけ”があぶない」
「またそれ」
「またそれだよ」
レティシアは少し考える顔をして、それから言った。
「じゃあ、あそこの、うらのにわだけ」
「うらのにわ?」
オスカーが聞く。
「うん。にわしさんとか、つかいのひとが、とおるところ」
「それ、けっこう人いるだろ」
「だからいいの」
「よくない」
エルマーが言う。
「みられたらどうするんだよ」
「みられるためにいくの」
「いわなくてもいいことまで言うな」
レティシアは、ふたりの手をつかんだ。
「おねがい」
「だめ」
「エルマー」
「だめ」
「オスカー」
「うーん」
「まような」
「でも、おもしろそう」
「だから、おまえはそういうとこだよ!」
しばらくして。
けっきょく三人は、屋敷のうら庭へ来ていた。
やっぱりこうなる。
うら庭は、表のきれいな庭よりずっと実用的だった。薪が積んであったり、水桶が置いてあったり、使用人たちが出入りしたりする。子どもたちがうろうろしていても不自然ではないが、ちゃんとしたお嬢さまが一人で来る場所でもない。
けれど今日のレティシアは、帽子をかぶって、髪をまとめて、ぶかぶかの上着を着ている。
ぱっと見では、よくわからない。
少なくとも遠目なら、“どこかの家の子”に見えなくもなかった。
「どう?」
レティシアがひそひそ声で聞く。
「……ちょっと、わかんない」
オスカーが言う。
「ほんと?」
「でも、しってるから、レティシアにみえる」
「それは、そうだろ」
エルマーが言う。
「おれたちは、しってるんだから」
「じゃあ、しらないひとなら、だいじょうぶかも?」
「かも、じゃだめなんだよな……」
その時だった。
向こうから、パンの入ったかごを持った若い使用人の女の人が歩いてきた。
三人はぴたりと止まる。
「くる」
オスカーが言う。
「みればわかる」
エルマーが言う。
「しずかにして」
レティシアが言う。
いや、おまえが言うのか。
使用人の女性は、こちらに気づいて足を止めた。
「あら?」
レティシアはその瞬間、すっと背筋をのばした。
さっきまでの“お嬢さまのままごと”みたいな空気が、少しだけ消える。
そして、ほんの少し低くした声で言った。
「こんにちは」
「……こんにちは?」
女性は目をぱちぱちさせた。
「ええと……どこの坊ちゃんかしら」
双子はそろって固まった。
レティシアは、ちらっと横目でこっちを見る。
勝った、みたいな顔をした。
エルマーの背中がひやっとした。
え、ばれてないのか。
レティシアは、そのままにこっと笑った。
でも、いつものレティシアの笑い方とは少し違う。
お嬢さまの柔らかい笑い方じゃない。
もっと気軽で、するっとした笑い方だった。
「ひみつです」
「まあ」
女性が笑う。
「ひみつなの?」
「うん。ないしょ」
「ふふ、変な子ねえ」
エルマーは思った。
だめだ。
この人、もうレティシアにペースを持っていかれてる。
オスカーは目をきらきらさせていた。
「すごい……」
「すごくない」
エルマーが小声で言う。
「すごいよ」
「すごくないって」
「でも、ばれてない」
「それがだめなんだよ」
使用人の女性は、かごを持ち直しながらレティシアに聞いた。
「お名前は?」
「……」
レティシアが止まる。
エルマーは息をのんだ。
ここで本名を言ったら終わりだし、変なことを言っても終わる。
けれどレティシアは、ほんの一瞬だけ考えてから言った。
「レ……」
「レ?」
「レオン」
双子はそろって目を見開いた。
「へえ、レオンくん」
女性は何も疑わなかった。
「かわいいお名前ね」
「ありがとうございます」
レティシア——いや、“レオン”は、ぺこっと小さく頭を下げた。
その動作まで、妙にそれっぽい。
エルマーは青ざめた。
なんで、そんなに自然なんだよ。
女性が去っていくまで、レティシアはちゃんと“レオン”のままだった。
笑って、手を振って、相手が見えなくなったところで、ようやくふうっと息をはく。
「……どう?」
振り向いて聞く。
オスカーが飛びつくみたいに言った。
「すごい!」
「すごかった!」
「でしょ?」
レティシアが得意そうに笑う。
「ぜんぜん、ばれなかった」
「ね!」
エルマーだけが、まだ固まっていた。
「……」
「エルマー?」
レティシアがのぞきこむ。
「どうしたの」
「どうしたの、じゃない」
「なにが?」
「なにが、じゃないよ」
「え?」
「ばれなかったじゃん」
オスカーが言う。
「そこがこわいんだよ!」
思わず声が大きくなる。
レティシアとオスカーがそろって目を丸くした。
「だって、おまえ」
エルマーはレティシアを指さす。
「すぐ、べつのひとみたいになる」
「そう?」
「そうだよ!」
「でも、それがしたかったの」
「できちゃだめだろ!」
「なんで?」
「なんでって……!」
うまく言えない。
ただ、なんだかすごくまずい気がした。
レティシアがレティシアじゃないみたいになって、しかもそれが自然で、知らない人がころっと信じてしまう。
