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U-RED in THE HELL ―ナラクノネザアス―  作者: 渡来亜輝彦
第三章C:サイケデリック・インフェルノ

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18.異形ガッデス-1


 ユーレッドは廊下を走り、逃亡している。

 ホールに続くそこは、先ほどとは違う異質な不気味さに満ちていた。

 それは迫る囚人から漏れる汚泥の湿った音と、なにより、メイトと子供たちの笑い声のせいだ。

 メイトは強い囚人だった。それが汚泥を引き寄せるのか、操っているのか、ユーレッドの走る先の各部屋から汚泥が溢れてきている。

 普通の人間であれば、汚泥に足を取られるだろうが、それらの汚泥は、ユーレッドのそばまでくると、嫌がるように避けていった。そして、逃げ遅れた汚泥を、ユーレッドは容赦なく踏み散らして走っていく。

 やはり、ユーレッドは汚泥から拒否されるような体質なのだろう。

 しかし、それが彼を決定的に有利にはしていない。黒いものが背後から飛んでくるのを、ユーレッドはなんとか避けながら走っているのだ。

「あはは、鬼ごっこだねー。おじさん」

 背後からは子供達の笑い声と共に、何本もの触腕が伸びてきていた。

「つかまえたー!」

 間一髪、伸びてくる触腕をかわしたユーレッドは、崩れた体勢を整えて走る。

『ネザアス! 逃げるばかりではダメだ。反撃しなきゃ!』

 そう声をかけたのはエリックだった。

 ドローン型のアシスタントを操作しているエリックも、今のところなんとかかわしているが、精一杯といったところである。

 元々、戦闘になれているわけでもないらしい。常に冷静なエリックではあるが、そんな彼にしては余裕がなさそうな声だった。

「馬鹿野郎、エリック! てめえは、本当に素人だな!」

 ユーレッドがそう吐き捨てる。若干、苛立った言い方だった。

「反撃してみろよ。どういう風になるかお前分かってんのか?」

『どういう風になるって……』

 戸惑うエリックにユーレッドが、嘲笑う。

「やってみるか? 寝覚が悪くなるぜ」

 と、その時、背後から追いかけてくるメイトの体が廊下に伸びたコードにつっかえた。

 大きなゲル状の体が傾き、彼女は転んで床に強かに顔や体を打ちつけた。びたん、と音が鳴る。

「いたい」

 不意に子供の泣き声が聞こえた。

「痛い」

「いたい」

「いたい」

「痛いよぉ」

「いたいぃ!」

 メイトと食べられた子供たちの声が、次々に廊下に響き渡る。

「ひっ!」

 タイロが思わずぎょっとして、スワロをぎゅっと抱える。スワロも動揺している気配があった。

 声は後ろからまだ響いていく。それを置き去りに、ユーレッドは走っていく。

『ま、まさか』

 エリックが狼狽したように呟いた。

 ユーレッドは、なるべく背後を見ないようにして足を進める。

「よくあることだ。……もちろん、囚人が擬態しているだけということもある。悲鳴は攻撃する側を精神的に動揺させるからな。だが、下手にこっちから攻撃したら、あいつらの泣き声を延々と聞かされる羽目になる」

 ユーレッドは、エリックを見やっていった。

「そいつぁ、さすがのお前でも堪えるだろう?」

 ユーレッドの言い方は冷ややかだったが、ユーレッド自身がその状況に本当は心を痛めているであろうことは想像に難くない。

(これじゃ、攻撃できない。ユーレッドさん、どうするつもりなんだろう)

 と、ユーレッドの背中目がけて、黒い汚泥のかたまりが飛んでくる。それを身を傾けて避けるユーレッドに、背後から子供の声が飛んできた。

「惜しい!」

「ちぇっ、つまんないのー」

 先ほどまで泣き喚いていたメイトたちは、気まぐれな子供そのものだ。もう泣き止んでおり、無邪気な笑い声をあげている。

 その姿は異形そのものだ。

 かろうじてサメの頭と、そこから飛び出しているメイトは姿がはっきりしているが、その他の部分はおおよそ流動的で、姿がコロコロ変わる。虫や動物に似ていることもあれば、黒いドロドロした何かのようなこともある。

 走りながら姿が変わっていく。

「おじさん、避けるの上手いんだねえ、あははっ、今度こそ捕まえるんだから」

 その声は、ただ楽しそうに鬼ごっこをしている子供でしかなく、それゆえに無慈悲で恐ろしい。

「アイツら、遊んでやがる。まだ本気を出していねえぞ」

 ユーレッドがボソリと言った。

「やれやれ! 全く! この街はどうなってる! いくら汚泥の餌を撒かれたとはいえ、あのクラスの大物がうようよしすぎだぜ!」

 ユーレッドが苛立たしげに吐き捨てるのを、エリックは黙って聞いていたが、

『ネザアス、このままホールから逃げる気かい?』

「さてな、果たして逃がしてくれるかどうかだが」

 ユーレッドが苦々しく答える。

『ホールの外には囚人がいそうだ。すぐに飛び出るのは危険では?』

「残念だが他に向かう場所がねえ。たとえお前が図面を持っていても、今更他の出口に向かうにはリスクが大きすぎる」

 ユーレッドの返答はあくまで冷静だ。

「建物の周囲には、どうせ囚人が山のようにいるからな。どこから出ても同じだが……」

 と、ユーレッドがぼそりといった。

「……どのみち、狭い廊下じゃこっちが不利だ。あいつらはデカブツだが、不定形。どんな姿にもなれる。やるにしてもやらねえにしても、こんな廊下では戦えねえよ」

『それはそうだけど』

「それに、他の通路はどう考えても無理だ。後ろ見ろ」

 ちらとエリックがカメラを背後に向ける。

 メイトたちの不気味な笑いが、追いかけてきていたが、それだけではない。

 いつのまにか、廊下は汚泥の海のようだ。ユーレッドのいう通り、別の部屋や通路からも黒いねとねとした液体が溢れている。

『ああ、他の道はないと言うことか』

 シュッと目の前に黒いものが飛んできたのは、メイトの放った触腕だった。

 エリックはかろうじてそれをかわす。

「ああ、また外れちゃった」

 メイトの声が楽しげだった。無邪気に獲物をいたぶっているかのようだ。

「本当、避けるのうまいんだね。あはは、あはは。そろそろ本気を出すからね!」

「そうだ、今度こそ本気を出すよ」

「本気を出そう!」

 メイトの声だけでなく子供達の声も混ざっている。

「エリック、俺より前に行ってろ。あれに捉えられたら体に引き摺り込まれるぞ」

 ユーレッドが警告しながら、彼に向けられた触腕を背を低めてかわす。

 それにしても、囚人の足が速い。

 ユーレッドは元からかなり足が速いのだが、その彼をもってしても追いつかれそうになっているのだ。

 メイトの体には明確には足がない。

 獣や虫の足はできたり消えたりしている。安定している後ろ側は腹足のようになっていたが、地面の汚泥を飲み込みながら滑るように這ってくる。それでも速いのだ。

 メイトを飲み込んでいるサメの頭のすぐ後ろに、大仰な目立つ背鰭と尾鰭が生えているせいか、まるで汚泥の水路を泳いでいるかのようだった。

 改めて、タイロは思わずぞっとした。

 それはタイロが今までみた囚人の中でも、屈指のおぞましさのものだ。

 と、不意に目の前の暗闇から光が漏れてくるのが見えた。半開きのドアから、わずかに外気が感じられる。

(さっき入ってきたホールだ)