まだ小さいのに。
ただのごっこ遊びなのに。
なのに、ちょっとだけ本物みたいだった。
「エルマー、おこってる?」
レティシアが聞く。
「おこってる」
「なんで?」
「それは……」
エルマーが言葉につまる横で、オスカーが楽しそうに言った。
「すごかったから、びっくりしてるんだよ」
「それもあるけど!」
「びっくりしたの?」
レティシアが聞く。
「……した」
「じゃあ、せいこう?」
「そういうことじゃない」
「でも、びっくりしたんでしょ」
「したけど」
「じゃあ、せいこう」
レティシアはにっこりした。
その顔は、完全に“勝ち”の顔だった。
エルマーは思う。
たぶんこの子は、もう止まらない。
止めても、たぶんまたやる。
しかも、次はもっと上手くやる。
それがわかってしまって、余計に頭が痛い。
「ねえ」
レティシアが言う。
「なに」
エルマーが警戒して聞く。
「レオン、いい?」
「……名前?」
「うん。さっき、とっさにいったけど」
「レオン」
オスカーが繰り返す。
「いいじゃん」
「そう?」
「うん。かっこいい」
「やっぱり?」
「そこはもう決まってるんだな……」
レティシアは帽子のつばを押さえながら、小さく笑った。
「レオでもいいかも」
「レオ?」
オスカーが言う。
「うん。そっちのほうが、はやくいえる」
「たしかに」
「たしかに、じゃない」
レティシア——いや、レオは、くるっとその場で回った。
「じゃあ、これから、そとのときはレオね」
「これから、って言うな」
「なんで?」
「まだつづけるから」
「ほら」
「だって、おもしろいもの」
「それはもう、しってる」
オスカーが笑って、レオの帽子をちょんとつついた。
「レオ、かっこよかった」
「ほんと?」
「うん」
「オスカー、すき」
「やった」
「おまえ、よろこぶな」
「うれしいし」
「そういうとこだよ」
レオは次に、エルマーの前に来た。
「エルマー」
「……なに」
「ひみつにしてね」
「……」
「だめ?」
「……だめっていっても、やるんだろ」
「やる」
「しってた」
「でも、ひみつにはしてほしい」
「……」
「エルマー」
「……わかった」
「ほんと?」
「ほんと」
「やった」
「でも」
「でも?」
「ひとりでやるな」
「またそれ」
「またそれでいい」
「エルマー、それしかいわない」
「それしかいわなくていいんだよ」
レオは、ちょっとだけ笑って、それから言った。
「じゃあ、つぎもいっしょ」
「だから、なんでそうなる」
「だって、オスカーはすぐのるし」
「うん!」
「おまえは静かにしろ」
「で、エルマーは、とめるけど、さいごはいてくれる」
「……」
「ちがう?」
「……ちがわない」
「でしょ」
やっぱり、勝った顔だった。
その時、遠くから誰かを呼ぶ声がした。
「レティシアさまー!」
三人はそろってそっちを見る。
「かえらなきゃ」
レオが言う。
「レティシアにもどるの?」
オスカーが聞く。
「もどるわよ」
「どうやって?」
「こう」
レオは帽子を取って、まとめた髪をほどいた。
銀灰の髪がさらっと落ちる。
それだけで、さっきまでそこにいた“男の子”っぽい空気がふっと消えた。
双子は目をぱちぱちさせる。
「……すご」
オスカーが言う。
「……」
エルマーはもう何も言えなかった。
レティシアは、いつものレティシアの顔で笑った。
「じゃあ、またね」
「またね、レオ」
オスカーが言う。
「しずかに!」
エルマーが言う。
「ふふ」
レティシアはくすくす笑って、軽い足取りで駆けていった。
銀灰の髪が遠ざかっていくのを見ながら、オスカーがぽつりと言う。
「すごかったな」
「……ああ」
「ほんとに、べつのひとだった」
「……ああ」
「おもしろい」
「……それだけじゃない」
「なに?」
「なんか……すごく、いやなよかんがする」
「なんで?」
「なんでって……」
うまく言えない。
でも、エルマーにはわかっていた。
今日見たのは、ただのごっこ遊びじゃない。
きっと、この子はこれから先、もっと上手くなる。
もっと自然になる。
そしてたぶん、知らない人はみんな、ころっと信じる。
それは、すごいことだ。
でも同時に、とても危ない。
「たぶん」
エルマーは小さく言う。
「このひと、あとで、とんでもないことする」
「レティシアが?」
「……うん」
「でも」
オスカーは笑った。
「そのときも、たぶん、おれたちいるだろ」
「……だろうな」
小さくため息をつきながら、エルマーもわかっていた。
もう遅い。
レティシアのひみつを知ってしまった。
“レオ”のはじまりを見てしまった。
そしてたぶん、それを最初から最後まで見届けるのも、自分たちなのだ。
レティシアがはじめて“レオ”っぽく外でふるまった日。
双子は、そのすごさに少しわくわくして、
同時に、かなり青ざめた。
——でも結局、ひみつは守ることにした。
たぶん、その時からもう。
三人はとっくに、共犯だったのだ。