 ユーレッドが侵入する際に割った窓ガラスから、外の風が吹き込んでいた。

 ユーレッドは両開きの扉の片方を、力尽くで開くとホールの暗闇に滑り込んだ。

 ユーレッドは後ろ手で、閉めたホールの扉に素早く鍵をかける。

 窓から光が漏れているだけに、薄暗いながらにホールは視界がまだ効く。

 こんな絶望的な状況で、無機質な祭壇が冷たくそびえていた。その未来的な無機質さはかえってこういう場面では、神聖さを保っているようで、皮肉だった。

 礼拝堂でもあるここで、オメガラインの人々は、何の神に救いを求めていたのだろう。

 と、スピードを落としながらホールの中ほどまできたユーレッドが、窓を前に足を止めた。

 流石の彼も、肩で息をしている。はぁはぁと呼吸が荒い。

『ネザアス、どうしたんだい? 早く外へ』

 エリックが焦ったように言った。

『今なら周りの囚人はいないはず。私が外を確認するから……』

「ば、馬鹿野郎、ッ!」

 ユーレッドが慌てて、窓から外に出ようとするエリックのドローンを左手で掴んだ。

 と、その時、ドーンと音がして、窓に暗闇がはりついてきた。一気にホールが暗くなる。

 どぶっと、割れた窓から汚泥が漏れる。

 窓の向こうから巨大な目が、現れると、複数の子供達の声がした。

「逃げちゃだーめ。鬼ごっこはまだ終わりじゃないよー」

「先回りしちゃった」

「追い詰めたよー」

 メイトの声が混ざっており、割れたガラスの窓からヌルヌルと囚人の体が入ってくる。

 と、廊下につながり扉からも、ドンドンとけたたましい音が鳴った。

「こっちも追いついちゃうよー」

 扉の方からは、メイトの本体が追いかけてきているようで、ホールの扉を叩いているのだ。

『あの子達、体を分割できるのかい?』

「ははっ。そういう、ことだろうな」

 ユーレッドは苦笑しつつ、まだ息が荒いのを意識しておさめようとしていた。すうっと深呼吸をして、少しずつ呼吸をおさめていく。

「どっちが本体だかわからねえが、相当な数のモノとりこんでいやがる。囚人の共食いだけじゃねえよ。だから、コアも一つじゃねえはず。囚人としては、上玉中の上玉だ。行ってみりゃあ、クイーン個体だな」

『まさか。あんなになるまで、見境なく……。どれだけの人間を取り込んだんだ』

 エリックがおぞましさを振り払うように言い捨てた。

「ふん、だから言ったろ。ちょっとやそっとで倒せる相手じゃあねえよ」

 ユーレッドは、しかし、一瞬瞳を揺らした。

「ただ、……もしかしたらだが、まだ……。あの娘だけはまだ原型が……」 

 ユーレッドが言いかけた時、ギシィギシと軋んだ音が鳴って、ホールへの扉がこじ開けられた。

 どばっと黒い汚泥がホールに溢れてくる。

 と同時に、何本もの触腕がユーレッドめがけて飛んでくる。左手の刀を思わず構えかけて、ユーレッドはハッとしてその手を止めた。

『ネザアス!』

 エリックが叫ぶ。

 その動作でユーレッドの動作が遅れた。しかし、触腕を避ける方に切り替え、紙一重でそれを避ける。

 が。背後の窓からも囚人は入り込んできていたのだ。そちらからの攻撃で、ユーレッドは背中を取られる。

 咄嗟の機転で身を捻り、掴まれはしなかったが、背中に触腕が直撃する。

「がはっ!」

 そのまま、ユーレッドはパイプ椅子の山に激突した。

『ネザアス!』

 触腕の攻撃を避けながら、エリックのドローンがユーレッドの元に駆け寄る。

 ガタガタと、椅子を退けて身じろぎし、ユーレッドは起き上がる。

『大丈夫かい、ネザアス』

 額と唇から血が滲んでいた。ユーレッドは咳き込みながら唇を拭う。

「ち、畜生が」

 ユーレッドは苦笑しながら、静かに吐き捨てた。

「俺は、こう見えて、病み上がりなんだぜ?」

 ユーレッドは、息を吐きながら膝を立てて身を起こす。

「おちびさんたちよー。ちょっとは、“おじさん“に気を遣ってくれてもいいじゃねえか」

 ユーレッドは、顔を上げてにこりとした。

「なあ、そうだろう? メイト」

 ユーレッドの視線の先には、ホールに入ってきたメイトがいた。

 複数の動植物をでたらめにくっつけた異形の体は、まるで休憩室にあった図鑑の動物を好き勝手つないだようだ。そして、その混沌とした体の先に、美しい少女が生えている。

 その姿はまるで女神のようだ。

 礼拝堂のモニュメントを前にして、異形に生えた美しいメイトは、禍々しい女神そのものに見える。

 彼女は幼く慈悲深い笑みを浮かべて、手を差し伸べた。

「ねえ、おじさん」

 その声は可愛らしく鈴を振るようだ。

「ここで私たちと一緒に暮らそう。こここそ、創造主様の作った天国だよ」

 複数の子どもたちの声が聞こえる。

「そうだよ。ここは天国だ」

「創造主様の作った天国だ」

「楽しい」

「楽しいよ」

 その声に重なるように、メイトが微笑んで言った。

「ねえ、そうしようよ。おじさん」

 それは、ユーレッドを誘惑するように甘やかに響く。

 しかし、ユーレッドは、全く表情を変えず左目を光らせて、冷たくそれを眺めていた。

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